第二片
朝食を食べ終えた葵は紫貴が仕事をする本殿の中の掃除を始めた。いつも通りに床をほうきで掃いて、机の上を濡れ布巾で拭いていく。そんな時のこと。静まり返っていた本殿の外からガサガサと草むらをゆらす音が聴こえてきた。
「ん?」
風にしてはあまりにも不自然だったため、不思議に思った葵は掃除の途中だったが、本殿を出て音がした方へと向かった。そして、音の元へと到着すると、そこには一匹の白猫の姿があった。そんな白猫の口元には丸められた一本の巻物が。
「あぁ。九尾家のだな。ご苦労だった」
その巻物を葵が受け取ると、白猫はすぐさま来た道を戻っていった。
そして、葵もすぐに屋敷に戻り居間で朝食後のお茶を飲んでいた紫貴の元へとやって来た。
「紫貴、今いいか」
「…ん、葵か。どうした。もう俺のことが恋しくなったのか?」
お茶をぐびっと飲み干した紫貴はニヤリと口角を上げて笑うのに対し、葵の顔は赤みを帯びていった。
「違うっ!そんな訳がないだろう!」
「顔が真っ赤だぞ。さては、図星だな」
「だから違うと言っているだろう!何を聞いていたんだ!」
紫貴は空になった湯呑みにお茶を淹れながら、「どうだかな」と楽しそうに答えた。しかし、お茶を入れ終えると真剣な顔つきになる。
「それで、どうしたのだ?」
大声を上げて息が上がっていた葵は、大きく深呼吸して息を整えた。
「九尾家から“願書”が届いた」
先ほど白猫から受け取った巻物を葵から手渡されるなり、紫貴はすぐに巻物を開き内容を確認した。葵の中で緊張が張り詰めていく。
「なるほど、あい分かった」
すべてに目を通した紫貴は葵に視線を向けた。
「葵、“浄化”の準備だ。蓮と蛍にも伝えてくれ」
「分かった」
御明灯村が抱える特殊な事情。それは妖力を力の元にし、人間に害を加えることのない“妖”と違い、人間に害を加え、“闇”を力の元とする“妖怪”が集まりやすいことにあった。
その理由は数多く言われているが、一番有力とされているのが、御明灯村の土地の構造に問題があるということだった。どういう訳かこの土地には“闇”がたまりやすく、ある者はさらに力を求めて、またある者は“妖”にも関わらず多くの“闇”を体内に取り込んでしまったがために“妖力”が“闇”へと変わり“妖怪”と化してしまった者など色々だ。
紫貴神社の仕事とは、人々の願いを聞くことの他に、人々を“妖怪”から守ることにあった。その努力もあって人々に被害は少なくまた、“妖怪”の存在もおとぎ話の世界で収められていた。
祭神様
このたび帝より、御明灯村東部の
九尾家当主
急きょ紫貴からの招集がかかり別棟に集合した葵と蓮、そして蛍。上座に正座する紫貴の気配に蓮と蛍はぐっとかまえた。
「妖怪は青龍山。民家に入るのを阻止するのだ」
紫貴の言葉に三人はうなずく。
「ゆけ!!」
紫貴の合図に三人は一斉に別棟を出てそのまま鳥居を抜けて外へと走り出した。そして、鳥居を抜けてすぐに蓮は葵に声をかけた。
「相手は一人の様子。なので私と蛍が先に行って足止めしますので、その間に」
「分かった。くれぐれも気をつけてくれ」
「了解です」
蓮はその言葉を最後に蛍に合図を送り、それを受けた蛍もコクリと頷くと葵を置いて先に走って行った。
葵の走る速さも人間から見れば十分速いのだが、妖の走る速さの方が葵を遥かに上回るため、蓮と蛍の姿は、すぐに見えなくなった。葵も自分の中で最速のスピードで御明灯山を駆け抜けていった。
しばらくして、ふと辺りの気配が変わって来たことに気が付く。
「もうそろそろだな…」
葵はぐっと気を引き締めて前へ進む。
そして、ようやく現地へと到着すると、葵の目の前に広がっていたのは、自我を忘れ暴走する妖怪と、それを止める蓮と蛍の姿だった。蛍が自身の背を優に超す大型の扇を使って大風を起こしなら妖怪の動きを止め、蓮の刀で妖怪の体に傷を付けることで妖怪の動きを押さえていた。
「それほど強い妖怪ではないな。…ならば、早めに済ませる」
すると、葵はまぶたを閉じて意識を集中させた。次の瞬間、葵の足元には純白に輝く白い陣が出現する。そして、その陣は光の柱を作り出し葵を光の中へと巻き込んだ。
混じりけのない純白の光に妖怪も痛みを忘れ光の方へと顔を向けた。
やがて、光の柱は弾け、中からは先ほどまでとは違う葵が姿を見せた。
巫女服とは打って変わり、桜の柄を主とした和服に身を包み、左手には自身の身長を超えるほどの槍―
この姿は普段の“
悪しき妖怪を“浄化”するための姿。
「蓮!蛍!」
葵のその声に二人はコクリと頷くと、妖怪から速やかに離れた。
