第6話 縁(えにし)Ⅱ
法要はつつがなく終わり、集まった親族たちとの会食も和やかな雰囲気で進む。近所に住むばかりの親族ではないので、こういう時は話も弾む。
「退職したって、あの機械の会社を」
「あ、まぁ、うん」
住職が珍しく驚いていた。
貴子伯母経由で、親族の何人かには大学卒業後に入社した、株式会社瀬川家具という会社は体調を崩して1か月ほど入院し、その後、去年の年末で円満退職したことを伝えてあった。入社してから6年近く、店舗開発という激務部門で常に第一線で働いていたのである。誰もが納得できる退社理由だったと言える。それから割合すぐに、職業安定所で紹介された緑川精機の営業所の営業事務として再就職が決まったことも、住職には伝えてあった。それが、初詣の時の話である。正月明けから勤務するということも報告はしておいたのだ。
「だって、緑川精機と言ったら上場企業でしょ、営業所勤務で転勤もなし、しかも事務って言っていたでしょ、前の店舗開発の仕事より楽になるって」
誰かから聞いたのか、親族の一人がそういった。
「我慢できなかったとか。いや、就職して2カ月だろ」
寺内の言葉に聡子は天井を見上げた。
「あー、どうしても我慢できないことがあって、2週間でやめた」
ため息とともに、そう答えた。嘘を言っても仕方ない。
「はっきり首切られたって言ったら」
「かあさん」
面白がるような、さばさばした母の爆弾発言に、親族も寺内も黙った。登紀子はさっぱりした性格と物言いをするが、敵意はない。はっきり言ってしまうのは誰にでもそうだが、時と場所を選んで言うだけわきまえている。それがこんなにもあっさり「自分の娘はクビになった」とはなかなか言わないのが親の立場だ。
「爆弾投げて、はっきり言っちゃう母親」
「だって私、納得していないわよ、と答えてみる」
「いいじゃん、私あんな会社に未練ないもん」
「理不尽でしょ、2週間の新人に」
「何それ。2週間で辞めさせられたって余程の事じゃないか」
和也が驚いた。和也は念願かなってカーディーラーの整備兼営業としてそれなりの出世をしている。聡子と連絡を取り合っていた敦子はそんなことは一言も言わなかった、と思い返す。
「うーん、ちょっと信じられないことがあって、ね」
聡子はそれだけを言った。
「まさか…莫大な損害を与えたとか」
「あ、そういうのじゃないから。損害は与えたけど、私が悪いとは言いようのない問題、かな」
倫人の問いに即座に否定した。事情を知っている優斗も違うよ、と否定した。
「研修期間中に、部品の発注があったのよ。営業所に在庫があれば、伝票切って、出荷するという仕事。注文してきた顧客は急いでいるから、在庫があるなら営業所まで取りに行くとまで言ってくれたの。手のひらサイズの部品だし、顧客の店は近いし。でも、それが特殊な部品で、通常の処理では見つけられないというか、覚えておかなきゃいけない品番だったの。在庫はあっても、それに気が付かなかったらアウトってことなのよ。その品番に気が付かなかった私が一番悪いんだけど、顧客や納品先が急いで部品が欲しいって言っている状態を知っていて、でも私の勉強にならないからって理由で、同じ事務の人がずっと黙っていたの。注文を受けてから5時間経過して、やっと種明かししてくれて配達してコトは収まったんだけどね。ま、顧客にしてみれば迷惑な話でしょ?部品があるかどうかわからない、1時間おきにまだかまだかって催促の電話かけたってラチがあかないわけだし。私は私で、心当たり調べて、人にも聞きまくって、思いつくあらゆることをしたんだけどねぇ、その処理に5時間」
「それでクビになったとか。いや、まさかだろ」
和也がそういった。意味が分からない。
「ん、それがきっかけ。腹が立つことに、発注受けてから2時間後には事務担当の人たち全員がその部品が社外品で、営業所の在庫もあるということに気がついていたの。そりゃそうだ、私その三人にもちゃんと聞いたんだもの」
「じゃぁ、顧客やその納品先をわざと3時間待たせたってことなのか」
和人が目をむいた。自動車販売業界にいるので客との「約束」や「時間」には敏感な気質だ。信用の第一歩、というのが和也らしいが。
