第一片

 暖かな風が木々の間を吹き抜けていくと、桜の花びらがふわりと舞い上がる。空へと舞い上がった桜の花びらは、朝日を受けてきらびやかにその姿を輝かせた。そんな桜の花びらを横目に一羽の小鳥はただ一心に目的地を目指して飛んでいた。

 小鳥が山を一つ越えたところで目の前には山々に囲まれた村が見えてくる。村の西側には小中学校、東側には高校、そして大学が見えるその周辺には家々が並んでおり、村の南側には大きな日本屋敷が存在感を示していた。そして村の中心を流れる大きな川沿いでは、朝からジョギングに励む人々や、犬の散歩をする人々の姿も見えた。 

 小鳥はそれらの風景の上空を通り、川の元となり、村を囲む山々の中でも一番標高の高い山へと登って行った。その途中からは石段が見え始め、その両脇を桜の木が大輪の花を咲かせて立っていた。

 その石段に沿って登っていくとやがて大きな朱塗りの鳥居が見えてきた。小鳥はその鳥居をくぐりぬけ、前方に見える社の前でほうきを持って掃除をする巫女服姿の少女の肩に止まった。その時、少女の横を風が吹き抜け、クセ一つない漆黒の長髪がふわりとなびいた。

「おはよう。今日もいい天気だな」

 朝日を反射する少女-あおいの黒の瞳はキラキラと輝きながらもしっかりと小鳥の姿を捉えていた。

        


 朝の掃除を終えた葵は本殿の前を通り過ぎ、“人払いの結界”と呼ばれる、神社の関係者以外の人間から結界より後ろのものの姿見えなくする結界を難なく通り抜け、その先にある平屋造りの日本家屋の玄関を開いて中へ入った。

 中に入るとすぐに鰹のいい香りが漂ってくる。葵の足は自然とその香りのもとへと向かっていた

 そうして葵がたどり着いたのは台所。そこにいたのは、大きな鍋を巧みに操りながら朝ごはんを作る一人の少女だった。葵より小柄で金髪の長髪を顔の下で二つに結んだ少女だったが、その後ろ姿はまるで職人。

「あっ、おはようございます、葵さま!」

 少女は葵の姿を確認するとニッコリと笑顔であいさつをした。本来であればきちんとあいさつで返すべきなのだが、少女のその可愛らしい笑顔が葵の頭の中を埋め尽くし、ついギュッと抱きついてしまった。

「うぅっ。朝から可愛いなぁ…」

「あ、葵さまっ!苦しいですぅっ」

「すまないっ」

 少女のその言葉にようやく手を離した葵。だが、再び少女の頭に手をのせた。少女はポカンと首をかしげたが、葵にとってはこの“ふかふか”とした感覚がまたたまらなかった。というのも、この少女、外見は普通の人間の少女の姿をしているのだが、よく見ると一部違う。

