29.憧れにはいまだ遠く


 ダン、とボールが跳ねる音。

 シューズが床とこすれて立てるキュッという悲鳴じみた甲高い音。


「パスパース、こっちー」


 ときおりそんな声が上がる。

 体育館の床を白線で区切って作られたバスケットコートの中に、体操服の上にビブスを重ね着た10人の少女達がひしめき合っていた。その中には神谷もいて、園田みどりと光空陽菜はそれを枠線の外から体育座りで並んで眺めている。

 体育の時間だった。昼休みを目前に控えた四時間目。そろそろお腹も空いてくる頃だ。


「神谷さん上手ですね」


「うん、そうだね。昔からすごく運動神経のいい子だったから」


 5番のビブスを着た神谷が相手チームのパスをカットしたかと思うと、猛然とドリブルでゴールに向かって切り込んでいく。小さな身体を目いっぱい低くして、ディフェンスの手を掻い潜る。

 その様子は素人の園田から見ても卓越しているように見えた。


「経験者だったりするんでしょうか。光空さんは何か聞いてたりします?」


 その問いにしばし逡巡する光空の目線は、シュート体勢に入ろうとしている神谷を捉えていた。

 何度か口を開閉した後、声を零す。


「……中学の時バスケ部だったらしいよ。ただ……」


「ただ?」


 園田が首をひねると、少し離れた場所から歓声が上がった。

 思わずコートに目を向けると、どうやら神谷のチームに点が入ったようだった。

 しかし神谷がシュートしたわけではないらしい。神谷が放ったシュートに見せかけたパスを受け取った、背の高いクラスメイト……あれは確かバスケットボール部に所属している子だったと園田は記憶している。その女子がチームメイト――神谷を除く――とハイタッチを交わしている。


「途中で辞めちゃったんだって」


「それは……あんなに上手なのにどうして」


「さあ、私には教えてくれなかったよ。聞いたのはけっこう前だったし、その時の沙月は……」


「……ああ。それは少し聞いてます」


 ここ一年ほどはずっと周囲を拒絶するような態度だったと、園田は本人から聞いていた。

 今まさにチームメイトの輪に入れていないのもそれが原因ではあるのだろう。

 ハイタッチを交わす四人とは少し離れたところで、流れ落ちる汗を体操服の首元で拭いながら突っ立っている。


「もしかしたら今なら聞けば教えてくれるかもね。でもそれより……園田ちゃん、気づいた? さっきから沙月、味方から一回もパス貰ってない」


「え?」


 ホイッスルが鳴り、次のプレイが始まる。

 神谷だけでなく周りにも注目してみると、光空の言った通り全く神谷へのパスがないことに気付く。

 神谷がボールを持つのは敵チームから奪った時だけだ。

 

「いじめられてる――ってわけじゃないと思うんだよ」


 眉を下げた神妙な面持ちで光空は言う。

 神谷と違い、クラスに馴染めている彼女にも――いや、そういう立場である彼女だからこそ思うところがあるのだろう。


「うちのクラス、特に意地悪な子がいるってわけでも無いし、沙月が特に嫌われてるとかそういうわけでもない。たぶんどう接したらいいかわからないんだよ。実際、あの子がクラスで話題に上がることって不自然なくらいないしね。例え陰口でも」


「神谷さんは……どう思ってるんでしょうか」


「あの子はたぶんどうするつもりもないんじゃないかな。今のままでいいって。でも、それって今まで自分が周囲に対して辛辣な態度をとってたことも、理由としてあるんじゃないかなって思うんだ」


「それは……申し訳ない、みたいな」


「うん。ずっとあんな態度をとってきた自分と、今さら誰も仲良くしてくれるわけない――みたいに考えてるんだと思う。そういう遠慮が周りにも伝わって、距離を置かれて……って感じなのかな……」


 最後の方は尻すぼみで、自信なさげではあったが、園田はその口調から確信めいたものを感じた。

 クラスメイトと良好な関係を築いている光空だからこそ、そういった神谷を取り巻く人々の機微にも気づけるのだろう、と園田は思った。


 できるだけ仲違いしないように。できるだけ空気が悪くならないように。

 そうクラスで立ち回っている光空の努力は園田にも以前から分かっていた。いや、輪の外にいる園田だからこそわかったのかもしれない。

 同じように輪の外にいる神谷の目にはどう映っているのだろうか。


「何とかしてあげたいんだけどね……」


 ぼそりと呟く光空。


 それを聞いた園田の胸に産まれた感情は、嫉妬だった。


 以前から神谷と交流があったということ。

 神谷の現状を何とかしたいと思えるその人格。

 そもそも『何とかできること』と思えるくらいの能力があること。

 それら全てが園田には無いものだった。

 戦う力を得ても、神谷の隣に立てるようになっても、いまだに根本の部分は変化しきれていなかった。


「……羨ましいです」

 