それを確認した葵は白桜を構え意識を集中させる。だがその時、突然妖怪が蓮の刀傷をものともせずに動き出したのである。
「えっ…」
あまりにも急で、三人が妖怪の様子をみる中、妖怪はすぐに蛍の方へと動き出した。
「こっ、来ないでぇ~~~~!!」
蛍は扇を開くと大きく振り下ろして大風を起こした。先程はこれで動きを止めたし大丈夫だろう。葵がそう思った矢先、妖怪はそんな大風をもろともせず、勢いを止めずに蛍の方に突進していく。
「そこをどくんだ!」
だが、葵は蛍の大風が作った一瞬のゆるみを見逃さず、白桜を持って走りだした。
「―精霊よ、集い我に力を貸し与えたまえ―」
白桜を大きく振り上げるとその先端に紅の陣が出現した。
「―
そして、振り下ろした先端が地面に突き刺さるのと同時にそこから溢れんばかりの炎が出現し、妖怪に向かって行った。
その隙に蓮は蛍を連れ出す。
そして炎は狼の形となって妖怪に向けて大きく口を開く。しかし、なんと妖怪はその炎の狼を自身の大きな口で食らったのだ。
「っ!炎狼を食らうとはなんてやつだ…」
妖怪は炎の出元にいた葵に視線をゆっくりと向けた。
「葵殿―――っ!!!」
蓮の叫びも空しく、妖怪は葵へと駆け出した。その速さは先程の蛍の時の比ではない。
(くそっ…食べられるっ)
あまりの速さに手出し出来ずに立ちつくすばかりだった葵。
目の前にまで妖怪の口が来た……その知己だった。
「その子に触れてはいけないよ」
ぎゅっと瞼をつぶっていた葵の顔にひしひしと熱が感じられた。
「…え…」
ゆっくりと瞼を開いていくと、目の前には先程までなかった炎の海が広がっており、その炎の海の中心に妖怪は苦しみながら立っていた。
そして、あ然とする葵の目の前にやさしい笑みを浮かべる“妖”の姿が現れた。
「大丈夫?」
人間の青年の形をとり、美しい藤色の長髪を後ろの下で一つに結び、炎を連想させるような深い紅の瞳を持つ妖。
「あぁ…、大丈夫…だ」
妖の笑みにポッと頬を赤らめる葵。しかし、目の前の妖怪を見て、己のやるべき事を思い出した。
炎の海の中で苦しみもがく妖怪に向けて手をかざす。
「―かの者を、本来あるべき姿へ―」
すると、妖怪の足元に純白の陣が出現し、妖怪の体を上から下へとすり抜けていく。そして、純白の光に包まれた妖怪はそのまま空気に溶けるようにして姿を消した。それと同時に炎も消えた。
これこそが神子である葵が持つ力。
妖怪の力の元である闇を妖力へと変換することで妖に姿を変え、元の生活にまたは新しい生活に導く。
妖怪として生まれる者はほんの一握り。何かしらの原因を経て妖は妖怪へと転じ、人間に悪を成す。それを止めるのが葵の役目であった。
浄化の後、元の巫女服姿に戻った葵。
「ふう…」
「お疲れ様、葵。怪我はない?」
葵に歩み寄った妖は葵の頬にそっと右手を添えた。
「だ、大丈夫だっ」
妖の顔が先程よりも近くなったせいか、葵はとっさに妖の手と振り払った。しかし、心臓は大きく鼓動し、今にも飛び出してきそうだ。
「その…ありがとう。助けてくれて」
「どういたしまして」
「師匠ー!」
そんな時、横からひょこっと蓮が顔を出した。
「流石師匠ですっ。先程の炎も見事でありました」
「ありがとう、蓮。けれど、とりあえず顔を離してはもらえないだろうか」
「これは失礼いたしましたっ」
いつは冷静な蓮だが、この妖の前では尻尾を上下に振って瞳を輝かせた。
「葵様…。その、助けていただきありがとうございました」
一方、蛍は瞳に涙をためながら頭を下げた。
「いた、助けたのは“
「いいや。葵が頑張ってくれたから間に合ったんだよ」
妖―睦月は葵の頭に手をのせた。
蓮の剣術の師匠であり、葵にとっての大切な存在こそが睦月である。葵の記憶の始まりからそばにいる睦月は、葵にとって兄のような存在であった。神社には暮らしておらず、時々神社に顔を出していた。
その日の夜。本日の仕事を終えた紫貴は、机に筆を置き本殿の障子を開いて三日月を見上げた。そこに、本殿と日本屋敷をつなぐ渡り廊下を歩いて向かって来る睦月の姿を見つける。
「ご苦労であったな、睦月」
「僕は特に何もしてないよ。頑張ったのは彼らさ」
紫貴はふと笑みを見せた。
「お前も苦労人だな」
「どうも」
睦月もまた笑みで返す。
「そうそう、夕食の準備が出来たって。それを伝えに来たんだ。それと、
紫貴神社を妖しく照らしていた三日月が灰色の雲によって隠れていく。
「ここ最近、御明灯村付近で起こっている妙な事件の話」
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