109(-753).また明日って言いたかった


 戦争。

 こんな時代に起こるなんて一度も思わなかった。それだけ平和というものを当たり前に享受していたのだろう。

 未曽有の危機に対し、人類は手を取り合うことではなく、奪い合うことを選んだ。

 世界を満たしていた秩序が、少しずつ崩れていく。




「○○国と○○国――死傷者は――これによって――甚大な――」


 近頃はテレビもネットもそんなニュースばかりだ。

 以前はそのたびチャンネルを変えたりして情報を遮断していたが、もう慣れてしまった。たくさんの人が死んでも、少しずつ心が動かなくなっていく。

 そんなことが当たり前の世界になってしまった。


 ただ、以前よりはそういった戦争は少なくなってきていた。

 それはなぜか。人類が争うことをやめようと考えたわけではない。戦うことに疲弊したわけでもない。


 あの女神――ルナの介入があったためである。

 

 戦争が激化するとルナが現れ、真っ白な光の雨を降らせて二つの勢力をまとめて滅ぼした。

 まさに神のごとき力。指を少し動かしただけで大勢の人間の命を奪った。


 しかし全滅させたというわけではない。

 双方の争いの意志が無くなったことを認めるとどこかへと去っていくのだ。

 滅ぼすと言っておきながら、そしてそれを実現できる力を持っていながら、なぜか殺し尽くしてしまわないその行動は、日夜議論の種になった。真剣に、あるいは面白おかしく。


 楽しんでいる、弄んでいる――あるいは何かほかの理由があるのか。

 答えは出ない。あれからルナは我々人類へ向けて言葉を発することはない。

 だが戦地には必ず赴き争いを止める。

 一体何がしたいのだろう。どういう考えで動いているのだろう。

 それはまだ、誰にもわからない。



「――――かね。紅音あかね!」


「……ん?」


「どしたん鮭の切り身と見つめあって」


 学校の昼休み。

 ひとつの机を友人と二人でわけ、あたしたちは昼食をとっていた。

 世界が変わっても、大きく生活が変化するわけではない。

 だが、いつかはこういった時間が無くなってしまうような予感もある。きっといつまでもこのままではいられないのだ。現に数か月前と今の日常は全然違う。


「なんでも。地球の未来を憂いていただけよ」


「すご。スーパーヒーローじゃん」


 などと軽口を叩きあい弁当をつつく。

 この友人は入学してすぐに仲良くなった。席が近かったというだけだが、なんとなくウマが合ってそのまま付き合いが続いている。少しお調子者な面はあるが、いい子だ。


「まあでも、いろいろ考えちゃうよね。このままどうなっちゃうのーとかさあ」


「あんた考えとかあったの?」


「あるわい! 昨日の小テスト私のが点数あったでしょ!」


「たしかに」


 すごいわ、と言いながら音を立てない拍手をしてやると、素直に照れ始めた。そんなにちょろくて大丈夫なのか。

 そう思っていると友人は静かに笑顔を薄めこう言った。


「ここのところ、いろんなところで戦争があったじゃん」


「うん」


「この国もさ、いつかはそうなっちゃうのかなって。そしたらお父さんとかが戦いに行かないといけないのかな……」


「ああ……うーん、でもどうかしら。戦争なんてしたらまたあのルナって奴が」


 憂鬱そうな友人を慰めようとそこまで言ったところで、口を塞がれた。

 慌てた友人に手をかぶせられたのだ。


「ルナ様にそんな口を叩いちゃだめだよ! どこでお聞きになってるかわかんないし……お怒りを買えば裁きが下されるよ……!」


 焦った様子でまくしたてる友人に、思わず閉口する。

 不自然なほどに敬う口調に少しだけ嫌悪感を覚えた。身を乗り出した友人の胸元で、満月をかたどったペンダントがきらりと光を放つ。

 とんとん、と口を塞ぐ手を叩き、離してほしいという意を示すと、大きなため息をひとつついて解放してくれた。息がしたいのはこっちの方だ。


「わかった、わかったわよ……」


「もう。気を付けてよね」


「ていうかそのペンダントは何?」


「これ? これはねー、ルナ様を信じる者の証っていうか……これがあれば救われるんだって。紅音あかねも集会来てみない?」


「…………また今度ね」 


 このところ、友人の様子が少しおかしい。

 おかしな集まりに顔を出すようになり、「ルナ様を信じれば救われるのだ」と主張するようになった。なんでも人類が争いをやめればあの女神が”お許しになる”だとか、善を全うしたものだけが滅びから逃れられるのだとか。

 

 これさえなければいい子なのだが。

 それにしたってこのペンダントは高すぎる。一万って。




 

 下校時刻となり、日が傾き赤く染まった帰路――道路沿いの歩道を友人と二人歩く。

 ……なんだか少し疲れた。部活もないのに。


「ねえねえ紅音あかね、私はこれから集会に行くけど、紅音あかねはどうする?」


「あたしは直帰するわ。お姉ちゃんも帰って――――」


 そう誘いを断ろうとした瞬間だった。

 ザザ、と頭にノイズのような音が響く。


《久しぶり――と言った方がいいかな、人類の諸君》


 再び。

 あの女神ルナが姿を現した。

 声は頭に直接響き、網膜にはルナの姿が投影されている。

 

 突然のことにうろたえていると、隣ではいつの間にかひざまずいた友人がぶつぶつと何事か唱え始めた。ここまで心酔していたとは――内心で少し恐れを抱いたが、今はルナに集中したほうが良さそうだ。


