第2話

 写真の宿が東北地方の北部、青森県に位置する民宿だと突き止めるのに、そう時間はかからなかった。

 井上の両親に心当たりがないか尋ねたところ、元交際相手のミツコが、桜の名所で知られる弘前の生まれらしく、一度家族間の親睦を深める旅行に出たおり、一晩宿を借りた過去が判明したからだ。

 井上夫妻はあまりミツコの話題に触れて欲しくなさそうで、手紙が投函された事実をダシに、ようやく話を進めてくれる有様だった。

 一家が宿を訪れたのは五年前のゴールデンウィーク。弘前市はちょうど桜の見ごろを迎え、公園内は出店と観光客で活気づいていた。

 時期が時期だけに軒並み旅館は満員御礼で、かといって家族そろって結婚相手の家に押し寄せるわけにもいかず、ほとほと困り果てていたところ、ミツコ本人の口から高校時代のクラスメイトが、実家で民宿を営んでおり、空きがあると教えられたのだ。


 写真に写る旅荘『かしわ荘』こそが、その民宿である。


 名前を聞き出し、試しにインターネットで検索をかければ、酷似する画像が幾つか表示された。井上とミツコに所縁ある青森の地は、暗に彼の所在地を示唆しているようで、まさに天啓そのものだった。

 あまりにもあっさりと電話番号、住所が見つかり、次々舞い込んでくる情報は、自分がかの地へ誘われているようですらあり、むしろ不気味に感じてしまう。

 捜査が行き詰まれば愚痴を吐き、順調に進めば進んだで杞憂にかられる。彼は中々面倒な性格の持ち主で、一言で言えばかなり心配性な男、よく言えば用心深い人間だった。

 とかく、瀬戸の警戒が解かれないのは、この事件に限って、このままとんとん拍子に解決するとはどうしても思えなかった、ゆえの慎重さからである。

 そんな彼の予想はすぐさま的中した。


調べた番号へ電話をかけ、情報がより煮詰まる期待に心躍らせていた彼だったが、調査はそこでピタリと止まってしまったのだ。

 瀬戸が、かしわ荘の主人へ井上誠二なる男について尋ねたところ、先方は知らぬ存ぜぬの一点張りを貫くばかりだった。

 いくらこちらが火急の用件があると伝えたところで、一向に情報を開示せず、プライバシーを引き合いに渋られてしまう。

 自分がかつてミツコの交際相手だった男の知り合いだ、と必要最小限の事情を説明し、切羽詰まった態度を示しても対応は変わらない。

 昨今の不景気がよほど身に染みるのか、商魂たくましく宿に空きがあるから、よければと案内を受けた時など自分達が抱える問題と、先方のとらえる深刻さに生じたジレンマからか、苛立ちさえ感じるほどだった。

 特に応えたのは何気なく口をついたであろう一言だ。


「ミツコなんて人、私、知り合いにいないのですが……」


 遠慮がちに答えた声は、瀬戸の勘違いを仄めかし、かつ機嫌を損ねない配慮がしかれていた。

 失念や煙に巻こうとしているのではなく、真剣に、あくまで本心を語っているのがわかるだけに、井上夫妻から仕入れた情報を疑うわけではないが、根本にある情報の齟齬が、瀬戸の疑問をより浮き彫りにする形となっていた。


 電話を終えた彼は、一人デスクで頭を抱えていた。

 気持ち彼の表情がにやけて見えるのは、精神的疲労が理性を犯し、気が触れてしまったからではなく、ある意味究極のポジティブ思考を彼が備えているからに他ならない。

 身に降りかかる災厄でさえも、自分に都合の良く改竄できる図々しさを瀬戸は持ち合わせている。そのぐらい図太くなければ、探偵なんてやっていられない。

 だから現状を彼は、不倫報告に泣き崩れる客の厄介さと比べれば、八つ当たりの嬌声が飛んでこない分気が楽だと、嘯いていたし、事実そこまで深刻に考えていなかった。

 豊かな探偵としての経験からくる余裕は、裏を返せば彼が踏んだ場数の量を表している。

 かつて自分が提出した報告書がきっかけで、殺人事件に発展したこともあった。探偵とは。そういう夢寐にも忘れられぬ修羅場を山ほどくぐる生き物なのである。

 

 加えて彼はとかく物事のバランスを重んじる男でもあった。

 瀬戸の信仰によれば、不幸はもちろん、度の過ぎた幸福も手放しで喜ぶのは危険だ。

 スパイのハウツー本にも似た教訓が書かれているが、彼の卓越した被害妄想は、自分へ舞い込んだ幸運ですら、よからぬ罠ではないかと疑わせるのだ。

 ならば調査に暗雲が立ち込めたことで、ようやく彼は過去の幸福を今日頭する事が出来る。これまでの幸福は正真正銘、証明書付きの神から受けた贈り物だ。

 そんな瀬戸の宗教で一番素晴らしいのは、一度受けた恩恵ですら、今しがた叩き付けられた不幸でチャラになった点だ。

 妄想癖に囚われた男の戯言みたいだが、不幸の次は幸せが訪れるに違いない。彼は本気でそう考えていたのである。


 ともかく鋼のメンタルと、多くの技巧、さらに狂人に近い教えを尊ぶ彼は、東京から遠く離れた青森に行くのに躊躇いはなく、むしろ電話を受けたことで、ますます仕儀を早めたのである。

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