海を渡った二通の手紙

伊井尚次郎

第1話 海を渡った二通の手紙


                1


〈たしかにその女性とは、面識がないわけではなかった〉


私は、伊井尚次郎いいなおじろう、六三歳。美術系の出版社を定年退職して三年が過ぎた。

新しく作った名刺には〈美術評論・執筆・講演〉と肩書きしてあるが、いまは、瑞祥寺ずいしょうじ翔子しょうこさんという旧華族の家系にある資産家に〈語り部〉として雇われ、平日の午後二時から五時までアルバイトに通っている。

〈語り部〉などと書くと聞こえはいいが、実態は〈本の朗読者〉で、最近では単なる〈お喋り相手〉と変遷している。


私が待っている女性は、丸善李伊まるぜんりい、三二歳。大手出版社〈電昭堂新社〉の三代目社長だ。

指定された日時は、八月二十五日、月曜日の午後八時。いまがそのときだ。

場所は、東京虎ノ門にある旧財閥系の〈ホテルO〉の地階。中華料理店『凜王りんのう』と言われた。

私は、いまその店の入り口に立っている。


私が生きて来たなかで、これほどインチキ臭い会見は、はじめてだった。

二日前の土曜日のことだ。八月二十三日の蒸し暑い日の昼下がりだった。

私は、二十二歳年下の名和奈々なわななという彼女の1DKのマンションにいた。

前日が蒸し暑く寝苦しい夜で、クーラーを入れたり切ったりして、寝不足になっていた。

どこにも出る気になれず、奈々とだらだらと過ごしていた。

ベッドを背にして、丸いちゃぶ台に載せた彼女のパソコンで、馬券を買っているときだった。

手許に置いた〈ガラ携〉が震動をはじめた。私は〈着メロ〉にしていない。

登録にない番号だったが、〈なにかの幕開きの予感〉に迷わずそれに応じた。

ところが、おとこの声が、まず、〈お待ちください〉と言った。使用人? に電話を掛けさせて、相手が出たら自分に代わるといった先方の横柄さに、私はカチンと来た。

いったい何様からだ? それも普通には休日である土曜日に?

おんなの声に替わった。

健全な肉体から発せられる張りのある声だった。それでいて、どこか甘ったるさを感じさせる。

「伊井尚次郎先生でしょうか。私は丸善李伊です。とつぜんに失礼します」

伊井尚次郎先生だって? それに丸善李伊と言えば、あの電昭堂新社の社長だ。なんで?

「はい、伊井です」

「昨年末にパーティー会場でお会いしてますね」

名乗ったときより、いっそう声に甘さが感じられた。

電昭堂新社のおんな社長が、なんでまた? それに、去年の末にいちど名刺交換しただけで、彼女が私を覚えているとはとても思えなかった。

彼女はパーティー会場の揚羽蝶あげはちょう胡蝶蘭こちょうらんのように、客たちの間を飛び交い、甘い香りをまき散らしていた。

私は定年退職した後も、以前から付き合いのある編集者が、年末に開かれる電昭堂新社主催のパーティーに毎年呼んでくれていた。もちろん編集者は女性であり、彼女に会いたいばかりに、毎年末、わざわざ都心の〈ホテルO〉まで出掛けて行く。

私は、三年前に長く勤めた美術書系の出版社を退職していた。

以前、担当した著者が私をそのパーティーに呼んでくれたのがきっかけで、やはりその著者の担当編集者だった岡野ひとみと知り合いになった。当時の彼女は三三歳。ひょんなことから、関係を持ったことがある。いちどきりだったが、彼女は私を覚えていて、もう十年近く〈年末だけの再会〉に呼んでくれている。

去年のパーティーでは、総合出版社の電昭堂新社が、大部だいぶの美術事典を企画しているということは、知っていた。その美術事典を企画したのが、遣り手の三代目おんな社長丸善李伊だということも聞いていた。

彼女は、女優のヘアヌード写真集から、タレントのスキャンダル告白本、また右寄り論客を使った過激な日本改造論などと、ベストセラーを量産していた。

なにより、丸善李伊は、〈揚羽蝶か胡蝶蘭〉のようにゴージャスな美女だった。


昨年のパーティーの日、私は着慣れないスーツ姿で、立食パーティーの壁際でおんな社長を眺めていた。

手には、ナプキンで包んだウイスキーの水割グラスがあった。

会場は、〈三〇〇人以上の盛況よ〉と岡野ひとみが言った。

私は、数人の顔見知りの著者に挨拶が済むと、もう話す相手はひとみしかいなかった。

彼女も気を効かせて、なんども私のそばに来て、おしゃべりに付き合ってくれた。

もちろん、パーティーが終わるまで、彼女を待つしかなかったからだ。……と言っても、毎年、〈お開き〉まで待ちきれずに、彼女に〈さよなら〉を言い、〈来年期待している〉と告げて、早々に引き上げてしまうのが慣例になっていた。

たまたま、私の数メートル先に、立ち話をしている丸善李伊の後ろ姿があった。

少し離れた場所には、これも毎年見続けている長身でスリムな黒いスーツ姿の〈老人〉もいっしょだった。李伊の秘書か、またはボディーガードだろう。七〇歳を越えていそうな〈年寄り〉にしては、鋭い眼光と、こまかな所作に切れがある。

彼女は、ひとりの作家と、私も知っているエッセイストで某出版社の社長を相手に、華やかな会話をあたりに振りまいていた。

一〇センチほどのハイヒールを引いても、身長は一六〇センチをだいぶ越えているだろう。

長い茶髪を茄子なすびのように高く結い上げ、ちがいにした二本の真っ赤なこうがいで、それを固定している。そんな悪趣味すれすれの大胆な髪型を、品のある細く長いうなじが補っていた。

いかり肩の片方の素肌が、ここから見ても肌理きめの細かさを感じさせた。

あちこち肌の露出したドレスだった。右の脇腹も半円形にえぐられ白い肌を覗かせている。

深い黒地に深紅の細い筋が、袈裟懸けさがけに斬られた跡のように、片方の肩から腰の下まで走っている。見方によって、それは猥褻わいせつすれすれといったドレスだ。

背筋がすっと伸びて腰が高い。形のいいふくらはぎが、絶妙な曲線を描いて黒いハイヒールに滑り込んでいる。

私は、〈ひとをじろじろ見る〉のが大好きだったし、それを、〈失礼だ〉などと感じたことはいちどもない。その論拠をだいぶ以前だが、私のクライアントの瑞祥寺ずいしょうじ翔子しょうこさんにくどくどと説明したことがあった。


ふたたび岡野ひとみが近寄って来た。

私は、けっして物欲しそうにおんな社長を見ていた積もりはなかったが、ひとみは、〈まだ紹介したことなかったわね?〉と訊いて来た。

間近で丸善李伊の顔を拝んでみたかった。もとより異存はない。

私は、ウイスキーのグラスをテーブルに置くと、財布からいちばん綺麗な名刺を抜いて、胸のポケットに用意した。

ふたりで近寄った。おんな社長たちも、ちょうど会話が途切れたところだった。

李伊の横に出たひとみが言った。

「社長、ちょっとお会わせしたい方がいらしてて……。よろしいでしょうか」

李伊がひとみに顔を向けた。

改めて見た彼女の横顔は、〈節子さんに似ている〉だった。

〈節子さん〉とは、瑞祥寺翔子さんの娘で、今年四〇歳。やや鋭角の顔の輪郭、多少鷲鼻わしばなの高い鼻梁びりょう、はっきりした二重瞼に黒目がちのひとみ、大きめでふっくらした唇をしていた。

李伊社長がこちらを向いた。

顔立ちはよく似ていたが、おんな社長のほうがはるかに妖艶ようえんだった。節子さんはだいぶ年長だったが、李伊と比べたら、飛んでもなくウブで、それに清楚でまるで乙女のようだ。

節子さんが〈大輪たいりんの薔薇〉なら、おんな社長の李伊は〈リボン付きの胡蝶蘭〉か。

李伊の一種名状しがたい妖しさと怪しさに、私は身構えたほどだった。

ひとみが、〈こちら、美術評論家でエッセイも書いている伊井尚次郎先生〉と、大風呂敷を広げて、私を社長に紹介した。

私は、前の会社で、部下だったおとこが編集長をやっているとき、依頼されて原稿を数回、美術雑誌のコラム欄に載せてもらったことがある。元部下は気のいいおとこで、退職した私に仕事を廻してくれたのだ。つまり、名刺の〈美術評論〉とあるのは、なにも〈美術評論家〉を肩書きにしてるわけでなかった。それでもひとみには感謝した。

李伊社長はどこから出したのか、名刺を差し出しながら、〈お名前はかねがね伺ってます。出来たら、いま進めている美術全集にも、ご執筆いただけると嬉しいです〉と、満面の笑顔で言った。無理なく愛想いっぱいの社交辞令がすらすらと口をついて出て来る。

彼女は、私の顔など、一瞥いちべつしたに過ぎなかった。

短い挨拶が済むと、ひとみがすぐに私の肘を取って、おんな社長から引き離した。

数人の客が、たちまち李伊を取り囲んだ。

おんな社長から目を離さないでいるボディーガードらしい老人について、ひとみに訊いた。

彼女はこう答えた。

〈あのひとは、先々代の懐刀ふところがたなで、三代目のおり役。名前は、みかたさんとか、めかたさんとかって言ったと思う。無口で気味の悪いひとよ〉と。

                *

〈たしかにその女性とは、面識がないわけではなかった〉が、丸善李伊が私のことを覚えているなどとは、飛んだ子どもだましのインチキだ。

電話の向こうで、〈昨年末にパーティー会場でお会いしてますね〉と言った彼女に、私は少々身構えた。

「はい、たしかお目にかかっています」私は、調子を合わせた。

「あのとき、新しい美術事典にご執筆をお願いしたと、記憶しているんですけど……」

よく言うおんなだ。あれは、〈振り返った鬼でも笑う〉にちがいない九か月もまえの去年の話だ。

「はい」と素直な私。

甘ったるい声の李伊がこう言った。

「それで、伊井先生のお書きになった〈青木あおきしげる〉についての評論を、改めて読ませていただいたんです」

私は、余計なことを挟まず、ただ〈はい〉とだけ言って、続きを待った。

「素晴らしい発想ですねっ!」と李伊。「ぜひ、あのときの評論を論文にまとめて、うちの〈美術大全〉に掲載をお願いしたいんです」

私は、こう言った。

「あの美術雑誌に掲載された、私の〈青木繁の悲劇〉をお読みになった?」

「ええ、担当編集者が、〈とてもユニークな評論がある〉と私に言って来て、雑誌を見せられたんです。それが伊井尚次郎先生のお書きになったものでした。美術界にはああいった大胆な発想が必要なんです」