「ん? なにが?」


 不思議そうに首を傾げる光空に、園田はとっさに口を覆う。声に出すつもりは無かったのに、思わずこぼれた言葉を光空が拾ってしまったことで、それはもう取り返しがつかなくなる。

 ただ胸の内をそのまま伝えるわけにもいかない。そんなことができるほど遠慮のない関係ではないから。


「光空さんは、色々と、すごいので……その……」


「んー……?」


 よくわかんない、とでも言いたげな顔だった。突然こんなことを言われては当然だろう。

 だから少しだけ付け足すことにした。


「……昔の神谷さんのことを良く知ってるようですし」


「ん、まあそう……うん、そうだね。でも」


 まるで『そんなことない』とでも言いたげな表情だった。

 光空という少女は、人当たりは良いが一定のラインからはそうそう近寄らせない、というような意思を感じさせる、そんな少女だった。園田も関わり始めてから大した時間は経っていないが、それだけは肌で感じている。

 そしてそのラインの内側にいるのが神谷だ。


「私からしたら園田ちゃんのほうが羨ましいけどな」


「……? それはどういう……」


 その質問は甲高い音によって遮られた。ホイッスルが鳴り響いたのだ。

 どうやらまた点が入ったようだった。

 スコアボードの神谷のチームの方の点数が2増える。

 なのにチームの誰もあけすけに喜ぶわけでもなく、元のポジションに戻っていく。


「沙月が入れた。すごいね」


 ぱちぱち、と手を叩く光空に園田も倣う。

 そうしていると、神谷がこちらを向いた。見られているのに気づいたようだ。

 神谷はきょろきょろと周りを見て、他の誰にも自分が見られていないのを確信したかと思うと、にっこりと笑い、光空と園田の二人に向かってこっそりピースサインを作った。


「おー、機嫌いいなあ沙月。あんなのめずらし――」


「ヴァっ」


「え?」


 奇怪な声に光空が思わず隣を見ると、美少女が横倒しになっていた。

 というか、園田だった。

 

「か、かわ……かわわ……」 


「ああ……」


 どうやら神谷のせいでキャパシティの限界に達したらしい、と光空は解釈した。

 以前から光空は思っていたが、園田が神谷を見る目はわかりやすいほどに熱を持っている。 

 正直、神谷は魅力的だと光空は思う。小さくて可愛らしくて、笑顔がとても素敵な女の子だった。

 そんな彼女を幼少のころから知っている身からすれば、


「さもありなん」


「神谷さんってとんでもなく可愛くないですか……!? なんで誰も気づかないんでしょう……」


「確かにね、顔がびっくりするほど可愛いんだけど。ただ今まで表情が死ぬほど鬱々だったからさー」


 そんなことを言っている間にも当の神谷はボールを手にドリブルで駆けていく。そのまま見事というしかない急激なフェイントで立ちはだかっていた相手ディフェンスの脇を抜き、ジャンプシュートを決めた。


「アッ! 見ましたか!?」


 興奮した様子で光空の肩をがっくんがっくん揺さぶる園田。

 あーうーと呻くしかない光空は辟易という言葉が何よりそぐう顔になってしまっている。


「ジャンプした瞬間神谷さんのおへそが! OHESOがちらっと! えっちですねえ……」


「しみじみと言うには表現がダイレクトすぎる! 抑えて抑えて」


「確かに少し直接的だったかもしれませんね。では」


 ごほん、と一つ咳払い。

 園田は再び口を開く。


「扇情的ですね」


「うーん生々しくなっちゃったねえ。増し増しで」


 正直、神谷と仲良くしてくれる子が登場したことに内心喜びを感じていた光空ではあったのだが。

 まともだと思っていた園田が尖りすぎた一面を見せたことで、考えを改める必要があるのかもしれなかった。


(いや私はいいんだけどね? 沙月……君の新しい友達、だいぶアレだよ……)


 はしゃぐ園田の隣で苦笑する光空だった。

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