第2話 攻防の果て
カリカリした様子のお局様は、所長のイライラを横目にズバリと言い放つ。
「時間の無駄だとは思わない?確かに他の仕事もやっているけど、その部品探しに5時間よ?ノート見れば5分とかからない仕事じゃないの」
「すみません」
ごもっともだ。謝るしかない。そんな私に、お局ははあああ、とため息をついた。
「あなた、いつまでたってもそんな調子でどうするのよ?来月には私いなくなっちゃうのよ?覚えてくれなきゃ困るし」
畳み掛けるように、妊婦さんがそう言った。
そんなこと言われても、この仕事始めて2週間もたってないし、畑違いの仕事だし、覚えること山ほどあるし…バカだから覚えられないし、とは思う。でも、ガマンガマン。私が悪い。気が付かなかったわけだし。
「すみません」
ひたすら謝るしかない。
「ホント、すぐわかることだから確認しなさいよね。ピンと来なきゃ」
お嬢のその言葉に、下げていた頭を上げた。
在庫があると知っていたお局様。
ピンとこなきゃだめだと言ったお嬢。
二人とも、知っていたということ?
「え?気が付いていたってことですか?」
思わず疑問が口をついて、同時にさああああ、と血の気が引いた瞬間だった。
「当たり前じゃない?でも、貴方が気が付かないと勉強にならないから黙っていたのよ?1時間経っても2時間経ってもまだ気が付かないし」
呆れたように私に向かって話すお局様のその言葉に、ますます血の気が引いた。
11時に発注の電話を受けたのは私だ。仕事中持ち歩く自分用のメモ帳に電話を受けながらメモを取り、公式の発注ノートにも時間と顧客名と品番を書き写した。請負人である私の名前も。
そこから、私は品番検索をして在庫リストに照会し、該当品番がないからマニュアルを照会し、それでもその品番は存在しないので崎さんに聞いた。専務さんが急いでいることもあってお昼休みもロクに取らずに製品マニュアルの部品索引を見返し、お局様以下、事務の三人にも聞いた。営業から帰ってきた二人にも声をかけて、今その返事を待っていた。専務さんは気が付けば連絡してきて、進捗状況を聞いてくる。製造が止まっているんだよなぁ、と困り切った様子で。
「気が付いていたって、それって…発注ノートに書いた時からですか?」
「そうよ?」
当たり前のようにお局様が答え、お嬢と妊婦さんが頷いた。
「電話を受けて直ぐに書いたので、11時半になってなかったですよね?調べてもわからないからって、私質問しましたよね?お昼休みが終わった直後に」
「そうよ?でも貴方は気が付かなかったでしょ?」
当たり前のようにお局様は答えた。別の作業中なのか、手元には何かの伝票を抱えている。
私の中で、プッツリ切れた。
「少なくとも、注文を受けてから2時間後にはこの部品についてちゃんと気が付いていたってことですよね?」
「私はね」
「私もね」
「ん、私も」
お嬢も妊婦さんもそう肯定した。
「私、専務がすぐに部品が欲しいと言っていることも言いましたよね?修理先が急いでいるから早く欲しいって。部品交換の修理だから、手元にあれば夕方には終わるからって。納期も迫っているから困っているって、製造ラインも止まっているって」
「そうね、言ったわね、覚えているわ」
ぶっち。
血管、切れそう。
てか、血管、切れました。
私は自分の血管が切れたことを自覚しながら冷静になろうとしていた。
目の前のリストは、B5のノートに見開き3ページ。
びっしり部品番号が並んでいて、公式のマニュアルに掲載されない番号だからPCの検索機能にも「存在しない」部品。
「社外品は登録されていないから検索機能使えないのよ。いくら調べたってエラーになるのよね」とお局様はたった今この場でご丁寧に説明してくれた。
おい、一番最初の説明の時はそんな詳しい説明はしなかったよね。
「品番に気が付かなかったことや、私自身が思うように仕事ができないことは謝ります。でも、お客様も、修理先も急いでいると私、説明しましたよね?こういう状況ですと、説明しましたよね?わからない言った言葉に、自分で調べなさいと言いましたよね?勉強にならないという意味は理解できます。理解できますけど」
ぐっと拳を握る。
「お客様の、急いでいるという事情を分かってて、それでも巻き込んで…それ、普通じゃないでしょう?」
お局様を睨む。意味が分からない。
納得できない理解できない理不尽だ、と思う。
「確かに、私は皆さんと同じように仕事はできません。皆さんが考えている以上にバカだと思います。すぐに教えてしまっては私の教育にならないという理由もわかります。
でも、でも、急ぎの修理先を抱えているお客様を5時間も待たせるって神経は何ですか?
