21.翠緑の血風


 異能ちからは手に入れた。

 ならばすることは決まっている。

 神谷沙月という少女を、助けるのだ。


 目を閉じ意識を集中する。

 異能の使い方は既にわかっている。誰に教えられるわけでもなく理解した。


 感じる。

 この一週間、園田みどりが見つめ続けた彼女の存在を確かに感じる。

 目蓋をゆっくりと開くと、壁などの障害物を全て無視して遠くにいる神谷が視界に映った。

 黒いシルエットのようにはなっているが、輪郭や体形から判断するにまず間違いない。


「――――見つけた」


 方向さえわかれば、後はそこへ向かうだけでいい。簡単な話だ。

 園田は美しく伸びたグレーの髪をなびかせおもむろに立ち上がる。

 躊躇いなく戸を開け、一歩外に踏み出すその面持ちは、最初ここに来た時とは全く異なっていた。




 森を駆ける。

 さっき逃げ出した時とは比べ物にならないスピードで木々の間をすり抜けていく。

 異能によって身体能力が、神谷のそれほどではないが大幅にブーストされていた。だがそれだけではない。

 今まで凪いでいたはずなのに、鋼鉄の森を吹き抜ける風が園田みどりの背中を押していた。

 追い風に乗り、木の枝から枝へと飛び移り、最短距離で神谷の元を目指す。


「直線距離で残り約1km、ですね」


 枝から飛び降り、アスファルトに着地し、再び走り出す。

 真っすぐ前を見据えながらも、頭は別のことを考えていた。

 

 この異能は、いったい何なのだろうか。

 突然現れた黒い光の粒。それが自らに宿り、手に入れたもの。

 神谷のように、この『ゲーム』の世界に来た誰もが習得するものなのか。

 謎だらけだった。

 しかしそれでも、なぜだか不思議と嫌な感じはしなかった。

 その意味について考えていると、木々の隙間から光が差す。

 一気に走り抜ける。するとそこは開けた空間だった。


 降り注ぐ光に思わず顔を上げると、巨大な満月が見下ろしていた。まるでスポットライトだ。

 たどり着いたのは半径30mほどの円形の広場――いや、よくよく見れば、そこは交差点だった。道路と道路が交わる場所。

 見渡せば信号機や交通標識があった。だがそれらは軒並み銀色の木々やツルに半ば飲み込まれている。

 そして、横断歩道によって四角く区切られた中心に鎮座しているもの。


「いた」


 それは木だった。

 メタリックな銀色の表面に、無数に走る電子回路のようなラインがときおり緑色に明滅している。

 それはこの森を構成する木々と同じ。

 だが、そのサイズはまさに大樹と呼んで差し支えない領域だ。

 樹高は30mは下らないだろう。

 そして根元のあたりに大きなエメラルドのような結晶が埋め込まれている。

 園田が目を凝らし視線を集中させると、視界に映る大樹のそばに『plough2』と表示された。

 おそらくあの大樹が真のプラウだ。

 そして、


「神谷さんはどこに……」


 目を見開き、視界をズームする。するとその姿が見えた。

 大樹の幹、その表面に神谷が肩のあたりまで埋まっている。

 よく見ると神谷が埋まっている部分だけ幹の表面が液状化しており、こうして見ている間にも少しずつだがずぶずぶと飲み込まれつつある。

 なぜそんなことをする必要があるのかはわからない。捕食行動なのか、それとも他の理由があるのか。

 だが、ひとつわかっていることがある。

 放っておけば彼女は完全に飲み込まれる、ということだ――――!


