四章

54.気を失った女を拘束する女と女


 目を開けると見慣れた天井が見えた。


「戻ってきた……! みどり無事!?」


 真っ先に横に寝ていた園田を見る。

 外傷はどこにもなく、すべて消えている。とりあえず無事のようだ。

 その後自分の身体を念のため確認すると、やはりダメージは全て回復していた。


「あーよかった……ほんと死ぬかと思ったよ、とくにあの鎌の子……って」


 神谷のベッドの上。

 ローブの少女が仰向けになって気を失っている。

 慌てて身体を確認すると、怪我は無いようだった。この少女にもまた、帰還時の『回復』が適用されていた。


 本来は服も元に戻るはずなのに、なぜかローブはボロボロのままだ。神谷の来ているジャージも焦がされたりしたが元に戻っている――少女が巻いていた包帯は血が完全に消え、新品のようになっていた。

 そしてよく見るとローブの下にはブレザー制服と軍服の中間のようなデザインの服を着ている。


「沙月さん、無事でしたか」


「みどり」


 今しがた起きたらしい園田は神谷の後ろからローブの少女を覗きこんでいる。

 普段なら慌てて神谷の安否を確認しそうなものだが、やはり謎の少女のことが気になったらしい。


「この子誰なんですか?」


「わかんない。いきなり現れたと思ったらいきなりわたしのことを殺そうとして……」


 寝ている少女はうなされているようだった。

 眉間の皺が深く刻まれている。


「でもなんだか……とても悲しそうだったんだ」


「そう、ですね……」


 ただ、このままにはしておけない。

 この少女が何者なのか、今のうちに調べなければ。

 心は痛むし気は進まないが、やらないわけにもいかなそうだった。


 まずはローブを剥ぎ取る。

 フードに隠れていたツインテールの髪は少しつやを失っているようだ。もしかしたら長く手入れをしていないのかもしれない。

 そして彼女が纏う赤を基調とした制服の全体が見えた。やはり見覚えは無い。学校の制服と言うには不自然なデザインだった。

 邪魔そうな包帯を外してやっていると、制服の胸元に差し込まれたピンバッジが目に入った。


「これ……」


 外してみると、表面には砕けた満月をかたどった紋章が刻まれている。 

 裏を見るとアルファベットの文字列が刻印されていた。


「A、K、A、N、E……アカネ……?」


「この子の名前でしょうか」


「たぶん」


 便宜上アカネと呼ぶことにした。

 まだ気を失ったままだが、目を覚ました時にまた暴れられては敵わない。

 それにこんな場所であの異能を振るわれてはこの寮が解体されてしまう。

 そこで神谷は考えた。

 

「いいんでしょうか……」


「うーん……さすがにじっとしてもらわないとヤバそうだし」


 というわけで拘束することにした。

 この寮に来た時に使った結束バンドが運よく残っていたのを見つけたので、後ろ手に手錠のように手首を縛る。

 痛くならないように、さりとて簡単に抜けられないように。そんな微妙な締め加減を見つけるのに苦労したがなんとか終えることができた。


「なんか犯罪っぽくない? だんだん不安になって来たんだけど」


「私もです」


「……ちょっと落ち着かないから飲み物取ってくるよ。なにがいい?」


「あ、麦茶でお願いします」


「おっけー」


 そう言って神谷は部屋を後にした。

 静かになった部屋で、園田は一人アカネを見つめる。

 

 この少女はいったい何者なんだろう。

 どうして神谷を殺そうとしたのだろう――そう思案にふけっていると。


「お姉ちゃん…………」


 アカネは泣いていた。

 意識を失ったまま、一筋の涙が頬を流れ落ちる。


「この子…………」 

 

 この少女もまた、傷ついているのだろうか。

 起こさないように、園田はハンカチで優しく涙を拭った。





「ん…………」


「あ、起きた」


 10分ほど後になってようやくアカネは目を覚ました。

 眩しそうに目を細めている。その様子は少し猫に似ていた。 


「大丈夫ですか?」


 心配そうに覗きこむ園田を顔を見る。

 その後、隣の神谷へと視線を移したかと思うと、眉間に皺を寄せた。


「…………なによ、あんた」


「え? わたし?」


「なにじろじろ見てんのよ。っていうかここどこなのよ。んっ、ちょっとなにこれ縛られてるんですけど!」


 いきなりの物言いに思わず閉口した神谷の代わりに園田が答える。


「ここは私たちの住む学生寮です。ええと、アカネちゃんでいいんですよね? ごめんなさい、さすがにあんなことされたら縛らないと――――」


「アカネ……アカネ? あたしの名前……あれ? あたしってなに?」


 アカネ――と思われる少女は、呆然としていた。

 ここがどこかわからないのは仕方ない。だが自分が何者なのかすらわからないと言う。

 つまり、記憶喪失らしかった。





「ふうんなるほど。あんたたちはその願いを叶えるゲームとやらに挑んでて、ゲームの世界で戦ってた。そこでさっきモンスター……プラウっていうの? そいつを倒したと思ったら、いきなりあたしが現れてあんたを殺そうとした……と」


