8.ガールズ・ゲイズ
あれから一週間。
光空と改めて友達になった神谷は学校生活というものをそれなりに謳歌していた。
今まで色あせて見えていた世界は鮮やかな色彩を神谷に与えた。……いや、それを与えたのは厳密には光空か。
カガミがいないのは未だに悲しいし、例のゲームのことは頭の片隅に引っかかったままだったが、それでも今の自分は現状を楽しいと感じられていた。
……はずだったのだが。
「……………………………………」
授業中である。
教壇に立つ世界史担当の中年教師は、なんとかウスだのなんとかヌスだの、よく知らない人の解説に熱を上げている。
黒板にチョークで書かれた年表を機械的にノートへと書き写す。かりかり、とシャープペンシルの先端がノートの紙面をひっかく音が、そこかしこから拙い輪唱のように聞こえる。
右を見れば居眠りしている生徒。確か光空と同じ陸上部だ、と神谷は思い出す。今日の朝練で疲れているのだろう。教師がちらちらと見ているからそろそろ注意されそうだ。
左を見れば早弁している生徒。机の下に隠してこっそり食べているが、匂いでバレバレだ。バレていないと思っているのは本人だけ。誰か言ってあげた方がいいのではないだろうか。
こんな風に周りの人に目が向くようになったことに、神谷は驚いていた。それだけ以前は視野が狭まっていたのだ。考えていたのは自分のことばかりだった。
だが今重要なのはそこではない。
右、左、と来たら次は後ろだ。
後ろ、なのだが……。
「……………………………………」
ものすごく視線を感じる。
細いビームでじりじりと背中を焼かれているような錯覚すら感じられた。
ここ数日、ずっとこうだった。
食事の際も、登校時も、教室でも寮にいても、ずっと誰かの視線を感じていた。
いや、『誰か』というのは正確ではない。神谷は視線の主を把握している。
それはその人物が、見ていることを隠そうともしないからだ。
園田みどり。神谷と同じ寮生であり、クラスメイトでもあり――以前例のゲームに偶然迷い込んだ少女である。
授業の終わりを告げるチャイムを、ぐったりとして聞く。
椅子に背中を預けながら、ちらと背後を見ると園田と一瞬目が合って慌てて前に向き直る。
助けを求めて光空に視線を向けると、クラスメイトと楽しげに談笑していた。さすがに割って入るのは気が引ける。
「うぅ…………」
あの時。
プラウを倒して現実世界に帰ってきた時、気を失っていた園田をこっそり彼女の部屋に運んだのは、【TESTAMENT】で起こったことを夢として処理してもらうためだった。わけのわからないまま怪物に殺されかけた、などという経験は無かったことにした方がいい。
神谷にとっても――いや、
あれから毎夜のように、ゴーレムに両腕を破壊される悪夢を見ている。忘れられるものなら自分も忘れたい、と考えていた。
「ああもう!」
こういう案件は早めに片づけてしまうに限る。
しびれを切らし、椅子を音を立てて引き立ち上がる。机と机の間をずかずかと大股で歩き、目指すは園田の席。
見つめていた対象がいきなり接近してきたからか、席に座ったままの園田はあわあわとうろたえる。そうしている間に神谷はそばまでたどり着き、
「わたしに何か用かな?」
と、精いっぱいの笑顔を向ける。
それにいくらか安心したのか肩の力を抜いた園田は、
「あ、あの、ごめんなさい、ずっとお話したいと思ってたんですけどタイミングがつかめなくて……」
「大丈夫、ゆっくりでいいから」
明らかに気が急いて、ともすればつんのめってしまいそうな様子の園田をなだめる。
そういえばゲームの中で出会った時もこんな感じだったな、と思い返し、いや大体の人はあんな状況になったら慌てるか、と翻す。そういう自分も内心では、怖いと感じていたわけだし。
「あの時は助けていただいてありがとうございました」
「あの時? なんのこと?」
ぺこり、と頭を小さく下げて礼を言う園田に、神谷は全力でしらばっくれる。絶対に説明なんてしてやらないという頑なとすら言える意思を持って。ここでなんとしてもあの時のことを夢だと思ってもらう。無かったことにする。そういうつもりで神谷は園田にアタックを掛けたのだ。
……後から思えば、相手が『あの時のことは実際に起こったことだ』と解釈している時点で無理があったのだが、いろいろ融通の利かない神谷であった。ここのところ視線を受け続けていたのと、寝不足で判断が鈍っていたというのも理由として十二分にあるのだが。