私は、〈この子ども騙しのインチキ商談〉の裏になにがあるのか、ますます知りたくなった。


李伊の話が〈嘘インチキ〉だというのは、こういうことだ。

たしかに、私は、元いた出版社の発行している美術雑誌に、毎月一本ずつ、合計三本の原稿を毎回メールで送った。二年ほどまえのことだ。

そのうち、〈フェルメール〉と〈写楽しゃらく〉は、掲載された。ともに、かなりの辛口からくちで批判した内容だった。

ちなみに、〈フェルメール〉とは、ヨハネス・フェルメール。一七世紀のオランダの画家。天才レンブラントと並び称されるほどの大芸術家として知られているが、私は、世間の評価ほどには、いいとは思っていない。代表作に『真珠の耳飾りの少女』(別名『青いターバンの少女』)がある。

……これではまったく説得力に欠けるので、当時、私の大切なクライアントである瑞祥寺翔子さんに話した内容の一部を転載してみる。

それはこうだった。

〈「(フェルメールの描くものは)可愛いいタレントのポートレート画のような『真珠の耳飾りの少女』も含めて、どれもが、どうということのない凡庸ぼんような作品ばかりだと思ってます。技巧的にも当時の画家と比べて、驚くようなものでもないし、芸術的感興というのでしょうか、湧いてこないですね。私のなかでは、フェルメールは芸術家というより、絵そのものにはテーマ性を有しない挿絵さしえ画家という評価なんです〉

ここで翔子さんの意見を訊いたところ、彼女は、〈日本人は『真珠の耳飾りの少女』好きのようですね〉と言った。

それについても私は、こう説明した。

〈あの絵は別名が『青いターバンの少女』といって、頭にターバンを巻いている。しかし、当時のオランダにはターバンを巻く風習はなかった。そこからあの絵のポーズそっくりでおまけにターバンまで巻いた別人の絵画が見つかって、話題になった。

その絵はフェルメールが『青いターバンの少女』を描く三年ほど前に発表されたイタリアの画家グイド・レーニの『ベアトリーチェ・チェンチの肖像』という作品だった。

ターバンを巻いているのは意味があって、それはこれからこの少女が尊属殺人の罪で斬首ざんしゅされることになっていて、その際、髪の毛でおのやいばが滑らないために巻かれたものだった。

つまり、フェルメールの大評判の作品は、別の絵からの模倣だった。当時、私は元絵のほうにこそ興味を覚えた〉


それから写楽についても、こう説明した。

〈写楽〉とは、東洲斎とうしゅうさい写楽。江戸時代の浮世絵師。〈大首絵おおくびえ時代〉の二十八枚のみが、技巧面を除いてだが、新しい個性的な役者絵になっている。その後、売りに出された全身像は、どれもプロの絵師とは思えない稚拙ちせつなものだった。やがて人気がなくなり、突然、消えた。私には、写楽の絵は〈役者絵ないし歌舞伎ファンによる趣味の手すさび〉程度と思っていた。その後、〈謎の絵師写楽〉は、プロの絵描きではなく、〈能役者〉斉藤十郎兵衛だとされる説が有力になっている。


いま考えると、この写楽に役者絵を描かせた版元の蔦重つたじゅう(蔦屋重三郎)は、いうなれば現代の(一過性の)ベストセラー仕掛け人である丸善李伊に似ていないか。


三本目に書いた〈青木繁〉は、内容が〈美術界に物議を醸しかねない〉という上層部の意向でボツになった原稿だったのだ。つまり、雑誌には掲載されていない。

以下に、当時、翔子さんに話した内容といっしょに、雑誌に掲載されなかった〈青木繁の悲劇〉を転載する。

まず、私が書いた解説から。

青木繁は明治期の洋画家。古代神話に題材をとった浪漫ろまん的色彩の濃い絵のモチーフは、西洋の物真似ものまねでないユニークさがあった。しかし、絵の技術的才能を過信し、努力を惜しんだことと、絵画芸術そのものを甘く見ていたところがあり、評価の割には、どれを取っても〈完成された芸術作品〉とは言い難い。ただ夭折ようせつしていることは、割り引く必要があった。


以下は、ボツになった〈怠惰たいだ放蕩ほうとうな天才画家・青木繁の悲劇〉と題した原稿の一部。

『(略)青木繁のあまつ神に滅ぼされるオホクニヌシを描いた『大穴牟遅神オオナムチノカミ』や、山幸彦やまさちひことトヨタマビメを描いた『わだつみのいろこの宮』などの作品を〈新鮮なテーマ性〉という観点から誉める傾向もあるようだが、それなら時代はちがうが、漫画家の手塚てづか治虫おさむは〈新鮮な発想力〉において、青木繁の千倍もすごいと言えるだろう。

そして、画家の制作意欲をき立てる〈テーマ性〉が、たとえ単なる思い付きや新奇な発想であっても構わないが、そこに表現者としての優れた技術力が伴わなければ、芸術作品たり得ないのではないか。例えば、晩年の『秋声しゅうせい』や『筑後風景ちくごふうけい』なども天才画家と呼ぶに耐え得る作品となっているだろうか(略)』


ついでに、瑞祥寺翔子さんに〈個人的に話した私見〉を転載しておく。

「青木繁と言えば『海の幸』ですね。でもあの絵はデッサンがデタラメです。それは、空想で描かれたものだからです。漁民ぎょみんが、身になにも着けていない全裸というのも変でしょう。もりも現実にはない形をしています。さらに、大きな魚を担いだ姿も、あり得ない格好です。

極め付きは、その漁師りょうしたちの間に〈福田たね〉という当時の恋人の顔を描き込んでいることです。私に言わせれば、絵画という芸術を青木繁はめていました。なまじっか才能があっただけに、努力を怠ったんですね。

さらにひどいのが『わだつみのいろこの宮』で、これもモデルを頼まず、空想だけで描き上げたいい加減な作品です。

印象派のセザンヌのように、必要があって次元をゆがめて描いたのとちがって、青木繁は単に、〈これでどうだ!〉とばかりに思い上がりから描いただけなんです。下絵も見たことがありますが、実に適当なものでした。どうデッサンが狂っているか、というより、どこがどれだけいい加減かは、一種の〈間違い探し〉と思って見つけてみてください。

そして、残念ながら晩年の青木繁は、習作の域をでないようなつまらない絵ばかり描いています。絵画という芸術を舐めてかかって、精進しなかった当然の帰結だと私は考えています。

私のこんな否定的な意見は、ほかに知りません。ひとつには、青木繁が二十九歳という若さでなくなった〈夭折の天才〉で、その世界では、〈天才は天才のままにしておきたい〉からなのでしょうね」


私は、先の原稿を編集部に〈メールで送っている〉。雑誌には掲載されていない。それを李伊は、〈雑誌で読んだ〉と言った。

たぶん、丸善李伊は、なにかの伝手つてを頼って私のことを調べたのだろう。そのなかにメールで送った原稿も含まれていた。

彼女は、わざわざ私のことを調べる必要に迫られた。〈いったい、なぜだ?〉


疑問に思った私は、岡野ひとみに電話して訊いてみた。

彼女も、おんな社長から、〈原稿を依頼したいので、伊井尚次郎というひとのことを訊きたい〉と社内電話で呼ばれて、話したという。ひとみは、〈簡単な説明しか出来なかったけれど、たくさん売り込んでおいたから〉と言った。

おんな社長は、ほかにも当たったのだろう。当然、私がいた会社にまで探りを入れた。

私と、大手出版社電昭堂新社の三代目社長との接点て、なにか考えられるだろうか。

〈あり得ない!〉が私の結論だったが、取り敢えず、相手が〈リボン付きの胡蝶蘭〉の李伊なら、喜んで〈インチキ商談〉にも乗ってみることにした。

それで、彼女が指定した場所と時間に、私は出向くことにしたのだった。


旧華族の血筋を引く瑞祥寺家にでも、短パンにTシャツ、スニーカーで出向くのだが、今回だけは、着慣れない麻のスーツを引っぱり出して、身支度みじたくを整えた。

瑞祥寺邸での〈語り部〉というアルバイトを、定刻の五時で終えた後、八時の〈ホテルO〉まで二時間ほどを、節子さんをまじえてのおしゃべりで時間をつぶすことにした。彼女たちは、私の〈居残り〉はいつでも歓迎してくれた。

翔子さんには、〈馬子まごも衣装ね〉とからかわれた。

もちろん、これから私がどこに出向くのか、母子ふたりからしつこく問いただされた。

しばらく曖昧にしていたが、しまいには、〈大手出版社からの原稿依頼があった〉と正直に告げた。

節子さんが、とても喜んでくれた。

翔子さんは、〈そんなことをしなくても……〉と言い掛けて、めた。

瑞祥寺家は、当主の翔子さんと娘の節子さんのふたり住まいだ。

大きなやしきにたったふたりというのは、寂しいだろう。

ふたりのお手伝いさんも、土日は来ない。

私も、平日の二時から五時までの仕事を終えると、〈奈々という事情〉もあって、たいていは瑞祥寺家を出てしまう。

気丈な翔子さんが、つぶやくようにこう言ったことがある。いちどだけだった。

〈いいさんと奈々さん、ここに住めばいいのに〉と。

親しくなるとみなが、私の苗字の〈伊井〉をひらがな風の〈いい〉と発音するようになる。

瑞祥寺家のあるじの翔子さんは、私と奈々が男女の関係にあることは、気づいていた。

それでも、私は、翔子さんと、何回かのセクシャルなやり取りと、二回だけだが、そのものの行為があった。

奈々はそれを知らない。

翔子さんは、奈々のことを気に入っていた。

〈出来れば、ふたりでここに住めばいい〉とまで、彼女は言ったのだ。

娘の節子さんも、別の機会にだが、〈いいさん、奈々さん、ヨーコさん、みかさまも大好き〉と言ってくれた。私は、なんとなくしみじみとしたものだった。

〈ヨーコさん〉は節子さんの友だちから、私たちみなの親しい仲間になったひとで、〈みかさま〉は、その父親だ。

                *

その日は、節子さんが、〈軽く食べて行かれたら〉と言ってくれたので、彼女たちとダイニングルームで、夕食を共にした。

食事中の話題は、もう何度目かの、〈翔子さんの祖父の瑞祥寺海軍中将〉の件だった。

この話は、日本放送協会(NHK)からの、翔子さんへの一本の電話ではじまった。

NHKの取材は今年の三月からあったが、取材時間の割には、ほんの一部しか放映されず、みなでがっかりしたものだった。それでも、翔子さんの祖父である伯爵の瑞祥寺翔太郎しょうたろう海軍中将の写真は画面に出た。

番組は、八月十五日の終戦記念日に放送された〈ドキュメンタリー 戦後七〇年をまたいで届いた いち海軍将校から家族への手紙〉というものだった。

私にもこの話は伝わり、番組を録画して観た。

ただし、二通あるはずの手紙のうち、見つかったのは一通だけだった。

翔子さんの祖父に宛てた封書は、発見されなかった。

番組の内容はこんなだった。


まず、戦時中の中国の上海しゃんはいと〈日本の生命線〉満洲が紹介された。

上海は租界そかい地の時代を経て、太平洋戦争によって日本軍の占領地きょりゅうちとなった。

〈租界地〉とは、〈治外法権の外国人居留地〉のこと。上海は、英国がアヘン戦争の代価として得た後、英米仏による共同租界となり、やがて日本も上海北部の虹口ほんきゅを租界地とした。

