第27話投函
30-027
投函をして自宅に帰ったが、何処をどの様に歩いたかの記憶も無く。
コンビニで弁当を買う気力も無く手ぶらだった。
「佐伯さん」と隣家の叔母さんに声をかけられて、初めて我に返った佐伯。
「あれから、考えたのだけれど、庭の掃除に来ていた人ね、何処かで見た事が有るのよね、それが何処だか判らないのよ、私が良く行くスーパーの人かと思って今日見に行ったけれど、違ったわ」と一方的に喋った。
「そうですか?思い出したら携帯に電話して下さい、私も何処に出かけるか判りませんから」と携帯番号をメモして手渡す佐伯。
「また、何処かに旅行ですか?」と不思議そうに尋ねる。
「そうだ、奥さんの名前聞いていなかった」と不意に尋ねる佐伯。
「赤木多喜子、赤木は判るわよね、名前は名乗らないからね」と微笑む。
不思議と隣に住んで居ても、名前は知らないのが普通だ。
佐伯は、明日からまた何処かに行こうと考えて、旅先から土産を送ろうと急に思い立ったのだ。
考えてみれば、今話をする数少ない人に成っていると思ったからだった。
会釈をして、自宅に入ると冷蔵庫に有る牛乳を飲んで、明日から人生最後の旅行に行こうと考え始める。
先程までは、何となく行こうが、今は必ず行こうに変わっていた。
何処に行こう?と古いアルバムをいきなり出して来て、遠い昔を懐かしそうに見る佐伯。
両親と行った場所に目を細めて見る。
六十一年間の時間の流れを見るように、ページを捲っていく。
結婚式の写真が数枚出て来ると、こんな事も有ったな、役所の上司に勧められるままにお見合い結婚。
しかし僅か三年で、破局「貴方って、面白くも何ともないわね、乳離れしていないのね」の言葉が蘇る。
もう、三十五年も前の事が昨日の様に蘇る。
元の妻が再婚して、子供に恵まれて幸せに暮らしていると聞いたのは、十年程前だった。
もう、こうしてアルバムを見なければ、顔も思い出さない自分に苦笑いをしている佐伯。
ページを開くと両親と行った高千穂と別府温泉の写真が、懐かしそうに色褪せた姿で登場した。
「ここに、行こう」と口走る。
中学生の頃だろうか?母の若い顔、懐かしさがこみ上げてくる。
親父も母も若い、高千穂峡のボートに父と自分が乗っている姿を母が撮影した写真に目を細める。
別府温泉の地獄巡りの間欠泉の前で、急に温泉が噴き出して驚く母と自分の姿。
もう、悟の頭は大昔にタイムスリップをしていた。
佐伯は翌日の午後、旅行鞄を持って、自宅を出て在来線に乗り込む。
急ぎの旅でもないので、普通電車を乗り継いでの九州までぶらり旅だ。
予約も、何もしていない気楽で目的の無い旅。
神戸駅から、新快速に乗って姫路に向かう。
姫路から、在来線で岡山を目指す、休みの日では無いので、通学の客が大勢帰って来る。
しばらくして、もう夕方なのだと、岡山駅でそれを感じる。
今夜は岡山で宿泊して、明日は九州まで新幹線で行こうとまた気分が変わってしまう佐伯。
ママに宛てた手紙は土曜日に梨花に到着するが、美千代は休みで誰が送った物か判らないので、誰も郵便物は開ける事は無い。
佐伯は土曜の夕方、別府温泉に到着したが、予約が無いので空いている旅館が中々見つからなくて、七時に成って小さな旅館に到着していた。
酒も飲まない男性の一人旅、見るからに何か神経質そうな面持ちに、警戒をしている中居達。
明日は朝から高千穂に行きたいと告げると、漸く安心して中居は佐伯に接した。
高千穂峡は、その昔阿蘇火山活動の噴出した火砕流が、五ヶ瀬川に沿って帯状に流れ出し、 急激に冷却されたために柱状節理のすばらしい懸崖となった峡谷。
この高千穂峡は、1934年(昭和9)11月10日、国の名勝・天然記念物に指定されています。
付近には日本の滝百選にも選ばれた真名井の滝、槍飛橋などがあります。
さらに神話に由縁のある「おのころ島」や「月形」「鬼八の力石」など、 高千穂峡の遊歩道のみで高千穂の魅力を十分に感じることができるスポットといえます。
もう四十五年も前に、ここに来たとは思えない程同じ景色、同じ風が木立の中から吹いてくる。
「悟、そんなに覗き込むと落ちますよ」と時子の声が今にも後ろから聞こえて来る様な錯覚を感じながら、木立の中から滝を眺める。
「お母さん、私ももうすぐお母さんの元に行くようです」と呟く。
そして後ろに母時子の面影を捜す悟。
日曜日の高千穂峡は、大勢の人が観光に来ている。
家族連れは、貸しボートに乗って五ヶ瀬川の潺を楽しんで、嬉しそうだ。
そうだったな、私も親父の漕ぐボートに三人で乗ったな、滝の落ちる近くまでボートで行った記憶が蘇る。
ボートに乗ったのを母が撮影してから、三人で滝の処まで行ったのだと、先日の写真の情景を思いだした。
潺に沿って上流に向かうと徐々に流れが急に成って、沢山の滝が作られて、見る人の目を楽しませてくれる。
そんな日曜日の夕方に、美千代は明日からの為に、掃除に店にやって来た。
送り主の名前の無い封筒を見て、ダイレクトメール?請求書では無いわね。
そんな事を考えながら開封して、顔面から血の気が引いていく悪寒を感じた。
「これ、何よ!遺書、佐伯さんの遺書なの?」と呟く。
「そんな、花梨と大藪さんの事を何処で聞いたの?」と言うともう一つの封筒を開封して
金井花梨様へ
私、佐伯時子はもうすぐあの世とやらに招かれる様です。
そう成った時、残念ながら私にはもう身内と呼べる人が、誰一人居ないかも知れません。
それは唯一の子供悟が、亡くなった主人と同じ肺癌で、亡くなっているかも知れませんからです。
悟には昔、結婚した女性が居たのですが、相性が悪かったのか?結婚生活は長続きせず離婚で、子供も無く私と二人で長い間生活をして参りました。
最近に成って、悟が貴女様を好きだと申しますので、私も陰ながら応援をして、結ばれる日を楽しみにしていましたが、その夢叶わず親子揃ってこの世を去る様です。
誠に勝手なお願いですが、僅かな蓄えと自宅を貴女様に貰って頂きたくお手紙を書きました。
悟は不器用な子供で、中々貴女様に気持ちを伝えるのが下手ですから、判らないかも知れませんが、本心は本気で好きに成ったと思います。
また、貴女様も紫陽花の様に本心を隠して、生活をされている方だと思います。
今更、愚痴の様な事を書いても致し方有りませんね。。。。。。。。
どうか私達の意思を尊重して、お受け取り下さい。
さようなら 時子
「肺癌が再発したので、この手紙を送ったの?」と呟いていた。
美千代の顔は血の気が失われていた。
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