第七片





「もう泣かないで、ぼく」

 恐怖で支配されていた少年の体を突然温かいぬくもりが包み込む。とても温かくて、安心するぬくもり。

 ゆっくりと顔を後ろに向けると、すぐ近くにはやさしい笑みを浮かべた青年の顔があった。少年の体を自身の両腕で包みこんでいた青年は、少年から手を離すとじっと天狗を見据えた。

「この辺りでは見かけない顔だね?」

 まさしく飛び立とうとしていた天狗達は、今までにいなかった人間の登場に動きを止めた。今まで気配すらなかったはずが、突然目の前に現れた。

「誰だ!」

 制服を着ていた青年は、相変わらず笑みを崩さない。

「その子をどこに連れていくつもり?」

「何者だ。この場に一人で入れるとは。人間がたやすく入れる場所ではないぞ」

 この場所は薄暗い。これは闇が充満しているからであり、通常人間が自力で入ることは不可能である。入ろうとすればまず体が自然と拒む。入れる人間と言えば、少年のように妖怪に連れてこられたか、もしくは妖気または闇に対して免疫があるかのニ択だ。どの道、一人で入ってこられたということは、この青年、ただ者ではないということだ。

「そんなベタな展開はあまり好きじゃないけど…ま、この場合はいいか」

 天狗がそんな考えを張り巡らせている間にも青年はピクリとも動かずに笑みを崩さない。

「一応初めまして。僕は九尾 拓斗たくと。よろしく」

 ニコッと笑顔で言う青年―九尾拓斗の言葉に天狗の一人が鼻を鳴らす。

「名前を名乗ったところで何になる。ただの人間風情が」

 しかし、その一言が大きな仇となることをこの天狗はすぐに知る。

 拓斗にすぐに視線を戻した天狗だったがそこに拓斗の姿は無かった。

「どこに行っ…」

 ため息をついて辺りを見渡すが、不思議なことに拓斗の姿はない。加えて少年の姿も無い。

「なっ…」

 妖力もまして闇も持たない人間が気配を悟られることなく姿を消すことが出来るのか。

「人間風情…ねぇ。そんなこと言ってもらえたのは久しぶりだ」

 しかしその時、天狗の一人が突然蹴り飛ばされる。

「確かに、僕はれっきとした人間だし、僕の家も先代までだったら変哲もなかったけどね」

 続いて、もう一人も蹴飛ばされる。残された葵を担ぐ天狗は見えない敵に身構えた。

「でもね、僕たちは少し違うんだ。帰って君達のボスに伝えるといいよ。あ、でも、帰すつもりはさらさらないけどね~」

 最後の天狗の腹に一発拳を入れて、ゆっくりと倒れていく天狗から葵を取り上げて抱き上げた。血で染まる左肩を見て眉をひそめる。

「思った以上に傷が深い。骨までいったか…」

 倒れる天狗を気にしながら拓斗に駆け寄って来た少年も葵を心配そうにのぞきこんだ。しかしその時。

「その娘がそんなに大切かよ」

 いままでに無かった大きな闇がその場を満たしていく。

「おっと…。ボスが直々に来るなんてね」

 姿は見えない。しかし、その存在感ははっきりと確認でき、拓斗は葵をギュッと抱きしめた。

「一体何の用?…って、改めて聞く必要ないか」

 気配のする方へと目を向けて懸命に姿の捉えようとする。今の敵の姿を例えるならば、闇そのもの。昼だとは思えない暗さの中では拓斗は圧倒的に不利だ。

「その娘は、お前にとって何だ?何故その娘をかばう」

 淡々と感情を出さない声。

「そんなに、僕とこの子との関係を知りたいの?」

 だが、拓斗も一歩も引かない。口元に笑みを見せたまま言い放ったのだった。

「九尾拓斗…。お前は本当に人間なのか?」

 相手も一歩も引かないが、ふと気配が薄れた。それが意味するものとは。

 その時、遠くから葵を呼ぶ声が聴こえて来た。ボスらしき妖怪は無意識に舌打ちしたが、次の瞬間驚くべき光景が眼中に広がった。

 紅の炎が闇を燃料として燃え広がっていたのである。

「僕が人間かどうかって?それは見ての通りだよ、天狗さん」

 燃やされた闇は灰にはならずに消え、少しずつ太陽の光が差し込み明るさを取り戻していく。そんな中、敵の姿も少しずつ見えてくる。

 そこには、人間の青年の姿で背に漆黒の翼を持った妖怪の姿があった。

「…なるほど」

 天狗は口元に笑みを見せると空にとびだった。すると拓斗が倒した三人の天狗達もそれに続いてよろけながらも飛びだった。

 その直後のことだった。二人の双子の妖狐の妖がやって来たのは。




『妖と妖怪。この二つの違いが何か分かるか、葵』

 別棟の紫貴の部屋。まだ幼さ残る葵の目の前には上座に座る紫貴の姿があった。

『妖は妖力を使い、妖怪は闇を使う、だ』

 葵は紫貴の問いに自信ありげに答えた。

 しかし、紫貴は首を横に振った。

『確かに定義はそれだ。しかし、妖怪だからと言って、すべてを悪だと言っていいだだろうか?』

『闇はうらみ、にくしみ、かなしみなどの暗い感情から出来る。だから、悪なのだろ?』

『…事実こそがすべて。それは一般的な考えであるが、我々はそれではいけないのだ。妖怪として生まれたから悪なのか。逆に妖として生まれたから善なのか。俺は違うと思う』

 葵は紫貴の言葉に耳を傾けるが、首を傾げていた。

『…まぁ、まだお前には分からん話やもしれんな』

 まだまだ外の世界を見たことのない小さな少女。彼女にはまだ早い話だったかもしれない。

『だが、いつか分かる日がくる。その時を楽しみに待つとしよう』

 いつか。そう、いつか分かる日が来る。その時、葵がどんな成長を遂げているのか。そんな密かな楽しみをこの時抱いていた。



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