第16話 まわる歯車

 修介が熱田と知り合ったのは、「塩蔵」で顔を合わせたのが初めてだ。が、熱田は以前から「キャラメルボックス」に興味があったらしい。そもそも、ジャンルにこだわらず各方面の芸術家とのつながりが深い「キャラメルボックス」と協力できないかと考えていて、けれど思うような企画はないしバイヤー職である自分が前に立って企画するのは九条にはばかられるし、今の会社にプラスにはならないと躊躇していたのだ。ただ、今回九条が持ち込んだ企画はもしかしたら、という望みもあって訪ねて来たという。話はそこから始まった。


「熱田バイヤーは私が店舗開発にいた頃のトップバイヤーで、部署は違っていてもビシバシ鍛えられたというか、しばかれたというか…」

「オマエなぁ」

「九条さんは店舗開発のチーフで、何度かチームを組んだことがある上司です。今は、課長補佐でしたっけ?」

「ああ、キサのおかげで売り上げが好調だからな」

「良かった。プロジェクトのいくつかを放り出すことになっちゃって…」

「あれはストーカーが悪い。会社では法的措置を取らせてもらったが、退職前、キサが入院していた時はほぼ毎日本社に連絡があって病院や住んでいるところを教えて欲しいとか、応援に行っていた新店舗に出没したりと色々やってくれたんだよ。今はそうでもないらしいがね」

「とんでもない奴だな」

「余りのことに専務が怒って法的措置を取ることになったんだ。退職したとはいえ、尋常らしからぬ方法で追い詰めて、当然のように店に損害を与えたといってね。社長もストーカーが悪い、会社として損失を受けたのは当然だ、法的処置を取るとあっさり認めたんだ。これで社内が落ち着いた」

「うわぁ、そこまで。あー、がっちゃんに迷惑かけたな」

「ほらそれ。専務と仲が良いんだろう?その専務の一言も効果があったよ」

「同期入社ですからね。向こうは中途入社のですけど、同期の結束は固いほうなんで。ストーカーの事は、……九条さんには話したことがあるんですけど、昔々、殺したいほど憎んでいる男がいるって言ったことがあるんですけどね」

 九条がばっと顔を挙げた。

「だからあの男と、なんて論外でしょう?」

 九条の目に、怒りが浮かぶ。話を聞いただけでも許せないと思った男だ。

「ああ、わかった。話がつながった。そういうことか」

「そういうことです」

 九条が頷いた。聡子の退職については、会社の申し出を振り切るように退職した、しかも不可解なほどにストーカーする男の存在は今だ話に出てくるのだ。社内で事件のことを踏まえて事情を知っているのは専務を含めて数人なので、変な噂が立ちやすいはずなのにそれがない。専務や社長の指示で秘匿されていることもあるのだろうしが、九条の頭に「点」だけだったパーツが繋がって「線」になった。

「九条さんは、聡子の事情を知っているのか」

 修介が確認する。

「店舗開発の仕事をしていると平気でいきなり飲み会だの泊まりになったりするから、一緒に動くことが多かった内勤の先輩女性社員と、上司の何人かにだけは話していたんですよ。で、その内勤の先輩というのが九条さんの奥さん」

「あー、なんだ、そう言うことか」

 熱田が苦笑いした。

「まぁとにかく、お二人は仕事でこちらにやってきたんでしょう。熱田バイヤーまで揃ってって、普通の話じゃないですよね」

 聡子がにっこり笑った。

「相手の懐にキサがいるんじゃぁ我々は不利だなぁ。じゃぁ逆に単刀直入に話をしましょうか」

 九条がにっこり笑った。

「その九条さんのニッコリが一番怖いんですけど」

 聡子がそう言った。



 二人が持ってきた話は、魅力的だった。

 つまり、ホームセンター事業部の売り場を提供するので商品を融通して欲しいという「仕入先」の一つとして扱いたいという内容だった。

 ただし、仕入れる商品の価格帯は事業部が指定し、それに沿って商品を用意して欲しいこと、売り上げ高に応じての契約ということだった。

 基本は事業部内でもトップ売り上げを誇る2店舗からはじめて、順次増やしていきたい方針であることとの好条件もついた。販路を広げたいと思っている修介には魅力的な話だが、聡子は差し出されたプレゼン書類をさらりとみると修介に渡した。

「聡子」

 聡子の動きに修介は不審を感じた。販路拡大を望む聡子には好条件の話のはずだ。

「一定の利益を上げることはできるからオイシイ話だと思うけど」

 最後の「けど」という言葉に、修介は片眉を上げた。

「不満か」

 九条が想定していた、と言わんばかりに聡子に目をやった。

「期間限定、1年単位で契約更新2年まで。それ以上はリスクが大きい」

「せめて3年から5年は欲しい」

 九条の申し出に聡子は首を振った。

「こちらはそれだけ在庫を抱えることになる。リスクだからダメだよ。大量に生産できるものじゃないし、大量に売りたいわけじゃない。適正価格で売りたいだけ。リスクは少ない方が得。それを考えると3年はリスクが高すぎると思う」