一時、上海は繁栄を極める極東一の大都市となり、バンド(海岸通り)に多くの摩天楼まてんろうが建ち並んだ。その裏では、法規制がゆるかったことから、中国の秘密結社である青幇ちんぱん紅幇ほんぱんなどによる麻薬、売春、殺人の請負うけおい賭博とばく横行おうこうし、混沌こんとん魅惑みわくの都市上海は〈魔都〉と呼ばれるようになる。

上海ギャングの青幇は、上海に集まる阿片あへんを最大の資金源に、一時は中国全土の麻薬取引を支配するまでになった。

その後、日中戦争がはじまり、上海は日本軍の統制下に置かれたが、一九四五年、戦争に敗れた日本は上海から撤退し、当時あった莫大な日本の資産は、中国共産党に接収され、〈魔都上海〉はすっかり消えることになる(一九八〇年には、上海租界を舞台にしたレスリー・チャン主演の香港映画『上海グランド』が公開され評判になった)。

〈日本の生命線・満洲〉とは、〈五族協和・王道楽土〉を掲げた日本の傀儡かいらい政権による満洲国(現中国東北部)のこと。

〈五族協和〉の五族とは、日本人・漢人・朝鮮人・満洲人・蒙古人をいい、協和とは、五つの民族が、平等に協調して暮らす理想の国を目指すという満洲国建国理念のひとつ。

王道楽土おうどうらくど〉とは、満洲国に、楽土(理想国家)を、王道(東洋的徳による統治)によって建設するという意味。ともに日本人にとって都合のいいスローガンでしかなかった。

〈満蒙(満洲と東部内蒙古うちもうこ)は日本の生命線〉という標語が踊り、日本からの開拓団や、満州国建設に一役買った元陸軍憲兵大尉甘粕正彦あまかすまさひこ、アジアのマタハリと呼ばれた男装の麗人れいじん川島芳子、〈満映〉(満洲映画協会)の女優李香蘭りこうらんと話題には事欠かない。

ただ、終戦間近の一九四五年八月一〇日、〈日ソ中立条約〉を一方的に破棄したソ連軍の満洲侵攻により、関東軍はもとより、多くの開拓移民たちの日本への〈死の脱出行〉がはじまる(この番組では、ソ連による日本将兵のシベリア抑留よくりゅうには触れていなかった)。


物語は、終戦の半年前、日本軍占領下の上海から、二通の手紙が日本に向けて投函とうかんされたことからはじまっている。

発信人は、満州から上海経由で帰国する予定だった海軍中尉の秦野はだの誠、二六歳。

届かなかった両親宛の手紙が、今年の初めになって発見された。

主な内容は、〈満洲から大陸を縦断して、今日上海に着きました。これから帰国の予定です〉とあるほかに、〈長く目を掛けていただいた瑞祥寺翔太郎海軍中将宛に海軍省気付けで詳しく手紙を出してあるので、そちらから話は伺って欲しい〉とあった。

翔子さんが番組担当者から聞いた話では、戦時中の海外からの封書は、かならず検閲があるため、重要なことは書けないので、〈海軍省気付けで海軍中将宛ならそれがない〉ということらしかった。

差出人の秦野中尉は、手紙を投函したその日に戦死していた。

当時、家族の許に届いた死亡通知によれば、秦野中尉は、〈二月七日に上海の地で戦死〉となっていた。

上海の新聞を調べた番組スタッフによると、〈日本軍のふたりの将校と上海の新聞記者、大陸浪人ほかが、中国人匪賊ひぞくによって襲撃され、将校ふたりが殺害された〉とだけ書かれていた。二月八日の朝刊だった。

その後、スタッフが追跡調査したところ、〈日本人の若い新聞記者と大陸浪人と称するおとこは、銃弾のかすり傷程度で助かっていた。また、襲撃された一行は、その日のうちに上海港を出港する予定だったらしい。いくら調べてもその四人の名前は分からなかった。上海の日本軍は発表させなかったようだ〉という。

ただ、当時、上海で殺害された海軍将校といえば、秦野誠中尉だけだったことから、この新聞記事の将校のひとりが、手紙を投函した本人ということになった。

番組は、戦後七〇年をまたいで親族の許に届けられた一通の手紙を主人公にして、終戦間近の上海、満州のフィルムを交えながら、ドキュメント仕立てに〈戦時模様〉が語られていた。

NHKによると、秦野中尉は、戦地におもむくまえに結婚していたが、子どもはなく、両親もすでに亡くなっていた。そのため、封書は親族の許に届けられることになった。

手紙が届けられたところで番組がはじまり、そして終わっていた。

〈中国人匪賊〉とは、当時の中国人の非正規な抗日こうにち武装集団を、日本側から見て賊徒ぞくととしたことからの呼称。

〈大陸浪人〉とは、おもに先の戦争中に中国大陸で私的に政治的活動を行っていたひとびとのこと。


これは、翔子さんから聞いた話だが、瑞祥寺翔太郎海軍中将は、満州事変から一貫して〈戦争不拡大〉を唱えたため、大将になっていてもおかしくない人物が、〈中将止まりだった〉と。

また、祖父の膝に抱かれた三歳のときの翔子さんの写真を見せてもらったことがある。彼女は、祖父の膝の上で、いかにもご満悦というか、威張ってでもいるように写っていた。

彼女の父親も、終戦時、海軍中尉だったと聞いた。祖父母、父母ともに亡くなっている。

私は、何度目かの同じ質問をしていた。

「おじいさん宛の手紙は結局、届かなかったんですね?」

「母もなくなっていて、そんな昔のこと、知るよしもないでしょう。それでも、放送局のひとに言われて、節子といっしょに北側の土蔵をのぞいてみたんだけど、一時間もしないうちにギブアップだったわ」


ここで、やがて出てくる瑞祥寺邸の説明をしておこう。(ただし、邸内の描写は、以前に書いたものをそのまま転載てんさいしている)

瑞祥寺邸の敷地が、当初は二〇〇〇坪くらいかと思い込んでいたが、それほどではなかった。せいぜいが、サッカーグラウンドの三分の二くらいの広さしかない。つまりほぼ一五〇〇坪だ。正門のある表側が横八〇メートルほどで、奥行きが六〇メートルといった程度だった。裏口は古い大きな長屋門になっている。

敷地の東南側半分以上が日本庭園になっていた。いくつもの築山つきやま塀際へいぎわに巡らされ、保存樹指定のかしの大木が三本あって、石橋の架かった広い池がある。また、故あって桜の太い切り株が八本もある。

中央やや北側寄りに、元M邸を移築したという豪壮ごうそうな洋館が建ち、広い前庭の右手は大きな薔薇園ばらえんになっている。その左奥には、白壁の土蔵と、もっと奥に孟宗竹もうそうちくに囲まれた茶室の藁葺わらぶき屋根も垣間かいま見える。さらに奥には、来訪者用の広いガレージがある。

瑞祥寺家の現在の当主である翔子さんから聞いた話では、娘の節子さんが小学生のころまでは、港区の青山に自宅があったが、周囲の喧騒けんそうに腹を立てた父親が、会議用の別荘として建ててあったこの地に引っ越してしまったのだそうだ。三〇年前は、周囲はまだ畑と竹林ちくりんがたくさん残っていたという。


ついでに、瑞祥寺家当主の翔子さんについても書いておこう。(これも以前に書かれたものの転載で済ませた)

彼女は、現在六六歳。父親の残した三大財閥ざいばつにつながる大会社の筆頭株主としての実質的な社主だった。実務には一切関わっていなかった。経営は瑞祥寺家の養子で五年前に亡くなった逸次いつじの親族、たちばな家に委されている。

彼女の髪は半白はんぱくなのだが、肌が白いせいか地毛がブラウン色で、見た目は白髪の感じがしない。肩ほどの髪をうしろでひっつめて、黒色のリボンで無造作に括っている。

身長が一五〇センチ弱と小柄なぶん、顔も小さい。

一重瞼ひとえまぶたが涼しげで、眸はうるんだようにきらきらと輝きを放っている。透けるように白い頬に、興奮したときなど、薄茶色の雀斑そばかすが浮かび上がることがある。桜色の口紅に、頬紅ほおべにが少々。肌が白いだけに、そういった赤色が目につく。少女が悪戯いたずらで化粧をしているような、初々ういういしい色気があった。

もちろんいまでも彼女は、私の〈聖女マドンナ〉だ。


                2


私は、〈ホテルO〉の地階にある中華料理店『凜王りんのう』に入った。

今日は〈予約で満席〉と表示されている。

予約は、私の名前で入っていた。

午後八時だというのに、なかは、やけに静かだった。

チャイナドレス姿の女性に、薄暗い通路をずっと奥まで案内されて、中華風の唐紙からかみから一段上がった和室に通された。

紫檀したん塗りの丸い座卓の左手、上座に席を勧められた。

部屋の左右が、やはり唐紙で仕切られている。

これでは、話は隣りに筒抜けになる?

しかし、店内に話し声はまったくしていない。〈これでも予約で満席ということか〉

クーラーがいていた。

上着は着たままにして、おしぼりを使った。

丸善李伊まるぜんりいはまだらしい。

案内してくれた係の女性が飲みものをいて来た。

瓶ビールを頼んだ。

中華風の煮凝にこごりが付きだしで出た。

私は、それをつまみにビールを飲んだ。

十五分待った。

瓶ビールも煮凝りもからになった。

私の正面のふすま越しに、声がした。

〈失礼しますね〉

声といっしょに、作法通りにひとりの女性が入って来た。丸善李伊だった。ひとりだけだ。本来ならいるべき担当編集者も連れていない。

李伊はサングラスをして、係の女性と似たチャイナドレスを着ていた。

彼女のそれは錦糸きんし刺繍ししゅう贅沢ぜいたくに施された紫地をしている。いかにも豪華そうなドレスだ。

スリットは太腿ふとももの上まで入っていて、ストッキングをつないでいるガーターベルトまで見えた。

セミロングの茶髪には、派手なパーマがかかっている。

小さな白いハンドバッグと別に、大きな紙袋をげている。

立ち上がろうとした私を制して、彼女は向かいの席にすわった。

私は、居住いずまいをただした。

サングラスを外した李伊が、言った。

「伊井先生、お呼びだてしておいて、ほんとうに申し訳ないのですけど、どうしても至急、社に戻らないといけなくなって……」

〈どうぞ〉と言い掛けた私をまた制して、彼女はこう言った。

「原稿はお願いしたいので、近いうちに担当者から連絡差し上げます」

「それで結構です」

李伊の大きな瞳の黒目が輝いている。

口紅は、きらきら光るルージュだ。

ファンデーションにラメが散らしてある。

「伊井さん、お願いがあるの」

〈伊井先生〉が、親しげな〈伊井さん〉に替わった。

「はい」

「そのまえに、まずこの再会に乾杯しましょう」

李伊は言うと、背後の襖に向かって、〈お願い〉と告げた。すぐに、〈失礼します〉とおとこの声で返事があった。

襖が五〇センチほど開いて、坐ったスーツ姿の〈老人〉が、ふたつのシャンパングラスの乗ったお盆を畳に置いて寄越よこした。三代目のおり役のおとこだった。改めて見ると年齢は七〇歳まえか。落ち着いているからけて見えるのか。肌はもっと若い感じがする。パーティー会場では気づかなかったが、頬骨きょうこつの出たストイックな顔付きをしていた。彼は、なかに入らず、ふすまを閉めた。