「ッ!」


 月の光を受け黒光りするアスファルトを蹴って駆け出す。

 なんとしてでも引きずり出さなければ。

 だがその意思を遮るように、大樹の枝が、ぽん、と空砲のような音を鳴らして何かをひとつ射出した。

 思わず見上げると、それは巨大な銀色の種子だった。

 種子は園田のすぐ目の前に着弾すると、液体金属のようにそのシルエットを崩し、形状を変えていく。

 四本の脚。鋭い爪。大きく裂けた口からずらりと覗く牙。天へとまっすぐ伸びた耳。

 それは機械の狼だった。


「これはさっき神谷さんが戦っていた……!」


 目を凝らすと、視界に『plough2-servant』と表示された。

 つまり、今まで神谷が戦っていた狼、そしてそれに付随する鋼鉄の木々は、言うなれば大樹のプラウの端末ともいえる存在だったということだ。

 つう、と頬を冷や汗が伝う。


 途中から神谷の戦いは木々の陰に隠れて見ていた。だから、この敵がどれほど強いかも知っている。

 なのに彼女が苦戦した相手すら本体ではなかった。

 そんな相手に勝てるのだろうか。

 異能を手に入れたとはいえ、それだけで勝てるのか。ただスタートラインに立てたというだけではないのか。

 やっぱり自分には、


「うるさい!」


 腹の底からせり上がってきそうになった弱音を無理やり黙らせる。


 例え貧弱でも、心に立てた柱だけは張り続けろ。

 体面だけでも強くあれ。

 心が負けたら絶対に勝てないのだから。

 あの少女を助けると心に誓ったのだから――――!


 両手を開く。すると空気が渦を巻き、手のひらに集まっていく。

 それはみるみる凝縮されていき、瞬く間に形を結ぶ。

 園田の両手に現れたのは二丁の拳銃。

 少し大ぶりなそれは全てがツヤの無い漆黒に塗りつぶされている。


 これが園田の異能。

 『目』による分析に加え、風を――否、空気を操る力。双銃はそれを撃ち出す媒介。空気を圧縮した弾丸で敵を打倒するためのもの。

 だが。

 

「痛っ……!」


 ズキズキと、顔をしかめてしまうほどの頭痛がした。思わず頭を押さえる。

 異能の行使が脳に負担をかけている。そう直感した。

 はあ、と熱を出したときのような熱い息を吐く。

 神谷もこんな痛みに苛まれていたというのだろうか。

 いや、見ている限りではそんな様子は無かった。確かに苦しそうに戦ってはいたが、それは敵から受けたダメージによるものだ。ただ戦うだけでこんな風にはなっていなかった。

 なら、なぜ自分はこんな――――いや。

 与えられたもので戦うしかない。たとえどんな力であっても。

 そんなことよりも大事なことが、今はあるのだから。 


「それに我慢できないほどじゃありませんから!」

 

 右の銃を機械の狼に向ける。

 細かく狙いをつける必要はない。視界に敵を捉えることによって、無意識に手が照準を補正する。

 意を決して引き金を引く。

 すると黒いマズルフラッシュ、そして轟音と共に、弾丸が撃ち出された。

 それは空気を極限まで圧縮した弾丸。小さくてもそこには膨大な量の気体が詰まっている。

 それが音速を超える速度で狼目がけて飛ぶ。

 しかし、


「…………ッ!」


 弾丸が届くよりもなお早く、狼は雷と化してその場から消える。

 一瞬にして背後に回った狼は、その鋭い前脚から伸びた爪を突き立て――――


「わかってますよ、それは」


 既に背後へと向けられていた左手の銃が狼の鼻先に突き付けられている。

 園田は神谷の戦いを陰に隠れてずっと見ていた。狼がどのような攻撃をするのかも、神谷がどう攻略していたのかも、全て。神谷を見ることに関しては一級品。それだけは自負していた。

