第三片

 ―天狗てんぐ様。今日も晴天でございますね―

 温かい声に温かい笑顔。

 ―こんな日に天狗様の黒の翼が大空を羽ばたくところを見ると、なんだかこちらが嬉しくなります―

 その笑顔がいつも太陽のように温かくて、いつまでも寄り添っていたかった。




 雲一つない晴天の朝。

 いつものように巫女服姿で社の前をほうきで掃いていた葵。

(今日はいつもよりポカポカだなぁ)

 季節は春。日に日に暖かさが増していく中、今日はほどよい暖かさである。散っていく桜の花びらを掃除していると、葵の頭はあることでいっぱいになる。

「蛍が作る桜ジャムは美味しいんだよな…」

 ぐつぐつと桜の花びらを砂糖で煮詰める音を思い出すだけでじゅるるとよだれが出かけた。

「いかんいかん。早く終わらせなくては」

 今日は特別な日で、何やら九尾家の当主が直々にこの神社に来るらしかった。以前にも何度か来たことがあったが、そんな日はいつも必ず屋敷の奥にいるようにと紫貴に言われていた。

(私も一度この目でその“当主”とやらを見てみたいな…)

 実のところ、葵は紫貴神社から自由に出ることを紫貴から禁じられており、参拝者が来る昼間は決まって本殿の中で紫貴の仕事の手伝いをしているため、人間と触れ合う機会はほとんど無かった。

(私も一応人間なんだがな…)

 そんなことを考えながら桜の花びらを掃いていると、鳥居の方から一人の女性が歩いてきた。

「こんな朝早くから参拝か?」

 とっさに本殿の影に隠れた葵。そこから本殿に向けて手を合わせる女性の姿を見ていたが、ふと違和感を感じた。

(やけに長いな…)

 手を合わせてから一分、二分と経ってからようやく顔を上げた女性だったが、その瞳は涙で潤んでいた。

(なっ、何故泣いているんだっ)

 突然のことにあたふたし始める葵だったが、意を決して歩み寄った。

「大丈夫か…?」

 スッと現れた葵の姿に目を丸くしながらも葵の着ている服を見て首をかしげた。

「巫女さん…?この神社に巫女さんなんていたかしら?」

「ま、まぁそこは気にするな。それで、涙を流してどうされた」

 葵の問いに女性は再び瞳を潤ませた。

「昨夜…突然息子と娘が消えてっ…。どこにもいなくて…」

「消えた?」

「それで神様に「息子と娘がそうか無事で見つかりますように」とお願いいていたんです」

「そうか…。それは災難だった。きっと、神にその願い、届くだろう」

 黒髪の美少女のその言葉に女性はぐっと瞳をつむった。

「はいっ…」



ふもとの町の男の子と女の子が消えた、ですか?」

 掃除終了後、すぐに屋敷に戻った葵は居間でお茶を入れて待っていた蛍に先程までの話をした。

「あぁ。今朝早くその二人の母親が参拝に来てな。物騒な話だな」

「そうですね」

 ずずず、茶を一口飲んだ蛍。

「早く見つかるといいですね」



 一方、屋敷から渡り廊下一本でつながっている別棟には九尾家当主、九尾 直人なおと、その向かいの簾も向こうに紫貴、簾から向かって左には正装姿の蓮の姿があった。

「―今日はよく参られた。表を上げられよ―」

 顔を上げた直人は簾の向こうにいる紫貴の影をじっと見つめた。 

「この度は突然とも言える訪問をお許しいただき、ありがとう存じます」

「―それはよい。この頃、妖怪の動きも活発化してきており、汝も大変そうだな―」

「私めなど、紫貴様の苦労に比べましては」

「―そうか。それで、本日はどのような用件で参られた―」

「はい。先日より御明灯村内にて子ども達の謎の失踪が相次いでおり、こちらで調べた結果、このようなものが見つかりました」

 直人が懐から取り出した箱を蓮が受け取り、ゆっくりと開いた。

 そこには一枚の漆黒の羽が。

「―これは…―」

「なんでもない、「黒い羽」にございます。これは、一人目の失踪者が出た家から見つかったものです」

 蓮はその羽を手にしてからいうとも、ひしひしと羽に残る強大な力を感じていた。

「とても闇の強い妖怪の羽と見受けられます。しかし、これだけでは…」

 蓮が紫貴に向けてそう言うと「あい分かった」と返事が返ってくる。

「―わざわざご苦労であった。後は任せられよ。…ところで、次期当主は元気にしておるか?―」

 急に話が変わり、直人の表情が険しくなった。

「はい。日々九尾家のために尽くしている所存であります」

 すると笑いまじりの声が返ってきた。

「―そうかそうか。ならば良い。また今度、顔を見せるよう申しておけ―」

「はっ。ありがたきお言葉」

 直人は深く頭を下げた。



「やはり、こちらに回ってきたか」

 直人が帰った後、簾を上げた蓮は紫貴の前に正座する。

「やはり、と言いますと?」

「先日、帝から九尾家に同じ話が行っていたんでな。回って来るのではないかと薄々思っていたのだ。…さて、いつまで盗み聞きしている。関心せぬな、睦月」

 すると、スッと障子が開き、そこから睦月が笑みを浮かべて入ってきた。

「顔を見せるよう申しておけ…か」

「師匠っ。いつからこちらにっ」

 蓮が驚くのも無理はない。

 一方で紫貴は肘つきに肘をつき、頬杖をついて、ニヤニヤと笑みを見せていた。

「九尾の当主が着いたくらいからだよ」

「そんな前からっ」

「それにしても、紫貴はずいぶん次期当主の事を気に入っているみたいで」

「あぁ。やつは今までにない面白さを持っておるからな。あんなやつは初めて見た」

 紫貴の試すかのような瞳が睦月に向けられる。だが、睦月の顔から笑顔が消える事はなかった。

「それはいいんだ。葵は居間?」

「そうだ」

 先に行っているよ。睦月はそう言って別棟を後にしようとするが、ふと紫貴が止めた。

「次期当主に、これ以上手を出すなと伝えろ」

 その言葉に睦月はこう答えた。

「いいよ。よく伝えておく」




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