李伊は、自分からシャンパングラスの載ったお盆を取りに立った。

スリットから覗くストッキング越しの太腿が、あまりにもあやし過ぎた。計算されたおんなの誘惑が透けて見える。

私は、彼女が背を向けている間に、尻のポケットに入れたハンケチを右手で出して、左のてのひらに握り込んだ。

シャンパンで再会を祝して乾杯だって? どんな阿呆あほうが書いたシナリオか知らないが、これが〈びっくりパーティー〉でなければ、あからさまな〈陰謀いんぼう臭さ〉に鼻が曲がりそうだ。

李伊がグラスを私に勧めて、言った。

「伊井さん、ホテルの上階に部屋を取ってあるわ。一時間少しで戻るから、待っててくださるでしょう?」

私は、あまりの〈茶番劇〉に、よほど席をってしまおうかと、一瞬だけ思った。しかし、最後までこの陳腐ちんぷな筋書きを見届けることにした。

案の定、シャンパンはいちど栓を抜いて、元に戻したものだった。彼女の手間を省いたのか、別の意味があるのか、どちらかだろう。

私は、〈乾杯〉と言ってグラスを合わせた後、右手のグラスの下に左手を添えて下唇の下にハンケチを当てた。もちろん液体を飲んだ振りをして、掌のなかのハンケチに浸ませてしまうためだ。

もともとこのシャンパンなどという飲み物が、少しも好みではなかった。

小さく泡立つ液体が、みなハンケチにみ込んだ。

左手を座卓の下に持って行って、濡れたハンケチを座布団の下に隠した。

口からこぼれたシャンパンを、手の甲でぬぐった。

グラスには、まだ半分以上の透明な液体が残っていたが、彼女は、〈飲みすように〉とは言わなかった。シャンパンの味はもちろん分からなかった。

李伊は、三文芝居さんもんしばいの役者そのままに、大袈裟な仕種しぐさで腕時計を見てから、こう言った。

「伊井さん、お願いがふたつあるの」

「はい」

「ここに」と彼女は、大きな紙袋のなかに手を入れて、小さな白い光沢のある紙袋を取り出すと、テーブルに置いた。

また彼女は、不可解なことを言って来た。

「なかを開けてみてくださるかしら?」

この噴飯ふんぱんもののシナリオは、彼女の手になるのか。

私は、言われるままに、紙袋のなかから透明なケースを取り出した。

大きめのコサージュが入っている。

彼女が言う。

「私が特別にあつらえてもらったものなの。素敵でしょう! 手に取って見てくださる?」

〈怪しいところがないかどうか、中身を確かめろ〉と言っているのだ。〈茶番劇〉に理屈を言ってもはじまらない。

私は、ケースのふたを開けようとした。

しかし、薄いテープで止めてある。

彼女は、さらに私を促した。

テープは貼り直しが効くタイプだった。

そっとがして、コサージュを取り出した。

〈いいセンスだ。白いドレス姿に映えるような彩りをしている〉

彼女はこう言った。

「素敵でしょうっ! これを明日このホテルで結婚式を挙げる友だちに渡すために持って来たんだけど……」

内心〈はいはい〉と私。

「はい」

「まだ、彼女お部屋に入っていなくて、たぶんもうそろそろチェックインすると思うんで、伊井さん、お手数で申し訳ないんだけど、これを彼女に届けてから、お部屋に入ってて欲しいの」

この台本、彼女が考えずに、もう少し優秀なブレインに書かせるべきだったんじゃないかな。これでは、〈女学校の学芸会〉でも不採用になるだろう。

「よくできているでしょう? 鑑賞してくださると嬉しいわ」

私は、言われたようにコサージュを鑑賞した。

〈なんのためにだ?〉

どこにも仕掛けや、奇妙な様子はない。まあいいものだった。

彼女は、〈ケースに戻すように〉と言った。

〈はいはい〉と私。

元の状態に戻した紙袋を李伊に返した。

彼女は、大きな紙袋にそれを入れると、後ろを振り向いて、〈×かたさん〉と呼んだ。名前はよく聞き取れなかった。

さっきの老人は隣りの部屋に控えていた。

襖が開いた。彼女は、〈これ、後で伊井先生にお渡しするよう受付に〉と告げて、紙袋をたたみに置いた。

〈受付で渡すって? これからいったい、どんな細工をしようっていうんだ?〉

彼女はまた時計を見た。

「もう行かないと。それで、ちょうど一時間したら……」李伊は言うと、バッグから部屋のカードキーを出して私に見せた。「8006号室がお友だちのお部屋で、伊井さんに待っていただくのはその三つ先の8009号室なの。これで入っててくださる?」

彼女はテーブル上にカードキーをすべらせて寄越した。

そして、かすように、〈ポケットにしまって〉と言った。

私は、素直にそうした。

彼女がサングラスをして、立ち上がる。

私も立とうとした。

すると、李伊は、〈料理を用意してあるから、少しでも召し上がってから行って〉と言って来た。それから、〈支払いは済ませてあるから。受付でコサージュの袋だけ持って出て〉と。

彼女は、〈ちょうど一時間後に8009号室で〉と念を押すと、入って来たふすまから消えた。


〈なんて身勝手なおんなだ〉とは私は言わなかった。

私は、これほど〈子どもだましのトリック〉が、現実にあるのかと疑った。

〈事実は小説より奇なり〉と言うが、それにしても、どうかしていないか。

私は、Yシャツのポケットに入れた部屋のカードキーを出してみた。

案の定そのカードは、8009号室のものではなく、8006号室とあった。

つまり、彼女の〈お友だち〉が泊まる予定の部屋番号だ。

〈どういう意味があるんだ?〉

廊下側でおんなの声がした。私は、返事した。

係の女性が部屋に入って料理を訊いて来た。

私は、〈もうすぐ出る〉と伝えた。

彼女は、残りの入ったシャンパングラスのほかを下げた。

私は、改めてグラスの中身をいでみた。特別のにおいはしない。

それでも、念のため、グラスの指紋しもんき取った。

座布団の下から、濡れたハンケチも手に戻した。

李伊がトリックを仕掛ける時間分くらいは、ゆっくりした。

それから、受付で、言われたようにコサージュの入った小袋を貰って、中華店を出た。

〈予約で満席〉が解除されて、客が入り出している。

八時四〇分だった。


私は、エレベーターに向かいながら、安全担保のために、奈々に携帯で電話した。

彼女は、まだ会社だった。

私は、簡単にこう伝えた。〈いまからホテルOの8006号室に、コサージュの入った紙袋を届けてから、戻る。なにかあったら、ホテルを当たるように。それと、電昭堂新社の社長の丸善李伊について、美濃村みのむら先生に調べてもらうよう頼んで欲しい〉と。

〈美濃村先生〉とは、美濃村武司弁護士のことで、瑞祥寺家と彼女の会社の顧問弁護士であり、節子さんの〈いとこ叔父〉にあたるひとだ。

彼は、現在六八歳(六九になったか)。もと〈検事正〉をつとめたことのある〈ヤメ検弁護士〉。私がいろいろ助けたことになっている美濃村三司さんじ(正しくはみつしなのだが、親しくなると発音のしにくさに、みながさんじと呼ぶ)は、彼の三男で末っ子だ。

瑞祥寺家を介してはじまった彼らとの付き合いも、すでに一年になる。


エレベーターに乗った。

私は、八階ではなく、ひとつ下の七階のボタンを押した。

小さな紙袋を指先で摘んで、上げ下げした。

テーブルで持ったときより、ほんのかすかに、重くなっている。五グラムくらいは重い。いや、三グラムか……。つまりほんの少しということだ。

ロビーで四人が乗って来た。三人がおとこだった。

彼らがみな敵に見えて仕方がなかった。〈陰謀〉のなかにいると、疲れる。

左手にはまだシャンパンを含んだハンケチがある。

七階で降りた。エレベーターホールも通路も無人だった。

トイレを探した。

洗面所のあるホテルだった。

なかにはだれもいない。

洗面台でハンケチをなんども洗った。きつく絞って、尻のポケットに戻した。

個室に入った。

蓋をした便座に坐ってももの上で、コサージュを紙袋から出した。

いまさら指紋をぬぐっても詮無せんない気がして、そのままにした。

ただし、〈数グラムの重さ〉は確かめなくてはならなかった。

両手の指先で、がさがさと造花を押し広げて行った。

いちばん奥に、折れ曲がった小さなビニール袋が蛍光灯の明かりを反射している。

つまんで出した。

中身は、三グラムほどの白い粉末だった。

迷わずビニールの袋を破って、粉を便器に捨てた。ビニール袋もついでに落とした。

水を流して個室を出た。

ズボンのポケットから、8006号室のカードキーを出すと、指紋を拭ってから、トイレのゴミ箱に投げ入れた。

〈これでいい。ついでにおしっこもしてから行こう〉

私は、ひとつだけ大きな武者震むしゃぶるいを感じた。

〈いざ出陣しゅつじん〉ということか。

果たして、8006号室ではなにが待っているのか。


エレベーターを待って、一階分上がった。

八階のエレベーターホールには、新婚風の若いカップルが待っていた。私は、乗ろうとするふたりにかされるように、すぐに降りてしまった。

カップルが乗り込んで扉が閉じた。

私は、改めてこう考えた。〈戻るならいまだ〉

一瞬、奈々と節子さん、翔子さん、ヨーコさんの顔が浮かんだ。不思議と、息子、娘の顔は出て来ない。みな伴侶はんりょが出来たからか。もちろん、別れた女房とそのお袋さんの顔は、あり得なかった。

通路に出た。右も左も人影はない。私は、左手の短いほうの廊下を進んだ。

すぐに、ベッドメイク用のシーツやカバーを保管しているリネン室のまえに出た。

明かりがともって、ドアが開いたままだ。〈なんて分かり易いんだ〉

そこからふたつ先が8006号室だった。

私は、紙袋を胸にして、ドアホンを押した。午後九時ちょうどだった。

返事があった。

すぐにドアがなかに開いた。

出て来た〈花嫁〉は女性ではあった。ただし、ほぼスッピン顔の三〇台半ばのおんなだ。

上下が黒のスーツで、身長は一六〇数センチと高い。パンツの太腿部分が競輪選手のように張っている。きたえ抜かれたからだだ。ひっつめ髪のおでこが光っている。まあ愛嬌あいきょうのある顔立ちはしていた。

