たいせつなもの・弥生
第7話 ピンチ
転職で新しい会社を探すことは好景気の時はともかく、停滞期の時は微妙だ。世の中の景気は徐々に上向いているとはいえ、まだまだ動いているとはいいがたい。増して、聡子は事務系を希望していたからなおさら職の動きは鈍い。
都会と違って、地方は求人の動きは鈍いのだ。
遥人から遊びに来ないかと連絡があって数日後、職安で気になる会社を見つけた。そこから話が進み、入社試験の日も迫っていることで急きょその会社を受けることにした。
職安の紹介を受けたその会社は、家から高速道路を使って1時間半程度離れた場所にある本社で入社試験が行われた。2人という求職枠に応募者は20人余り。かなりの難関だと職安の職員はそう言っていた。だから、その会社とは別に前日から別の会社を訪問する予定を入れ、ビジネスホテルに泊まって試験当日を迎えた。
説明会と筆記試験と面接と言う、ほぼ一日がかりのタスクを終えたのは午後3時前だった。遥人との約束の時間は午後4時、移動しても時間は十分にあるので、まずは目についたコンビニで一食分の食料を買い求める。水とお茶も忘れずに買ってしまった。迷った末にアルコール飲料も買ったが。
変な癖がついたものだと思わず笑ったが、そのままレジを通った。
聡子が就職活動で心惹かれたのは販売業という職業だった。昔からあこがれていた「みんなが幸せになる店」を作ることだった。だから、就職先は地方では力をつけつつある瀬川家具に迷わず決めた。
家具事業だけで言えば創業80年近い、販売中心の老舗だが、それだけでは今後は生き残れないとホームセンター事業部を立ち上げ、順調に売り上げを伸ばしていた。今も成長を続けているし、社長以下、店舗を拡大してゆくその手腕は聡子には驚嘆の一言しかない。何より、日用品から雑貨まで、バイヤーが選び抜いた便利で使いやすくて値段も手ごろ、というホームセンターならではの商品が見事なセレクト感覚で選ばれ、並んでいる。
入社後の店舗研修を終えた後、配属されたのは新人としては異例中の異例と言われた店舗開発の部署だった。
通常、店舗開発の仕事は多岐に渡る。どんな客がいるのか、どんな土地があるのか、そんなリサーチから始まって、最終的には開店まで見届ける何でも屋の存在と言って良い。格好良く言えば、イチから店を作る部署、だ。
だから、配属されるのは店舗で何年か売り場を担当した人物だとか、商品買い付けを行うバイヤー経験者だったり、企画担当者たったりという経験者が殆どだ。なのに、全くの新卒が配属されたのは初の人事だった。
最初は売り場からの仕事だとばかり思っていた聡子にとっては意表を突かれた配属だったともいえる。
子供から大人まで、楽しめる店を。楽しめなければ幸せになれない。
そんな店づくりができる部署。聡子はそう思ったし、だからこそ、何でも吸収できたともいえた。
だが、実際は激務である。業務を知っている先輩社員たちは聡子の目の前で淡々と仕事をしていた。リサーチのために現地への度重なる出張と、各業者との交渉、交渉を行うためには事前の予備知識も必要だし、社内の各部署との意思疎通も必要だった。先輩社員たちも日々勉強だと言いながらあれこれと勉強してはいるが、新入社員の聡子はそれこそイチから学ばなければならない。同時に、人事部が行う新入社員のための定期的な面談や研修も課せられる。
もちろん、無茶ぶりはされたが、上司の社員も先輩社員も「できるかできないか」のぎりぎりのラインを課してきた。決して「出来ない」レベルの仕事を無茶を振られたことはなかったが、鍛えられる仕事ぶりは他部署に配属された同期が逆にうらやましがるくらいだった。
最初は、それこそ何も知らないから電話番から始まった。けれど、こうした指導があって入社した年の秋からは少しづつ、「アシスタント見習い」レベルで外の仕事についていくことも増えた。