 素早くトリガーを引く。放たれた風の弾丸は狼の顔面に命中し、顔の左半分を半壊させた。

 だが狼はそれでは止まらなかった。


「ぐっ!」


 軌道はズレたものの、伸ばした爪は園田の左肩口を切り裂いた。

 双方バランスを崩して転がる。けっして浅くない肩の傷口から溢れた血が、ぱたたっ、とアスファルトに落ち赤黒い染みを作った。

 思わず痛みに顔をしかめる。だが、これは想定内。即座に立ち上がり、狼の上方へと飛び上がる。

 畳みかけなければ、あのスピードが相手ではあっという間に押し切られてしまう。

 二つの銃口を構え、引き鉄に指をかける。視界に映る狼は未だ立ち上がれない。頭部を大きく破損したダメージが残っているようだ。


 仕留めた。

 そう思った刹那、バキバキ! と破壊音が鳴り響いた。

 音源――下をとっさに見ると、アスファルトを割り、銀の触手が飛び出していた。

 そうだ、自分が相手しなければいけないのはあの機械の狼だけではない。プラウ本体たる大樹こそが本命なのだ。

 そしてこの銀の触手は間違いなく神谷を貫いたそれと同じ物。これはあの大樹の根だったのだ。

 その鋭い切っ先が、今度は園田を射貫かんと迫りくる。


 このままでは神谷の二の舞だ。だが空中では回避できない――本来ならば。

 とっさに右のトリガーを引く。すると今度は弾丸ではなく、圧縮されきっていない空気が生み出され、突風となって園田の身体をさらった。銀の槍が空を切る。

 完全に回避したと確信し、少しばかり安堵した。だがその隙を大樹は見逃さない。

 触手が大きくしなり、鞭のように園田の身体を打ち据える。ミシミシ、と肋骨が嫌な音を上げ、直後園田はバレーのスパイクで叩きつけられるボールと同じ末路を辿った。

 アスファルトに凄まじいスピードで激突し、ごろごろと転がる。


「っ…………ぁ…………!」


 まともに声もあげられず呻く。何とか顔を上げると生暖かい液体が額を伝い、右目を覆った。手で触れてみると、ぬるりと滑るそれは赤黒い血。

 どうすればいい。ただでさえ強力な敵なのに数的不利を取っている。

 狼に集中すればすかさず大樹が横槍を入れ、かと言って大樹に近づこうとしても狼がそれを許さない。


 地面に手をつき立ち上がる。

 だけど負けるわけにはいかないのだ。

 全身を包み込んでいるとさえ錯覚出来そうなほどの痛みを、しかし園田は無視する。


「…………痛みには結構強いんですよ、私は。父に厳しくしつけられましたから」


 こんなものはただの強がりだ。今でも痛いものは痛いし怖い。

 だが自嘲的な笑みすら浮かべ、誰ともなく呟く。

 ぎらりと光る眼の、その視線の先には今にも飲み込まれつつある神谷の姿がある。

 

「だけどみんながみんなそうではありません――だから! 私が守らなくちゃいけないんですよ、その人を!!」


 吐き出す言葉が徐々に熱を持つ。起動したエンジンのようにそれは止まらない。

 どうすれば勝てるか。その一点に向けて思考が加速していく。


 あの大樹――プラウの本体を撃破するにはどうすればいいか。

 それにはあの機械の狼をどうにかする必要がある。なぜなら大樹への攻撃は全て狼が防いでくるであろうことは容易に想像できるからだ。本体が攻撃されているのを指をくわえて見ている端末などいない。だからこそ自分と大樹との間に立ちはだかっているのだ。


 なら先に狼の方を倒してしまうか。

 だが狼に攻撃しようとすれば間違いなく大樹がそこに生まれた隙を突いてくる。

 攻撃中こそ、最も守りの意識が薄くなっている瞬間だからだ。

 狼を倒すのは厳しい。なら無視して大樹を倒すか。

 だがそれには目の前にいる狼を通り抜け、かつ狼より速く大樹に接近する必要がある。

 ここから狙おうにも狼に防がれることは目に見えているし、最悪攻撃の隙を狙われてやられる可能性もある。

 つまり、どちらも不可能に近い。

 考えろ。狼と大樹、二体のコンビネーションを掻い潜る術を。

 二つの策とも違う、第三の策を考えろ。

 頭をひねり、知識を絞り出し、考えて考えて考えて――そこであることに気付く。



――――ああ、そうか。わかりました。



 覚悟は決まった。策も決まった。

 あとは気力の勝負だ。


「返してもらいますよ、神谷さんを――――」


 立ち上がりつつある狼を見据え、言い終わるが早いが真っすぐに正面から接近し、同時に銃口を向け風の弾丸を三発撃ち出す。その瞬間、狼は瞳を緑に閃かせ、稲妻となってそれを回避する。

 何度も見た光景。神谷が残してくれた経験。

 だから知っている、回避した後の狼が背後に着地することも。


 即座に園田は身体を180度回転させる。目の前には既に着地し攻撃態勢に移っている狼。満月の光を反射し銀色に煌めく鋭利な爪が迫る。

 だが園田は迎撃も回避もせず甘んじてそれを受ける。爪が腹部に突き刺さり、同時に膂力によって園田の身体が吹き飛ばされる。

 決して少なくない血が腹から噴き出した。

 

(ここまでは想定通り……!)


 吹き飛ばされながら空中で素早く二つの銃の引き鉄を引く。すると二つの銃口から生み出された風が合流して爆風となり、吹き飛ばされる勢いを相殺――しなかった。

 むしろ追い風。吹っ飛ぶ園田の身体を後押しし、さらに加速。凄まじい速度で飛行し背中から大樹に激突した。


「がは……っ」


 今までにない衝撃に全身の痛みが爆発し、意識が飛びそうになる。だがまだここで倒れるわけにはいかない。歯を食いしばり意識を手繰り寄せ、崩れ落ちそうになった身体を必死に立たせる。

 ここで今すぐ背後にあるコアを破壊しようとしても、狼はそれより速く園田の命にその爪を突き立てるだろう。だからまだ動かない。


 今、園田の背後は大樹で塞がれている。そして前方遠くに見えるのは機械の狼。

 ここで奴がとる行動は一つしかない。正面だけがガラ空きで、距離が離された。ならば。

 狼の瞳が緑色に輝く。


(そうです。それしかないですよね。さあどうぞ――ひと思いに)


 朦朧とする意識の中、笑みすら浮かべて園田はそれを迎え入れる。


(自分の命なんて、考える必要ありませんでした)


 雷と化した狼が一瞬にして目の前に現れる。

 大口を開けたその顔がよく見える。その中にずらりと並んだ鋭い牙も。


(例え死んでも、この敵だけ倒すことができればそれで構いません)


 まだ園田は動かない。

 迫る銀色の牙。緑色の稲妻。

 そして。

 

 狼が、容赦なく園田の首元に噛みついた。

 恐ろしい量の血が噴き出し、少女の身体が不自然に痙攣する。

 だが――まだ意識は手放さない。執念とすら言える想いが必死に繋ぎ止めていた。

 まだ倒れるわけにはいかない。


(あともう数秒だけでいい。だから倒れないで、私の身体。お願いだから……まだ死なないで――――!)


 園田は考えた。

 どうにか狼に隙を作れないかと。それさえできれば大樹を倒すことは難しくないと。

 そうしてたどり着いた結論は、自分の命を囮に使うことだった。


 死にながら倒す。

 つまりは相討ち狙い。


 だがこれを成功させるには、狼に即死させられないという大前提があった。

 しかし園田は、異能による身体の強化、自身の痛みへの耐性……それらを鑑みて、あくまでも冷静に『自分なら最後の一瞬まで命を繋ぐことができる』と判断したのだ。

 そしてその読みは正しかった。


 深く噛みついた状態からはすぐに次の行動には移れない。

 銀色の狼の頭を、血まみれの左腕で、まるで慈しむかのように抱きかかえそれ以上の動きを封じる。

 大樹に寄りかかったまま反対側の右手をゆっくりと動かし銃口を背後のコアに押し付ける。

 すると大樹がぶるりと震え、森全体がざわめきだした。ようやく今の状況を理解したらしい。

 広場のあちこちからアスファルトを突き破り、何本もの銀の触手が園田に殺到する。だが。


「――――私、の……か、ちです」


 口から溢れる赤黒い液体を吐き出しながら、笑みすら浮かべその言葉だけを呟き。


 容赦なく銃口を引く。

 風の弾丸が放たれる。


 螺旋状に回転するそれは、コアを貫通し粉々に砕いた。

 同時に、園田へと襲い掛かっていた触手が一斉に、園田に到達するギリギリのところでぴたりと停止する。

 すると先端から一気に光の粒子へと姿を変え、それは銀の狼と本体の大樹――いや、それだけではない。

 この森全体が。機械の木々で構成された森までが光へとその輪郭を崩していく。


 そうしてただの光の粒の集合は、同時に解放されていた神谷の身体に吸収された。

 神谷も園田も交差点の中央に倒れ伏し、ピクリとも動かない。

 その二人を見下ろす満月の光がその輝きを増し――――全てを包み込んだ。





 は、と目を覚ます。

 身体を起こし、あたりを見回すとそこは寮の神谷の部屋。

 戻ってこられた、と胸を撫で下ろした直後、そばのベッドに横たわる神谷を発見し、慌てて覗きこむ。

 どこにも傷は無い。血色はいいし、呼吸も問題なくしているようだ。薄い胸がゆっくりと上下しているのを確認する。プラウを倒して戻ってきたこどで全ての傷が消えていた。


 まもなく自分と同じように目覚めるだろう。

 安堵し深い息を一つ落とす。すると目尻から一粒の涙が滲んだ。

 

「良かった…………!」


 守れた。

 この少女の命を繋ぐことができた。

 思わず神谷の手を握りしめた園田は、その後少しだけ涙を流した。


 こうして園田みどりという少女は。

 ようやく、やりたいことをやることができたのだった。

 

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