 軽い自己紹介と事情の説明を受けたアカネは縛られて横になったままうんうんと頷き、


「…………いや、そんなこと現実にあるわけないでしょ」


「あったの! ついさっき!」


 ふーっ、ふーっ、と肩を上下させながら珍しく声を荒げる神谷にジト目を向け、アカネはなおも続ける。


「でもまあ小学生ならそれくらいのつまんない妄想もありなのかしらね?」


「だから妄想じゃないし、わたしは高校生だーっ!」


 精いっぱいの抗議に、アカネはいったん黙ると神谷の全身を頭のてっぺんから爪先までじっくりと眺める。

 はっきり言って幼児体形に片足を突っ込んでいる。童顔がさらに幼い印象を助長させていた。

 どう見ても高校生には見えない。


「みどり、嘘よね?」 


 すでに呼び捨てなことに戸惑いを覚えつつも、園田は苦笑する。


「いえ、沙月さんは私と同級生ですが……」


「はいこれ、わたしの学生証!」


 そこには16歳と記載されている。

 アカネは目を丸くした。


「ほんとに高校生なんだ……見た目で判断して失礼なことを言ったわね。ごめんなさい」


「う? うん、いいけどさ……」


 存外素直に謝るアカネに戸惑う。

 思ったより柔らかい性格なのかも、と思うと少し印象が変わった。

 同時に拘束していることへの罪悪感がふつふつと湧いてくる。


「ねえみどり。もうほどこうか、結束バンド」


「いいんですか?」


「うん。いきなりこんな縛りつけたりして、さすがにやりすぎだったよ。それにさっきの大鎌も出せそうにないし」


 記憶を無くしていると言うことは異能関係もわからないということだ。

 ならばさっきのような大立ち回りを演じることはできないだろう。


「ごめんね。酷いことした」


 神谷はアカネの後ろに回り、手首を縛る結束バンドをハサミで切る。

 拘束が解かれたアカネは気持ち表情が緩んだようにも見え、ベッドから起き上がる。

 手を開いたり閉じたりして調子を確かめているようだ。

 ぼんやりその様子を眺めていると、


「…………死ねっ!!」


 思い切り神谷の顔面をぶん殴った。


「いったあ!?」


 手加減なしの本気パンチだった。

 突然の衝撃に混乱し、抵抗できずに倒れる。


「いきなり縛ってんじゃないわよ! ぶっ殺すわよ!」


 アカネは激怒していた。


 それはそうだろう。

 目が覚めたらどことも知れない場所に転がされていて、しかも記憶を失っていて、そんな状態なのに身体の自由が奪われていた。

 それはどれだけ恐ろしいことか。


 本当に反省すべきだと思う。

 だが、なぜか神谷には反抗心が芽を出していた。


「…………さっき謝ったでしょうが!」


 掴みかかり、両手で組み合い、押し合う。

 だが体格差は覆しようがなく、神谷は少しずつ押され始める。


「謝ったら許して何しても貰えるはずって? いい教育されてるわね! 親の顔が見てみたいものだわ」


 カチンと来た。

 アカネには知るよしもない事情とは言え、家族のことに言及されるのだけは我慢ならなかった。

 視界の端におろおろしている園田が見えたが、怒りの感情に覆い隠された。


「親の話はしないでよ、関係ないじゃん!」


 組んだ手をいきなり離し、アカネがバランスを崩したところを狙い顔面に拳を一発。

 アカネは一瞬驚いたような表情をしていたが、すぐに烈火のように怒り始める。


「あんたの顔見てるとほんとむかつくのよ! むかつくむかつくむかつく! 嫌いよあんたなんか!!」


「わたしだってお前なんか嫌いだよ!」


 いつの間にか取っ組み合いが始まっていた。

 髪を引っ張り合い、蹴りあい殴り合い、着ている服がちぎれてしまうのではないかと思えた。

 大喧嘩だ。


「も、もうやめ……」


 いつも怒らない神谷が怒り狂っているのも、よく知らないアカネが神谷と喧嘩しているのも恐ろしかった。

 それでも半泣きになりながら静止するが、か細い声は今の二人には届かない。

 

 永遠にこの喧嘩が続くのではないかと思った、その時だった。


「お前ら何してんだ! とんでもない音がするって寮中から――あ?」


 それは美しい調停者だった。

 争いを鎮める上位存在。

 雑にまとめた髪に、着古したジャージを身に纏う彼女は、園田にとって女神に見えた。


 というか、北条優莉だった。

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