第九片
あの青年は一体誰か。
敵か味方か。
あの少年は無事だろうか。
自分が守らなくては。
もう、一人にはしない。
一人には…しない。
少しずつ浮上してきた意識の中でそんなことを考えていると、見慣れた天井が見えて来た。
辺りは満月から少し欠けた月が作り出す月明かりで明るく、物の影を作っていた。
(ここは…神社…なのか)
しかし、頭が冴えてくると、自分がどんな状況におかれていたのかを思い出していく。
(待て…。私は天狗と戦っていてっ。それでっ!)
肩を刺されて。
それを思い出した時、自然に布団から勢い良く上半身を起こした。
(あの少年はっ。あの子はっ!)
やっと見つけたあの少年はどうなったのか。混乱が頭の中を支配していく。
そんな時だった。
「葵?起きたのか」
廊下で月を眺めていた紫貴が葵の変化に気が付いた。しかし、葵は紫貴の気配に全く気が付かない。いや、気が付く余裕など今の葵にありはしなかった。
「私はっ。私はっ…また守れなかったっ…」
息が上がる。
「なんでっ、なんでっ、私はっ」
喰いしばった際に口の中を切ったせいか血の味が広がっていく。
「力があっても…私は無力だっ…」
瞳からは溢れだすほどの涙が次々と頬をつたっていく。しかし。
「葵」
突然、葵の頬に髪がかすめる。そしてすぐにふわりとぬくもりが葵を包み込んだ。
「えっ…」
ぐっと力の込められた腕が葵の背を押して、葵は紫貴の体の中にすっぽりと収まってしまった。
「落ち着け。もう、大丈夫だ」
幼い時からいつも隣にあったぬくもり。それを感じられただけで混乱が少しずつ収まっていくのを感じた。
「…紫貴っ…」
温かい。とても温かい。
「お前は無力ではない。現にあの少年は無事に親の元に帰る事が出来たのだからな」
ぬくもりと共に紫貴の言葉が胸の中に響いていく。
しばらくして、落ち着きを取り戻した葵はふと口を開いた。
「少年の隣に…人が立っていたんだ。見知らぬ人…。あの人助けてくれたのだろう?」
「…いいから、今はゆっくりと休め。明日は睦月が来ると言っていた。元気な姿を見せるのだろう?」
「…あぁ」
紫貴はそっと葵を布団に寝かせた。まだ疲れが残っていたせいか葵はすぐに寝息を立てて眠った。
「まさか、この神社から出て実際に天狗に会いに行こうだなんて、考えてないよね」
しかし、その直後。月明かりに照らされた廊下をあるいてきた睦月。
「なんだ。来ていたのか。こんな時間に珍しいな」
「紫貴。あなたがこの神社から消えた瞬間、この御明灯村から守護は消えて無くなってしまう。そのことは分かっているよね」
いつもにない睦月の真剣な表情。しかし、紫貴はそんな中でも微笑んだ。
月明かりは紫貴を照らし出し、神々しい気配がその場に満ちていく。
「俺は
そしてゆっくりと立ち上がると睦月と向かい合った。
「そんな俺を表から止めるのが九尾拓斗の仕事であり、裏から止めるのが睦月の仕事だろう?」
その表情は意地悪じみたものが感じられたが、睦月から見ればまた違う顔を見せていた。
「…全く、紫貴はずるいよ」
睦月にとってその言葉はとても嬉しかった。こんな時にそんな事が言える紫貴の器の大きさには参ってしまう。
だが、そんなやりとりの真意が分かるのは、紫貴と睦月だけなのだが。
―天狗様―
またあの声を、声を聞きたい。近くで昇る太陽を拝めたい。
―今日は美しい夕日ですね―
お前の方が、綺麗だから。
だから沈まないで欲しい。
ずっと一緒に…いてくれ。
「
夢うつつの中にいた天狗は女性の声で現実に引き戻される。
「…
御明灯村が一望出来る高台に立つ大木の枝に座っていた天狗―枢は、大木の下に立つ女性―椿に目を向けた。
「あの人間との戦いで疲れたのか?」
人間の形を成す妖怪、椿の言葉には「ちげーよ」と返した。
「九尾の若頭相手に俺が疲れるかよ。少し考え事をしていただけだ」
天狗、といっても、今の枢には黒い羽はなく、その姿は人間の青年そのもの。
「あの若頭…どうも気にくわねぇ」
「面白そうだけど?」
椿はクスリと笑う。
「ちげぇ。勘が言ってやがる…あいつには何かがある」
「まぁ、あの人間のことなんてすぐに分かるって。それより、これからどうするんだ?取り逃がしたとはいえ、あの神子の力」
「強大な神の力…か」
そっと瞳と閉じる。
「そうそう。あの紫貴を消すためには、あの力は絶対に必要になるはず」
紫貴。その単語に枢は再び瞳を開いた。
「紫貴…。やつを野放しにしておく訳にはいかねぇ」
「協力してやるよ。面白そうだしね」
そんな二人の会話は誰にも聞こえない。
風の音にかき消され、二人の声を乗せた風は漆黒の夜空に舞いあがり、そのまま帰ってくることはなかった。
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