第8話 誇り

「頼む、聡子」

 遥人は律義に頭を下げた。


「あー。私の車の管理と、それから着がえるから場所の提供をお願いします。あと、私はハル兄だから手伝うだけだからね」

「何それ」

「バイトとかになっちゃったら、会社が面倒じゃん。てことで、こちらこそよろしくお願いします」

 聡子も律義に頭を下げた。


「いや、社長のお知り合い、とか。誰よ」

 突然の展開にスタッフも混乱してしまう。

「如月聡子と言います。先日久しぶりに法事でハル兄に会ったので、今日は純粋に遊びに来ただけで」

 聡子はそう自己紹介した。


「おい、ルート取れ。それから先方に連絡して。生方うぶかたにも連絡しろ」

 遥人はカウンターの中にいた女性にそう言った。ニヤリと笑った女性が電話を持って、今まで電話をかけていた男が最新の交通情報を確認する。


「社長、着がえるって、更衣室で良いんですか」

「充分です。スーツにヒールじゃぁ運転できないんで。着替えを取ってきますね」

 聡子は一度事務所を出て、車に戻る。今日はビジネスホテルに宿泊し、明日はゆっくり帰るつもりで準備してある。

 私服の着替えの定番はスニーカーとジーンズ、ポロシャツとジャケット。ヒールでは運転しないのでスニーカーは車の中に常備してあるものだ。

 何があっても良いようにという定番の着替えを持ってきていた。加えて言えばスーツ用の替えシャツも2枚入っている。店舗開発にいた時、散々鍛えられたおかげだ。それらの着替えが入ったキャスターバッグと、貴重品の入ったトートバッグを持つと再び事務所に入る。今度はドライバーだという女性のスタッフが事務所奥のロッカールームに案内してくれた。


「ウチは男女兼用のロッカールームだからちゃんとしたのなくて」

「いえ、上等です」

「あの、一応、免許証のコピーを取らせてもらっても良いかしら」

「あ、どうぞ」

 聡子は財布から免許証を抜き取り、再度その女性に見せた。


「え、大型特殊って…持ってる」

「フォークリフトとクレーンも。ユンボもいけますよ」

「ええええええ」

 驚きの声が上がる。

「学生時代にアルバイトして、免許取ったんです」

 そう説明して更衣室に入って、あっという間にポロシャツにジーンズ姿になって、スニーカーに履き替えた。パーカーを羽織ればそれで十分で、脱いだものはキャスターバッグに仕舞いこむ。たたんで入れておいた洗いざらしのトートバッグの中には洗面道具と着替えの入ったポーチを突っ込み、スーツ用のバッグの中からノートパソコンと貴重品一式を詰めて、スーツ用のバッグもキャスターバッグの中にしまった。

 再度持ち物を点検してから更衣室を出ると、先ほどの女性が免許証を返却してくれた。


「出発して大丈夫かな」

「OKです」

 アクセサリーはそもそも付けていない。ピアスホール維持のための、小さな銀色のピアスだけだ。

「急がないと帰宅ラッシュに引っかかっちゃうね」

 そう言いながらバックに突っ込んだコンビニの袋からビール缶を取りだした。

「ごめんなさい、これは必要ないから」

「そうね。預かっておくわ。ちゃんと無事に帰ってきてね」

「はい」



 事務所に戻ると活気づいていた。

「ええっと…」

 一体誰に声をかけて良いのか迷ったが、目の前に一人の女性が現れた。先ほどカウンターの中にいた女性だ。


「吉住です。車は、あのグレーの軽自動車ですか?」

「はい、あ、鍵ですよね、お願いします」

 予備の鍵を吉住に渡し、頭を下げた。誰が誰なのか解らないが、事務に詳しいのは彼女らしい。


 事務所の外に出ると待機していたフルキャブ大型トラックがそろそろと動いて、始業前の点検中だ。遥人とドライバーの一人が点検の真っ最中だ。それを横目にキャスターバッグを自分の車に積む。鍵をかけたことを確認してトラックに足を向けると、運転席から遥人が降りた。