「聡子は話そのものはどう考えているんだ。俺はこの話が悪いとは思わない。ホームセンターの販路は魅力的だが」

「ホームセンターと組むならもっと煮詰めないと。今は正確に言えない」

「確証がないということか」

「対象店舗の市場の年齢層のデータがない。だから今はとても大まかなデータで予想している話になります。故に計画に練り直しが必要だと思っています」

 ビジネスライクに修介に切り込んだ。

「もし、私がウチの商品を手掛けるなら、資料にあるような、そちらの店舗の販路を使いたいとは思わない。リスクを考えれば、出店するならもっと選びます。じゃぁ、どの店にするのかが問題なんだけど」

 渡された資料の中で年間売り上げランキング上位の5店舗の名前が挙がっている資料を見つける。

「例えば、本店はランキング1位で、出店するメリットは沢山あるけれど、私にしてみれば売り場面積が広すぎるから、他の商品に埋もれちゃってウチの商品が目立たないというデメリットが大きい。私が候補にしたいのは北島、南市場、川内、横川店の四つ。そこから客層で絞り込んで2店舗に置いてみたい。マックスは4店舗。それ以上は置かない。価格帯は千円から三千円が中心。高額商品は客引きのための一品展示商品にして数点。これでディスプレイして、出来れば関連商品とかと一緒にコーナーディスプレイする。それから、ディスプレイアドバイスと商品アドバイスをするので、できれば商品を買取制にしていただけるとウチとしては嬉しいですけど、って条件を加えておきます」

 九条がうなり、熱田がじっと聡子を見据えた。

「売れると、思っているのか」

「売れますよ。確かに、工場生産みたいにパカパカ作れないですけど、ウチのトップバイヤーが見極めた商品です。売れる商品だし、売りたい商品だからこそ、私ここにいるんですよ」

 屈託なく、聡子はそう答える。熱田に鍛えられた目で自分が選んだ商品たちだ。自信を持って熱田に応える。聡子だけではない。修介もトップバイヤーだし、事務所をバックアップしている「彼ら」もトップバイヤーだ。

「これ、俺の判断じゃぁ無理だな。新店舗の目玉としての先行計画だったんだが、練り直して上の許可取った方が良いな。九条との共同提案で上に話を通した方が良くないか?正式にプロジェクトにした方が面白そうだ」

「ああ、そうだな。副社長、申し訳ないですが今日の話はいったん引いて良いですか? 後日改めてお時間を頂きたい」

「後日、ですか」

「あ、火を付けちゃった? モシカシテ」

「お宅の会社との共同プロジェクトで、短期プロジェクトなら許可もおりやすい。まぁ、骨子は出来ているから、うん、週末にもう一度時間を頂けませんか? プレゼン資料を全部そろえて来ます」

 九条がきっぱりと言い切った。会社に帰って資料を練り直し、重役に話を通して了承させてから週末、というのは事務所が阿鼻叫喚になるだろうことは間違いない。

「ちょっと失礼」

 修介が持ち込んだタブレット端末を操作する。吉住の手できちんとスケジュールがデジタル化されて、社内全員の動きがわかるようになっているのだ。

「聡子、金曜日に2時間早く来られるか? 午後1時に九条さんたちに来てもらって、3時には長距離便になるが」

「副社長戻れるんですか? 長距離の帰りが午後1時は無理でしょう」

「無理だな。でもこれは動かせん。ただ、この仕事は基本聡子に任せる。定期報告を入れてくれ。じゃぁ、九条さん、金曜日の午後1時にこちらへ来ていただけますか?それ以降は週明けになりますが…」

「いえ、金曜日に」

 木曜日から修介は別の長距離便の仕事が入っている。戻る予定は金曜日の夕方だ。修介の仕事は他の会社との兼ね合いもあってスケジュールを動かすことはできないし、聡子のスケジュールも、そもそも代わりの人間はいない。九条がスケジュールを確認しながら金曜の午後1時で了承した。

 お互いに和やかな雰囲気で修介と聡子は二人を見送るために外に出た。

 九条も熱田も、金曜日の再会を約束して車に乗り込んだ。和やかな別れだ。

「ほんわかした雰囲気を持った人だけど、仕事となると変わる人だねぇ」

「修羅場になるともっとホワホワの鬼になりますよ?顔は笑っているのに、声がツートーンくらい低くなって」

「そうなのか。想像付かないな。まぁ、頼むよ。聡子の初仕事だ」

 修介はそう言ってニヤニヤした。修介がニヤニヤしている時はGOサインだと社員たちは言っているが。

「了解です。じゃぁサポートお願いします」

「いつまでもフリーの聡子ってわけにもいくまい。俺の仕事を覚えてくれれば俺は買い付けに専念できるわけだし」

「念願の制作もできる、でしょ?」

 修介は頷きながら妹のような聡子に笑いかけた。



 プライベートでは完全に「妹」位置の聡子だが、仕事では既に「片腕」の片鱗を見せている。遥人は会社の全体を見渡し、運送業務を中心に経営という意味で総務の仕事を掌握している。一方の修介は工芸家との交渉を担当しながら仕入れと販売の部分を掌握し、吉住と共に商品管理の一切を担っている。吉住は双方向の緩衝材であると同時に、商品管理と人材管理を担っている。もちろん、自ら製作することもあるが、今はその審美眼を生かして売れる商品のピックアップに余念がない。