私は、〈届け物に来た〉と告げた。

おんなは〈どうぞ〉と言った。

私は、後戻り出来ない状態に気づいた。

後ろにふたりのおとこが私の退路を断っていたからだ。リネン室から来たにちがいない。


なかには背広が三人もいた。みなおとこだ。おんなと、背後のふたりを合わせると、六人かりということだ。

そんな大事おおごとだったのか。

室内はツイン部屋のようだ。ひと部屋にこれだけいかついおとこたちがいると、息苦しかった。ひとりは髪をオールバックにした若い優男やさおとこだった。

七人とも立ったままだ。〈なんて愛想がないんだ〉

おんなが、私の紙袋を指してこう言った。

「これはあなたのなのね?」

私は、言わずもがな? 訊かずもがな? のことを訊いた。

「あなたたちは?」

六人のうち、五人が警察手帳を示した。年配のおとこが、〈警視庁の組織犯罪対策部の刑事〉と名乗った。

この警察手帳という代物、なんともみっともないデザインだ。

私は、いちばん若いオールバックの優男に向かって、言った。

「あなたは?」

やや年配の刑事が、〈まあいいでしょう〉と言ったが、私は応じなかった。

「……」と私は返事を待った。

「彼は」といちばん歳の行ったおとこが言う。「検事局から……」

それで私は、言ってやった。

「私が被疑者になるまえから検事さんが来ているなんて、手回しが良すぎませんか」

やや年配のおとこが言う。

「その紙袋の中身を確かめさせて欲しいんです。そちらを先にしましょう」

私は、〈後で、検事を問題にする〉と言ってやりたかったが、めにした。

官憲に調べられたとき、いちばんにやってはならないことがあることはわきまえていた。

〈こうすると、過酷な取り調べや冤罪えんざいに直結する〉と、長い読書体験のなかから知識としては知っていた。

〈こうすると〉とは、相手に、〈こいつ生意気なやつだ!〉とにらまれることだ。これだけで、冤罪や拷問ごうもんの被害者にたちまち近づいてしまう。

私は、素直に彼らにしたがうことにした。

ゴージャスなブーケがすっかり無惨むざんな姿になってから、やっと彼らはあきらめたようだった。

おんなが、〈ポケットの中身をみんな出してもらえるか〉と訊いて来た。

みな出した。

おんなが私のポケットをみな確かめた。

彼らは、8006号室のカードキーを期待したようだが、もちろん出て来なかった。もしそれを私が持っていたら、なんだと言うのだろう。〈麻薬の売人がブツを届けに来た〉とでも、でっちあげる積もりだったのか。李伊の書いたシナリオは穴だらけだ。

こんな沈滞ムードを、若い検事が壊した。

「尿検査をするために、警察まで任意で同行……」

私は、言った。

とらきつねと言われても構いませんが、そのまえに、美濃村武司弁護士に電話してもいいでしょうか」

オールバックの若い検事が嫌な顔をした。

〈このおとこ、私と美濃村弁護士の関係を知っている?〉

年配の刑事の独断で、私は帰っていいことになった。

おんなが申し訳なさそうに、無惨むざんにほじくり返されたコサージュをケースに入れて、私に渡そうとした。〈捨てて〉と私。

彼女は、ドアまで送ってくれた。

私は、ドアを出掛かったとき、小声でこう言った。

「私と取り引きしませんか」

おんなが怪訝けげんな顔になった。

私は続けた。

「いちどだけ、私とデートしてもらえませんか」

彼女が、〈バカバカしい〉と言った顔をした。私は、続けた。

「もし応じてくれれば、このことはなかったことにします。約束します。イレギュラーな検事の立ち会いにもなにも言いません。もちろんなかの公務員たちには内密ということで……」

彼女が後ろを振り向いた。刑事たちは離れている。

私は、ダメ押しをした。

「さっき名前を挙げた美濃村武司弁護士は、検事正まで務めた〈ヤメ検〉で、私は懇意こんいにしてもらっています。あなたの裁量さいりょうひとつで、私を引っ掛けようとしたこの件は外に出ません」

彼女の後ろで、ふたりのおとこが動いた。

おんなは私をドアから押し出した。ただし、彼女もいっしょだった。

私は、自分の携帯番号を表示して見せた。おんな刑事は、番号を教えてはくれなかった。

彼女は、一瞬で暗記した。私が〈すごい!〉と驚いて見せたところ、彼女は算盤そろばんの一級資格を持っていて、数字を算盤のたまに置き換えて暗記するのだという。〈十一桁ならたちまち珠の形で覚えておける〉と自慢してみせた。

彼女はけっこう気さくなタイプだった。期待してもいい?


ホテルを出て、徒歩で地下鉄駅に向かった。

大使館や大きなビルの建つ暗い静かな道だった。

少々、後ろが気になったが、なにも起きなかった。

坂道を降りきったところで、携帯が震動をはじめた。

相手は〈未登録〉だったが、電話に出た。

おんなの小声がこう言った。

〈伊井さん? やっぱりお会い出来ないわ。あとで知れたら私、首になると思うから〉

私は、了解した。ただし、〈気が変わることを期待している〉とは告げておいた。

奈々には連絡した。午後九時三〇分になろうとしている。まだ彼女は会社だった。

新宿駅の駅頭で落ち合って、奈々のマンションに向かうことになった。


新宿駅までの十五分で、こう考えた。

まずいちばんの疑問は、〈私を麻薬所持で逮捕する必要があった〉というものだった。

〈なんで?〉

それを企んだのが、大手出版社電昭堂新社の三代目おんな社長丸善李伊だった。

〈なんで?〉

彼女のちからだけで、警察や検察を動かせるものだろうか。

あのオールバックの検事は、私と美濃村先生の関係を知っていた。それが顔に出た? これは収穫のはずだ。それとも、美濃村武司という名うての正義漢弁護士が、たんに苦手な検事なのかもしれない。まあどちらかだろう。

時間は遅かったが、地下鉄を降りたところで、美濃村先生の携帯に連絡した。

彼は、まだ弁護士事務所にいた。

私は概略を説明した。

美濃村弁護士は、オールバックの若い検事の名前を訊いて来たが、私は、〈教えてくれなかった〉と答えた。

次に、刑事たちの所属と名前を訊いて来た。

私は、〈警視庁組織犯罪対策部と言っていたと思う〉と答えた。名前で記憶しているのは、先のおんな刑事だけだった。彼女の警察手帳には、〈警部補 三田 朝子〉とあった。分かりやすい名前のお陰で、なんとか覚えていた。〈こんな大事なときに、ちゃんとひとの名前くらい確認すべきだろう!〉と冷静な私が、いい加減な私をなじった。

最後に、〈これから三〇分後には帰宅していると思います。もし、なにか分かりましたら、夜分申し訳ありませんが、おしらせいただけると嬉しいです〉と告げた。

先生は、〈それでは三〇分ほど後で〉と答えてくれた。

私は、プラットホームで携帯を閉じた。

奈々は、会社から十五分あれば新宿駅に着く。

彼女が近づいて来る。


〈奈々〉とは、こんなだった。

名和奈々、四〇歳。職業は編集者。私の一〇年来の彼女であり、最初の五年が不倫関係、その後はフツウの男女関係にある。私は離婚して五年になる。元女房は実家に戻って、母親と自由な生活を楽しんでいるはずだ。

彼女の出身地は、島根県の出雲いずも。肉感的で、小麦色の肌の奈々は、瑞祥寺家のふたりとはまるで対照的に野性的で挑発ちょうはつ的な色気を発散している。身長は一六五センチ。長いこと彼女が高校時代、剣道部だったことを知らなかった。

顔は、柔らかなベース型をしている。あごがすこしだけ張って、意志的というより意地っ張りさを物語っている。鼻は低からず高からず、ほんの少しだけ目尻が垂れている。その分、性格が穏やかな印象を与える。美人ではないがキュートで、黒のスーツに黒のタイトスカートが似合うマニッシュな女性だ。背中のラインが綺麗で胸がでかかった。


今日の奈々は、薄手のジャケットに下がボーダー柄のTシャツ、膝丈のショートパンツだ。

いつもなら、柔らかい笑顔で来るのだが、さすがに表情が固い。

私は、電車のつり革につかまって、これも概略を説明した。

奈々は、〈おんな社長と会うなんて、聞いてなかった〉と少々むくれた。

彼女は、私が〈おんなと会うことを隠していた〉と怒っているのではない。〈そんな面白そうなことを、事前に教えてくれなかった〉と責めているのだ。

彼女の信条は、〈なおのしあわせは、私のしあわせ〉(奈々は私を尚次郎のなおと呼ぶ)というものだが、それは、〈なおのしあわせを私にもお裾分すそわけしてね〉という裏がある。つまり、〈なおだけで楽しまないで、いっしょに遊んで〉ということだった。

今回も、私への心配は半分くらいで、後は、〈自分も楽しみたいのに教えてくれなかった〉とむくれたのだ。

奈々が言った。

「でもなんで電昭堂の李伊社長が、なおなんかにちょっかい出す必要があったのかしら?」

〈なおなんか〉で悪かったな。

「電昭堂は、戦後つぶれかかっていた出版社で、李伊の祖父が買い取って再生させたから、いまは電昭堂新社って言ってる」と私。

「でも電昭堂って言えば、総合出版社のなかでもかなりの大手よ」

私も出版社をいくつか経ているので、その辺は奈々に言われなくても分かっている。

「まあね」と私が曖昧あいまいな答え方をしたのが、奈々に引っ掛かった。一〇年以上いっしょだと、微妙なニュアンスまでかぎ分けてくる。

「去年、またパーティーに行ったのね」

「呼ばれるから行ってる」

「ふーん。それで丸善李伊に紹介された」

「一〇回くらいになるけど、はじめてだったな」

「だれに紹介されたって言ったかしら?」

「担当編集者」

「おんななんだ」と奈々がからかう。「知らなかった」

「どうしておんなって……」

「なおがことさら隠すって、都合が悪いからでしょう?」

「なんで俺が都合が悪いなんてことがあるっ?」

「李伊社長に紹介されたのって、たまたまだったのね?」

「あれは偶発ぐうはつ的だったと思う」

「てことは、今回、覚えているはずのない伊井尚次郎先生に、おんな社長直々によ、ご指名が掛かったのって、なぜかしら?」

「なにかで俺の名前が上がった。そのとき、李伊は、〈そう言えば、名刺交換したことがあるかも〉って思い出したんじゃないかな。つまり、なにかが先にあって、俺の名前が後に来た」

「なおは、そのなにかに利用されたってことね? でもなんでなおを逮捕する必要があったの? それも麻薬に引っ掛けてなんてっ!」

「それがさっぱり分からない」

「なんの得があるのかしら? なおなんて小者こものを引っ張って……」

〈こんどは小者か〉

私たちは、私鉄に乗り換えた。


あのとき、白い粉末を捨てていなかったら、私は、初犯とはいえ、〈違法薬物所持の現行犯逮捕〉として、懲役ちょうえき一年六か月から三年以下、まあ執行猶予しっこうゆうよがつくとしても三年から五年の有罪になっていただろう。

たぶん、美濃村先生が弁護してくれれば、例えば、〈私に違法薬物であるという認識があったかどうか〉を争って、うまくすれば無罪になっていたかもしれない。

もちろん、シャンパンのなかに妙なものが混ざっていて、私がそれを飲んだりしていたら、話はちがっていたと思う。尿から違法薬物が検出でもされたら、〈認識がなかった〉では済まないからだ。