一年もすれば、何とか見習い、という文字が取れそうなくらいのアシスタントが出来るくらいにはなっていた。二年目は周囲との人間関係も構築出来て来るようになり、きっちりサポートができるようになれ、とか、企画書を出せ、とか、より高いハードルを課せられたが、文句を言いながらもついていった。その甲斐あって5年目には、一部門の担当を任されるほどになったりもした。
店舗開発の仕事は当然、建設中や改装中の現場の業者との打ち合わせや確認もあるので、現場の仕事に合わせた急な予定変更は普通にあるし出張の変更もある。だから出張の時は必ず余分に一食は確保しておくのが常で、着替えも予定泊数プラス2泊分は準備しておくという念の入れ具合は、当時の上司の教育の賜物だ。
ホテルに戻る前にはコンビニに立ち寄ってから。ということももう習慣化したルーチンで、それをする必要がないというのにそうしてしまった自分が悲しく、まぁいいかと愛車に乗り込み遥人の会社に向かった。
街の中心街から少し離れた、インターチェンジ近くの各種流通センターが立ち並ぶような、工場もある商業地帯の隅に、広い駐車場を持つその会社があった。
フェンスで囲まれたその建物は、一階の3分の2が運送会社の倉庫のようになっていて、残り3分の1が事務所になっている。トラックの車高に合わせたターミナルも二台分備えていて、事業所としては十分なスペースがあった。2階から3階は社員寮なのか、住居スペースになっていて本社の入り口とは別の専用の出入り口もある。隣接する社員用の駐車場と配送用の営業車の出入り口は別で、出入り口の干渉はない。いかにも遥人がこだわりそうなポイントがそこにあった。
営業車用の駐車ゾーンには、ライトバン型とボックス型の車が数台停まっている。奥はトラックが止められるようになっていて、今は一台がそこに停まっていた。事務所前には一台停車していて、順番を待っているのかドライバーはいない。作業にかかっているトラックは2台、こちらはターミナルに横付けしていて、荷下ろしが行われていた。
聡子は事務所前の来客用のスペースに自分の車を止めると、靴をヒールに履き替えてから事務所に向かった。
「こんにちは」
挨拶して中に入ったが、事務所内が殺気立っていた。
「事故ったって商品はどんなになってるの」
「商品の破損はないが、車の破損が…」
「だから、俺が行く」
電話で情報収集しながら断片的に情報を伝える女性。別の男性は「ドライバーが欲しい」と言いながら電話をかけているが断られた様子がある。
「伝ちゃんダメだよ。そんな身体で」
情報が飛び交う中、今にも倒れそうなドライバーが子供を抱えた妻らしき女性に止められている。
「俺が行くよ。港のターミナルまで渋滞考慮して片道5時間として往復10時間、荷物の積み替えやって明日の朝5時には戻れるだろ、そこから仕分けして7時のルートトラックに乗せりゃ、問題はない」
遥人の声だった。
「ハルさん、今長距離から戻ったばっかりじゃないですか。一人で10時間はさすがにまずい」
「だから俺が行くって」
伝ちゃんと呼ばれたガテン系の男が真っ赤な顔をしてそう言った。が、フラフラしていて、同僚の男二人に支えられている。見るからに普通の状態ではない。
「無茶言うなよ、40度から熱あるのに」
「だから大丈夫だって。ちょっと休んだら大丈夫だ」
同僚の手を振りほどく勢いもなく、伝ちゃんと呼ばれた男はそう言った。
請け負った荷物を運べない。運送会社としては致命的だ。遅延や誤配は信用を落とすことになるが、運べないと言うことはそれ以上の結果を生む。小規模の運送会社なら倒産に直結する。
荷物の向こうには客がいて、運送会社は共同経営と言えども遥人の会社だ。
「ハル兄がサポートしてくれるなら、私が乗るよ」