「あの時と言ったらあの時ですよ、神谷さん」
「うーん、よくわからないんだけど……」
「私を助けてくれたじゃないですか、神谷さん」
「何から?」
「かっこよかったですよ、神谷さん♡」
「…………………………」
牽制の差し合い、といった感じだった。というより神谷が完全に押されていた。格闘ゲームで言うと画面端でダウンを取られてしまったような状態だろうか。
人はそれをピンチ、と呼ぶ。
神谷としては「あれれ? もしかしたらあの時のことは夢?」みたいな反応を期待していたのだが……。
二人はにこにこと笑顔を浮かべながら無言で見つめ合う。一見和やかな雰囲気に見えるが、その実、火花すら散りそうな状態であった。
「あっ、なるほど!」
何かに気付いた様子の園田が、ぱん、と手を合わせ目を輝かせる。
なんだなんだ、この局面でいったい何に合点がいったんだ、と神谷が内心でおののいていると、
「いわゆるツンデレですね!」
「いやいわゆらないよ」
「ようするに『べ、べつにあんたのために助けたわけじゃないんだからね!』みたいな!」
「ようすらないよ」
「それとも『お前を倒すのはこの俺だ』的な……?」
「なんでライバル風なの……どんどん遠ざかってるし。ていうか探らないで、わたしのキャラを」
ほとんど一方的にまくし立てる園田に、神谷は一瞬で一週間分の疲れを覚えた。
ここのところ対人経験に乏しかった神谷にもさすがにわかった。
この子は思い込みの激しいタイプだ。
……と神谷としては言いたいところであったが、園田の考えも間違いではないというのがまた微妙に面白くないのだった。
(実際わたしがあの時立ち上がれたのは園田さんを助けるためで、でもそれを悟られたくないと思ってるのも確かだしそういったもろもろをツンデレとかいうのはある種正しいのかもしれないけどわたしとしては不本意だしなによりなんだか恥ずかしいしんああああ……というかツンデレってかなり死語では?)
ここ最近の疲れと混乱が合わさり、思考がぐちゃぐちゃになった末に口から飛び出したのは、
「べ、べつに園田さんの事なんて何も知らないんだからね!」
「えっ?」
「んっ?」
二人してぱちくり、と目を合わせる。
しばしの空白が横切り――それを園田が破った。
「私、神谷さんに『あの時』しか自分の名前言ってませんでしたよね……?」
「えっ……? あっ!! い、いや!? 普通に前から知ってたけど!?」
とっさに誤魔化す神谷の身体のそこかしこから冷や汗が噴き出す。
神谷が園田に名前を教えてもらったのはゲーム内での事だった、と今更ながらに思い出す。あの時のことを無かったことにしたい神谷にとっては今のは完全なミスだ。
(……いや、落ち着け。まだ、まだ挽回できるはず)
なんとか冷静さを取り戻そうとした神谷に園田は再び質問の雨を降らせる。
「いつから知ってたんですか?」
「き、昨日……」
「どうやって知ったんですか?」
「先生に聞いて……」
「嘘ですよ」
「な、なんでそんなこと言えるの」
矢継ぎ早に撃ち出される質問を、神谷は必死になって捌いていく(と思っているのは彼女だけで、実際は被弾しまくっているのだが)。
なんとか食らいつく神谷に、
「だってずっと見てましたもん。そういう素振りはありませんでしたよ。……というか光空さんとしか話してませんよね神谷さん」
とどめとなる一言が突き刺さる。
「もんじゃないよ! ていうか分析しないでよわたしを!」
「それは本当にごめんなさい、でもこれで観念してくれますよね?」
「いや、でも……」
それでもまだ食い下がろうとする神谷。だが、それを見た園田は悲しげな顔で目を伏せ、
「お礼くらい、ちゃんと言わせてください……お願いします」
「――――――」
そんな顔でそんなことを言われては、もう諦めるほかなかった。
変わった子だが、それでも真摯な想いは伝わったし――なによりそれを無下にはできない。
陽菜にも言ってないのになあ、とため息をつく。
こうして、神谷は【TESTAMENT】について――カガミがらみの事情は省いて、だが――話すことになったのだった。
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