第十片

 天狗と戦った日の夜の事。

「本日の昼ごろ、町の子どもが一人何者かによって誘拐されたが、数時間後親の元に帰って来たそうだ」

 九尾家の中にある「当主の間」と呼ばれる広い畳部屋には拓斗と直人の姿があった。部屋の奥にある上座に直人が座り、下座に拓斗が正座する。

「それはようございました」

 拓斗はその言葉に笑みで返す。しかし、直人の表情は険しくなる。

「子ども自身は親元に一人で帰ったそうだ。しかし、どうやって帰って来たのか、何があったのかは一切、覚えていないと話している」

「それは、子どもにとって忘れたくなるほどひどい状況だったのでしょう」

「…こちらからも村中を調査したが、白虎山の中腹付近に戦った跡が残されていた。土には血の跡が残り、黒い羽も見つかった」

 あからさまに探っている。

「だが、驚いたのはそこではない。一番不審に思ったのは木の一部に焼けた跡が残っていたことだ」

 父親が何を言いたいのか。そんなことは分かっている。

「子どもが誘拐されたとき、警告が出ていたはずだ。迎えもよこした。にも関わらず、何故帰ってこなかった。そして、どこにいた」

 そう、これが本題だった。

「どこに。といわれましても、学校にいましたが?連絡通りの場所にいましたが、一向に来ず、渋々歩いて帰りました」

「では、遙人と電話したことについてはどう説明する」

 一瞬笑みが崩れる。この父親は一体どこまで自分を疑っているのか。しかい、この事件の真髄を知らないことからして、遙人が頑張ってお茶を濁してくれたことは明白。

 ならば、兄の自分が踏ん張る他ない。

「それは遙人が心配して連絡をしてくれたのです。時間もおかしくないはずですよ」

「拓斗」

 だが、直人もまた分かっていた。

「次期当主であるお前は、いずれ長い歴史を持つ九尾家のトップに立つ者だ。遙人を含めて、他の者を揺さぶるような行為は決して許されるものではない」

 最初から分かっていたのだろうか。空白の時間の間に拓斗がこの事件に立ち向かっていたことを。これについて、本来はよく立ち向かったと言われるべきなのかもしれない。

 しかし、 直人は何も口にしない。それはつまり、直人がここに拓斗を呼び出したのには他に理由があるということだ。

 拓斗は再び笑みを見せる。

 直人はこの事件を機に、今まで父に隠していた兄弟の秘密について暴くつもりだ。直人が薄々自分達兄弟のことについて気が付いていたことは分かっていたことだった。それは遙人についても同じことが言えた。

「父上」

 だが、悟られる訳にはいかない。

「これだけは申しておきます。本当の事を言えば、私達と父上とでは“背負っているもの”が違います。残念ですが、分かり合うことは出来ません」

「何を言って…」

 反論しようとした直人だったが、突然部屋いっぱいに拓斗が放つなんとも言えない気配が充満して口が止まった。この気配は過去に何度か感じたことがある。この気配はまるで…。

「はいはーい。そ・こ・ま・で」

 しかし、緊張を破るような声に直人は硬直していた体がほぐれていくのを感じた。

「母上?」

 部屋の入り口に目を向けると、白を下地に菊が描かれた着物を纏う夫人、拓斗と遙人の母親の九尾 真由美まゆみが立っていた。

「そんなにぴりぴりしないの。家内の人たちも怖がっているわよ。ご当主も、今日はここまでにしましょう。お夕食の準備が出来ていますから」

 一瞬にしてその場の雰囲気を変えてしまった真由美。そんな自分の母親の姿を見て、思わず笑みがこぼれた拓斗。

「そうしましょう、父上。母上、今日の夕食はなんでしょう?」

「それは見てのお楽しみ。遙人がみなさんの事を待っていますよ」 

 先程までその場を満たしていた気配がすかっかり消え、直人は肩の力を抜いた。

「あぁ、そうしよう」

 だが、決して謎が解けた訳ではない。

 真由美の後ろについて歩く我が子を見て、直人は目を細めた。





「ポカポカだなぁ~蛍」

「はい~~。ぬくぬくですねぇ~」

 あの事件から数日後。舞姫の力もあって、無事に回復した葵。久しぶりに巫女の仕事に戻った訳だが、今日はいつもに増して温かいぽかぽか陽気だった。

 そこで、例の作戦を実行したのだ。

「もうこのまま眠ってしまおうか~」

「だめですよ~。風邪を引いてしまいます~」

 本殿の前にある段差に腰かける二人は、東から昇って来た朝日のぬくもりを感じながらいわゆる日向ぼっこを始めた。

 無心になれるこの瞬間が最高なのである。

「このまま時が止まればいいのにな」

 今日はこのまま仕事をさぼってしまおうか。そんなことを考え始めた時、ふと後ろから声をかけられた。

「楽しそうだね、二人とも」

 裏の屋敷の玄関から出て来た汗を拭く睦月と蓮。どうやら剣の稽古終わりのようだ。思わず葵は跳ね上がるように立ちあがった。まさかの不意打ちだ。

「睦月!」

 睦月の登場に目を輝かせたが、すぐに目をそらした。

「お、遅かったな」

 しかし、頬はほのかに赤くそれが面白くつい睦月の顔に笑みが浮かぶ。

「別に寂しかったとか、そういうのではないぞ。別に…」

「はいはい、分かったよ」

 ぽんと葵の頭に手をのせた睦月。ゆっくり伝わってくる睦月のぬくもりが嬉しくて、恥ずかしくて、どうしたらいいのか迷ってしまう。だが、今まで心配をかけたことを考えれば、おのずと答えは出た。

「睦月の手は…大きいな」

 いつもなら恥ずかしがって頬を赤らめながら振り払うのだが、今日に限っては違う。

「…葵の手が小さいんだよ」

「なっ」

 葵の心使いはとても嬉しかった。だが。

「そんな可愛い顔で見るなんて…反則だよ」

 つい対応に困ってしまう。

 しかし、最後の言葉はあまりにも小声だったせいか葵には聞こえていない。突然動きを止めた睦月を不審に思った葵は首を傾げた。

「たまには日向ぼっこもいいですな」

 一方で、蛍の隣に腰を下ろした蓮は、蛍に倣って一緒に日向ぼっこを始めた。

 こうして改めて二人を一緒に見るととても良く似ていることがよく分かった。

「そういえば、紫貴を見たか?まだ見ていないのだが」

 こうして葵が日向ぼっこをしているのもまだ紫貴に呼ばれていないせいでもあった。確か、葵は今日から本格的に仕事に戻ることは伝えていたはずだ。

「僕は見てないよ。蓮は?」

「自分もお見かけしていません」

 どこかに出かけるなら、必ず伝えていくはずだが。

 短時間ならば紫貴の分身(力の一部)を本殿に置いていくことで御明灯村の守護を保つことが出来る。そういう場合はたいてい分身のおもりを葵に任せていくのだが。

「あ、紫貴様でしたら…」

 そんな時、蛍がはっとした顔で口を開いた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る