第4話 さくらの木
ホテルの一階の奥にある、庭の見える小さな和食亭がその会場だった。
本当ならまだ早い三十三回忌の弔い上げになるのだし、お寺でやるのが通例とも言われているのだが、無理を言って早めてもらった。
おじさん先生が、癌で余命宣告を受けた。
その事実は、一族に衝撃を走らせた。
いつまで、という宣告を受けたのかどうだかはわからない。知っていてもごく限られた人間にしか教えないだろうとは理解できる。
ただ、一緒に暮らす優斗から相談を受けた登紀子は、ため息混じりに来年の桜は無理だろう、と呟いた。今まで治療をいろいろやってきたが、癌の進行と薬の副作用を考えて、倫人にとって何が良いのかを相談した時に、倫人自身はもう積極的な治療はしないと選択したらしい。
坂上の直也伯父夫妻にもその情報は伝えられ、知っているのは本人のほかには、優斗夫妻と直也伯父夫妻、登紀子と聡子の6人だという。
本人はもういい歳だから悔いはないし、後は息子の優斗がいるからと言って笑っていたが、元気なうちに、最後の弔い上げだけはしたいと言って関係する親族を集めたのだ。だから今日は坂上と坂下の如月一族が集合したことになる。
倫人の体調も考慮して、菩提寺から直也伯父の友人である寺内住職を呼んで、ごくごく簡単な弔い上げにしてもらう計画だ。
三十三回忌を迎えることになるのは倫人の長男、秋人。
坂上本家の如月の先代当主で倫人の兄である、研也。
そして、研也の次男であり聡子の父親である、信也だ。
聡子にとって、この三人は話だけで聞く、写真でしか知らない「如月」だ。
けれど、その秋人長男夫婦の間に生まれた遥人はよく知っている。
遥人の母親の静子のことも。
直也も、倫人も、同じ如月の男たちだったから。
会場内に入ると、懐かしい顔がいる。
「おう、聡子が来たぞ」
「遅くなりました」
坂上如月家の直也伯父が迎えてくれた。登紀子は貴子伯母の介助を受けながら席についたところだ。
「お前、身体はどうだよ」
「そっちはもう平気ですよ」
「じゃぁ就職か。でも決まったとか言っていたよな」
「いやいや、嫁に行く方が大事だろ」
話をかきまぜてきたのは直也伯父の息子、和也。幼馴染で聡子の親友でもある敦子と早々に結婚して二児の父となっている。
「カズがあっちゃんに離婚される方が先かもよ」
「え」
和也がその爆弾発言に思わず動揺する。敦子は二人の子供が幼いので今回は遠慮して家で留守番している。伯父夫婦と結婚当初から同居しながら幸せな家庭を築いている夫婦だ。今まで二人の間に波風が立つことはなく、嫁姑問題も全く心配ないと言ってよいが、唯一心配なのが家の建て替え問題だ。和也は今の旧家を取り壊して、伯父夫婦と一緒に暮らせる、和風の二所帯住宅にしたいらしい。それがいま、問題になっている。
そもそも同居しているし、間取りやその他、諸々も全部GOサインが出ているというのに、工期に関しては敦子が最初から渋っていた。今はもう反対の立場になっている。着工時期を遅らせたい敦子と、早めたい和也とがもめているのだ。
敦子が珍しく反対していることには理由がある。言えないが。
「工事開始を遅らせたいって話か」
「そうそう。新学期って、世の母親をなめているのか、って。新学期はね、主婦は忙しいの」
「やっぱりな、敦子さんは納得していないんだよ。和也、ちゃんと話をしなさい」
直也はそう言って息子を諭した。
「だってあいつは同居には今まで一度だって…」
心外だ、と言わんばかりに和也は口をとがらせる。
「同居とか、そう言うことじゃないよ。春が新年度で忙しいから、着工を1カ月か2カ月遅らせたら。引越し屋だってその分安くなるでしょうに。あっちゃんはそれを言ってるの」
「いや、でもなぁ、梅雨の時期にかかるのもどうかと思うんだ」