「ん、だからね、誰も気が付かない、分からないで5時間顧客を待たせたというのなら納得できたのよ。でも向こうの事情を知っていて、なおかつ部品に気が付いていたのに3時間、一番に気が付いていた人は発注直後からそれに気がついていて、でもずっと黙っていたって事にプッツリきちゃってさ。私の研修だの教育だの差し引いても、顧客や納品先を長時間巻き込むのってどういうことよって、言っちゃったの。単純に考えて3時間は故意に黙っていたってことでしょ。私に黙って処理したのならわかる。教育だから黙っていたというのならわかる。理解できるけど、顧客を3時間放置ってサービス業ではないでしょ。譲って良いの、そこ、って」
「何それ…」
「発注直後に気が付いていたお局さんってのが、入社直後から妙に私に突っかかって来る人でやりにくいなとは思っていたんだけど、こっちはやっと仕事の流れが分かって付いてゆけるようになったばかりで、それでこんなことされちゃって、挙句に一緒になって3時間無駄にしちゃう他の二人の事務さんの態度にもプッツリきちゃったし、目の前でそれを見せられた所長も事実関係確認しただけでその三人にはオトガメナシ、だったの。次の日呼ばれて会社に行ったら、お局は貴方に仕事を取られるかもしれないって嫉妬して嫌がらせをやったって泣いて弁明したんだと。キャリア7年の事務職ベテランが入社2週間のペーペーに嫉妬するなんてって。だから彼女たちは厳重注意しましたって。私はすぐに顧客や納品先は納入を急いでいたから大丈夫だったんですかって聞いたら、納品自体は間に合ったらしいんだけど、交換するのに顧客は残業することになったし、納品先は納期に間に合ったものの、現場はほぼ徹夜だったんだって。そういう苦情や責任を、注文を受けた私にかぶせて来てさ。もうアホらしくてその場で辞表提出しちゃったわ」
「まぁ」
「凄いでしょ。なかなか経験できないじゃないって私も笑っちゃったわ」
登紀子はそう言ってコロコロ笑う。職業柄だからなのか、変に度胸が良いところがある女性だ。
「登紀子さん、そこ笑うところじゃないし」
貴子伯母が毎度のことのようにつっこむ。
「じゃぁ、今フリーなのか」
「フリー。学生時代の友達のツテとか、前の会社の時の先輩のツテとかで不定期にバイトしながら職探し中。バイトは単発でいろいろやっていますよ。就職活動はねぇ、その2週間で退職というのが引っかかって。黙っていても、結局書類でバレるわけでしょ」
「じゃぁ、本気で職探し中か」
そう言ったのは遥人だった。ノリノリの様子が見て取れる。
「はい、そうですよ。ハル兄、良い会社紹介してよ」
「お前にとって良い会社って何だ。給料か、残業なしか。休みか」
「そんなの、一番にクライアントに対して誠実な会社でなきゃどうするのよ。条件が良くたって、あの会社みたいに3時間ダンマリをさらっと許すなんてごめんだわ。あああやっぱ、辞めなきゃよかったよ…」
そうなのだ。聡子自身は未だに盛大に後悔しているし、退職を納得できていない。そもそも本当は退職したくなかったのだから。
「聡子、それは言っちゃだめでしょ」
母がすかさず突っ込む。
「何だ、最初の家具の会社に戻りたいのか。あのホームセンター事業部とか何とか、言ったよな」
直也伯父がそう言った。安定の公務員志向の考えなので、民間企業には批判的だ。
「プロジェクト途中で投げてきたからね。まだやりたい企画がいっぱいあったんだ」
「じゃぁ、俺ンとこに来い。とりあえず、研修から鍛えてやるから」
遥人が冗談めかしてそう言った。
「は」
「一応、共同経営だけど、俺も会社の社長だぞ。お前のやりたいことができるかもしれないぞ」
「あらま。じゃぁ本当に襲撃するわよ。って、ハル兄、運送会社じゃないの」
聡子はけらけら笑って応じた。
「本業はそれだけど、いずれそうじゃなくなる。届けたいものを、届ける会社だからな。お前がやりたいことができるなら、来いよ。連絡先よこせ」
遥人は真顔で手を差し出した。
「ラッキー」
本当にこの時は冗談だと、聡子は思っていた。
実際、二日後には遥人から会社に遊びに来いと連絡があった。短期アルバイトがいくつか入っているのですぐには無理だが、と答え、近々の予定を告げた。職安から紹介された会社を見学することになっていて、場合によってはそのまま試験を受けるかもしれない、という会社が遥人の会社の近くにあったからだった。だから遊びに来いと言われてもそこがメインで遥人の会社は二の次だった。お互いに冗談のようなやり取りだったのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます