110(-752).Childhood's End


 初めての戦闘。

 全身を鎧で包む天使兵の考えは読み取れない。それぞれに意志があるのか、それとも機械のように淡々と人間を殺すだけか。


 遠くで悲鳴が聞こえる。建物が破壊されるような音、それに爆発音。

 当たり前ではあるが天使兵はこの一体だけではない。『しもべたち』『兵隊』という言葉を使っていたことからそれはわかる。だが、思ったよりその数は多くないらしい。


 できることなら助けに行きたい――だがそんな余裕、今のあたしには残念ながら無い。何しろ目の前の天使兵を無視しようものなら次の瞬間には殺されているかもしれないのだから。

 

(……どうしよう。あたし戦ったことなんかないわよ)


 とはいえこのあたし、初瀬紅音はただの中学生。

 何か特技があるわけでもない非力な人間だ。握った大鎌の柄が汗でぬめるような心地がする。

 それでも戦うしかない。まず家に帰って家族を守らなければ。


 決心し、天使兵を睨みつける。

 一瞬の空白の後――双方の刃がぶつかりあった。


 武器と武器が打ち鳴らす金属音が幾度も耳をうつ。

 相手は的確に武器を振るい、こちらの急所を狙ってくる。首に胸、各所の太い血管――その攻撃を何とか捌く。

 不思議なことにある程度動けてはいる。おそらくこの力が戦いのアシストをしてくれているのだろう。だがそれだけで勝てるか、と言うとそうではない。


(この武器使いにくいわね……!)


 長い柄の先端から真横についた刃、しかもそれは曲線を描いている。つまり普通に振っても刃で敵を捉えることが難しいのだ。先ほどから敵の剣を受け止めているのも大体は柄の部分。これではただの使いづらい棒だ。槍や、それこそ剣ならどれほど戦いやすかったか――そう考え歯噛みする。

 だがわがままを言ってもどうにもならない。与えらえれた武器で戦うしかない。


「やあっ!」 


 相手が振り下ろす剣を弾こうと鎌を斜め上に振り上げる――しかしその剣はフェイント。天使兵は素早く身を翻し鎌をすり抜けたかと思うと、無防備になったあたしを切り裂いた。


「あぐ……っ!」


 よろけながらバックステップで距離をとるあたしの右の二の腕から、ぼたぼたと血が流れ落ちる。とっさに身体を傾けていないと腕が無くなっているところだった。遅れて冷や汗が噴き出す。

 大鎌を使う場合、どうしても大振りになってしまう。考えて戦わなければ隙を突かれてあっという間にやられてしまうだろう。

 

 間違いなくこの天使兵は強い。最初に戦う相手としては破格だ。こいつらを使って、ルナは容赦なくあたしたちを滅ぼすつもりなのだろう。


 まるでゲームだ。人間に力を与え、自分の駒――天使兵と戦うその様をどこからか見下ろして楽しんでいるのだ。


 そう考えると、はらわたが煮えくり返るようだった。どうしてあたしたちがこんな目に合わなければいけない。どうしてこんな風に弄ばれなければいけない。どうして――あんな形で友達を失わなければいけない。

 

「ふざけんじゃないわよ……」


 鎌の柄を開き、腕から流れる血を内部に指で塗り付ける。

 すると大鎌の赤光が輝きを増す。先に投入した友人の血と自らの血が合わさり出力が上がる。

 

 あの友人は、最後にはおかしくなってしまっていたけど、本当にいい子だったのだ。

 入学当初、姉もおらずひとりで不安だったあたしに真っ先に声をかけてくれた。いつも笑顔で明るくて、家族思いだった。

 朝登校して、教室にあの子がいるとほっとした。あたしはそんなに社交的な方じゃない。意地っ張りだし、誰にでも好かれるタイプじゃない。だから友達がひとりいるだけで救われたような気がしていたのだ。

 

 それがあっけなく奪われた。最悪の形で。

 この天使兵に殺されて――いや、あのルナが。あいつがいたから全てが狂った。

 絶対に許さない。


 右手で刃の近くの柄を握り、左手で柄の先端部分を握る。これなら普通に振るよりも小回りが効くだろう。

 だん! と勢いよく地面を蹴り、天使兵の懐に飛び込む。自分でも驚くほどの速さ。この力が全身を強化してくれているのだ。

 この距離ならこちらの方が早く刃を届かせる。 


「せええやあああっ!」


 すれ違うように切り抜ける。振り向くと天使兵の脇腹は切り裂かれ、その傷口から白い光が血のように滴り落ちていた。これならいけそうだ。

 天使兵が横殴りに振る剣を、柄を使ってかち上げる。がら空きになった身体に、全力の斬撃を叩きこむ。

 天使兵は怯む。攻撃が効いていることを確信した。すかさず蹴り飛ばすと受け身も取らずに天使兵は倒れ、あたしはそこに渾身の力を込めて大鎌を振り下ろした。

 鎧に突き立つ刃。そこから天使兵の全身にヒビが広がり――粉々に砕け散った。

 

「はあ、はあ……勝ったの……?」


 天使兵の残骸を見下ろしていると、それは砂のように変化し風に流されどこかへ消えた。

 とりあえず、当面の危機は去ったらしい。

 周囲を見回すと誰もいない。道路に車が点在しているが、乗り捨てられたのか、誰も乗っていない。みんな天使兵を見て逃げてしまったのだろうか。

 

 友人の死体は、どうにもできなかった。

 埋めるにしてもこの辺りはアスファルトやコンクリートばかりで、遠くに行かないと土の地面はない。それに抱えて運ぶのもはばかられる。


 とにかく複雑な思いが渦巻いていた。この友人もまたあたしを殺そうとしたのだと思うと、やりきれない気持ちになる。どうして人間同士で争わなければならなかったのか。

 そんな思いを振り切るために、帰路へと足を向けた。この時はなによりもう、疲れていたのだ。




 静まり返る住宅街を走り抜ける。

 まるで街が抜け殻になってしまったかのようだった。かすかに鉄臭い香りが漂っていて、嫌な想像を喚起させる。


 自宅にやっと到着すると、一息つく。少し安心した。

 ガレージを見るとパパの車があった。おそらく急いで帰ってきてくれたのだろう。よかった、と胸を撫で下ろす。家族が揃っていればきっと大丈夫だ。

 

 そんな想像は家に入った瞬間に瓦解した。

 静まり返る家の中、壁や床に切り裂かれたような傷があちこちについている。あの天使兵の姿と、使っていた剣がフラッシュバックした。

 一瞬頭が真っ白になり――すぐに振り払う。

 早く家族の安全を確かめなくては。

 傷は無作為についているわけではなく、一定の方向に続いている。まるで森の中で迷わないように木に傷をつけていくかのようだった。

 その傷に導かれるようにして、あたしは二階を目指し階段を上がる。


 

 ほとんどのドアは閉じられている。

 その中で一つだけ半開きになっているドアがあった。夫婦の寝室だ。

 ごくり、と生唾を飲み、勢いよく踏み入った。


「――――」


 そこには天使兵が立っていた。

 先ほど会ったものとは少し鎧のデザインが違うが、間違いなく同種。

 そしてその足元には、


「パパ、ママ」

 

 掠れた声が喉から漏れる。

 パパとママは、折り重なるようにして血だまりに倒れていた。

 今しがた殺されたばかりなのか、今も血が流れ続けている。おそらく、まだ温かいだろう。


 本当はわかっていたのだ。

 壁や床に傷がついているということは天使兵が踏み入った後だということで、その上で家の中が静まり返っているというのは、つまり……。


「…………」


 無言で大鎌を取り出す。

 合わせるように、天使兵も血が付いたままの剣を構えた。赤い血がどろりと滴り落ちる。

 怒り。悲しみ。それらが力に変わっていくようだった。もうどうなっても構わない。とにかく目の前のこいつを倒さなければあたしの気が収まらない。


「うあああああっ!」


 全霊を懸けた大鎌の一閃が、容赦なく天使兵を、その剣ごと両断する。

 膨大な力が全身を満たしていた。両親の血を吸い上げ、大鎌は再び強化されているようだった。

 だがこれでは終わらない。


「死ね、死ね、死ね、死ねええええええっ!」


 何度も何度も大鎌を振るう。

 天使兵の身体が切り刻まれ、そのたび夫婦の寝室にも傷が刻まれる。

 あっという間に八つ裂きになった天使兵は、すぐに砂と化し消滅した。


「う……ふ、うぐ……ううううう」


 あまりに空しい。例え天使兵を殺しても、両親はもう二度と戻ってこないのだ。

 うずくまると涙が流れだす。どうしようもなく吹き荒れる悲しみの嵐に、ただ身体を丸めて耐えることしかできなかった。

 

「…………紅音あかねちゃん!?」


 そんな時、お姉ちゃんが寝室に入ってきた。

 振り返ると、お姉ちゃんは両親の姿を認め息を飲んだ後、あたしに近づいてきた。

 その身体のあちこちに切り傷や打撲痕が見える。彼女もまた戦ってきたのだろう。

 お姉ちゃんだけでも無事でよかった。


「お姉ちゃん、あたし、あたし……」 


「大丈夫よ、私がいますからね」


 そう言ってお姉ちゃんはあたしを抱きしめる。走ってきたのか、熱い体温が心地よかった。お互いが生きていることを実感する。

 しかし彼女の身体は小刻みに震えている。彼女もまた、両親を失ったのだ。


紅音あかねちゃん、行きましょう」 


 お姉ちゃんはあたしの手を引き立ち上がる。

 その瞳には強い意志が感じられた。覚悟を決めた人間の目だ。


「ど、どこに……?」


「仲間のところ。私たちみたいな力を持った子どもたちが、今集まりつつあるの」


 両親を失い、天使兵がはびこるこの世界では、もうこれまでのように生きていくことはできない。

 この日、あたしの日常は完全に崩壊したのだった。

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