思わず聡子が口をはさんでしまった。
「5トン動かせるドライバーは簡単に見つからないわよ。…って、貴方誰?」
いきなり口をはさんできた聡子に驚いたのは、カウンター向こうの女性だった。
遥人が驚いて振り返って聡子を確認して気が付く。時計はそろそろ午後4時、トラックを出すタイムリミットに近い時間だ。その時間と、聡子と約束した時間がシンクロする。
「げ、もう4時かよ。悪い、今日はナシにしてくれ、聡子」
「いや、そりゃ良いんだけどさ。お子様的質問で悪いけど、港湾ターミナルまで荷物取りにいけなかったらどうなるのよ」
その言葉に事務所内の空気が一気に冷える。
昔、滅多に経験しなかったが、「倒産する」可能性のある状況だということだ。荷物は何か知らないが、そういうことなのだ。
「お前には関係ない。第一…」
遥人がそう言って固まった。目の前の聡子は、免許持ちだと思い出す。
「ドライバーの当てあるの」
聡子が問うて目をやったのは、カウンターの中でドライバーの手配にあちこち電話をかけていた女性と男性の二人である。
「知り合いのドライバーは全滅です。朝からあちこち連絡しているけど、どこも絶対に無理だって言われて。繁忙期ってこともあるし」
その男性が答えた。
「朝ごはん、牛丼で手を打たないかな。味噌汁付けてさ。ビジネスホテルのキャンセル料なんて払ってくれたらもっと嬉しい」
聡子は遥人に向かって呑気にそう言った。途端に、事務所の空気が一気に変わる。
「おい、運転できるのか」
「まじで」
「うそでしょ」
電話を握ったまま、女性がそう問いただした。
「こんな状況でウソ言う趣味はない」
事務所内に、動揺が走った。いきなり何者かもわからない若い女性が事務所にいて、仕事を手伝うとまで言い出したのだから。
「ハルさん、あの子は知り合いなのか。本当に免許持っているのか」
伝ちゃんと呼ばれた男が、遥人に目を向けた。
遥人の頭に、母の静子の声が響く。
「聡子ちゃんたらね、大学が決まったら早速運転免許取って、在学中はルートトラックのアルバイトしていたんだって。それで大型免許取るんだって言って、本当に取得しちゃったのよ。しかもそれであの瀬川家具に就職したんだから凄いわよね。登紀子さんが呆れていたわよ」
年賀状を見ながら笑った母の手元には、トラックに乗る聡子の姿があったのだ。記憶が正しければ、バイト先は大学の友人の実家の運送会社で、随分鍛えられたらしく、社長自ら就職して欲しいと連日口説かれたという。その運送会社は業界では名前が通るくらいキッチリした会社「サンライズ」だ。「卒業生」たちは全国各地に散らばって、しかも結束は固い。ただし、腕が悪かったり仕事に対して誠実でなければバイトといえども即クビを言い渡すほどの厳しい社長でも有名だ。
「お前、確か大型…」
静子は車には詳しくないから、何か間違いがあってはいけないので確認する。記憶が違っていたらシャレにならない。
「バイトで乗ったことあるし、仕事でも何度か」
「まじか。最後に乗ったのはいつだ」
これにはそこにいたスタッフが驚いた。一方で聡子は運転免許証を提示し、カウンターの中にいた男女二人が確認する。
「二泊三日の長距離便のアルバイトで2週間前」
ブランクがあると心配するが、それですら申し分ないタイミングだった。
「クライアント、明日の朝の配送を待っているんでしょ。どんな理由であれ、相手を巻き込むのは良くないよ。手だてが何もないのなら仕方ないけど、回避できるなら回避するべきだし」
法事のときの、聡子の言葉と重なる。優先すべきは、何なのか。
同時に、このピンチを切り抜けるには何をするべきなのか。
遥人が、「よっし」と気合を入れた。
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