とどけ、愛

藤原 忍

私はこれで、会社を辞めました・睦月(聡子視点)

第1話 5時間の攻防


 目の前の光景に茫然とした、のが正しい。


 私、如月聡子きさらぎさとこは信じられない思いで目の前の三人を見つめた。


「だから、その品番、互換性がある部品だからって、最初にリストを渡したでしょ?ノートに貼り付けてって。ノート見なさいよ!」


 とがった声で叩きつけるように言う「お局様」は私と同じ大卒。年上の32歳。職歴8年のベテランさんで、この小さな営業所の営業事務のリーダー的なヒト。


「ちゃんと貼っていたわよね?私、確認したし」


 追従したのは同じ事務職の「お嬢」。彼女は短大卒で30歳。私より二つ年上で、職歴は7年のベテランさんパート2。


「ほら、ぼうっとしてないで確認して」


 そう声をかけたのは、私の直接の指導者に当たる妊婦さん。彼女が出産退職する予定なので私はこの営業所に採用されたのだ。

 週末の金曜日の終業前に行われるミーティング。基本全員参加のミーティングは週初めのミーティングより重視されているという。それに備えて営業所長が外回りの営業から帰社した直後、私にその叱責が飛んだ。


 普段は営業で出て行っているその他の営業職の人たちも金曜日の夕方は事務所で事務仕事をしていることが多いという。午後4時くらいから開始されるこのミーティングは、事務的な伝達のあと一週間の報告と翌週に向けての作戦会議という位置づけなんだと教えてくれた。今日は風邪でお休みの人と本社に会議に出向いている副所長の二人を欠いてフルメンバーに近い11人が事務所にいる。


 そんな場での叱責。へこむわぁ。



 自分専用の業務の諸注意をまとめたノートを確認する私の横で、お局様は迷うことなく「待たせている」顧客に連絡を入れた。幸いにも、部品の在庫は営業所内にあり、お局様が仕事終わりに配達するからと顧客に約束を取り付けている。明るく「うちの新人がご迷惑をおかけしました」とサラリと笑いながら言ってのけるスキルも振り回している。


 在庫あるって言ったわよね、今。

 いやいや、そうじゃなくて、ノートよ。

 それでも、目的の品番は見つからない。


 常に持ち歩いて仕事内容をメモする小さな手帳には、今日の昼前に受けた「千葉電工の千葉専務」から注文を受けた部品の品番が書かれてある。

 照らし合わせる机の上のノートはここ2週間で酷使され続けているノートだ。山ほどある仕事をこなすために帰宅後、リスト化したものや、絶対覚えなければいけないものとかの、私の業務ノートだ。


 研修初日に渡された「品番検索に出てこない、互換性のある部品の品番リスト」はこのノートに貼り付けてある。そうするように言われたし、業務ノートを作った方が効率が良いと自分でも思ったから。そしてその中に、ようやく今日のお昼前、専務から問い合わせのあった部品の品番と対応する互換性部品の品番を見つけたときには、答えを見つけた嬉しさと、同時に仕事ができない自分への悔しさが混じる。


 でもこれ、一体何の部品?品番検索に出てこないというのはどういう意味なの?


 プリントアウトされた品番は一枚に100ほど。対応する部品もそれに合わせて100ほど。題名は互換性のある部品、としか書いていないから何の意味か、何の部品かもわからない。それが三枚ある。つまり、部品数300余り。


「社外品の部品番号なんだから検索したって出てくるわけないじゃないの」


 妊婦さんがそう言う。衝撃の一言だ。社外品も扱っているのか。今知った。


「社外品って…。区別する見方があるんですか?」


 思わず、聞いてしまう私。そもそも意味なく説明もなく品番を書いたリストを渡されたって、意味が分からない。プリントのこの部品番号を注文された場合は対応するこっちの番号の部品を渡してね、という意味なのだが、その数は膨大だ。しかも、数字とアルファベットの羅列。社内品の品番も同じようだから、規則があるのかと思うが。


「ないわよ、そんなの」


 あっさり、否定してくれた。


「大体ね、わからないからって崎さんに聞いたって、崎さんはマニュアルも品番も見ない技術屋だから聞いてもわかるわけないじゃない?何時間もかかる前に違う人に聞いたらどう?」


