65.はじめての


 生まれてこのかた、大怪我らしい大怪我をしたことが無かった。

 交通事故にも遭ったことも運良く今のところ無い。

 小学生くらいまでは、それはもうやんちゃで、遊びや喧嘩などで作る擦り傷の類は枚挙に暇がなかったが、それでも身体が丈夫だったことが幸いして大した怪我もなく過ごしてきた。

 中学ではバスケットボールを始めたが、それでも最初の頃の突き指くらいだっただろうか、病院に行ったのは。骨にヒビが入ったことも折れたことも無い。危険な接触などはあったが奇跡的に怪我には至らず、どれだけ丈夫なんだと呆れられたくらいだ。


 そして、高校では。

 【TESTAMENT】という命を懸けたゲームに挑むことになり、最初の戦いから両腕の筋肉や骨がめちゃくちゃになるという貴重な経験をした。死ぬほど痛かったが、それでもその時は興奮もあってか脳内物質がその痛みを和らげてくれたらしい。

 そしてその次の戦いでは、胴を鋭い触手に貫かれた。こうして思い返すと恐ろしいが、その時は幸いと言っていいのか同時に気絶し、目覚めた時には全てが終わっていた。だからはっきり言って実感が薄い。


 だから、今現在、自分の身体を襲ったこれは初めての苦痛だった。


「あ……あ、ああ、あああああああああああッ!」


 右腕が肩口から切り飛ばされた。

 信じたくはないがそれが現状らしかった。

 目の前に自分の腕が転がっているという状況に強い吐き気を覚える。今まで生きてきた中でもっとも現実味の薄い状況だ。


 だが、右腕から伝い全身を支配する激烈な痛みが、これは現実だと叫んでいた。


(痛い――片腕を失った状態であいつに勝つ方法――痛い――プラウの残り時間は――痛い――みどりは――痛い――いたい――痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い――――!)


 必死に頭を回し、現状を打開するために策を練ろうとするが、思考が痛みに支配されそれも敵わない。うずくまって堪えるのに精いっぱいで、戦うなんてできそうもなかった。気でも失ってしまえれば楽になれるのかもしれないが、異能がこんな時ばかり神谷の意識を補強していた。

 神谷は、生き地獄という言葉の意味を肌で理解した。


「はあっ、はあっ、はあっ、はあっ!」 


 呼吸がおかしい。今までどうやって自分が息をしていたのかも思い出せなくなっていく。酸素が足りず視界が歪む。今も血を流す右肩を直視できない。形を成した命が凄まじい勢いで流れ出しているような感覚だった。

 これほどまでに恐ろしいことがこの世にはあったのか。自分のシルエットが崩れるという事態は、恐怖を身体の芯まで染みこませた。全身が燃えるように熱いのに、冷たい汗が噴き出していた。

 

 このまま死んでしまうのだろうか。


「やだ…………」


 ぽたぽた、と目尻からこぼれた雫がアスファルトにシミを作る。


 何を間違えてしまったのだろう。

 衝動に任せて起動したことだろうか。

 園田の言うことに耳を貸さなかったからだろうか。

 怒りに溺れて敵を倒そうと思いあがったからだろうか。

 今までは上手くいってきたから今回も大丈夫だ、などという根拠のない自信を抱いてしまったからだろうか。

 いや、それ以前に。


 願いを叶えようなんて考えが間違っていたのではないだろうか。


「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」


 額を地につけてその言葉をひたすら繰り返す。

 誰ともなしに漏らしたそれは、しかしとある少女に届く。


「沙月、さん…………」


 園田が目を覚ました。

 だがこの状況ではどうしようもない。

 園田単独で勝つことはできない。ダメージでろくに動かない身体では何も守れない。


 敗北。それが彼女たちを襲う絶望の名だった。




 その世界に再び現れたアカネが最初に目撃したのは、惨状というほかない光景だった。

 血まみれで倒れる園田、そして――右腕を切り飛ばされたと思しき神谷の姿がそこにはあった。

 

「なによ、これ」


 激しい動揺の中――しかしアカネは不思議と冷静だった。心の静と動が食い合うことなく共存していた。そこら中に血の匂いが立ち込める状況だというのに。

 まるでこんなものは見慣れているとでも言うような自身の反応に困惑する。

 失われた記憶には、いったいどのような経験が含まれていたのか……。

 今になって恐ろしくなる。しかし目の前で展開されている絶望が、彼女に刻まれた記憶の一部を喚起した。


「……知ってる。あたしは”これ”の使い方を」


 倒れる二人の向こうには黄金の剣を持った騎士がいる。それはとどめを刺すつもりなのか、二人の方へとゆっくり歩いてくる。まずは奴をどうにかしなければ。


「来て」

 