私は、李伊の陳腐ちんぷな筋書きを怪しんだお陰で、逮捕はまぬかれた。

そう言えば、あのとき検事が〈任意同行で尿検査を〉と言い出したとき、年配の刑事がそれを止めた。

粉末の入ったビニール袋も、8006号室のカードキーも出て来なかったことで、彼らはあきらめたのだ。これ以上の無理は〈やばい〉と感じたのだろう。

つまり、どこからかの圧力か、拒めない理由があって、彼らは気の進まない捜査にやって来たのではないか。

私を引っ掛けようとしたのは検事のほうで、警察官は協力しただけか。

あのオールバックの優男やさおとこが、〈だれにつながっているか〉を突き止められれば、なぞが解けるかもしれない。

もちろん、裏に丸善李伊がいるのは分かりきっているから、彼女を締め上げれば、そのほうが確実だとは思う。ただ、そんなことが出来るとはとても思えなかった。

だいたい、私が彼女にうらみを買うようなこころあたりは、まるでない。

この陰謀は、私がターゲットではなく、本命はほかにあるということだ。


私鉄のS駅から歩いて五分の奈々のマンションに入った。二階のはしだ。

彼女はいちばんに、ベランダのガラス戸をいっぱいに開けて、網戸にした。

私が洗面所で手を洗って、居間に入ったところで、携帯が震動を《しんどう》はじめた。

〈美濃村先生〉と表示している。

着慣れないジャケットを脱いで、〈ガラ携〉を開いた。

私は、いつものように、ベッドを背にした丸いちゃぶ台をまえにして坐った。

美濃村弁護士はこう言った。

〈検察にも独自の捜査権があって捜査に当たる場合もある。だからイレギュラーとばかりも言えないが、伊井さんのようにまったく過去がシロなのに、逮捕の現場に検事がいるのは、やはり妙だ。電昭堂の丸善李伊社長や、刑事の三田朝子については、明日まで待って欲しい〉ということだった。

先生には、たくさん感謝のことばを告げて、通話を終えた。


奈々が先にシャワーを浴びてバスルームから出て来た。まるで〈カラスの行水ぎょうずい〉のように早い。

髪の毛をタオルで拭きながら、ノーブラにタンクトップ、ひらひらのショートパンツ姿に着替えていた。

背中から腰へ伸びる綺麗なスロープがたまらない。でかいバストにもそそられる。

私は、柄パンひとつになって、浴室に向かった。

寝しなに奈々がこう言った。

「なおは、麻薬の違法所持で、逮捕されそうになったのに、李伊社長にはあんまり怒ってないって、なんで?」

私は、こう答えた。

「あまりにも子どもだましで、怒る気にもなれないからさ」


                3


翌朝、例によって、八時半に玄関先で奈々を送り出してから、もういちど考えてみた。

ベランダを網戸にして、ベッドを背に、丸いちゃぶ台のまえだった。

ぬるくなったコーヒーを一口飲んだ。

ひとつは、〈警察は単に利用されただけか〉というものだ。

刑事たちは、〈たれ込み〉を信用して張っていただけだった? 

彼らが鵜呑うのみにするような筋からの情報となると、現場にいた検事がいちばん疑わしい。

そうなると、オールバックの検事と丸善李伊の合作がっさくによるでっち上げだったということか。

今回の出来事は、考えてみれば、貴重で稀有けうな体験だった。

一歩まちがえたら、少なくとも一〇日間の勾留こうりゅうや、否認すれば、勾留延長で一か月近く、留置場にまさしく留め置かれたにちがいない。まあ、美濃村先生が保釈手続きを取ってくれるだろうから、それほど長い拘束にはならないだろうが、それにしても大した被害にっていたところだ。

ちなみに私の〈自由への希求〉は尋常ではなく、三畳ほどの拘置所に三日も拘束されたら、精神に異常をきたすことは目に見えていた。


確かに、私は李伊に対して怒ってはいなかった。

ましてや、怒りに任せて、彼女の社長室にねじ込んだりする積もりなど、まったくない。

警察に〈恐れながら〉といって被害届けを出しに行く? それこそたわけている。

よほど、美濃村武司元検事正もとけんじせい同伴ででもないかぎり、門前払いを食うだけだ。

怒ってもねじ込んでも問題は解決しない。

では、どうしようというのか。

簡単だ。李伊がりていなければ、また別のシナリオを考えてくるだろう。

こちらのほうが楽しみだ。

それにしても……。私を逮捕させて、なにをしようというのか。

なんとしても、これは突き止めてみたい。

さて、なにが出来るだろう?

オールバックの検事を探し出して、締め上げてみるとか。まあこれなど無理に決まっている。下手をしたらそれこそ私は留置場行きだ。

気さくな三田朝子に期待してみる。と言っても、彼女から真相が聞き出せるなどとは思っていない。ただ、彼女の反応から、そう捨てたものではない気がしている。 

それとも、丸善李伊に、案内をわず、それも知らぬ顔でとつぜんぶつかってみるか。彼女が、どんな反応をするかだけでも見てみたい気はする。


これから、午後二時の瑞祥寺邸までの時間をどう潰そうか。

そう考えたとき、また私と翔子さんの〈以心伝心〉が起きた。

彼女は、午前九時を待っていたかのように、私に電話して来た。

翔子さんは、こう言った。

「いいさん、暇でしたら、少し早めに来ていただける?」

「私も、いまそう思っていたとこなんですよ」

「朝から、調子がいいこと」

「ほんとうですよ。いま、〈瑞祥寺邸〉って名前を頭に浮かべたとこなんですから」

「昨日のお仕事の件はうまく行ったのかしら?」

「首尾は上々です。これって、たぶん翔子さんも節子さんも興味津々しんしんだと思いますよ」

「いいさんのお仕事の話が、興味津々?」

私は、少しだけ昨日の〈綱渡つなわたり〉を話した。

「いいさんっ!」と翔子さん。「私はいいけど、奈々さんや節子を悲しませるようなことしたら、許しませんよっ!」

私は、飛んで行って、彼女を抱きしめたかった。

「詳しくはそちらに伺ってから。ところで、翔子さんのほうでもなにか?」

「少し変て言えば、変なの」

私は、気になるので、テーマだけ訊いた。

それは、いましがた、知り合いの美術商から電話があって、〈近々に、文化庁とトーハクの担当者を案内して瑞祥寺邸に伺いたい〉と言って来たというのだ。

〈トーハク〉とは上野にある〈東京国立博物館〉のことだ。

「それがなにか?」と私。

「先週も、その美術商のかたが文化庁のかたとやって来て、……もちろん電話での予約はあったのですが、うちの土蔵のなかの古美術品のリストを……」

「美術商って古くからの知り合いなんでしょうか」

「ええ、祖父の代から、青山に自宅があったころからずっとお願いしていて、あちらももう三代目だったと思うわ。いまでも節子が少しだけお世話になってる」

「私は、そちらの土蔵ってなかを見たことないんで知らないんですけど、収蔵品しゅうぞうひんてたくさんあるのでしょうか」

「戦時中に貴金属といっしょにずいぶんお国に〈供出きょうしゅつ〉したって父が言ってて、それほどたくさんは残っていないけど、改めて作り直したリストでは、ほぼ二〇〇〇点くらいって……」

〈二〇〇〇点!〉

私は、〈取り敢えず、急ぎそちらに伺う〉と告げて、通話を終えた。


瑞祥寺邸は新宿駅から西に向かって、急行なら十八分のM駅にある。

駅を出て、商店街から大通りを過ぎると、左手に白い四階建てのマンションが見える。〈あのときも、夏だった〉と思い出す。その最上階の端の部屋で、ある関西の大学の女性准教授と嵐のような風雨をバックにセックスをした。〈風雨をバックに〉と言っても、ただベランダのガラス戸が開いていただけなのだが。それから一年近くになる。最近になってよく思い出す。彼女、日野若菜わかなはどうしているか。

彼女の弟が、瑞祥寺節子さんのストーカーになって、ここのマンションに引っ越して来た。当時の節子さんは、いまでは考えられないのだが、大坂の通天閣つうてんかく下にある劇場に出演していた。

その節子さんが、劇団に戻りたがっているのを、ずっと停めて来たのが私だった。

いまでも彼女は、ヨーコさんとまた舞台に立ちたいのだろうか。しかし、〈大家の令嬢〉は、やはり〈深窓しんそうの令嬢〉でいるのが、いい。


瑞祥寺邸のインターホンには、その節子さんが出た。

表門のくぐり戸を潜った。翔子さんが、〈せめて潜り戸や玄関の鍵だけでも持つように〉と言ったことがあるが、私は断った。鍵の束は嫌いだった。車のキーが減ったときは、それだけで、ポケットのなかが嬉しかった。合い鍵は奈々の部屋だけでいい。


広い前庭の左手が大きな日本庭園で、右手が節子さんお気に入りの薔薇園だ。さらにその左奥に、白い土蔵が見える。竹林があって、藁葺わらぶきの茶室の屋根が垣間かいま見える。

玄関の一〇メートルほど手前で扉が開いて、小さな翔子さんが姿を見せた。薄墨色うすずみいろの着物姿だ。和服はこれで、……まだ三度目だった。小柄な彼女に和服はよく似合う。

髪にこうがいを一本差している。ボブヘアーでよくあんな髪型が作れるものだ。

八月末の昼下がりの強い陽射しに、彼女は手をひたいにかざした。

彼女の後ろに大きな節子さんも現れた。彼女はその大柄さから、〈現れる〉といった感じだ。

母親の身長がほぼ一五〇センチで、娘がほぼ一七〇センチ。父親がK大の野球部でピッチャーをやっていたというアスリートで、身長も一八〇センチをだいぶ越えていたと聞いた。それで母と娘にこんな身長差ができた。

節子さんの父親はたちばな逸次いつじ。すでに五年前に亡くなっている。節子さんは故あって〈私生児〉だった。瑞祥寺家の当主の翔子さん、若い頃はなかなか大胆なことをなさったものだ。

そう言えば、翔子さんの父親が、逸次を瑞祥寺家の養子にして、その後、彼は養子縁組を解消して戸籍上も橘家に戻ったが、遺産相続については、聞いていなかった。まあ、私には関係ないことだが。

翔子さんが、〈いらっしゃい〉と言った。昨日も会ったのに、久し振りのような言い方をした。

節子さんが、〈いいさん、興味津々のお話、詳しく聞かせてっ!〉と言った。相変わらず屈託くったくを見せない素直なひとだ。ただ、屈託があるとすれば、それは〈劇団に戻りたいのに、いいさんが許してくれない〉というたったひとつくらいと私は、勝手に考えている。

劇団の主宰者しゅさいしゃでヨーコさんの父親のみかさまが、節子さんに、〈伊井さんがそう言うなら、そうしなさい〉とさとしたのも手伝っている。私ばかりが意地悪なんじゃない。


吹き抜けの玄関ホールの右手の壁には、日本画家の小倉おぐら遊亀ゆきの『姉妹』が架かっている。夏らしい絵だ。折り紙を手にした幼い姉妹が、涼しげな格好で並んで座っている。おとなしそうに描かれた姉が節子さんで、少々やんちゃそうな妹が翔子さんみたいだ。