 頭を見ると、少女の金髪の髪と同じ金色のふかふかな耳がついており、さらに視線を少し下に下げればこれまたふかふかな尻尾が左右に忙しく振っていた。

「…あの…このままですと、いつまで経っても朝食が出来ないのですが…」

 全く手をどける気が無さそうな葵を見た少女は困り果てたように口を開いた。それもそのはず。鍋に入っていた鰹だしはふつふつと沸騰してしまっている。

「そ、そうだったな。わ、私は皆に声をかけてくるよ。後はよろしくな、蛍」

 葵はハッと我に返り、ようやく少女-ほたるから手を離した。

「よろしくお願いします」

 ペコリと頭を下げた蛍を見て葵はコクリとうなずくと台所を後にした。それにしても、いつ見ても蛍の頬を赤らめた笑顔は可愛い。葵はそんな事を考えながら歩みを進めた。



 一度縁側に出た葵は、前方で竹刀を持って素振りをする少年を見つけた。

「おーい、蓮。そろそろ朝食が出来るみたいだぞ」

 葵の声にピクリと反応した少年-れんは、素振りをやめて葵の方に向き直った。蛍と同じく金髪の髪に金色の尻尾を持っている蓮だが、蛍より少し背は高い。

 それもそのはず。蓮と蛍は双子の妖狐ようこであり。ここ紫貴神社の神使である。

「了解です。ありがとうございます、葵殿」

 蛍より少し背が高いといえど、まだ少々幼さが残る顔立ちをしており、背も葵とほとんど変わらない。

「今日も朝から精が出るな。いや、今朝はいつも以上か」

 身につけていた淡緑色の和服の裾を整えた蓮はニッコリと笑顔で言った。

「はいっ。先日“師匠”が本日いらっしゃるとおっしゃっていたので」

 蓮の言う“師匠”とは、蓮に剣術を教えている師のことである。

 そして、葵にとっては特別な存在。

(今日来るんだよな…)

 葵も中で様々な思い出の回想が始まったが蓮の一言がそれを破った。

「そう言えば葵殿。紫貴様の姿をご覧になりましたか」

「い、いや。まだ見ていないが…。さては、まだ起きていないのか」

 無意識のうちに葵の口からため息がこぼれる。

「私が様子を見てくるから、蓮は先に居間に言ってくれ」

「分かりました」



 そうして再び縁側を歩いていくと、渡り廊下が見えてくる。そして、その渡り廊下を歩き切った先には別棟が姿を現す。葵は別棟唯一の出入り口である障子を開いた。この別棟には部屋は一つしかなく、現に葵の目の前には十五畳ほどの和室が広がっていた。しかし、普通の部屋と違う所がいくつかあり、その一つが、段差が少しある上座とそこに簾が掛けられているということだった。

 この部屋から窺えるのは、部屋の主が高位な人物であるということだ。だが、すだれの向こうに影が無いことから高位かつ葵の探し人はそこにはいないことが分かった。

 そこで葵は、一度部屋を出て別棟の側面にある縁側を歩いて別棟の裏に出た。

 すると、そこには縁側に腰を下ろし空を眺める“妖狐”の姿があった。だが、同じ妖孤の蛍と蓮とは明らかに違う。

 葵の気配に気が付いた妖狐は吹かしていた煙管を口元から離し、ふっと息を吐いた。

「なんだ、葵ではないか。どうかしたのか」

 紫紺の和服を羽織り二コリと笑みを見せた妖狐。

「…別に。朝食がもうすぐ出来るから呼びに来ただけだ。朝から煙管を吹かしてないで早く来た方がいい」

「そうか」

 妖狐はそう言うとゆっくり立ち上がった。

「しかし、その口ぶりはもう少しどうにか出来ぬのか?俺はこれでも“神”だぞ」

 立って初めて分かる神々しさ。いや、本当は座っていた時からひしひしと感じていたものが立ってさらに大きくなる。そして、朝日で輝く銀の髪に銀の耳、九つに分かれた尻尾。日輪を連想させる金の瞳。

 妖狐-紫貴しきは葵に向けて言った。



 ここは村の周りをすべて山で囲まれた御明灯みあかし村の土地神が鎮座する神社、紫貴しき神社。御明灯村を囲む山々の中で一番標高の高い御明灯山の山頂付近に位置するこの神社は千年以上の歴史を持つ由緒正しい神社であった。そして、この紫貴神社を支えてきたのは何も紫貴達の力だけではなかった。

 御明灯山のふもとに代々家を構えてきた一族、「九尾きゅうび家」にまつられることで、その力を維持してきたのだ。

 そして、他の神社と大きく異なるのが、祭神が九尾の妖狐であること。加えて紫貴神社でお役目を果たしているのは葵以外、すべて妖狐、すなわち“妖”だった。

 そんな一風変わった神社、紫貴神社の仕事は御明灯村とある事情を抱えているために、少し変わっている。

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