66.消えない残像


 正直言って賭けだった。

 正しい方法でゲームを終了しなかった場合どうなるのかがわからなかったからだ。

 もしかしたら、無理やり作った出口からでは元の世界に戻れないかもしれない。例え戻れたとしても傷が治っていないかもしれない。そういったリスクは現実的に存在した。

 それでもその時はそうするしかなくて、だから必死だった。

 どこかへと消えてしまった記憶の糸を必死に手繰り寄せ、自分にできることを全力で為した。

 

 そこまで懸命になれたのは園田と神谷を大事に思っていたからだ。どこの誰とも知れない自分にも優しく接してくれたから。そんな二人が失われるなどあってはならなかったから。


 だから必死に奇跡へと手を伸ばした。

 それが叶ったのはひとえに想いの強さゆえだったのだと思う。

 なぜなら、異能というものは本人の心のありようが強く作用するものだから――ああ、これを聞いたのは誰からだっただろうか。とても大切な人だったような気がするのだけれど。




「よ、よかった……!」

 

 アカネの目の前にはきれいさっぱり傷が無くなっている二人がいた。

 もう目を覚ましているようだ。

 神谷はベッドの上に座り込み、園田はそのそばに立っている。


「あ……アカネちゃん、ありがとうございました……」


 精神的な疲労が激しいのか、園田からは気力が感じられない。だがとりあえず無事なようだった。アカネはひとまず胸を撫で下ろす。


「いいのよこれくらい。それで、あんたは? 大丈夫?」


 切り飛ばされた右腕はきちんと生えているようだ。

 だが、少し様子がおかしい。目を見開いた状態で固まっている。車に轢かれかけた猫のような様子だった。

 

「ちょっと、聞いてる? ほんとに大丈夫?」


 肩を軽く揺さぶると、大きく肩をびくつかせ、ぱちぱちと瞬きした。精巧なアンドロイドが再起動したかのような動作だった。

 ゆっくりと首を回し、アカネの方を見ると、にこりと笑顔を浮かべた。


「…………ああ。ありがとうアカネ。ほんとに。みどりもごめんね。考えなしに突っ走っちゃって、本当に反省しなきゃだよ」


 はは、と乾ききった笑い声を漏らす。

 アカネと園田はそれに途轍もない違和感を覚えた。


「ねえ、あんた――――」  


「ん?」


 この少女は――神谷は、自分が今している表情を自覚しているのだろうか。

 口角を上げて、歯を見せ、目を細めれば笑顔に見えると、本気で信じているのだろうか。

 首を傾げ”屈託のない笑顔”を見せる神谷を見ていられなくて、アカネは顔を逸らした。


「――いや、いいわ。とにかく今は休みましょう。みどりも」


「…………え、あ、はい」


 少し遅れて園田が返す。

 

「もうすぐ夜だね。ごはん作らなくちゃ」


「いや、だから今日はもう休みなさいって」


「大丈夫だから」


 笑顔のままではあったが頑なだった。

 瞳だけが少しも笑っていなかった。


「わかったわ。行きましょう、みどり」


 アカネと園田は連れ立って出て行った。

 園田は、何も言わなかった。神谷の方をまともに見ることもなかった。

 

 ぱたんと空気を含んだような音と共にドアが閉じられる。

 部屋が一気に静かになった。


「…………っ!」


 神谷はそばにあった掛け布団で思わず口を覆う。

 そうしないと叫び出してしまいそうだった。

 ぎゅう、と強く目をつむると、先ほどの情景が鮮明に蘇る。

 あの記憶から隠れようと、布団を頭からかぶってうずくまる。


 閃く剣。

 空を切る拳。

 冷たい感触。

 突然の喪失感。

 目の前に落ちた腕。

 そして、あの痛み。

 絶望的なほどに流れ出す赤い血。


 全身の震えが止まらない。

 思わず自分の身体を掻き抱く。それでもぶるぶると震え続ける。

 左手で右腕を掴んで、感触を確かめていないと頭がおかしくなりそうだった。


 あの時、間違いなく神谷の目の前に死があった。

 意識が恐ろしい勢いで遠のいて、どんどん身体が冷たくなっていくのを感じて。どうにか動こうとしても動けなくて――いや、動こうという意思すらあっという間に消えていって。


 だがなによりも、死ぬと分かっているのにそれを受け入れようとしていた自分が怖かった。


 以前のように『今から殺される』と受け入れるのとはまた少し違う。

 おびただしい量の出血という、残酷な程に現実的な理由で死ぬことが確定しているのに、それを受け入れようとしていた。『嫌だ』とすら思えなかった。そんな意志すら死のうとしていた。

 死の寸前、人はここまで怠惰に身を落とすのかと、その時のことを思い返すだけで恐怖がぞわぞわと這い上がってくるようだった。


 アカネの異能とゲームの仕様によって助かりはした。だけどそのことも怖かった。

 何事も無かったかのように腕が生える、なんて――今までも傷は治っていた。だが今回は恐ろしいほどの実感を伴っている。

 あるはずのパーツが欠けてしまう恐怖。それが簡単に元通りになっているという事実。

 今まで当然のように受け入れ、目を逸らしていたものが、今になって神谷を襲っていた。

 

 【TESTAMENT】というゲームも、プラウという怪物も。

 今になって、恐ろしくて仕方が無かった。

 

 あのゲームはいったいなんなのか。あんなものを創れるカガミとはいったい何者なのか。

 自分は、なにかとんでもない事態に身を投じてしまっているのではないか――そう思わざるを得なかった。


 


 時を同じくして園田みどりもまた、自室で打ちひしがれていた。

 神谷を守れなかったという悔しさと無力感に涙を静かに溢れさせていた。

 だが本来、今回の事態において園田に責任があるかというとそうではない。神谷が無鉄砲に急いた戦い方をしていたのが原因なのだ。


 だが、園田はそれでも悔しかった。

 何のために自分がいるのかと。

 神谷が本調子でないなら支えるのが自分ではないのかと。

 今もまだ、右腕を無くした神谷の姿が強く脳裏に焼き付いている。

 打ちひしがれる園田の瞳からもうひとつ雫が落ちた。


 大切な人を守り抜く……それは、少女が背負うには重すぎる役目だったのかもしれない。

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