左手の絵がまた架け替わっている。昨日は気づかなかったが、それは、まえと同じ藤田ふじた嗣治つぐはるの油絵で、今回は子どもを描いた小品しょうひんだった。この絵も、左手の応接室に架かった横山大観よこやまたいかんの『富士』も、ともにレプリカではないようだった。

これらの絵画や貴重品は、土蔵にではなく、階段の下から降りる地階の金庫室に保管されているという。もちろん私は入ったことはない。以前、私に必要があって、翔子さんが二十万円の現金を用意したのも、その金庫室からだった。十五万円は、奈々からあるじに返してもらった。

私と翔子さんは、応接室に入った。

節子さんは、〈いいさん、お昼まえだから、ケーキはいいんでしょう?〉と言った。

彼女はハーブティーをれに厨房に向かった。


応接室は、入ってすぐ左壁に外線も入る邸内電話。

その先に大観の『富士』。

左手に前庭が見える広い窓。

正面の全面ガラス窓は、ベランダから日本庭園に通じている。

今日も窓がみな開け放たれ、クーラーは入っていない。

ベランダ側に、たくさんの小さな花をつけた大きな百日紅さるすべりの木が見える。ここの花は白だった。それと、〈保存樹に指定されてれない〉というたくさんの葉をしげらせたかしの大木。

花の終わった藤棚や、いくつものツツジの築山つきやまも見えた。

右端ぎりぎりに、池の水面みなもが陽光を反射している。

翔子さんは、私に上座のソファを勧めて、並んで坐った。……並んで? いつもなら、彼女が上座かみざのソファで、私と、居ればだが、節子さんが下座しもざ肘掛ひじかけ椅子なのだが。

彼女がこんな言い方をした。

「ねえねえ、いいさん、聞いてっ」

和服姿の翔子さんは、妙にそそられる。それに、〈ねえねえ〉という言い方が、とてもよかった。

彼女はこう言った。

〈長いお付き合いのある美術商から、八月十八日にはじめて電話があった。それが、文化庁の[文化部芸術文化課]の担当官が、瑞祥寺家の所蔵品について調査させて欲しいと言って来ている〉というものだった。

私は、〈なぜ美術商を通じてなのか〉と翔子さんに訊いたところ、彼女は、〈うちの美術品はみなその『秀邑しゅうゆう』という青山の美術商を通じて購入して来たからだと思う〉と言った。

それで、八月二十日から二十三日の三日間にわたって、土蔵の収蔵品目録が作り替えられた。

私は瑞祥寺家のあるじに言った。

「知らなかった」

翔子さんが言った。

「午前八時からお昼までの四時間を使って、三日間だったから。それに、いいさんにお話することでもないと思って……」

「どうなったんです?」

「あちらは、美術商の『秀邑』の三代目と、〈元〉だった文化庁のかたのおふたりと、こちらは、警備会社からひとりと、美濃村先生に相談したところ、〈三司を送る〉とおっしゃってくださったので、それで節子に立ち会わせて、総勢五人で目録のチェックをしたの」

「それが二〇〇〇点だとか?」

「でも、そのうち三〇〇点くらいはお茶の関係。茶器に茶釜や茶筅ちゃせんとか、そういったものが多かった。もちろんお茶碗もたくさん。なかに〈窯変天目茶碗ようへんてんもくちゃわん〉と見間違みまちがう品が一点混じってて、元文化庁のひとが〈腰が抜けるかと思った〉って驚いていたとかって、節子が……」

「目録はすでにあったんですね?」

「ええ、父の時代に作ったもので、その後の出入りがあまりないのに」

「はあ」

「目録に載ってなかったところでは、古い手紙がたくさん出て来たんですって。なかには、勝海舟かつかいしゅうとか、富岡鉄斎とみおかてっさい岸田劉生きしだりゅうせい、横山大観、変わったところでは山本五十六いそろくさんに、石原完爾かんじさん? それに、中国のひとからも何十通とか……、私にはどうせ読めないんですけど、いろいろ出て来て、美術商のかたも驚かれていたわ」

「か、かつ、勝海舟?」

「まさか、それって、祖父のものじゃないでしょう。曾祖父なのかしら?」

「それで?」

「それで終わりかと思っていたら、今朝も八時によっ! また『秀邑』から電話があって、こんどは文化庁の現役の審議官しんぎかんと、トーハクのなんとかさんとおっしゃるかたと、〈三人で近いうちに、……出来れば今日にでも伺いたい〉って」

「でも、目録のチェックは済んだんでしょう?」

「それが、〈横山大観と富岡鉄斎の『富士』や、小倉遊亀の数点に、『序の舞』をお描きになった……」

上村松園うえむらしょうえん?」

「ええ、その方のとか、川端康成かわばたやすなりさんや白洲正子しらすまさこさん、小林秀雄さんの書簡とかも目録にあるけど、見当たらなかったとか……。そうそう、円空仏えんくうぶつ濱田庄司はまだしょうじつぼとかっては、私の部屋のキャビネットにあったと思うけど、ほかにもフジタツグジ(と彼女は言った)の数点とか、土蔵に見当たらないものがあったからっておっしゃって、〈おやしきの収蔵品も調べさせて欲しい〉って……」

「この応接室の大観の『富士』とかのことを言ってるんですね」

「貴重なものというより、手近に置いてときどき出して見たいっていうものは、みんな地階の金庫室に保管してあるの」

「点数だとどれくらいなんです?」

「さあ、どうかしら……。四、五百とかもう少しかしら? そんなの調べられるのって嫌だわ。だって、金庫室にはいろいろあって……。それは、国税庁にはちゃんと申告してあるものばかりで、痛くないお腹? 探られるみたいで、とっても嫌なの」

「手紙類も?」

「いえ、国税庁では価値を認めないのか、必要はないとかって父が言ってたような気がするわ。だから目録に載せてないものもたくさんあったと思うんだけど……」

「それって、断れないんですか」

ドアにノックがした。ノックの仕方が節子さんのものだった。私が返事をした。

普通にこんなシーンでは、返事なしでドアが開くものだが、私と母親だけだと、節子さんは気を使うようになった。それは、たったいちどだけ、二階の翔子さんの自室のベッドで、母親と、服を着たままだが、抱き合っているところを、とつぜん節子さんがノックと同時に入って来て、こう言われたのだった。〈あら、おかあさん、楽しそうっ!〉と。

それ以来、節子さんは油断しなくなった。

ワゴンテーブルに、三つのハーブティーが乗っていた。私はそれを手伝った。

節子さんが私の前に坐った。

〈イギリスの香り〉がするようなお茶だった。彼女は二二歳から八年間、英国に留学していた。薔薇とハーブティーの研究でもしていたのだろうか。訊いたことがなかった。

「お昼と」と節子さん。「三時のケーキは、綾野あやのさんにお願いしておきました」

綾野さんとは、元Tホテルのシェフをした経験のある、瑞祥寺家のお手伝いさんのひとりだ。

「それって」と私は翔子さんに重ねて言った。「美術商には断ったんでしょう?」

「もちろんお断りしたわ」と翔子さん。「私からじゃなくて、先生に相談したところ、彼も〈断りましょう〉って言ってくださって……」

先生とは美濃村武司顧問弁護士だ。瑞祥寺家の遠縁とおえんでもある。

「先方は承知したんでしょうか」

「文化庁のかたが、〈瑞祥寺家には重要文化財クラスの美術品がたくさん所蔵されていて、それは日本の財産でもあるから……〉とおっしゃってなかなか引かなかったって」

「目録は以前にも?」

「そうなの。〈文化庁とトーハクには古い目録はお見せしてある〉って五年前に亡くなった父が言ってたわ」

「文化庁だけでなく、〈東京国立博物館〉にまで目録を見せてる?」

「父が、陶磁器とうじきとか刀や武具ぶぐを数点〈トーハク〉に寄贈きそうしたことがあって、それで……」

「なぜ〈トーハク〉のにんげんまで?」

「先生がおっしゃるには、〈文化財のきちんとした保存のためにも、出来ればまた寄贈をお願いしたいって〉言ってるって」

瑞祥寺家のあるじと私は、デートでいちど上野の〈東京国立博物館〉に行ったことがある。あのときは、翔子さんは、美術品の寄贈者一覧表示のまえでなにも言わなかった。彼女がなにか自慢めいた発言をしたことを、私はこれまで聞いた覚えがない。この親子の辞書には〈自慢〉の文字はないにちがいない。

節子さんがれるハーブティーは、いい香りだけでなく、口や舌に柔らかだった。

「彼らはあきらめたんですね?」と私。

「どうもそうじゃないみたいなの」と不満顔の翔子さん。

「そうじゃないって、こちらに義務なんてないんでしょう?」

「先生は、〈なにかほかに理由がありそうだ〉っておっしゃって、〈引き下がったとは思えない〉とか……。それで、いいさんにも相談しようって思って。……そうそう」と翔子さんは娘に顔を向けて、「あなたからも、いいさんにお話することがあるとかって言ってなかった?」と水を向けた。

今日の節子さんは、また大胆にショートヘアにしていた。目鼻立ちのはっきりした顔に、その髪型では、まるで宝塚の男役みたいだ。すっと伸びた首から、衣紋えもんけのように張った肩も、今回ばかりはマニッシュに映った。

品のいい黄土色のTシャツはえりぐりがたっぷりあって、ティーカップを低いテーブルに置くときなど、肌理きめの細かな白い胸のはじまりが目に飛び込んでくる。肩紐かたひものないブラジャーらしい。高い位置で張った胸は、堪らなくセクシーだ。

ただし、今日の節子さんはスラックス姿だった。

以前、なんどか、大広間のガラスのテーブル越しに、椅子に坐った節子さんが、スカートの半ばをつまんで脚を組み替えるシーンに出会った。そのたびに、綺麗な形をした真っ白な太腿がちらちら見えたものだ。彼女は、ファッションモデルでじゅうぶんに通用する大柄で美事なプロポーションをしていた。なにより、肌は〈弾力のある白磁はくじ〉のようだった。

私は、節子さんの肌の一部に、以前、彼女の依頼があって直接触れたことがある。いまでは、夢の中のようだ。

「いいさん、そうなのっ!」と元気な節子さん。

「はい」

「今日、母から、〈また美術商のかたから、収蔵品を調べさせて欲しいって言って来た〉って聞いたとき、三司さんじさんと土蔵で立ち会ってて、違和感があったことをはっきり思い出したの」

「どんな違和感でした?」

「あのかたたちは、じくとか陶器類に絵画とかって、どこかおざなりな目録チェックだった気がして、〈そんなものかな?〉って思っただけだったけど、また来られるって聞いたとき、やっぱりあれって変! て感じて、それで……」

