第5話 縁(えにし)Ⅰ

 如月研也と息子の信也、遥人の父親の秋人は同じ日に亡くなった。真夏の交通事故だった。


 きっかけがどんな話だったのか、何だったのかはわからない。わかっているのは倫人が研也を誘って夏の高校野球を見に行こうという話に始まり、それぞれの息子や孫も連れて行こうかという話にもなったが、当時小学生だった遥人はともかく聡子はまだ1歳にもならない時である。聡子を連れていく案は自動的に排除され、野球に興味がない遥人は自分から行かないと言った。


 お互いの都合や仕事のこともあって最終的には倫人と研也、秋人の3人が参加するという話で落ち着いたのである。


 ところが、当の倫人が前日になって高熱で倒れ、代わりに信也が名乗りを上げた。朝早い新幹線で大阪に行き、一泊二日の日程で2試合を観戦する予定だったが、実際は3試合を観戦したらしい。新大阪の駅から、予定の新幹線に乗れそうだという連絡がそれぞれの家族にあったのが最後だった。


 最寄の新幹線の停車駅から自宅までは高速道路を使って帰ってくる。車が大好きな秋人がいつものようにハンドルを握り、信也と研也が後部座席に座るのもいつものこと。途中のサービスエリアで名物のスイカを買うのも夏の間の、如月家のいつものこと。ただ違ったのは三人を、暴走した乗用車が一気に巻き込んだ、ということだけだった。


 サービスエリア内、乗用車用駐車スペースと大型トラック用駐車スペースの近くで、乗用車に別の大型トラックが追突した玉突き事故で、その乗用車は衝撃でフルアクセル状態で休憩を終えた三人に突っ込んだという。


 ほぼ即死状態、気付く間も、逃げる間もなかっただろうというのが警察の見解だだった。


 当時としては大きな事故で、数日後にはトラック運転手の過重勤務や未払い賃金の問題だとか、積み荷の過積載が組織ぐるみの問題だとかで日を追って大きく報道されたということもあったらしい。そこからトラックドライバーの待遇改善やら運送料金の適正価格の見直しなど、いろいろな波が起きた事故でもあった。


 時々、忘れたころに新聞の片隅にこの事故関連の記事が掲載されていたりする。事故を機に、この判例がスタンダードだと言われるほどにもなったが、当の如月家は淡々としていた。



 この事故で本家当主を失った如月家は、直也が跡を取った。まだ若いと反対する親族もいたが、倫人は強硬に甥である直也が跡取りだと主張した。若くて頼りないなら自分が後見するとも言い、筋を通して本家を一番に考えると宣言したのだ。


 結婚して5年も経たないうちに、しかも生まれて間もない娘を抱えて未亡人となった登紀子と、小学4年生の遥人を抱えて夫を失った静子は如月に残ることを選択した。登紀子は如月の遠縁筋からの嫁入りで、実家は残っていないこともあるし、静子は実家はあるものの、兄夫婦が家を継いでいることもあって戻るのに遠慮したということもある。直也の家族は二人の選択を歓迎し、今まで以上にバックアップすることを約束した。無論、倫人家族や分家側も歓迎で、皆で登紀子と静子を守り、色々手を貸した。


 だから、聡子は自分の家族はたくさんいると思っている。


 聡子の記憶のある限り、登紀子は生き生きと働いていた。確かに、看護師としての夜勤がある日は寂しいと思ったこともある。だが、保育園や幼稚園、小学校で、誰も迎えに来てくれなかっただとか、参観日に誰も来なかった、ということは記憶にない。


 学校から帰ると登紀子はいない方が多かったが、直也の妻の貴子と倫人の妻の里佳子はどちらかが必ず家にいてくれた。貴子はパートで仕事に出ていたこともあったが、直也伯父の家か、倫人の家に行けば必ず誰かが笑ってお帰りと言ってくれた。登紀子の帰りが遅い時や夜勤の時は、どちらかの家で夕飯も食べられたし、従兄弟たちが集まってきてお泊り会にもなった。お互いに助け合って、従兄弟や又従兄弟たちとは年は離れていたけれど兄弟のように育った。それはそれで幸せな時間だった。


「オッサン、相変わらず若いなぁ」


 しみじみとそう言ったのは遥人だった。写真の中の信也は、時間が止まったままだ。もちろん遥人の父親の秋人の姿もだが。


 遥人の手で、秋人の写真の横に位牌が飾られる。静子は数年前に岩井という男と再婚したのだが、遥人が再婚の条件に秋人の位牌をよこせと言ったらしい。前夫の位牌と一緒に再婚するなんて岩井さんに失礼だ、と遥人が静子を叱り飛ばしたと倫人が目を細めて笑っていたのを覚えている。もっとも、岩井という男を知っている倫人をはじめとした如月の人間は、そんなことで動じる男ではないと断言できるし、静子の中に生きている秋人ごと結婚すると自然に口にするような男であることも知っている。陰になり日向になり静子親子を見守って来たその姿は遥人の父親と言っても過言ではない。けれど、遥人は岩井との養子縁組は選ばなかった。


 父親と慕っている男だからこそ、筋を通して如月の名前を名乗りたい。如月静子を一人の女として愛した男に対する礼儀だから位牌は自分が管理したいと倫人に言ったという。静子と岩井の恋を見守って来た息子としてのけじめだとも言った。そう言える遥人の姿に、祖父として倫人は目を細めたのである。

 

