第74話 音節変化とリズム崩し
魂消る、漲る、脂ぎる。張り切る、やりきる、砕け散る。押し切る、転(こ)ける、畳掛ける。こんな感じに4文字4文字5文字と並べるリズムがある。ちゃかすか、ぽかすか、どですかでん。とかいう類いだ。もちろん、最後とかに436の異なるパターン(字余り、字足らず)を遊びで入れたりもするのだがー。
古来から575(俳句系。77と続く和歌系など)はもちろんのこと、333というものや、222というリズムも世の中にはたくさん存在していた。これは日本語の最小音には必ず母音が存在するせいだろう。ひらがな音で捉えるリズム感覚なのだから当たり前と言えばそうなのだが、世界的に見ると意外に少ないリズム感覚のような気もする。
お隣り中国の漢詩にも見た目からして、4545などというパターンがあったり、全体を4行にとか5行の固まりにするのも(音は比して複雑なので)視覚的にだが、同じまとまり感覚のような気がする。アルファベットを始め、他国語ではおそらくこうは行かないのではないか。という事は、視覚的の漢字文化圏と、音的のひらがな文化圏にはこのまとまり感独特のリズムネイションが存在してきたのではないだろうか。
最近15~20年くらいか、歌詞の音節的省略を試みようとする歌が増えてきている気がする。ミスチル、岡村靖幸、つんく、チャラなどなど。彼らはこのひらがな音独特のリズム感覚を崩そうという試みをしているようにみえる。手元にスキマスイッチがあったので例として探してみた。『全力少年』という歌詞の1番にあるのだが「置いていかれるんだ」を「置いてかれんだ」と歌うあたり、どうだろう。蛇足ながら、これは2番に「老いて枯れんだ」ともかけてあることを今発見した、笑。
まあ、昔も今も音節的変化は口語体から生まれ、文語体系へ影響していくものなのだろうが、これを日本語の乱れと捉えるか、音節の正常的変化と捉えるかは諸説の分かれ目、または歴史が後で証明をしてくれるという事だろう。いずれにせよ、今までとは違う表現を模索していく姿勢は悪い事ではないと思うので、行く末を見守りたい気分でもある。
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