「前半、頼む。少し仕事して仮眠したい」

「了解」

「おい、アンタ」

 両脇を同僚に支えられた、高熱のトラック運転手だった。


「病院、行ってください」

「ありがとよ」

 彼から差し出されたのは、ドライバースタッフたちが着ていた黄色のジャンバーだった。クリーニングされていて綺麗なものだが見るからにサイズが大きい。一方、事務スタッフや倉庫スタッフは緑のジャンバーを着ている。


「悪い、俺のだからサイズはでかいだろうけど、向こうは雨だって言うから…」

「ありがとうございます」

 聡子は受け取って頭を下げた。「責務」としたら彼が一番に運転したかったはずだ。そして、見も知らぬ相手にその責務を任せねばならないというのに、あっさりと聡子への心遣いと一緒にそれを任せてくれた彼に。


「じゃぁ、行ってくる。吉住」

「了解。修介が帰って来るまで事務所は預かるから。あと、伝ちゃんにはとっとと病院に行ってもらいます」

 吉住が笑いながらそう答えた。


「行ってらっしゃい、気を付けて。こっちは心配ないから任せなさい」

 吉住のその言葉に見送られながら聡子はバンボディのそのトラックの周りを一周し、手荷物を積み込むと乗り込んだ。



「単発で仕事を受けているのはどこか派遣を通しているのか?」

「それはない。サンライズの仕事だけ。同級生のよしみで頼まれて乗っているの。やっぱり単独とか女性ドライバー同士じゃないと受けないんだけどね。そういうわがまま通してくれるのも、あそこの社長あってのことだし」

 シートとミラーのポジションを確認するとシートベルトをし、安全確認してから走り始める。勿論、ブレーキの性能もテストしてからの発進だ。

「慣れているなぁ」

「そう?」


 同級生の父親が経営する運送会社だったので、採用時はほぼ信用でアルバイトで雇ってくれた。けれど、サンライズという会社はアルバイトといえども厳しいことで有名で、それは聡子であっても関係なく厳しく仕込まれた。女性だから男女ペアの長距離ということはなかったが、女性同士では組むことがあったし、複数ドライバー参加のトラック隊の編成の時は女性としての気遣いはあったが、基本的に仕事内容は同じ扱いだった。運転に関しても同様だ。


 しばらく乗ってみて、聡子の運転技術は本当にストレスなく問題がない。逆に遥人は驚いていた。

 お互いに必要な情報交換はしながら、途中、遥人がビジネスホテルのキャンセル連絡を入れてくれた。オーナーとはお互いに顔見知りなのか、スムースにキャンセルが通った。近辺の異業種交流会で顔を合わせてからお互いに仲が良いと教えてくれた。



「吉住さんって言ったっけ?」

「ああ、美大時代の同級生で、事務関係取りまとめを引き受けてくれている。もう一人、宮前修介というやつが…知っているよな?」


「おばさんがね、お母さんにこぼしたんだって。副社長が結婚した時、もう一人の副社長さんとハル兄が結婚しないのかなって何気なく言ったら1か月か口きいてくれなかったって」

「当たり前だ。吉住には思いを寄せている男がいる」

「そうなの?」


「相手の男はシングルファーザーで娘二人を育てているんだ。一緒に暮らしているし、もういっそ籍まで入れろって、周りは思っているんだが、二人の間ではそんな話がちっとも出てきていない」

「娘さんに、遠慮してるのか」

「さらっと、言うな」

「静子おばさんだってそうだったじゃない」

「オフクロは男の存在を知らなかったから言えたことだってわかっているんだが、まぁ、吉住が苦労しているのを知っていたから変に腹が立ってな。今は、娘二人は早く籍を入れろと言っているんだが、2人がせめて高校を卒業するまでは入籍しないそうだ。二人の間に子供ができればまた話も変わったんだろうがな、そういう気配がないから仕方ない」

