22.芽吹くジャンクション
まるで一筋の光すら届かない深海にいるようだった。
目を開けても閉じても何も見えず、自分がどちらを向いているかもわからない。
ただゆっくりと落下しているような感覚。
どこまで落ちていくのだろうか。
終わりはあるのだろうか。
(寒い…………)
普通なら身体を掻き抱いていたであろうほどの寒さに襲われている。
だが身体が動かせない。指先からどんどん感覚が失われていく。
どうなってしまうのだろう、と先ほどから腹の底で疼く恐怖。
しかしそれも徐々に薄れていく。
眠い。ひたすらに眠い。
抗えず瞳を閉じてしまおうとした瞬間だった。
見えない力に身体が引っ張り上げられる。
凄まじい勢いで上昇――いや浮上していく。
視界に光が見えた。水面に揺蕩う乱反射した光。
そのあたたかさに思わず、いつしか動かせるようになっていた手を伸ばすと――全てが白く塗りつぶされた。
「ぷはぁっ!」
飛び起きる。目に入ったのは窓から差し込む夕日。次に、もう見慣れてしまった自室の風景。
荒い呼吸と、どくどくと脈打つ心臓の音がよく聞こえる。
手で肩や腹、身体のいたるところを撫でまわす。どこにも傷は無い。
ぱちぱち、と瞬きを何度かした。
「生き、てる……?」
自分はあの時、森の奥から現れた銀の触手に貫かれたのではなかったか。直後意識が途切れて――なのに自分はここに戻ってきている。
プラウを倒さなければ帰っては来られないはずなのに何故?
その疑問はすぐに氷解することになる。
かちゃり。
そんなひかえめな音がドアの方からして、思わず目を向けるとそこにいたのは灰色の髪の少女。
園田みどりがトレイに水が入ったコップを乗せたまま立っている。
その表情が驚きから泣きそうな顔になり、それを振り払うように笑顔を浮かべた。
「起きましたか。とりあえずお水どうぞ」
「…………」
口をぽかんと開けたまま、差し出されたコップを受け取り口をつける。
一口、二口と飲み下し、もどかしくなってぐいっと一気に残りを飲み干す。思ったより喉が渇いていたようだ。
「あの、体調とか大丈夫ですか。痛いところとかありませんか」
「あ、うん……だいじょーぶ……」
こちらを気遣う言葉に、いまだ混乱から抜け出せない神谷は端的に答えることしかできない。
心配げな顔でのぞき込む園田を見る。
長いグレーの髪に気弱そうに垂れた瞳。整った顔立ちは美少女と言って差し支えないだろう。
見るからにか弱そうな子が、まさか、という疑念を持ちつつも訊ねる。
「もしかして、園田さんが倒してくれたの……?」
「それは、その……」
何かためらっていた様子だったが、意を決したようにこちらを見て口を開く。
この少女は、こんな表情をするような子だっただろうか。
「…………はい。私がプラウを倒しました」
思わず神谷は目を見開く。
こんな虫も殺せなさそうな子がプラウを倒したのか。神谷は今回のプラウの本体を目に入れてはいないが、強大だったことはまず間違いないというのに。
それはつまり、
「園田さんも、もしかして異能を?」
「ええ。突然のことでしたが……そのおかげでなんとか」
えへへ、と照れ笑いをする園田。
なんとか、なんてそんな言葉で済ませられるものではないだろう。
ゲームの仕様で傷などはさっぱり無くなっているが、まず間違いなく相当な傷は負っただろう。
神谷はその戦いを知ることは、本人に詳細に聞かないかぎりは知るよしもない。
だが相当に苛烈な戦いだったことは容易に想像できる……いや、こちらが想像できる程度の戦いなど軽く通り越しているだろう。
ずきり、と胸が痛む。
この子は自分とは違う。望んで戦うことになったわけではない。
罪悪感が胸を焼き焦がすようだった。
こんな少女をわたしは巻き込んでしまった――――!
「……ごめんなさい!」
「え、神谷さん……?」
「あんなことに巻き込んじゃって、それなのにあなたを危険に晒してしまって――それだけじゃなくて、わたしは、あなたに……」
戦わせることになってしまった。
その言葉は自分の瞳からこぼれた涙に遮られて、喉が詰まってうめき声しか上げられなかった。
何を泣いてるんだ。泣きたいのは向こうの方だろうに……そう自分を嫌悪する。
「泣かないで、神谷さん」
優しい声だった。
思わず顔を上げると、園田は痛みをこらえるような、そんな表情を浮かべていた。
「巻き込まれたんじゃないんです。私が勝手に首を突っ込んで、私が勝手に戦ったんです」
むしろ謝るのはじぶんの方だ、と園田は言う。
自分が干渉してしまったせいであなたを邪魔してしまった、と。
神谷は素直に驚いてしまった。
ゲームの中に入るまでとはまるで別人だ。
プラウと戦った経験がそうさせたのだろうか――――。
「あの、神谷さん」
「え?」
呆けているところに声を掛けられ、思わず間の抜けた声が出る。
「神谷さんはこれからもあのゲームを続けるんですか?」
「…………うん。わたしはまだ続けるよ。いくら危なくても、もし園田さんが止めてもわたしは絶対やめない」
少し面食らい、だが確固たる答えを返す。
きっと園田は自分を心配しているのだ。
この少女もプラウとの戦いを経験し、危険性を理解したからこそ自分を止めようとしているのだ、と神谷は思った。
だがその想像はすぐに裏切られることになる。
「私、神谷さんと一緒に戦いたいです。あのゲームをクリアする手伝いを私にさせてください」
「――――――」
完全に思考が停止した。
今、この子は何と言った?
「あなたをひとりで行かせたくないんです。これからの戦いは、今まで以上に危険だと思うから……だから私にも手伝わせてほしいんです」
なおも続ける園田を見る神谷の唇がわななき、それでもなんとか口を開く。
「な――なに言ってるの。危ないんだって。園田さんもわかったでしょ。それに園田さんがそんなことをする意味なんてない。これはわたしが、自分のために勝手にやってることなんだから――誰のためでもない、わたしのために……」
「わかっています」
「え……」
「私も同じです。私はあなたを守りたい――でもそれは私がそうしたいと思っただけです」
驚愕に口を閉ざす。目の前の少女はなぜわたしを守ろうとするのか。
意味が分からなかった。
「なんで……怖くは、ないの……? 園田さんも戦ったんでしょう、なら尚更わかったはずじゃないの……?」
それは奇しくも園田が神谷に投げかけたことのある言葉だった。
怖くないのか。
あの怪物と再び戦うのが恐ろしくはないのか。
しかし園田は神谷の瞳を真っすぐ見つめその問いに応える。あの時の神谷と同じように。
「怖いですよ」
「なら、」
「でも」
そこで一度言葉を切る。
何かを思い出すように瞑目し、すぐに目を開く。
「あなたを失う方が私は怖いです。ここであなたを送り出して、そのまま帰って来なかったらと思うと……耐えられる自信がありません」
だからお願いします。
一緒に戦わせてください。
もう一度紡がれたその言葉に、神谷の漆黒の瞳が揺れる。
わからない。
目の前の少女が何を考えているのかわからない。
なぜそこまでわたしを――――
「わかんないよ!」
おもむろに立ち上がり、園田の横を突っ切って部屋の外に走り出る。
「神谷さん!?」
後ろから聞こえた自分を呼ぶ声を振り切るように廊下を走る。
わからない、わからない、わからない。
あの子がいったい何を考えているのか、わからない。
神谷沙月は、あろうことか命を懸けて自分を助けた少女から――逃げ出してしまった。
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