「おざなりが変?」

「そう、書類関係にはずいぶん丁寧で、〈美術的価値って反対じゃないかしら?〉って不思議に思ったから」

「書類関係が丁寧だったというと?」私は、この時点で、思い当たるところがあった。「封書とか?」

「いいさん、ピンポーン!」と節子さんが顔のまえに人差し指を一本立てて、言った。

「それってヨーコさん?」と私は少しだけ微笑ほほえんだ。

「そう、よくヨーコさん言ってたわね。なにかっていうと、こうして指を立てて、〈ピンポーン〉って」節子さんが片方の口角こうかくを上げて、いかにも嬉しそうに言った。

翔子さんが口をはさんだ。

「封書って言えば……」

「そうっ!」と私。

「封書って言えばっ!」と節子さん。

「封書って言ったら、あれでしょう」と母親が言う。

「海軍中将ちゅうじょう宛の封書のことでしょう?」と私が、節子さんに向かって言う。

節子さんの二重瞼で黒目がちの瞳が、大きく見開かれて輝いた。やはり親子か、翔子さんの瞳の輝きに似て来たような気がした。

「テレビの番組で言っていた翔太郎お曾祖父じいさまの封書のことっ!」と節子さん。

翔子さんが言う。

「それが土蔵からは出なかったので、もっと調べたいってことじゃないかしら?」

「もし」と私。「節子さんの不審に思ったという印象が当たっているとしたら、そう考えてもいいでしょうね」

「でも」と節子さん。「おかあさん、あのお手紙って、届かなかったって……」

「私は、父からも母からも聞いてないって言っただけよ」と翔子さん。

「NHKの担当者に言われて、いちどはおふたりで土蔵を当たってみたんですね?」と私。

「父が生きていたら、聞けたんだけど」

翔子さんからの〈祖母危篤きとく〉の報せが、英国留学中の節子さんを呼び戻した。彼女が三〇歳のときだった。祖父はもっとまえに亡くなっている。

ドア脇の電話が鳴り出した。内線電話の鳴り方だった。

昼の用意が出来たということだろう。

節子さんが、立ちながら、私と母親を等分に見た。

〈どうしましょう?〉と目で言っている。

私は、答えられなかった。

それは、私も彼女たちといっしょに、〈応接室のすぐまえの階段から続く、地階の金庫室に入っていいか〉は、決められなかったからだ。

翔子さんが、娘に言った。

「綾野さんには、〈一時間ほど後に〉ってお願いして」

節子さんが電話に向かった。

翔子さんが言う。

「いいさん」

「はい」

「たぶん、出ないだろうっていうのが、私のかんなの」

「はい」

「でも、いっしょに探していただける?」

「いいんですか。金庫室に入っても?」

彼女は、不思議な動作をした。私はさいしょそれを理解できなかった。翔子さんは、私とジャンケンでもするように、グーにした手を自分の頬のそばに持って行った。

それでも彼女の表情と相俟あいまって、意味が分かった。翔子さんの顔は、怒って見せていた。

彼女は、私に〈ぶつわよ〉とジェスチャーしていたのだ。どうやら、私の他人行儀が面白くなかったらしい。

節子さんが戻って来て、母親は少女のようなポーズをめて、立ち上がった。


応接室を出て、少しだけ左に行って、階段の下にある目立たないドアのまえに来た。以前、いちど使ったことのある第二応接室の手前の部屋だ。

〈あらいけない。普段は鍵はしてないんだけど、どうしてかしら?〉と翔子さんが言う。〈節子、私の部屋から……〉

節子さんが言う。〈鍵の束は、私のところよ〉

彼女は、廊下を少し行った左手のドアに向かった。

そこは大広間になっていて、そのずっと先に彼女の寝室があり、天蓋てんがい付きの大きなベッドのほかに、パソコンの乗った机や本箱、小型の衣裳ケースがあった。

私は、翔子さんに言った。

の着物でですか?」

「そうね、ちょっとエプロンでもしようかしら」言うと彼女は、厨房の方角に向かった。

しばらく私は、階段下のドアのまえで、待った。

以前、瑞祥寺家のあるじ、つまり翔子さんから、〈金庫室には、金塊インゴットも保管してある〉と聞いたことがあった。

節子さんの部屋に通じる大広間のドアが開く音がした。

それで、気づいた。

〈私の興味津々の話をすっかり忘れている〉

節子さんが五、六個ついた鍵束かぎたばを手にして、やって来た。そしてこう言った。

「いいさんの〈興味津々〉て、もう母に話してしまったのかしら?」

私は、〈それは食後に〉と告げると、彼女は、〈ちょっとだけ教えてっ〉と言った。

それで、〈麻薬の使用か、売人か運び人かで逮捕されそうになった〉とだけ告げた。

彼女の顔が、とても悲しげにくもったので、私は、〈ちゃんと頭を使ったから、こうして無事生還せいかんしてます〉と答えた。

節子さんは、例によって、黙ったまま私にハグして来た。背中で鍵束ががちゃがちゃと鳴った。もちろん、胸のふくらみがいつものとおり、とても気持ち良かった。

翔子さんが、白い割烹着かっぽうぎに、白いマスクをして、同じセットらしいものを手にやって来る。

三人は、割烹着とマスクに、日本手拭てぬぐいをあねさんかぶりにして、古式ゆかしい大掃除のスタイルになった。

節子さんがドアを開けて、明かりをけた。

なかは八畳ほどのスペースで、右手に広い階段と、下った先に踊り場が見えた。

左手には、ほこりよけのカバーをした、たぶん、玄関ホールにあるものと同じロココ調の長椅子が二脚か三脚、保管されている。少々かびと埃の混じった臭いがした。それでも、換気扇かんきせんが回り、軽くクーラーが効いているようだ。

堅いしっかりした木の階段で、三人が並んで降りられる幅があった。

閉所へいしょ狭所きょうしょ恐怖症の私には、助かる広さだ。

〈それにしても、美術商や文化庁は、なぜ直接、手紙を欲しいと言って来なかったんだ?〉

踊り場を廻って階段を降りきると、左右に長い廊下が伸びていた。とくに右手はそうとう奥まで続いている。この宏大こうだいやしきあるじ(翔子さんだが)は、以前私にこう言った。〈金庫室のさきは、厨房の地下倉庫につながっている〉と。

節子さんが、手前の鉄製の扉に鍵を差し込んで、ロックを外した。

ただ、新しく設置したらしい電卓でんたくのような格好の錠前には、翔子さんが当たった。

数字ばんを押しながら、マスク越しに、彼女はこう言った。

「番号は、節子の誕生日を二度繰り返したものだから、節子もいいさんも覚えておいて」

「おかあさん、私は鍵の束といっしょにメモしてあるわ」とマスクをつまんで引っぱりながら節子さん。

「いいさん」と節子さんが続ける。

「はい」

「09030903ですから簡単でしょう?」彼女は、摘んだマスクを顎までずらすと、片方の口角を上げて微笑んだ。

彼女の誕生日が九月三日ということらしい。はじめて知った。あと一週間後か。

〈なんだってっ! 私にも暗証番号を覚えておけってことかっ!〉

主が把手とってまわした。鉄の扉が〈ガチャッ〉と重い音を鳴らした。ロックが外れた。

翔子さんが先に入って明かりを点けた。

内部は、二階の翔子さんの部屋と同じくらいの、三〇畳ほどの広さだった。天井が高い。ここも換気扇が回り、クーラーが効いている。

右手は、いくつもの大きなキャビネットとスライド式のステンレス製の整理棚が、天井の高さまで伸びている。

中央から左には、ガラス戸のついた大きな整理棚が三層になって、大振りな陶器類や刀剣などが収まっている。

左奥に、大金庫の黒光りする鉄の扉が見えた。年代物だ。

以前、翔子さんはそこから、あまり手にしないらしい現金を取り出して来た。そこに金塊も保管されているという。

彼女は大金庫には向かわなかった。

右手のいちばん手前の大型キャビネットが、目指す書簡類の保管場所らしい。

奥から三つのキャビネットの最下段に、〈書簡類①〉から〈書簡類③〉とある。鍵は掛かっていなかった。翔子さん、私、節子さんがそれぞれのケースを開いた。

私の〈書簡類②〉は、昭和のはじめから終戦の二〇年までらしい。すさまじい数の封書が、きれいに整理されて並んでいる。土蔵のものとあわせると、相当の数になりそうだ。

「翔子さん?」と私。「まえにNHKから番組にあった封書を探して欲しいと頼まれたとき、こちらは……」

「頭になかったの。おじいさまの古い封書って言えば、土蔵だとばかり思ってて……」

頭に日本手拭てぬぐい、口にマスク、割烹着かっぽうぎ姿の三人は、よく頑張った。床一面が葉書と封書、そのほか手帳類が、いくつもの山を築いた。

しかし、成果は二通の封書だけで、それも、番組のなかで言っていた日付ではなかった。

海軍中尉秦野誠から、海軍中将瑞祥寺翔太郎宛の封書は、その二通だけが保管されていた。

宛先は、海軍省で、特徴的なのは、万年筆の太い字で〈瑞祥寺翔太郎海軍中将〉と書かれた末尾まつび右横に、小さく〈閣下かっか〉とつけてある。つまり〈瑞祥寺翔太郎海軍中将 閣下〉とある。尊敬のあかしだろうか。

私は、おもに節子さんが作った山のなかから、岸田劉生きしだりゅうせい武者小路むしゃのこうじ実篤さねあつ河井寛次郎かわいかんじろう濱田庄司はまだしょうじ、それに川端康成や小林秀雄、青山二郎、白洲次郎、白洲正子といった名前を見つけては、物欲しそうにその差出人の名前だけ眺めていた。

私たちは、二通の戦利品だけを手にして、約一時間で金庫室から撤収した。


二通の内容から分かったことが以下だった。

秦野誠中尉は、広島県江田島えだじまの〈海軍兵学校〉で、翔子さんの父親と同期だった。

どういう関係で、祖父と秦野中尉が懇意になったかは書かれていなかったが、文面からは、瑞祥寺中将と秦野中尉がともに戦争不拡大派だった点で似ていた。

翔子さんの父親は、厭戦えんせん的な祖父を〈臆病だっ!〉と嫌っていたという。

瑞祥寺邸の日本庭園の〈られた八本の桜の木〉には、そんな確執かくしつが秘められていた。

二通はそれぞれ、終戦の一年半前に上海、一年前に満洲から投函されたものだった。

その半年後の昭和二〇年二月に、秦野中尉は、日本に帰還する旨を、家族と瑞祥寺中将宛に、これも上海から手紙を出している。

家族に宛てた一通が、今年のはじめになって発見されたことから、NHKでは終戦記念日に合わせて番組が作られた。

こう書くと、〈終戦記念日〉はまちがいであって、あれは〈敗戦〉であり、正しくは〈敗戦記念日〉だと抗議するひとたちがいるが、戦争が終わったという意味で〈終戦〉であることもまちがいではない。どちらが勝った負けたと問題にされたとき、そのとき〈敗戦〉と表記すればいいのであって、国民にとって〈終戦〉とは、まさしく戦争が終わった意味で、これはこれで〈どこにもいけないことなどない〉と、私は思っている。

やはり、終戦の年の二月に投函されたという秦野誠中尉から瑞祥寺翔太郎中将への手紙は、届かなかったようだ。

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海を渡った二通の手紙 伊井尚次郎 @iinaojiro

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