「でも吉住さん幸せなんだ」

「ああ。課題に追われた美大時代よりもずっと幸せそうにしてるぞ」

 これには聡子は失礼じゃん、と怒った。


「で、向こうの事故ったって大丈夫なの」

「ああ、停車中でドライバーは現場にいなかったから大丈夫、本人に怪我はない。受け取るはずの積荷も無事だ」

「良かった」

「良くない。今回たまたま聡子がいたからリカバリーができるけど、他の会社の荷物を引き受けていたから、これが届けられないとなるとウチの信用問題だ」

「ああ、混載なのか。そうだね、大変だよね。でも今は向かっている最中だ。ハル兄、いろいろ大丈夫なら少し休みなよ」

「ああ、お前の運転の様子を見てからだな」

 そう言いながら遥人はパソコンを開いて簡単な仕事をしていた。運転には全く問題がないのでしばらくの間は必要なメールに返信していたが、そのうち仮眠スペースで休憩を取り始めた。




 途中のサービスエリアでトイレ休憩を挟みながら予定通り夜の8時半には現地の港湾ターミナルにトラックは横付けした。


「社長」

 ばっと運転席に飛びついた若い男はうひっと変な声を出して後ずさった。

「えっと、生方さん、かしら」

「どうして俺の名前を」

「ハル、到着したよ。起きろ」

「ん、あ」

 助手席でがばっと遥人が起きた。


「港、どうして」

「到着ですよ」

「お前交代しろって言っただろう」

「だって、良い調子で走っていたから。生方さん来ていますよ。あとお願いします。私トイレに行ってきます」

「あ、そこの総合事務所の奥に休憩室とトイレがあるから」

「ありがとうございます」

 小銭入れだけ持って聡子は車を降りた。



 聡子がトイレに行っている間に生方の手でトラックは移動させられて積荷作業に移っている。慌ただしくターミナルのスタッフやら、事故相手の会社スタッフも手を貸してくれて荷積み作業もすぐに終わった。


 その横で、聡子は積み荷のチェックを行い、遥人と生方とターミナルの責任者、相手のトラックドライバーと責任者らしき男とで顔合わせを終える。何とも慌ただしいが、お互いに知らない会社同士ではなく、しかも全面的に相手のミスなので話はスムースに進みそうだった。それよりも、少しでも時間を短縮したいのだ。

 用事が済むと、今度は遥人の運転でトンボ帰りの帰途になった。


「伝ちゃん」の心配通り、小雨が降り始め、受け取ったジャンバーが役に立ったのは言うまでもない。



 途中休憩をはさみ、当初もう一度遥人と交代する予定だったが、遥人が眠っていることを良いことに、ほぼノンストップで午前4時半には会社のターミナルの荷降ろし場に車を付けた。


「お疲れちゃん」

 出迎えてくれたのはカウンターでドライバーの手配が付かない、と言っていた事務の男性で、アルバイト山本という名札を付けていた。少しは仮眠したらしいが疲れているのは確かだ。


「えっと…聡子さんだっけ」

「社長疲れて撃沈しちゃって」

 トラックを降りて荷降ろしの作業の準備をする。


「みたいだね、生方から心配する電話が入ってきた。見たこともないカワイイ姉ちゃんと一緒に来たからすっごく驚いたって」

「いやぁ、私もまだカワイイって言ってもらえる年なんだ。嬉しい」

「だって社長の知り合いって言ったら、…あ、失礼ですね、こんな話」

「へへ、とりあえず、28です」

「うっそ」

「ホントホント。で、指示ください。荷降ろしはちゃっちゃやりましょう」

 待機してくれていた数人のスタッフや荷待ちドライバーの手を借りて、頼まれていた他社の荷物を別のトラックに積み替え、自社の荷物を倉庫に入れる。


 スタッフは聡子が必要な指示でさくさく仕事をするので、ベテランの域の仕事ぶりだ、と目を見張った。駐車位置が邪魔になると言っていたフォークリフトまであっさりと動かし、免許持っています、と言った聡子にはもっと驚いていた。


