5.押して駄目なら打ち砕け
神谷によって吹き飛ばされた岩の巨人が大地に落下し、地面を揺らす。
ゴーレムのプラウを殴り飛ばした衝撃は未だビリビリと右手に残っている。
勝った――一瞬そう思ったが、軋むような音を鳴らしながらゴーレムの身体が少しずつ起き上がろうとしている。巨体相応の重さは自分で起こすのにもそれなりの時間がかかるようだ。
「今のうちに!」
気絶し横たわる園田みどりの身体を抱き上げ、一気に跳び、校庭を出る。
人間ではありえないような距離を助走なしで跳びながら今更のように驚く。四肢が白光を纏ったあの瞬間から、超人的な身体能力を神谷は獲得していた。
だが不思議なことに違和感は無かった。まるで最初からこの異能が自分の中にあったかのように。生まれたての赤ん坊が誰に教わるでもなくやがては二本の足で立ち上がるように、自身に刻まれたものとしてこの異能の使い方を肌で理解していた。
(わたしの身体、どうしちゃったんだろう)
そんな風に思いながら、校舎のそばへと着地する。
目を開ける様子のない園田を優しく横たえ、その姿を見つめる。
綺麗な子だな、と思う。整った顔立ちに、美しいグレーの髪は月の光を受けて半ば銀色のような光沢を放っている。細い身体はとても活動的には見えない。
こんな子が、さっき自分を懸命に助けようとしてくれていた。その事実を改めて受け止め、拳を強く握りしめる。
「……巻き込んでごめんね」
そう言い残すと、もう一度跳ぶ。
校庭に着地すると、すでにゴーレムは立ち上がっていた。
岩石の身体にはいたるところにヒビが入り、ボロボロだ。先ほど神谷が放った一撃の威力を如実に表している。
もう少し。あの様子だと先ほどのをもう一発食らわせてやれば終わりだ。
そう考え、凄まじい速度で駆けだす。
「せやああああ!!」
勢いを乗せた拳がゴーレムの胴体に叩き込まれる。岩石の身体に刻まれた亀裂は見る見るうちに広がり、粉々に砕ける――はずだった。
ゴーレムは大きく裂けた口をバキバキと開き、耳をつんざく咆哮を上げる。
「――――――――――――!!!!!」
それは声というよりも、もはや振動だった。ゴーレムから放たれる咆哮は衝撃波となり、神谷の身体を大きく吹き飛ばす。
空中でくるくると回転し、何とかバランスを取り戻し着地した神谷は見た。
ゴーレムの身体がボロボロと崩れ落ちている。
「…………いや」
違う。
茶褐色の身体は崩れているのではなく――――剥がれ落ちている。
土砂の『外殻』は割れた端から剥がれ落ち、そして。
その下にあったのは、黒曜石や炭素を思わせる、黒い光沢を放つ身体だった。
分厚い茶褐色の外殻が剥がれ落ちたことにより、サイズは一回りほど小さくなっている。だがそれでも神谷と比べて十分に巨体で、漆黒の全身はまるで全く別の存在にも見えた。
「関係ない。……ぶん殴る!!」
変貌を遂げた黒い巨人に神谷は果敢にも接近し、もう一度右腕を振りかぶる。
甲高い音を上げ、右拳に宿る白光が煌めく。
風圧が発生するほどのエネルギーが満ちた拳を漆黒の身体目がけて突き出す。
衝突、そして轟音。
完全に捉えた。クリーンヒットといってもいい。
それなのに。
「うああああああっ!!」
ブシュ、という湿った異音がした。
あまりの硬さに叩きつけた拳が傷つき、血が噴き出したのだ。神谷の身体は今や超人的な力と耐久力を手に入れている。小さな身体に小さな拳。だが今の神谷なら、素手で乗用車をスクラップにするくらいは簡単だろう。
それなのに。黒いゴーレムには傷ひとつ無かった。
うそだ、と、か細い声が漏れる。
そして。
痛みに呻き隙を晒す神谷を、散々殴られたゴーレムが見逃すはずもなかった。
さっきまでとは比べ物にならないスピードで振るわれたゴーレムの拳が神谷の胴体に直撃する。
「が………………っ」
強烈なボディーブロー。
肺の中の空気が全て吐き出され、メキメキメキ、という嫌な音が胸のあたりから骨を通ってダイレクトに耳まで伝う。
振り抜かれた拳によって恐ろしい速度で吹き飛んだ神谷はノーバウンドで校庭を囲む金網に叩きつけられた。