「最悪でも2週間とか言わなかった」
「言った。あいつ、お前にはちゃんと話したのか」
とたん、和也にゴン、と直也からの拳骨が入った。
「いってぇ、何すんだよ、親父」
「あっちゃんがそんなことするコじゃないの、アンタが一番わかっていると思ったけどねぇ」
貴子伯母がそういった。それから、はぁぁ、とため息をついた。
「ホント、気がついていないのね」
貴子がその「理由」を知っていると聡子に暗に匂わせた。貴子伯母が知っているなら大丈夫だ、と聡子は安心する。
「あっちゃんは気にしてるんじゃないの。この間、大喧嘩したから」
そうなのだ。恐らくその翌日に、敦子は一人よがりかなぁ?と悩みながら聡子に電話をかけてきたのだから。
「聡ちゃんは知っていたの」
貴子伯母が聡子に眼を向ける。敦子がしぶる理由を知っているのか、という問い。
「悩んでいたのは知っていたよ。口出しして良いのか悪いのか、悩んだと思う。まぁ、私が聞いたのは昨日の電話で和也と派手に喧嘩したってこぼしたからなんだけど。このままごねていて良いのかなぁって。和也に通じてないのかなぁって」
「おう、ごねておけ。俺が許可する」
直也伯父が笑った。
「ホント、和也が離婚されるほうが先だわ。あっちゃんのほうが如月の人間だね」
ころころと貴子伯母も笑った。
二人が敦子を理解しているなら話は早い。安心していられると思う。
「聡子、ちょっと後で話がある」
ぶすっとした和也が聡子に目を向けた。
聡子はくすくす笑いながら祭壇の前で作業を始めると、和也も一緒になって手伝い始めた。
「カズ、私のお父さんの命日を知っている」
声を潜めてヒントを出してやると、和也はうーんとうなった。
「そりゃぁ、8月の…」
「普通だったら8月に年回忌やるのに、何で2月にやるんだろうね」
持ってきた遺影と、位牌の位置を確認しながら置く。この場にはいないが、静子が紹介してくれた人に、フラワーアレンジメントで簡単にテーブル祭壇を作ってもらったのだ。それは、さすが作家だと言えるほどのなかなかのものだ。
四つの遺影と位牌が並ぶように、しかもシンプルではあるがそれぞれ好きな花に囲まれるように。
「誰にも言わないでよ。おじさん先生、桜を見るのは今年が最後かもしれない」
びくりと、和也の手が止まった。そんなに簡単にさらっと言うな、と言わんばかりに和也が驚いていた。
「ブルーシートがかかった自分が生まれ育った家とさくらの木、というのは無粋だと思うんだよね、っていうのが敦子の本音」
ちょいちょい、と位置を治す。
「敦子はね、詳しい事情は知らない。でも、伯父さんや伯母さんが先が良い、と言っているのも知っているし、この時期、急いで年回忌やるのもおかしいって感じていたんだよ。癌だって聞いた時、もしかして、って考えて母さんに相談したんだって、おじさん先生の具合。だから工期に関しては譲りたくないって言いだしたんだと思う」
敦子は迷った末、工期を遅らせることにした。幼いころからおじさん先生が大好きで、如月の家の人間なら理解してくれると決意して。
「敦子はさ、というより、そう言うの、知っちゃったら独りよがりかもしれないけど、今年のさくらの木は特別綺麗に咲いてほしいと思うのは、みんな一緒の願いだと思うよ」
最後に遠目で「祭壇」に持ってきた遺影と位牌の位置を確認する。
これで三十三回忌を迎える三人の写真が揃う。若い時のままの坂上本家の如月研也、その次男である聡子の父の信也、研也の弟の長男であり、遥人の父親である如月秋人である。年忌は違うが、17回忌を迎えた倫人の最愛の妻である里佳子の遺影と位牌も一段下がったところにそこにあった。
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