「貴方、経験者ですか」

「あ、大学時代は運送会社でずっとアルバイトしていたんです。それで、免許も」

「何それ…」

「いや、結構楽しくて、勉強になりました」

 伸びをしながら、あくびをしながら起きてきたのは遥人だった。


「聡子、どうして起こさなかった」

「そりゃぁ、28歳と38歳の年の差を考えて」

「こらっ」

 言いながらも、遥人は笑っている。スタッフも笑っていた。


「社長、でもおかげで助かりました」

「いやいや。聡子、お前今日帰るのか」

「帰る。流石に少し休んでから帰るけど」

「じゃあ俺の部屋使え。二階の206号室」

「彼女がきたら誤解されるから嫌」

「彼女はいない。ベランダ側の部屋、使えよ。客間だから」

「あー、ありがとう」

 そんな話をしながら事務所に戻ると、スタッフたちが朝食を食べていた。


「何、炊き出し」

「葛西さんとユズちゃんから。握り飯だけというのは寂しいだろうって」

「伝ちゃんはどうしたの。ユズちゃんそれどころじゃないだろうに」

「熱出してうんうん唸ってましたよって、秀さんが。秀さんが病院に連れてって、ほら、ユズちゃん子供抱えているから病院はまずいだろうって。そうしたら葛西さんが味噌汁作っているって言うの聞きつけてユズちゃんが」

「あー、悪かったな。後でお礼言っておこう」

「洋介が今日は2ルート分走るって言うから、ユズちゃんの分、俺がフォローします。まぁ、暇なんで事務仕事結構片付きましたけど。それから今日の作業振り分けです」



 山本が遥人を捕まえて不在中の事務処理を引き継いでいる間、聡子は荷降ろし作業を手伝ってくれた、会社のロゴ入りジャンバーやポロシャツを着た男たちに手招きされ、隣の部屋に連れて行かれた。

「ほい、食べろ」

 長机とパイプ椅子の殺風景な部屋。長机の上にはほかほかと湯気を立てている鍋には、豚汁。差し出されたのはおにぎりに豚汁の朝食。


「えっと、私…」

「助かった。ありがとう。社長と約束した牛丼じゃないが、これは俺達から」

「いや、だからたまたま免許持っていただけで…」

「それでも、アンタの決断がなかったら今頃どうなっていたか。アンタが運んだ荷物は、ウチの会社の信用にも関わるものだったからさ」

「いや、これで帳尻があったのなら良かったじゃないですが。こちらこそ、ありがとうございます」

 聡子は彼らに頭を下げた。

「いや、それこそ…」

「えへへ、遠慮なく頂きます」

 一礼して差し出してくれた食事にありついた。



 さっと食べて後片付けをした後、事務所に顔を出すと早い社員たちがもう出勤してきていた。

「聡子」

 ぐいと差し出されたのは部屋のキーと愛車のキー。まだミーティングの最中らしいので黙って受け取って、一度車に戻ってキャスターバッグを手にしてから二階への階段を上がった。


 家族用なのか、元々なのか、角部屋のその部屋は廊下側に小さな一部屋があり、風呂場やキッチンを挟んでベランダ側に二部屋があった。

 遥人の性格らしい、きちんと片づけられた部屋は男一人の生活とは言い難く、客間にしているという洋室のベッドには、静子の趣味のパッチワークのベッドカバーが掛けてあり、タオル一式も綺麗にカバーが掛けられてベッドの上にあった。恐らく、静子がここに泊ることもあるのだろう、静子の部屋のような気がした。

「これは助かる」

 勝手に、とは思ったが、荷積み作業で汗だくになっているので躊躇うことなくシャワーを浴びた。

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