 お局様はそう言った。


 「崎さん」は、最年長の技術者で、定年後採用された嘱託社員だ。

 手先が器用で、古い機械の修理も出来るし、顧客の手に負えない他社の修理品を直したりもできる人だ。常に営業所にいて、まだ技術見習いの社員や営業職の新人に自社製品のイロハを教えている。


 そういう技術畑の人に聞いてもわからないって、何?私にはわからない。そういうの、わかる人じゃないの?第一、入社して2週間たったばかりの私には、マニュアルも品番も見ない人っていう人物評価すらそんなの知らないし。


 他の営業職の人は朝7時に事務所に顔出しして、担当地区に営業に行って、午後8時9時に帰ってくるという勤務パターンだ。私たち事務所組は朝9時から夕方6時までのシフトで動いていて、ミーティングの時にしか会うことはない。現に今日初めて会う人だっているし、名前だってまだ顔と一致していないし。そしてほぼ20分前まではこの崎さんと技術見習いの男性数人の他は営業の人なんかいなかった。


 じゃぁこの技術見習いの人に聞くわけ?私よりは詳しいだろうけど、それで良いの?研修初日に、この人たちは研修生だから、基本、聞いてもわからないよ、と言ったのは誰だ?じゃぁ、どうすりゃ良かったわけ?

 疑問が新たに渦巻き、また疑問を呼ぶ。


「新しい部品発注しておいたわよ。週明け届くから在庫に入れてね」


 隣で「お嬢」が報告を入れる。在庫管理専用PCで操作を完了している。


「伝票切るね」


 そう言いつつ、妊婦さんがもう一台のPC前で伝票を切った。こちらは伝票と顧客管理用のPCだ。

 電話から在庫管理から伝票発行まで流れ作業だ。そしてお局様は目的の部品をビニール袋に入れ、伝票をバチンとホッチキスで止めて出荷用のかごに入れた。


 意外と小さな部品だったな、と思ったし、彼女たちのチームワークと手際が見事であっけにとられてしまった。


「如月さん、この発注受けたの、何時?」


「11時です」


 それは間違いない。顧客である千葉電工から部品の発注が来た。修理先からの千葉専務からの電話でどうしても手に入れたいとのことだった。在庫があるなら即納して欲しい、そうすれば今日中に修理できるから、部品交換の修理だから、とも言われた。そして、修理先の工場は納期を抱えているのに、機械が止まってしまってとても困っているのだという。


 だから、早急にこの部品を手に入れたいのだと言った。


 ましてや金曜日で、本社の物流センターや部品工場からの出荷便は土曜日が休みになるので今日中にそのメドをつけておきたい、というのが本音だ。営業所は土曜日もやっているが、物流センターと部品工場は出荷業務をしない。部品出荷のタイムリミットは平日の午後4時30分。最悪、金曜日の午後6時までなら「特別なお計らい」で、センターや工場から顧客宛てに直送するという奥の手もある。だが、それは出荷が保障された対応ではない。忙しかったら「無理です」で、終わるパターンになる。だから出荷便の締切、タイムリミットの午後4時30分を見据えながら私があせっていたのは確かだった。


 営業所とは長年の付き合いがある千葉専務はそれも気にしながら、時々あれこれ進捗を聞いてきていた。その都度、応対したが該当する部品番号がないというのは本当に焦る事態だった。営業所に部品さえあれば、千葉電工までは車で5分とかからないので配達だってできるのだが。だから、昼休みを過ぎてからは事務所内にいる人全員に聞いて回った。30分かけて調べて、それでも私にはわからないんだもの。


 今は午後4時を過ぎている。タイムリミットは午後4時30分。


 在庫はあったものの、精神的には、ぎりぎりのタイミングともいえる。


「今は何時よ?何時間かかった?」

「午後4時です。5時間かかっています」


 ムカムカしながら答えた。今日は4時からというミーティングのために所長も席についているし、他の人もいる。所長は私とお局様とのやりとりにはじめたいのに始められない状況に少しイライラし始めていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る