《さて。しばらく君たちのことを見させてもらったが……がっかりだ》


 心から残念そうに嘆息する白い少女。

 どういうことだろう。積極的に人間を殺そうとしないことと言い、他に何か狙いでもあるのだろうか。


《団結しないばかりか奪い合うとはね。見るに堪えないから殺してしまったよ。もしかしたらこうなるんじゃないかと思ってはいたが、やれやれ、人間とはこうも……まあいい》


 まるで、気が進まなかったとでも言いたげだ。

 以前は滅ぼすと言ったのに、これでは矛盾しているのではないか。


《立ち向かうのも自由だ、とは言ったもののやはり最初に脅かしすぎたかな。あれでは戦意喪失しても仕方ないよね。だから》


 ルナがそう言って指を鳴らした途端。

 暮れの空に流星群が降り注いだ。

 数え切れないほど多くの真っ白な光があちこちへと――おそらく世界中に降り注いでいく。


《君たちに武器を与えることにした》


 流星は突っ立っているあたしと、横にいる友人に直撃。

 凄まじい轟音が鳴り響いた。


《与えるのは未来ある子どもたち。その光に適応したものは超常の力を得ることができる。わたしの首元に突きつけるためのナイフをね》


「あ、ああ、うぐうううう……っ」 


 凄まじい感覚だった。

 全身がミキサーでかき混ぜられるような、内臓の位置がひとつ残らず入れ替わってしまいそうな、あたしがあたしで無くなりそうな、壮絶な時間がしばらく続き――――


「はあ、はあ、はあ、はあ――――」


 唐突に終わった。

 特に身体にわかりやすい変化は見られない。

 だが、感じる。今までにない力があたしに宿ったのを。説明されるまでもなく、この力がどういうものなのか、どうやって使うのか……それが理解できる。


《さて、終わったころかな? ならそろそろ始めるとしようか》


 これ以上なにがあるのか、何が起きるのか――そう思案する。

 よくよく考えれば、こんな力を渡してはい終わりというのもおかしい話だ。だからこれから始まるのはきっと……。


《これからわたしのしもべたちを放つ。人間を的確に探し出し殺す兵隊だ。死にたくなければ、そして大切な人たちを守りたければ……その力を振るい戦いなさい。『経験値』にはなるでしょう》


 じゃあゲームスタート――そう言い残し、ルナは消えた。

 説明が足りなすぎる。わからないことだらけだ。

 兵隊。人間を殺す。そんな不穏な単語が頭の中をぐるぐる巡る。

 

 そうだ、友人はどうなっただろうか。彼女も異能を持っているのなら――そう横を見ようとした瞬間。


「があああああっ!」


「ぐ……っ」


 何かがあたしを押し倒し、馬乗りになった。

 最初は、例の『兵隊』とやらが襲ってきたのかと思った。ならば戦わなければと。

 だが違った。


 襲ってきたのは、友人だった。


「なに、する……のよ……!」


「なんでお前が選ばれて私が選ばれない!?」


 金切り声をあげ、友人はあたしの首を絞め始める。指が食い込み喉が詰まった。

 友人の目は血走り正気とは思えない。


「ルナ様のッ、寵愛をッ、なぜおまえだけが受けられる!? 私は信じたのに、あれだけ信じていたのに、善行だって積めるだけ積んで、死ぬ気で稼いだバイト代も全部寄付して、教祖様への奉仕も他の信者の誰より頑張って、だってそれが正しいことだから、正しいことをしないと死んじゃうから、信じないと殺されるから、だからだからだからだから私はァァアアアッ!」


 ――――ああ、そうか。


 何にも大丈夫じゃなかったんだ。

 あたしが信じる日常はとっくの昔に壊れていて、二度と元には戻らないんだ。

 いつからそうなった? 誰があたしの日常を奪った?

 首を絞められ薄れていく意識の中であたしは考える。


 そうだ。あの女神が来た時からだ。


 その答えを得た瞬間だった。

 ずしゃ、と湿った音がした。


「……え?」


 友人の腹から何かが伸びている。

 それは真っ白な刃物に見えた。それが真横にずずず、とスライドし――友人を切り裂いた。

 血液を撒き散らしながら友人はあたしの隣に倒れこむ。


「あ、あああ……これが……救済……?」


 その言葉を最後に友人の瞳から光は消え、あっけなく動かなくなった。

 死体を見るのは、これが初めてのことだった。


「げほっ!」


 せき込みながら顔を上げると、そこには天使のような何かがこちらを見下ろしていた。

 全身を白銀の鎧に包み、背中からは同じ色の翼が生えている。右手には長剣が握られていて、刀身に赤い血がべっとりとついていることから、この天使が友人を殺したのだということがわかる。


 助けられた――そう思ったが、すぐに思い出す。

 しもべたち。人を殺す兵隊。それがこの天使だと直感した。


 天使兵はこちらを見下ろしている。そしておもむろに剣を振り上げ――あたしのことも殺すつもりなのだろう。


 こんなところで死にたくない。

 すぐ隣で冷たくなっていく友人のように。

 ならば――戦うしかない。


 ドクン、と心臓が脈打つ。

 力が身体の奥底からあふれ出そうとしている。

 それに恐れと躊躇いを感じ……すぐさま振り払う。


 直後、硬質な金属音が鳴り響いた。


 天使兵の振り下ろした剣を何かが押しとどめていた。

 あたしの手の内に虚空から現れたそれは大鎌。

 長い柄に、三日月形の刃を備えた武器。

 

「これが、あたしの力……?」


 驚愕に目を見開いていると、あたりに飛び散っていた友人の血が大鎌へと吸い込まれていく。

 すると刃が深紅の燐光を放ち始めた。


「らあっ!」


 気合とともに天使兵の剣を押し払い立ち上がる。

 いつしか日は落ち、夜空には満月が昇っていた。


 これからどうすればいいのかはわからない。

 でも、とりあえず目の前にいるこの敵を倒さなければ――あたしは家に帰れないらしかった。

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