第十一片

 葵達の日向ぼっこと時を同じくして紫貴はどこにいるかというと…。

「今日は朝からよく集まってくれた」

 地上では見られない鳥達が羽を広げ、休むために立ち寄る木々の根元に目を向けると、そこには土ではなく雲が広がる。そんな雲の上には様々な社が建ち並び、その中でひと際大きな屋敷。その中には天界と人間界の神々が集まっていた。

 ここは地上からは決して拝めない神々の国、「天界」。

「人間界の神々もご苦労だった」

 その屋敷の大広間。一人の神を中心に二列になって神々が腰を下ろしており、そんな神々の目の前には朱塗りの善が置かれ、その上には多くの料理が並んでいた。

「改めて、私は大国主おおくにぬし出雲いずも大社の主にして、日本の神をまとめる任を持つ。皆、よろしく頼む」

 中心にいるという神がこの大国主である。

「全く、相変わらず偉そうなやつだな」

 そして、紫貴はどこにいるかというと、その二列の中腹に舞姫を横に腰を下ろしていた。

「こら。あのお人はどんな小声でも拾ってしまうのですからそのようなことは…」

 お猪口満タンに入っていた日本酒をぐびっといっきに飲み干した紫貴は、改めて大国主を見た。

 本日は天界と人間界の神を交えた定例会ならぬ報告会である。

 とはいっても、定例会のほとんどはこのような機会がなくては会うことの出来ない天界と人間界との交流を図るものであり、飲み会騒ぎだ。その言葉の通り、大国主のあいさつが終わると会場はバカ騒ぎになった。

「こんなことをしている暇があるならば、この場で会議をしてしまえばいいのに」

「まぁまぁ。これはこれで良いでは」

 天界、人間界と関係なくどんちゃん騒ぎになった頃、紫貴はふと立ち上がった。

「紫貴様?」

「風に当たって来る。酒が回ったんでな」

 そうして、大広間を出て庭に面した廊下を歩いていくと、屋敷の裏に出た。そこには小さな祠があった。

「ここに来たのも…随分久しいな」

 その祠を眺めて手を合わせた。少しして顔を上げた紫貴の瞳は遠い過去を映し出していた。

 周りには何もない。ただ、そこには祠があるだけ。

「お主がここに立つのを見るのは久ぶりだな」

 そんな時、紫貴と同じく抜け出してきただろう大国主がやって来た。

「ここに来たのも随分前ですから。あなた方こそ、お元気そうで良かった」

 紫貴は特に驚くことはなく後ろを振り返った。

「お主の言いたいことは分かっておる。聞こえていたからな」

「ならば、理由を伺いたい」

 大国主を相手でも堂々とした態度に大国主は二コリと微笑んだ。

「お主の所の神子が鴉天狗と戦ったそうだな」

「…」

「その天狗の後ろに気になる影を見た」

「つまり、今はそちらの方に集中しろ、と」

 大国主はコクリと頷いた。

「御明灯村は帝も目を置く特殊な地域故、こちらもなかなか手出しが出来ん。それに、九尾家とやらも動いているのだろう?お主もいることだし、大事にはならんと思っておるが、どうなのだ?」

 まるで見透かすような瞳。こういう所が大国主と言われる由縁なのだろうか。

「当然だ。俺を誰だとお思いで?」

 だが、負けてはいられない。

「紫貴神社の主、妖狐の紫貴だろ?」

 大国主もまた笑みで答えた。





 紫貴と大国主とのそんなやりとりがあった頃、全員で日向ぼっこをしていた一同。

「平和だ~」

 紫貴が会議で天界に行っていると蛍から聞いた葵は、何も起こらないことを願うばかりだった。

「あ、そう言えばまだ表の掃除が終わってなかったな…。紫貴が帰って来る前に終わらせなくては」

 ほうきを手に葵は神社の玄関口に行き、さっそく掃除に取りかかった。早く終わらせてしまって日向ぼっこをせねば。今日は参拝者も珍しく来ないため、堂々と日向ぼっこが出来る。

