第四片
日も高く昇った昼ごろ。御明灯村の南に大きく家を構える九尾家。そんな屋敷の中を数冊の本を持って移動している一人の少年がいた。
ただ目的の場所へ歩いているのだが、どうも落ち着かない。
「
偶然通りかかった使用人の女性が声をかけるとビクッと肩を跳ね上がらせた。
「な、なんでもないですっ」
「本でしたら、お部屋の方にお持ちします」
「いいいえっ、自分でも出来ますから」
ははは、と笑顔でごまかしつつ前へ進んだが、ふと目の前に現れた影にハッとした。
「おかえりなさいませ、父上」
遙人が顔を上げればそこには紫貴神社から帰って来た直人の顔がある。こうして見ると改めて父との大きな身長差に自身がまだまだ幼いことを改めて感じさせられる。
早く大きくなって兄の力になりたいのに。
遙人は自身の気持ちを胸にしまい、背筋を伸ばして一礼する。
「勉強熱心はいいことだ。これからも九尾家のために力を尽くすことを肝に命じておけ」
「はい」
遙人にちって父は大きな大きな壁だ。
だが、それよりももっと大きな壁は…。
「時に遙人、先程から次期当主の姿が見当たらないのだが、知っているか」
直人のその言葉に、遙人の背中には嫌な汗がつたった。
「い、いいえっ。し、しかし兄上からは部活動の方に行ってくるとだけは聞いておりますっ」
「うむ、そうか。全く、やつはじっとしておれんのか
直人が横を通り過ぎるのを見たところで、安堵のため息をついた。
「兄上っ…必ずしも消えた子ども達を見つけてみせます!」
九尾家次男、九尾遙人は、グッと拳を握って改めて誓った。
「なぁ、蛍、睦月。私町に行ってみようと思う」
「へ?」
「?」
居間にて茶を飲んで紫貴の帰りを待っていた葵と蛍、そして睦月。しばらくの沈黙を破ったのは葵の突拍子のない一言だった。
「突然どうされたのですか?」
「…嫌な予感がしてならないんだ。あの女性だけではこの悲劇、終わらないきがする」
社に向けて祈っていたあの女性の姿がどうしても頭から離れない。
そんな葵の姿を見ていた睦月は茶の水面に映る自分の顔を見つめた。
「なりませんよ。もしかしたら人間の間で起こったことかもしれません。そうした場合は九尾家の仕事ですから」
「でも…」
蛍の言った通り、もし人間の問題だったら葵達の出る幕ではない。むしろ出てはいけない。
人間の力でどうにか出来る問題まで口出ししてはいけない。
しかし、葵は自分の心の中でくすぶる何かに気が付いていた。
「…それでも私は行く。いや、確かめるために行く。それならいいだろう?」
「ですけど、私の許可では町に行くことはできませんよ。紫貴様の許可が下りない限り、葵様は神社の外には出られないのですから」
「むっ…。だ、だったら今から!」
「駄目だ」
葵がガバッと勢い良く立ち上がった時、ぐさっと刺さるような冷めた声が聴こえてきた。声の方へと顔を向けてみれば、そこには紫貴と蓮の姿があった。
「何故だ!話も聞いていないというのに」
「すべて聴こえていた。ここを誰の神社だと思っている」
「ぐっ…」
紫貴はうつむいて立っている葵の横を通り過ぎて、蛍の横に腰掛けた。
「葵殿。どうかここは抑えられ下さい。これも葵様のことを想ってのことで…」
蓮は落ち着いた声で声をかけた。
しかし、次の瞬間、葵はとてつもない寒気を感じたのだった。
(なんだこの感じ…)
この神社で一度も感じたことのない感覚だった。辺りを見渡すが、いつも神社にいるメンバーしかここにはいない。そうした時、ふと目に止まったのは蓮だった。
「蓮、何か持っているのか?」
葵のその一言に蓮は大きく目を見開いた。同時に紫貴も目を細めた。
「あ、いいえ、何も…」
視線を合わせようとしない蓮。そんな蓮の行動を葵は見逃さなかった。
「何か持っているな。見せてみろ」
すかさず蓮に近寄ろうとした葵だが、蓮は持ち前の脚力で葵と対極の位置へと移動する。
「な、何も持ってません!」
「嘘だ!」
そんな二人の様子を見ていた蛍は何とかp止めようとあたふた。
しかし、そんな場を治めたのは紫貴だった。
「静かに。両者とも落ち着け」
紫貴のしゃんとした声に二人の動きはぴたりと止まった。
「紫貴、しかし」
「まぁまぁ、落ち着いて葵」
葵の頭に温かい手が乗せられた。
「む、睦月…」
睦月の姿を確認するなり、スッと力が抜けたような感覚に陥る。
「先程、九尾の当主が葵が会ったという女に関係する証拠を持ってきた。妖、あるいは妖怪の羽だ。葵が感じたのはその羽のことだ」
蛍が入れた茶を一口飲んだ紫貴。
「つまり、九尾家から直接“願書”を渡された訳だな。ならばなおさら…」
「ならぬ、と申しておる」
葵の輝きも甚だしく紫貴の前で散った。
「この件について、葵は手出し無用。これは絶対だ」
「っ…」
またいつものように反論しようとした。しかし、紫貴が発する禍々しい妖気に体が逆らう事を止めた。ぐっとこらえる葵を見降ろすような目で一瞥すると紫貴は立ち上がった。
「昼から本殿で仕事をする。葵はその手伝いをするように」
紫貴は神で自分は人間。それは変わることのない事実。
「承知…した」
そして、自分はその神に仕える巫女。
葵は片膝をついて返事を返した。
いや、返す事しか出来なかった。
太陽が昇り切った昼過ぎ。御明灯村は休日のためかゆっくりとした時間が流れていた。そんな中、村の東部にある村唯一の高校の校庭では運動部が休日の練習に励んでいる。
そんな校庭の横を通り過ぎる青年は、校舎の横にある「剣道場」と掲げられた建物に入っていった。
「遅くなりましたー」
青年が声をかけると剣道の練習に励んでいた部員の一人が気が付いて、歩み寄って来た。
「やっと来たな、九尾。なんだ、女と遊んで来たのか?」
「そんな訳ないですよ、部長。午前に家の用事が入ったんです」
部長の青年は「分かってる」と笑いながら言った。
「あの名門九尾家の長男ともなれば色々と大変だろ。ちゃんと連絡は貰っていたから安心しろ」
その言葉に青年はきょとんと目を丸くした。
「一体誰から?」
「練習が始まる前に遙人さんから連絡が来ましたよ」
そんな青年の問いに答えたのは体育着を来ていた女子生徒だった。
「そうだったんだ。ありがとう、七海っち」
女子生徒、市川七海は二コリと微笑んだ。
「流石、名門ですよね。弟さんもしっかりしてるし。あ、そういえば飲み物が切れたので、買いに行ってきます、部長」
「おう、頼んだ」
「はーい」
部長と七海の会話を聞きながら、青年は笑顔で返すばかりだった。
一般の人間が知る表の九尾家は古くから続く剣術の「名家」。
裏の顔など…誰一人として知るはずがなかった。
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