少なくとも、最初の2時間は気が付かなくても、あとの3時間はわざと黙っていたってことですよね?
これ、嫌がらせですか?私への嫌がらせですか?
それともお客様への嫌がらせですか?お客様巻き込んでおいて、へらへら笑ってうちの新人がすみませんって話じゃないでしょ?
一体どういう考えで3時間も黙っていたんですか?
研修って言えば何でも許されるんですか?意味わかりません。きちんと説明してください。しかも三人そろって同じ行動。意味わかりません」
事務所内が、一気に静かになった。空気が冷たくなった。
でもそんなことを気にしていられない。
「如月君」
「向こうは修理できなくて製造ストップしているんですよ?修理先の3時間とこっちの顧客の3時間はどうなるんですか?ばれなきゃ良いんですか?」
バン、と机を叩いた。ビクリと肩を震わせるお局様。
「機械一台売ってナンボの世界でしょ?そのあとのメンテナンスや消耗部品の売り上げでも営業所は成り立っているんですよね?
メンテナンスも部品代もタダじゃないんですよね?お金もらって仕事しているんですよね?お客ないがしろのその神経が私にはわかりません。
入社したての新人ならまだ自覚がないんだとも解ります。でもここにいる皆さん、私以上にキャリアありますよね?なのにお客様に3時間も時間無駄にさせるってどういう神経しているんですか?
ただでさえその前2時間向こうに迷惑かけているんですよ?他に正当な理由がありますか?
私に対する嫌がらせですか?お客に対する嫌がらせですか?
3時間も黙っていたのは重要なことなんですか?
一体何なんですか?必要な時間だと言うならきちんと説明してください。私バカだからその3時間の必要性がわかりません」
感情を押さえて、誰もが理解できるようにはっきりと、明瞭に告げた。
けれどその質問に答えるべき人はいない。目の前の、事務3人娘も、営業の人たちの中にも、所長ですら黙っている。
確かに事務3人娘からは、入社後毎日一々事あるごとに繰り返される嫌味には辟易している。けれど、それを相手にするのは得策ではないし、第一私は言い返せるほどの仕事はしていない。まだ入社して2週間目。ようやく一週間のサイクルが分かってきたところだ。
今月と来月は妊婦さんはいるが、再来月は一人立ちだ。そのために引き継ぎの仕事は山ほどあるし、その他に朝のお茶だとか、掃除だとかは事務の仕事だ。雑務はほぼ事務が一手に引き受けている状態だった。それら一つ一つを実行する時間までも分刻みに覚えろと言われて覚えられるわけがない。毎日書き足されるメモは、帰宅後そのまま業務用ノートに清書され覚えていく努力はしているが、仕事の流れを覚えられても、品番まではまだまだ余裕がない。
おまけに、伝票記入に使う顧客番号を覚えなさい、営業所コードを覚えなさい、が全部で400軒余り。それをたった2週間で全て覚えろというのはキャパオーバーだ。コードや記号に意味があるのならともかく、アルファベット交じりのそれは、完全に意味がない。余程部品番号の方が意味があるのだ。
「如月君、ミーティングを始めるから後で私のところへ」
所長がそう言い、ため息をついた。
私の、人生二度目の退職が決まった瞬間だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます