第五片

-天狗様、天狗様-

 何度も何度も呼ぶ声がある日突然聞こえなくなった。

 一緒に隣を歩いていた時、突然彼女の姿が消えた。

-天狗様-

 太陽が、消えた。




「葵、この書を写してくれ」

「…分かった」

「あと、この書には印を押してくれ」

「…了解した」

 そして、昼もだいぶ過ぎた頃、本殿にこもって仕事をする紫貴と葵。本殿の中は外からは見えないが、内からは休日とあって多くの参拝者の姿が確認出来た。参拝した人の“願い”は、空中で一つ一つ紙に記されて、紫貴の手元へと届く。それに目を通し、神の印を押して天界(神の国)へと送るのが、紫貴神社の表の仕事である。

(今日はやけに多いな…)

 休む間もなく次から次へと書物が流れてくるのはいつものこと。しかし、今日はある程度のスピードがないと終わる気配が全くしない。

 紫貴と共に仕事をすることしばらくして、リフレッシュがてらにふと顔を上げた葵。そんな葵の視線の先にはあまり見慣れない大きなカラスの大群が映っていた。

(カラス…?)

 少なくとも神社内で見たのは初めてだ。

 そんな時、その大群の方からひらりひらりと黒い羽が一枚ゆっくりと落ちてきた。そして、羽は不自然に向きを変えると本殿の中にスルリと入って来た。葵は興味のあまり思わず手を伸ばしてつかもうとした。しかし。

「へっ」

 触れようとした一瞬。葵の視界から紫貴が消えた。というよりも視界に映る景色がガラリと変わった。

 自然は豊かなものの、多くの家々が並び、車が葵の目の前を通り過ぎていく。

「な、なんだここは…」

 ここが紫貴神社ではないことは一目瞭だ。しかし、あの一瞬で何が起こったのか頭が全く追いついていかない。

(おおおおおちつけっ。さっきまで神社にいたはずだよなっ)

 黒い羽が落ちてきて。

(カラスか!)

 その直後、背後にあった御明灯山の頂上付近から、カラスの大群が去っていくのが見えた。

(ちっ。つまりここは麓の町…)

 本来であれば一体誰が何のためにこうしたかを考えるべきなのだが、今の葵んじとっては大切なことはそんなことではなかった。何故なら。

(ということは、調べることが出来る!)

 しばらくすれば、蓮か蛍かが探しに来る。その前に出来ることをやっておきたい。

「こんな機会滅多にないからな…」

 参拝に来た女性の涙。九尾家が持ってきたという証拠物。

(あとは真実を突き止めるだけだ)

 手出し無用と言った紫貴には“少し”悪いと思ったが、無力で終わりたくなかった葵はそんな気持ちを押しのけて一歩を踏み出した。そんな時。

「あれ?巫女さん?」

 裏返ったような声が聴こえて来た。後ろを振り向くと、そこには両手に飲料の入ったビニール袋を持った少女の姿があった。



「…蛍、蓮、いるか」

 紫貴の問いにすぐに本殿の裏口が開いた。そこには蛍と蓮が紫貴の気配を察したのか、凛とした気配で立っていた。

「先手を打たれた。今すぐに村へ下り葵を連れて参れ」

「はっ」

 紫貴の言葉に二人はすぐさま動き出した。

「睦月は…帰ったか」

 式は葵が座っていたところへと行くと、そこに落ちていた黒い羽を拾った。

「どうやら、鴉天狗は良い度胸を持っているようだ」

 そう口にした紫貴の口元には笑みがあったものの、その瞳には強い光が宿っていた。手にした羽はそれを合図にさらさらと風化して消えていった。




 両手にビニール袋を持った少女は葵の姿を見て目を丸くしていた。そして葵も同様にどうしていいのか分からず立ちつくしてばかりだった。しかし、しばらくの沈黙の末、口を開いたのは少女の方だった。