 商品の仕入れや販売に関しては三者三様のセンスを見せる。それぞれこだわりは違うが、納品先の客層から判断してこういうものが売れる、店の雰囲気にあっているのはこっちだ、だから仕入れはこれ、売れるのはこれ、という感覚は遥人と修介と吉住はぴったり一致するトリオぶりを発揮する。

 それに加えて聡子の感覚が「売れるか、売れないか」ということでチョイスする。これはもう、鬼に金棒状態である。

 この感覚に気が付いた三人は聡子を営業の中心にすえることを考えている。

 遥人と修介は、週に一度ではあるが大型トラックに乗ることがある。聡子もイレギュラーではあるが、大型トラックのシフトや通常のルート配送のドライバーに回ることがある。聡子に言わせれば、シフトに余裕が生まれるから営業活動に余裕が生まれ、売り上げが伸びるという。外回りを経験することで感覚が鈍らないから売り上げにも貢献できるという。事実、それは三人が認めることだ。

 だから、本当はトラックに乗せることなく本格的に営業の仕事をしてもらいたい。それが共通意見だが人員の配置からすると今は厳しい。だが、聡子に何をさせたいか、これからどういった展開をするのかという話に至っては修介や遥人や吉住のビジョンの中に、もはや聡子はなくてはならない「社員」ポジションにいる。


 会社の将来はどうあるべきか、誰が引っ張るべきなのか。会社の経営に携わる修介や遥人や吉住も考えていることで、時々酒の席やふとした瞬間にその話が出ることがある。

 修介はひそかに遥人と聡子の結婚を望んでいる。口にも態度にも出さないが。二人にはあの過去に引きずられることなく、幸せになってほしい。それが大前提だからだ。その延長線上に、自分たちと一緒に仕事をするという選択があれば、もっと嬉しい、そういう位置づけだ。


「俺は聡子ちゃんと一緒に仕事がしたい。ハル、お前は」

「俺は幸せになって欲しい。今この仕事をするのが聡子の幸せなら俺は一緒に仕事をしたいと思う」

 少しだけ恥じらいながらそう答える親友の言い方がひっかかる。

「お前、仕事のパートナーとして聡子ちゃんを望まないのか」

「俺、昔はあいつの許嫁だったんだ。あいつはそれを知らない。記憶はないと思う。でも俺、欲張りだからなぁ。両方って言ったら、ぶん投げられるかもしれない」

「なぁに、訳わからないことを言っているんだか。ほれ、飲め」

 酒にめっきり弱い修介は缶ビール一缶でベロベロになってしまう。だから半分も空けていない親友は素面に近かったはずだ。なのに、ぽろりと出た言葉がやけに引っかかっていた。


 幸せになって欲しい、俺は欲張りだって、惚れているなら当たって砕けろ、だろう。昔は許嫁だったなんて、だったら尚更好条件じゃないか。

 聡子が来てから、何度めだったろうか。一緒に食事をしてスタジオで寝るという遥人のところで飲んだ時だ、と思い出す。


「惚れているなら告白しろよ」


 それに尽きるが。

 腹の底からそう思う。惚れているのなら、その手を放すべきではないと。かつて遥人は同じことを言って修介と雪子の結婚を後押ししてくれたのだ。

 吉住がシングルファザーと恋におち、家族から大反対された時も遥人は惚れているなら手を離すなと諭した。吉住が本気で相手の男のことが好きならば、とことん話し合って来いといって送り出したのも遥人である。

 なのに、自分のことは何も話さないし、何も動かない。

 一方、聡子に恋人とか好きな人がいるかという問いを投げかけたのは遥人の家で開かれた歓迎会の席でのことだった。

「いないいない」

 あっさりした返事だった。だが、一緒にいる時間が長くなるに連れ、誰か「心に秘めた男」がいるのは確かだと思う。だが、それが誰かはわからない。

「聡子」

「はい」

「もしかして熱田さんと九条さんは聡子に言い寄っていた相手だとか?それとも専務? 配慮が必要なら先に聞いておきたくて」

「三人ともそういう存在じゃないですよ。九条さんは既婚者だし、熱田さんには恋人がいます。専務はどうだか知りませんが、私じゃないことは確かです」

「そうか。じゃぁ聡子の恋人はどこにいるんだろうな」

「恋愛はしばらくパスです。御一人様生活まっしぐらです」

「俺は聡子ちゃんに幸せになって欲しいけどなぁ。ハルとなら一緒に暮らせるんだろう。だったら、大丈夫だよ」

「私、今が一番幸せですよ」

「それ、遥人が好きということで理解して良いか」

 聡子が固まった。そのリアクションに、ニィ、と修介が笑った。

「図星か」

 修介は確信した。

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