 そんな時、一人の訪問者がやって来た。

「…」

 不自然に風が吹き抜ける。

 葵の前に立ち、ぼーっと神社を見つめている少女。それだけなのに葵の中でさざ波が立ち始める。

「…ここの、巫女さん?」

 表情がない。その分、とても整った顔つきをしていることが良くわかったが、その整った顔が逆に妖しさを醸し出していた。

「あ、あぁ。どうかされたのか」

「ここの神社の神様、お留守なの?」

「…!」

 どうして分かったのだろうか。

 もちろん、紫貴は意味も無く人間に自身の姿は見せないし、そもそも見せたことはない。加えて、紫貴が留守なことは関係者以外知るはずがない。

 葵はぐっとかまえた。もしかしたら人間ではないのかもしれない。気配を隠した妖怪、あるいは妖や妖怪の存在を知る機関の手先。

 それから数秒間、沈黙が流れた。

 葵はいつでも戦える態勢で。それとは反対に少女は葵を見透かすかのようにただ立っていた。

 そうしている中で、気になることが一つあった。

 それは、少女が一度も瞬きをしていないということ。

「巫女さん」

 そんなことを考えていた時、少女が口を開いた。

「妖怪は悪なの?」

「へ?」

 しかし、その言葉の後から少女に感じられた妖しさが消えていた。

「巫女さん知ってる?元は妖、今は妖怪。そんな妖怪がいることを」

「え、いや」

「じゃあ、なんで妖怪になったんだろうね」

 少女は相変わらず表情を変えない。しかし、そんな少女の頬を涙が伝った。

(泣いている?)

「なんでなのかな…」

「何を言って…」

 少女は改めて葵と向き直った」

「神様は悪くないよ。何も、悪くないよ」

 感情を感じられなかった今までの声から、ぬくもりを感じる声。葵の心の中に波紋のようにその言葉が広がっていった。しかし。

「遅いよ。何してんのさ」

 その少女の背後からまた見知らぬ少女がやって来た。すると、葵の目の前に立つ無表情だった少女が突然目を見開く。

「神がいなかったら帰って来いって言ったじゃん」

 いかにも面倒くさいと言わんばかりの力ない声の少女。

「ごめんなさいっ…」

 しかし、葵の姿を捕えるとにやりと不気味な笑みを浮かべた。

「お、神子さんじゃん。あんたはいたんだ」

 興味津津な瞳が葵に向けられる。だが、少女は何か思い出したのかすぐに視線を少女に戻す。

「帰るよ、てまり」

 おびえる少女―てまりに手を差し出した時、てまりはぐらっとバランスを崩して少女とは反対方向へと足が動いた。

「行くな、てまり」

 葵はてまりの腕を思いっ切り引っ張って自分の後ろへと引き寄せた。

 この少女から何か危険な気配を感じていた葵。とても強力かつ邪悪な気配。

 葵は宙から白桜を出現させ、少女にその刃を向けた。

「巫女…さん?」

「おいおい。その子は私の連れだし。返してくれる?」

「…いいかげん、本性を現したらどうだ、妖怪」

 葵の言葉に今まで笑みを浮かべていた少女から笑みが消えた。

「てまりとお前との関係はなんだ」

「怖い怖い。どういう関係、ねぇ。こんな関係だな」

 表情が消えたかと思えば再び不気味な笑みを浮かべた少女は、懐に手を伸ばし一枚の紙人形を取りだした。そしてその紙人形を自身の胸の前で二つに破ったのである。

「…」

 これから何が起こるのか。身構えながら立っていたその時。

「うっ…うっ…」

 突然てまりが苦しみ始め、加えててまりの体が薄くなっていったのである。

「てまり!」

「巫女…さんっ」

 手をつかもうと手を伸ばすが、空しくもすり抜けてしまう。そして、てまりは苦しみながら存在自体を消されたかのように消えた。

 その一瞬とも言える出来事に葵は言葉を失った。

「こういう関係ってこと。彼女は私に呼ばれた霊。もうこの世には存在しない」

「何故…霊など呼び出したんだ…」

 この少女はなんとも思っていない。死んで安らかに眠っていたであろう霊を無理に引っ張り出すとは。

「何故かって?そんなの簡単。気まぐれだし」

 口元を釣り上げたのを見た葵は無意識に足を踏み込んで走り出していた。

「そんなことでっ」

 白桜を大きく振り上げたことで大風が巻き起こる。

 殺意のある瞳が少女と捕えた。

「許さないっ!」

 本来妖怪は浄化して、元あるべき姿へと戻すのだが今の葵にそのような考えはない。

「こんなやつっ」

 そして、力いっぱい白桜を振り下ろした。



 鈍い音が葵の耳に入った。



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