103.見上げた空に君がいる
ぶち、という音が聞こえた。
噛みしめた唇の端が切れたらしい。鋭い痛みとともに血が流れ出した。
いつしか頬から流れていた涙と混ざり合い、その赤は顎から滴となって透明な床に落ちる。
泣いている? なぜ?
…………きっと切れた唇が痛いからだろう。
いつまでたっても泣き虫が治らない。
でも大丈夫。泣いていたって前は見える。少しだけぼやけてしまっているけど戦える。
決心したんだから、幼馴染を倒すことだってできるはず。
ああ、こんな想いも邪魔だ。
もう何も考えたくない。
「ああああああああッ!!」
身体の奥底から計り知れない力が溢れ出す。
全身から迸る白光は止めどなく青空を染めた。目を開ければ潰れてしまいそうなほどの輝きを、しかし
「それを見たかった。それを求めてた」
相対する
身体をおもむろに反らしたかと思うと、その背中から翼が飛び出した。
太陽のように輝くその翼は、天使のそれにも見えた。
「ここからは本気で行く!」
翼を広げると、無数の羽が射出され舞い上がり、一斉に神谷へと襲い掛かる。
だが神谷もまた数え切れないほどの火球を生成。すべての羽を打ち落とし、同時にプラウへと接近する。
火球と同時に生み出していた黄金の光が左腕に収束、剣と化し――極大の斬撃が放たれる。それを紙一重で回避したプラウは六本の槍を作り次々に撃ちだしていく。
「…………!」
まっすぐ撃ちだされた一本目。剣で受け止めるが、拮抗のち打ち消しあい剣は消滅。
挟み込むように襲う二本目と三本目。プラウ・ワンの
四本目は真上から。目視することなく後ろに一歩飛んで回避――しかしそこに五本目。すでに真後ろへと転移されていた槍が背後から飛来する。
「くそ……!」
とっさに身を捩るが避けきれず。脇腹を抉られ膝をつく。少なくない量の血が噴き出したのがわかる。
そして、六本目を握りしめていたプラウは手元に戻ってきた五本目をつかみ、二刀流の形。そのまま神谷に向かって振り下ろした。
しかしそれが柔肌を裂くことはなく空を切る。
「なに……!?」
「――――プラウ・ツー」
一瞬で背後に回った神谷は静かに呟く。
いつだったか、『スピード最強』と神谷が言っていたのを
基本的に接近戦を生業とする神谷にとって、それは真実だ。
慌てて振り返ろうとする光空――だが間に合わない。
ひゅう、という風を切る音とともに振るわれた脚が背中に炸裂し、そのまま上空目がけ蹴り上げる。
「がは……っ」
背骨からみしみしと嫌な音がする。
高い高い青空の中、何とか体勢を立て直――すその前に、
振り上げた右足に激しく稲妻が収束するのが見えた。まるで雷の斧だ。
落雷じみたその一撃は
「ぐっ、げほ、がはっ!」
とっさに翼で防いだが抑え込めず食らってしまった。えぐれた腹から血がこぼれる。
見上げると次は黄金の光が左腕に集まり剣の形をとっていた。
「ハァ……やっぱり沙月、ひとりの方が強いんじゃない……?」
煽るような物言いにぴくりと眉を動かしたが、構わず剣を振るう。すると無数の斬撃が地上の
この密度と範囲は回避不可能。ならば受けきるしかない。
翼から羽を撃つことはできない。先ほどの攻撃で弱ってしまい少しの間駆動が不自由になってしまっている。ならば。
「思わなかった? それだけの力、全力で振るえば今までもっと簡単に勝てたんだって」
二振りの槍を生み出し携える。
雨のように降る斬撃を睨みつける。
「きっと沙月は必死に戦ってたんだと思う。でもね、それは今の沙月だから苦戦したんだよ! 仲間がいたから敵が強く感じたんだ!」
槍が躍る。
全ては打ち落とせない。しかし致命傷になりうる軌道を通るものだけは確実に弾く。
身体に次々と傷が刻まれ血飛沫が舞う。それでも手は止めない。
耳をつんざくような金属音が連続し――いつしか雨は止んでいた。
「はあ、はあ、はあ……一年前のあの時、私と再会した時の沙月なら、すべてを拒絶するような心を持っていた沙月なら、プラウなんかみんな簡単に倒せたんだ。でも沙月は、あの日私と――――」
「もう喋らないでよ!」
その声に、思わず見上げる。
神谷は今にも泣きだしそうな表情をしていた。
眉間にしわを寄せ、引き結んだ唇は破裂してしまいそうな感情にぶるぶると震え――それでも一滴たりとも雫をこぼすまいと堪えている。
その手には巨大な火球が掲げられていた。全てを焼き尽くさんとする業火の惑星が、今にも落ちようとしている。
「もうぐちゃぐちゃだよ。どうしたらいいのかわかんない。このままじゃ誰かが死んじゃう。でもどうしようもない。誰も殺したくないのに、殺さなきゃいけない」
「…………このゲームのシステムはどうやっても変えられないけどさ。それでも二人を巻き込んだのは沙月だよ。そして、私と仲良くなってしまったのも同じように沙月、君だ」
「わたしが……間違ってた」
「そうだよ。だから最後の最後で選択を迫られることになった。本来は――まあ、いまさら言っても仕方ないことだけど……そもそも沙月以外の人が入れるようになってたのが悪いと言えば悪いかな……」
……そこまで望むのは少しかわいそうだけどね、と付け足すように呟いた。
今になって神谷は気づく。
「陽菜は……陽菜は何がしたいの? 何を、考えてたの? どんな気持ちで今までわたしと一緒にいたの……?」
「はは……何がしたいんだろうね、私は。もうなんだかわからなくなってきたよ」
ただ使命を全うしなければいけないという強い意志だけが、なかば強制的に
どんな手段を使ってでも果たさなければならない。もう命令は下っている。円周率の計算を命じられたコンピュータのように、終わりを迎えるまで止まれない。
どうしてこうなってしまったんだろう――そんなことを聞きたいのは、神谷だけではない。
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