「突然ごめんね。私は市川いちかわ七海ななみ。あなたは?」

 同い歳の少女。

 神社にこもり切りの葵にとって、同じ歳くらいのの人間と話すことはとても新鮮だった。

「…葵だ。こちらこそ失礼した」

 こうして近い歳の少女と面と向かって話すのは今更ながら少々恥ずかしい。そうした葵の姿はどういう風に七海に映ったのかというと…。

「か、可愛いっ」

 ぐっと拳を握りしめる七海。

「なっ」

「お人形さんみたいに綺麗な髪!可愛いルックスなのに纏う気配は凛としてて、身を引き締める巫女服!可愛いっ!」

 顔をぐっと近づけた七海の目は期待に満ちている。

「本当にどこの巫女さん?すっごく可愛い!」

「え、あ、その…」

 ぐいぐいと迫ってくる。こんなタイプの人間には初めて会った。だからなのか、どう接したらいいのか分からない。

 しかしその時、葵にとって助け舟?がやって来た。

 それは黒と白の色を持つ車だった。その車は二人の前に停車し、中から一人の男が出てきた。

「どうして外に出ているんだ?さっき子どもは家に出ないよう警告が出たぞ」

 いわゆる警察と呼ばれる人間だ。

「えー。私達そんなに子どもに見えますか?」

「ふざけられる話じゃないんだよ」

 七海が少しずれたところに食いついたが、男はしごく真面目に答えた。

「先程また子どもが消えたと通報があった。だから君達も早く家に帰りなさい」

 男が話している間、葵の頭のなかではめまぐるしく考えが回る。

(また子どもが消えたのかっ)

 あの女性の子ども以外にまた一人、犠牲者が出てしまった。しかしまだ終わったと決まっていない。

「男、その通報はいつだ。いつあったんだ」

 今まで話しに入ってこなかった葵が突然、しかも強い口調で言ったため、男と七海は二人揃って目を丸くした。

「つ、ついさっきだが」

 つまり、まだ消えたと判断されてからそれほど時間は経っていない。さらに、昼間に消えた事が分かっているということは、なおさらだ。

(まだこの辺りにいるかもいれない)

 青はこの微かな可能性を信じて七海をおいて走り出した。妖から見たらそのスピードは遅いかもいれないが、人間から見たらまた別だ。

「葵…ちゃん?」

 突然過ぎる出来ごとに二人はただ立ち尽くしているだけだった。



 -緊急警告が発令しました。外にいる方はただちに家に戻ってください-

 部活中だった剣道場に村全体向けたアナウンスが響いた。

「んん?特別警告?また誰かが消えたのか…?」

 アナウンスを聞いた部長改め中川進は練習中だった部員に一斉に声をかけた。

「アナウンスの通り、今日の部活は中断だ。すぐに帰り支度をして帰れ!」

 進の号令で部員はすぐに帰る用意を始めた。

「部長、先に上がってください」

 そんな進に声をかけたのは遅れてやってきていた青年だった。汗を拭きながら進に歩み寄る。

「いや、全員が帰ってから上がるさ。それが部長の…」

「今家から連絡があって迎えに来るそうなので」

「あ、そうなの?」

 部長の威厳もさることながらあっさり告げられた言葉に進は納得せざるを得なかった。

「そ、それじゃあ先に上がるな…」

「お疲れ様でした」

 しょぼしょぼと肩を落として歩いて行く進を見送った後、青年は制服に着替え剣道場を後にした。そんな時、ふと空が騒がしいことに気が付いた。

(カラス…?)

 いつもにない大群のカラス。青空が次第に黒で覆い尽くされる。

 その時、ポケットに入っていたスマホが大きな音を発した。迎えではなく遙人からだ。

「もしもし。どうかした?」

『村の中でまた子どもが一人消えたことはご存じですか?』

「うん、知ってるよ」

 電話の向こうの遙人の声はいつもに増して緊張感がある。

『そのことで式神が西の白虎山中腹にて子どもを抱えた妖怪を発見したのですが、どうされますか?』

「うーん。父上の耳にそのことが入る可能性は?」

『いいえ。おそらくないでしょう。発見した場所自体、普通の人間が入れる場所ではないですし、何の力を持たぬ父上には、到底分からぬことかと』

「りょーかい。現場には僕が行くよ。迎えの車はどうにか言い訳しておいてもらえる?」

『かしこまりました。どうかお気をつけて』

 その会話を最後に電話を切り、青年は御明灯村を囲む山々の中で西に位置する白虎山をじっと見据えた。

「さて、行きますか」



「はぁ、はぁ、」

 そして、七海と強引に別れた葵は、村中をぐるぐると探していた。

(一体どこだっ)

 しかし、一向に見つかる気配がない

(気配も何も残っていないとは…どういうことだ)

 走りを止め一息ついたその時、再びどこからかカラスの大群が現れた。

「またあいつらかっ!」

 だが、先程とは何か違う。カラスの一羽が葵の姿を確認するなり方角を変えて飛んできた。

「なっ、待て!!!」

 自分をここに連れて来た理由も聞きたいが、その前にこのカラス達は一連の事件の何かを知っている。

 葵は心の中でそう確信していた。


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