 声に応え、どこからともなく真っ白な機械仕掛けの大鎌が現れる。

 両手で握りしめ、騎士の元へと駆ける。


「あ、アカネちゃん……そいつ、強いです……」


 園田の横を通ったとき、そんなか細い声を聞いた。

 わかってる、と呟き返す。

 見た目だけ、その所作だけであの騎士が強いというのがわかる。

 それだけの経験がアカネには蓄積されていた。


「――――真っ二つにしてやるわ」


 振り抜いた刃と刃がぶつかり合い、火花を散らす。

 ぎりぎりと押し合い拮抗する剣と鎌――いや、少しだけアカネが勝っている。

 驚くべきことに、少なくとも純粋なパワーであれば騎士のプラウを凌駕していた。


 だが埒が明かない。

 時間をかけている場合ではないのだ。

 はっきり言って、アカネは一人だけでこのプラウを倒せる自信は無かった。

 間違いなく強敵。その上二人を庇いながらとなると苦しいと言わざるを得ない。

 倒しさえすれば二人が回復することを考えると捨て置いて戦いに専念すべきではあるのかもしれないが、アカネにはどうしてもできなかった。目の前で誰かが傷つくのをただ見ているなどというのは、彼女にとって何があってもあり得ないことだったのだ。


 だから。


「足元がおろそかね」


 押し合いを突然やめたかと思うと、急激に体勢を低くし騎士に足払いを仕掛ける。

 騎士はバランスを崩し――そこに第二撃。大鎌をバットのようにフルスイング。金属が金属を打つとんでもない轟音を響かせ――騎士は10m以上も宙を舞った。


 だがそれをゆっくり見ている余裕はない。

 

「貰うわよ!」


 アカネは大鎌の柄の表面をスライドして開いたかと思うと、地面に流れた神谷の血を指ですくい、開いた柄の中にその指を押し付けた。

 すると、白い鎌が真っ赤に染まり、強烈な燐光を発し始める。溢れそうなエネルギーは稲妻となって大鎌を駆け巡っていた。その様子にアカネは少し驚き、しかしすぐに表情を固める。


「真っ二つにしてやるわ」


 大鎌から放たれた電子音に、アカネは応えるとともに大鎌を構える。

 赤い燐光は輝きをどんどん増し――ひときわ大きく輝いた瞬間、全力で大鎌を振るう。

 深紅の鎌が描く奇跡はまるで三日月。

 その刃は、極限まで高められたエネルギーと共に虚空を切り裂いた。


 アカネの異能――それは血を捧げることで、力を増す。何ものをも切り裂いてしまうほどに。


 切断された空間はぱっくりと口を開け、その向こうには白い奔流が渦を巻いている。


「みどり! そいつ連れてこの中に入りなさい、元の世界に帰れるはずよ――っこの! しぶといのよこいつ!」


 いつの間にか立ち上がっていた騎士の剣を受け止める。

 大鎌の出力は元に戻っている。先ほどの一振りをこの敵に使うことも考えたが、かわされた時のリスクを考えると使えなかった。空間をも切り裂く以上、回避されるだけで消費してしまうのだ。

 

「で、でも――クリアしてないまま戻って、もし沙月さんの腕が治ってなかったら…………」


「ここにいるよりよっぽどマシよ! あたしもそんなに持たないから早くしてちょうだい!」


 先ほどの空間を裂いた一振り――思った以上に消耗が激しい。その証拠に騎士に押され始めていた。二人が戻ったら自分もすぐに後を追わなければならない。空間の裂け目はみるみる小さくなっていく。このままでは本当に戻れなくなる。


 園田は、アカネの言う通りだと思った。

 今、神谷よりも優先すべきことはない。こうしている間にも彼女の右肩からは赤い血がどくどくと流れ続けているのだ。

 いつの間にか気を失ってしまい、ぐったりと身体を横たえている神谷を見ると、恐ろしい出血量に思わず悲鳴をあげそうになる。顔色が死人のそれのようだった。


「もう少し踏ん張ってください……!」


 小さな身体を慎重に、しかし素早く担ぎあげ、アカネが作り出した『裂け目』を見る。少しだけ躊躇してから一気に飛び込んだ。


 それを見届けたアカネは微笑む。

 とりあえず窮地は脱した。あとは自分の番だ。

 目の前の騎士を見る。その面からは感情も温度も感じられない。まるでロボットのようだった。


「残念だけど今回はここまで。勝負は次に預けておくわ――じゃあね」


 ふ、と力を抜き――後ろに倒れていくアカネ。

 そこには収縮していく『裂け目』があり、アカネは吸い込まれ姿を消した。

 逃がすまいと振り下ろされた騎士の剣は空を切り、後には何も残らない。

 月が見下ろす交差点を静寂が支配した。




 …………ERROR

 …………ERROR

 …………ERROR

 …………ERROR

 …………ERROR

 

 想定外のエラーが発生。『ゲート』を再起動します。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る