何秒もして、ひしゃげた金網からずるずると滑り落ち、倒れこむ。
「……っ……ぁ……! げほ、げほっ! うえぇ……っ」
咳き込むたびに、たったそれだけの動作で全身が激しく痛むことに恐怖を覚えながら、手をつき身体を起こす。
ぼやける視界にはゆっくりと歩み寄ってくるゴーレムの姿が写る。だがそこには以前の鈍重な印象は無い。外殻を捨て去ったことで格段に身軽になっている。そんな印象を受けた。
勝てるのか。
こちらの攻撃はまともに通らない……それでどうやって戦えというのか。
「――――いや」
それでも。
声に出さず、そう呟く。
神谷の目は死んでいない。以前は生気を失いタールのように濁っていた瞳には今や一筋の光が宿っていた。
今の神谷はこれまでの彼女とは違う。『願い』を叶えるという目的がある。生きる意味を見つけている。だから立ち上がる。
「絶対攻略する!」
ゴーレムを睨みつけると、それに呼応したように黒い巨人は両の拳を重ね、地面に叩きつける。するとそこから神谷に向かって次々に岩の杭が地面から突き出す。
波のように隆起する岩をとっさに横に跳んでかわす。目を見開き、一筋の汗が頬を伝う。
近接一辺倒ではなく、疑似的な遠距離攻撃まで備わっている。
「一戦目から強すぎない!? バランス調整……!」
文句を垂れつつゴーレムの周囲を円を描くように走る。なんとか隙を見つけなければ。
ぐるぐると凄まじい速度で駆け回る神谷に対し、鬱陶しそうに身じろぎをしたゴーレムは、次々に神谷に向けて岩の杭を隆起させていく。
走ってかわす。跳んで避ける。岩の杭は長く形を保っていられないようで、すぐに崩れて土に還った。
助かった、と安堵する。残り続けていたらどんどん動ける範囲が狭まってジリ貧だった。
身を翻し、顔面に向かって突き出した杭をかすめるようにかわした神谷は白く光り輝く脚を振るい、岩の杭を蹴り折ってゴーレムに向けて飛ばす。
ぐるぐると回転しながら飛んだ岩の塊はゴーレムに直撃し、傷ひとつつけられずに砕け散る。
「――――――――――――!!!!!」
だが、それが癇に障ったのか、ゴーレムは再び激しい咆哮を上げ、こちらに迫る。
神谷に接近したゴーレムは今度こそとどめを刺そうと太い右腕を振るい、真っすぐに突き出した。重機のようにすら感じられるその拳に対して――神谷もまた、真っ正面から拳をぶつける。
その激突は爆発的な衝撃波を生み出し、周囲へ大量の砂塵が撒き散らされる。
ぶつかった右手に稲妻が走ったような激しい痛みが駆け巡り、それと同時にメキ、という音が耳に入った。今度こそ、間違いなく骨にヒビが入った。
――――いや、それだけではない。
ゴーレムの右手にもまた、小さな亀裂が走っていた。
「…………これを、狙ってた」
だがゴーレムのプラウはそんなことは歯牙にもかけずもう片方の手で拳を作り、再び神谷を叩き潰すために振るう。神谷もまた、白く輝く拳でそれを迎え撃つ。
再び双方の拳が傷つくも、怯まずに繰り出されるゴーレムの拳に、神谷は真っ正面から全力で拳を叩きつける。
「一方的に殴っても通用しないなら! お互いのパワーを合わせれば――――ッ!!」
殴り合ってこちらにダメージがあるなら、向こうにだって効いているはずだ。
硬ければ硬いほど、それと同じくらい脆くもあるはず。
だからこれは――どちらかが先に壊れるか。そういう勝負だった。
振るわれた拳と拳が激突する。
激突する。
激突。
激突。激突。激突激突激突激突激突激突激突激突激突――――――。
「はあああああああああああッ!!」
お互いの拳が高速で、何度も何度もぶつかり合う。
両腕をボロボロにし続けながら、神谷はその痛みを吹き飛ばさんと叫ぶ。
すでに痛みは限界を超え、感覚が無くなったようだった。
頭のネジが外れてしまったような感覚があった。普通なら泣き叫んでしまいそうな痛みに耐えられるのは――勝ちたい、というその一点のみだった。ただ願いを叶えたい。この戦いを終わらせて、光空に会って謝りたい。そんなシンプルな想いだけが今の神谷を突き動かしていた。