「もうすぐ同じ年になるのよ」

 聡子はそう言った。


 享年29歳、今年の秋が来れば、同じ年になる。


 結婚はしていない。仕事はアルバイトだけ。独立しているわけではなく、むしろ母親のところに出戻ったばかりだ。同じ年の父に胸を張って報告できる何かが欲しい、とは思う。


「カズのところ、二人の子持ちだって?」

「そうそう。まだ小さいから今日は連れてきていないけど。カズにそっくりの元気っ子よ」

「ん?お前、あの家に戻ったのか」

「いや、戻ってない。あれから戻ってないよ。時々風を入れに帰っているけどね」

「おばさんはどうなの」

「どうだろう、最近は母屋には行くけど、あの離れには行かなくなったし。今日、静子おばさんは」

「再婚して如月の籍を離れた人間がノコノコ出て行くのはおかしいだろうって遠慮した。まぁ、高倉の伯母さんに遠慮したんだろうけどさ」


 呆れたように遥人はそう言った。せっかくだから来ればよいのに、という思いがある。弔い上げと言うこともあって、本音を言えば出席して欲しいと思うのは子の思いだ。再婚した母にそれを望むのは酷だとも思う。だが、高倉の伯母を守るためと言われれば引き下がるしかない。



「なかなかの祭壇になったな」

 車椅子に乗った倫人が祭壇の出来栄えに満足した。

「静子おばさんの知り合いに頼んで作ってもらったの、綺麗でしょ」

 聡子はそう説明した。

「今日、母が来られなくて済みません」

 遥人がそう言って倫人に頭を下げた。

「いや、もういいから」


 遥人の母、静子は結婚しても遥人が生まれても続けていた仕事を手放さなかった。今では勤める設計事務所の最古参で、社長の片腕だという。そもそも経済的な生活の心配は全くなかったが、遥人の高校進学を機に実家に帰ったのだ。


 まだ若く有能な静子には再婚の話が絶えなかった。静子の実家がその地方では有名な資産家であることも影響している。だが、静子が再婚を断ると、逆にまず息子である遥人を口説き落とそうとする暴挙に出る輩が増えた。


 それを知った倫人は激怒した。普段温厚な倫人が激怒するのは珍しく、それほどの悪辣な手法だったのだろうと直也と貴子は話していた。話しを持って来たのが分家筋の人間だったとわかると、倫人は早々にその人間を出入り禁止にした。



「母さんの再婚には反対しないが、俺は如月のままでいたい」と明確に意思表示をした遥人を、ないがしろにするような発言をしたからだ、と後に分かったが。



 静子と倫人と、実家の高倉当主だった静子の兄との間で話し合いがもたれ、倫人は早々に坂下如月家の跡継ぎを次男の優斗に定め、遥人のことを考えると環境を変えた方が良いという判断で静子たちを独立させて別の土地に住まわすことを考えた。如月の土地にいては、二人の生活に支障が出るという倫人の判断は間違っていないと静子の兄も賛成した。高倉の両親の具合が悪く、兄夫婦とも話をしたうえで高倉の実家に帰ることが決定した。


 こうして、遥人の高校入学を機に、二人は如月の土地を離れたのである。

 だが、その地を離れることに最後まで抵抗した遥人は、高倉の姓は名乗らない、如月の姓を名乗るという条件を提示し、今もなお、如月の名前を名乗っている。


「高倉の伯母さんは出席した方が良いって言ってくれたんですけど…」

 遥人は言葉を濁した。

 高倉の伯母は、戻った静子を陰日向なく支えてくれた女性だ。高倉の両親の同居に加え、離れには小姑親子が住むのはやりにくかっただろうと思うが、遥人は嫌な思いをしたことがなかった。高倉の家に戻っても何度か再婚話が持ち込まれる中で、静子を守るようにあれこれと気を使ってくれたし、静子が岩井と再婚したいと言ったときも、一番に賛成してくれたのは彼女だった。


「俺はともかく、バーサンは年忌に参加しようがしまいが文句を言うだろうけど、行かない方が伯母さんへの風当たりは弱いだろうって母さんが言っていたから」

 遥人の祖母は存命で、認知症だ。兄夫婦と静子が協力して介護に当たっているが、物事をどこまで理解しているのかは不鮮明なところがかなりある。しかも感情のコントロールが上手くいかないとかで、伯母への言葉が激しいらしい。認知症としては当然の症状だが、娘としてはやはり悲しいことだ。


「だから岩井君が断りにわざわざ来たのか」

 うんうん、と思い出したように倫人が納得した。


「え、親父が」

「如月の家を出た人間だから、行くなと言い含めました。と、わざわざ岩井君が訪ねてきたよ」

 車椅子を押す優斗叔父はそう穏やかに語る。眼差しは、どこか遥人に共通する部分がある。


「手術を控えた高倉のお姉さんに負担をかけたくないと言ってね。一緒に改めて挨拶に来ると言ってくれたが、断ったよ。気持ちだけで充分だ。岩井君は良い人だ。二人が幸せに暮らしているのが良く分かる。もうそれで良い。静子さんは良くやってくれたよ。充分だ。だからもうこちらを気にしないで良い。二人で幸せになってほしい。そう思わんかね、住職」

 車椅子に乗ったおじさん先生は穏やかにそう言った。

「はい、おじさんがそれで良いなら上乗ですよ。さぁ、はじめましょうか」

 寺内住職がそんな如月の面々をにこやかに見つめていた。

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