55.彼女が恐れるもの


 寮長室。

 神谷とアカネは畳の上に正座させられていた。

 部屋の隅には園田がおろおろと事の成り行きを見つめている。


 あの後、とりあえず喧嘩は止まった。

 さすがに北条の乱入には神谷も手を止めるしかなかったし、なぜかアカネはひどく怯えていたからだ。


『お前が誰かは知らんが――郷に入っては郷に従え。この寮にいるやつは誰だろうとルールに従ってもらう』


 というのが北条の弁。

 その場の長には逆らえず、二人は連行された……というのが事の経緯だ。


「…………神谷。寮内の喧嘩はご法度だって知ってるよな」


「は、はい」


「じゃあなんでやった」


「…………ごめんなさい。ちょっと頭に血が上って」


 俯く神谷を見て、北条は静かに息を漏らす。

 神谷がそんな風になるとは相当だ。

 となると原因はもう片方の…………


「で、お前はどこの誰だ?」


 その問いに、アカネはびくりと肩を震わせた。

 極度に緊張しているようだった。

 口を開けるが、声が出せないように見えた。


「…………ぁ、…………っ」


 さっきまでの苛烈な態度とは真逆だった。

 なにに対してそこまで恐怖を感じているのか。


「おい、大丈夫か」


 さすがに心配になって、北条が肩に手を置いた瞬間だった。


「…………っ、触らないで!」


 発作のようにその手を払い、立ち上がる。

 興奮状態にあるのか、肩で息をしていた。 

 それはただ怒っているようにも見えたが――どちらかといえば小さな動物が命を守るために精いっぱいの威嚇を繰り出しているようにも思えた。


 まるで、恐ろしくて仕方ないとでも言うように。


「大人なんて嫌い、絶対信用できない!」


 荒く何度か息をついたかと思うと、子どものようにうずくまり、腕に顔をうずめる。

 

 それを見ていた神谷は困惑していた。

 記憶を無くしているはずなのに、ここまで大人への忌避感が刻まれている――ならば彼女に何があったのだろうか。


 その様子は、先ほど神谷のことを嫌いだと叫んだ時以上に切実に見えた。


「…………私のことが信用できなくてもいい。だけどこれだけは聞いてくれ」


 先ほどまでの威圧的な声ではなく、穏やかな口調で北条は問いかける。


「私はな、誰かと無闇に喧嘩をしたり傷つけたりすることは良くないことだと思ってる。お前はどうだ? 感情に任せた暴力を良しとできる奴か?」

 

「…………」


 無言でアカネは首を横に振る。

 

 やはり素直だ、と神谷は思った。

 おそらく彼女は基本的にそこまで激しい性格ではないのだろう。

 ただどうしても許せないものがあって、それが関わると感情がたかぶってしまう。

 そしてその対象が神谷沙月であり、大人という存在そのものなのだ。


「喧嘩の原因は?」


「…………」


「…………」


「…………」


 三人とも押し黙るしかなかった。

 最初に手を出したのはアカネだが、そもそもの原因を作ったのは神谷だ。

 それに原因など関係なくお互いかなり殴り合っていたし、そうなると責任の所在は両方にあるとも言える。


「わたしが」「あたしが」


 完全に同時。

 二人の声が重なった。

 

「…………」

 

「…………」


 無言で顔を見合わせ、アイコンタクトを取る。 

 

「いや、わた」「だから、あたしが」


 また同時だった。

 タイミングをお互いが図った結果である。


「あっはっは! なんだ仲いいじゃないかお前ら!」


 思わず吹き出す北条に、


「よくないです!」「よくないわよ!」


 抗議しようとした二人の声は、三度目もやっぱり同時だった。

 もしかしたら少し似ているのかもな――などと北条は笑いつつもそう思った。





「で、どこの誰なんだ? この学校の生徒ではないみたいだが」


「…………」


 アカネは押し黙る。

 当然だ。記憶がないなら、どこの誰かなんて本人が一番聞きたいだろう。


「あ、あの」


 そこで口を開いたのは園田だった。

 思わず神谷とアカネは振り返る。


「ア……アカネちゃんは私の妹です」


(なに言ってんのー!?)


 と、心中で叫ぶ神谷だったが声には出さない。

 驚いたそぶりを見せれば台無しになってしまう。それがわかっているのかアカネも黙ったままだった。


「妹? 妹なんていたのか」 


 あからさまに怪訝な顔をする北条だったが、ここで引くわけにもいかない。


「ええ。アカネちゃんは留学に行っていたんです。それで今日帰ってきまして……」


「留学ってどこに」


「……………………お、おーすとらりあ……」


 どんどん苦しくなってきた。

 神谷は内心「がんばれ!」とエールを送るが、園田の脂汗は止まらない。


「ほら、今私の家が微妙な状態じゃないですか。だからしばらくここで預かってはもらえないかなと…………」


 はっきり言って穴だらけの話だ。

 つつけばいくらでもボロが出るだろう。言っている園田からしてもそうなのだから、他人からすればツッコミどころしかないはず。

 だが、


「わかった。園田アカネだな。ならしばらくここにいたらいい」


 もう喧嘩するなよ、できれば仲直りもしとけ――そう言い残して北条は寮長室を出て行った。

 まるでこの話は終わりとでも主張するかのように。


「ありがとう……」


 三人だけになった部屋で、アカネはぽつりと呟いた。

 

「……いえ。記憶喪失でどこから来たのかもわからない以上、本当は病院や警察に行った方がいいとは思うんですけど、」


「それはいや。お願いだから勘弁して…………」


「そうですよね」

 

 やはり大人に対して何かがあるようだ。 

 これで良かったのだろうか、とは思うがさっきはそれしかとっさに思いつかなかった。

 神谷を殺そうとした危険人物ではあるが、放っておけなかったのだ。


「アカネ」


「なによ」


 仏頂面のアカネに、神谷は神妙な様子で話しかける。

 どちらもつっけんどんだが、一応はお互いを向いている。


「さっきはごめん。やりすぎた」


「…………あたしもごめん」


 とりあえずの仲直りをする二人を見て、園田は胸を撫で下ろした。





「はあ、もうお腹減った。何か作るからアカネも食べよう」


 肩の力が抜けて、いささかだらんとした神谷が言った。

 本当にいろいろありすぎて疲れていた。体力ではなく、精神的に。


「いやよあんたの作ったものなんか。ていうか作れるの? 意外だわ」


「なにおう!?」


 再びいがみ合い始める二人。

 だがさっきのような血で血を洗うようなものではなく、つつき合いといった雰囲気だった。

 二人の関係は、つまりそういう感じになるようだった。


 言い合う二人のあとを、苦笑しながら園田は追う。

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