拳が激突するたびに両手から噴き出した赤い血が飛沫となって舞い散る。
だが、ゴーレムもまた無事ではなかった、あれだけの硬度を誇っていた全身は、腕から幾重にも広がる亀裂に覆われ、ぶつかり合うたびにその破片を散らしていた。
そして。
突如としてゴーレムは嵐のようなラッシュを止めた。
いや――厳密には違う。止めざるを得なかった。
ゴーレムの両腕にびっしりと刻まれた亀裂が見る間に広がっていく。
肩口から腕が崩れ、地面に落ち砕け、ただの黒い破片の集合と化す。
「――――、――――――――………………」
悲しみのようなものを含ませた声をあげ、ゴーレムはバランスを崩し、膝から崩れ落ちる。
それを見た神谷は血まみれの拳を硬く握りしめる。メキメキと、砕けた骨が悲鳴を上げる音を聞いたがすべて無視する。
ジェット機のような甲高い音が響き渡ると、右の拳に宿る白光がその輝きを高めていく。
「――――これで……終わりだあああああッ!!」
放たれた拳は一直線にゴーレムの胸に突き刺さり、全身に亀裂が走っていたそれを粉々に砕く。
物言わぬ瓦礫の山と化したゴーレムは、その活動を完全に停止した。
「いだだだだ……! いたいよう……」
小さな身体を仰向けに倒した神谷は両腕の痛みに顔を歪める。
これでやっと一戦目。こんなものがあと五回も続くのか、と呻いたが、なんだかすがすがしい気分でもあった。
両腕の骨は間違いなく折れてしまっている。筋肉は断裂しているし、身体を支えていた下半身もまた悲鳴を上げている。げほ、と咳き込むだけで口中に血の味が充満した。激痛に全身をすっぽりと包まれているようだった。
でも――――生きている。呼吸はできるし、心臓もどくどくと鼓動を刻んでいる。
そんな実感が今更のように湧き上がってきて、感極まり目尻から一筋の涙を流す。
倒れたまま首を動かして先ほどまでしのぎを削り合った相手を見る。あれだけ巨大に見えたゴーレムも、今はもう黒い破片の山と化している。
身体が痛みすぎて半ば朦朧とする意識の中でそれを見つめていると、突如として破片の山が無数の光の粒に変化する。驚きに目を見開いていると、それらは一直線に神谷を目指して飛び――その小さな身体に吸収された。
わけもわからないまま遠のく意識の中で、月の光がその輝きを増すのが見え、そして――――。
神谷の視界はブラックアウトした。
目覚めるとベッドの上だった。
「ぅあ…………」
ぼんやりする頭を軽く振りながら起き上がる。寮の自室だった。スマホで時刻を確認すると、16:13。窓の外に目を向けるとオレンジ色の夕日が差し込んでいた。
先ほどまでの非現実な世界の記憶は鮮明に残っている。だけどこうして終わってみると――傷も跡形もなく消えているし、喉元過ぎればではないが、やはり夢だったのではないかと思ってしまう。
「…………でもなあ」
部屋の床を見ると、園田みどりが床に倒れているのだ。とりあえず呼吸しているのを確かめ、安堵のため息をつく。気を失っているか、もしくは寝ているだけだ。
ベッドの上に転がっている携帯ゲーム機を手に取る。電源が入ったままのそれは、画面に『Congratulations!』と書かれたウインドウを表示している。左上のゲージは空になっていた。
それを最後にボタンを押してもうんともすんとも言わなくなったので、諦めて電源を落として充電器に繋ぐ。次のプラウの出現はいつなのか、それすらもTESTAMENTは教えてくれない。だが、神谷はこのゲームに対してすでに確信めいた思いを抱いていた。
謎のゲーム内に飛ばされ、異能を手に入れ、謎の敵――プラウと戦う。そんなファンタジーが起こるのなら、願いが叶うというのも十分あり得るのではないか、と。
まだ、わからないことも多いが、それでも。
きっとカガミさんに再び会うために……このゲームに挑むことを神谷は決心した。
それにあたって当面の問題は――――気を失った園田みどりという少女を、どうやって起こさないように彼女の部屋に運ぶか、だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます