4.わたしリメンバー


 寮へと続く校庭の出口に立ちふさがる怪物プラウ――ゴーレムを見上げ、神谷は呆然としていた。

 五メートルにも届くほどの巨躯に岩石そのものの身体。どう考えても生身の人間が立ち向かっていい相手ではない。

 しかし倒さなければこのゲームを終えることはできないという。

 そう、『ゲーム』。あの時、寮の自室でプレイを開始した瞬間光に包まれ、気が付いたらここにいた。そこで待ち構えていたのがこの、おそらくは『プラウ』という名のモンスター。

 神谷の推測が正しければ――ここはゲームの中の世界で間違いない。


「か、神谷、さん……あれ、なんですか……」


 目の前に立つゴーレムを見上げながら園田が問う。その声は恐怖からか震えていた。

 

「わたしにもわかんないけど――――」


 ゴーレムがその太い右腕を振りかぶる。下からだと小さめの屋根にすら見えるそれは月の光を受け、二人の少女に影を落とした。

 神谷は額から流れる冷や汗を感じながら、じり、と一歩後ずさる。


「――――じっとしてたらやばい!!」


 ゴーレムの右腕が振り下ろされる。

 それと同時に園田の身体を抱きしめ、身を投げ出すように飛ぶ。後のことを考えている余裕は無かった。ハンマーのように振り下ろされた太い腕は神谷の身体にぎりぎり触れない場所を通過した。

 巨岩の腕が大地を叩き、それによって生まれた風圧で吹き飛ばされ、二人して地面に転がる。

 だが倒れている余裕はない。ゴーレムの眼の無い顔は追撃に移ろうとこちらを向いている

 すぐさま神谷は立ちあがり、園田の腕を思い切り引き、無理やり立ち上がらせようとする。だが。


「た、てません」


 恐怖に震えるその身体は全ての力が抜けてしまったようにぺたんと座り込んでいる。

 頭が真っ白になった。

 どうすれば。あいつは倒せない。なら逃げよう。この子を置いて? 無理だ。はっきり言えば名前しか知らないような人だとしても、見捨てて逃げられるほど割り切れる性格でもなかった。

 どうすれば、どうすれば、どうすれば――――。

 そんな混乱に支配される中、再び神谷たちに影が差す。

 思わず見上げると五メートルほどもあろうかという巨体が飛び上がっていた。神谷の三倍以上の身の丈を誇る巨岩の身体が描く放物線は、神谷たち二人を踏み潰す軌道。

 右腕をただ振り下ろしただけで地面が割れたのだ。あれが降ってきたら、どう考えても助からない。


「ごめん!!」


 とっさに園田を全力で突き飛ばし、自らもその反動を使って反対側に跳ぶ。

 直後、巨体が大地を叩き、衝撃によって生まれた爆風で神谷の身体がふわりと宙に留まる。

 ゴーレムはぐるりと顔を神谷の方に向け、太い腕をまるで虫でも払うかのように軽く振ると――それは神谷の身体に直撃した。


「が…………っ!」


 埃のように軽々と吹き飛ばされ、受け身もとれずに地面へと転がる。あまりの痛みに息を吸うことも吐くこともできず、身体をただよじる。骨が折れていないのが奇跡のようだった。

 ズン、ズンと一歩ごとに地面を震わせながらゴーレムが歩み寄ってくる音が聞こえる。

 痛みで涙が滲む。歪んだ視界で迫ってくるそれをぼうっと見ていると、やがてゴーレムは神谷のそばに立った。

 眼の無い顔は冷静に、機械のように見下ろしている。


 ――――ああ、わたしはこれから殺されるんだ。


 そう思った瞬間、頭がすうっと冷えていくのを自覚した。さっきまで感じていた恐怖も混乱もどこかへ行った。


 一年前のあの日から……カガミがいなくなったあの日から、生きる意味を見出せないでいた。全てがどうでもよくなって、ただ呆然と日々を過ごしていた。それは生きているというよりは、ただ死んでいないというだけだった。まるでゾンビのようだった。

 中学まではいた数え切れない友人たちとも連絡を絶った。こちらから連絡することは無くなり、向こうからの連絡を全て無視していると、やがてスマートフォンが着信を告げることは無くなった。

 全てから逃げていた。クラスメイト、寮生、教師、そんな周囲の人間からずっと目を逸らしていた。ゲームの世界に没入し、ひとりぼっちの自分からすらも逃げていた。

 そんな自分が嫌だと思うこともあったけど――そう思うことからも逃げだした。


 そして、これが最後の逃亡。


 真っ暗闇のような日常の中で見つけた光明――この『ゲーム』。願いが叶うと言われ、光に集まる虫のようにふらふらと引き寄せられた先にあったのは避けようの無い死。

 逃げて逃げて逃げ続けた果てにあったのは、ゲームに登場するようなモンスターになすすべもなく殺されるという結末。

 は、と笑い声のような何かが漏れる。わたしにはお似合いのエンディングじゃないか。そう神谷は思った。


「……いいよ。殺して。もういいよ。もう、いい……」


 倒れたままぼんやりとゴーレムを見上げる。


 ここはきっと『ゲーム』の中だ。神谷はそう推測している。

 だが先ほどの攻撃で、身体のあちこちに擦り傷もでき、血も滲んでいる。それに確かな痛みも感じる。つまりそれは、たとえここが『ゲーム』の世界だとしても、現実と同じように死ぬこともあるということではないだろうか。


 この『ゲーム』を始める前に見た説明ではこんな文言が表示されていた。『プラウとの戦闘が始まると、倒さなければゲームを終了することができません』『加えて敗北すると重大なペナルティが科せられます』――敗北、というのはおそらくプラウに殺されてしまうということだろう。そして『重大なペナルティ』。神谷は最初これを見たとき深く考えていなかった。だが今、この状況に置かれると、それが何なのかある程度の推測がつけられる。


 倒さなければ終われない。負ければペナルティ。負け=死。つまりペナルティというのは死そのものということではないだろうか。そうだ、ここに来る前見たではないか。『プラウを倒し、いったんゲームを終了すると、受けたダメージは全て無かったことになります』と。これを見たときはわざわざ説明することか、とも思ったが、今の状況に照らし合わせてみれば真意が見えてくる。

 倒せば傷が無かったことになる、というのはもちろん裏を返すと倒せなければそのままだ、ということ。

 死んでしまえば倒せない。倒せなければ終われない。終われなければ……考えるまでもない。

 つまりこの『ゲーム』におけるゲームオーバーはそのまま命の終わりに直結する。


 だから、きっとこれでちゃんと死ねる。


 ひんやりとした地面に横たわる神谷は、何かから解放されたような気分だった。

 だがゴーレムは神谷を見てはいなかった。不思議に思い、眼の無い顔が見つめる先を、思わず神谷も見る。


 視線の先にあったのは――こちらを目指し、足を引きずってよたよたと歩いてくる園田みどりの姿だった。先ほど突き飛ばしたときに片足を痛めてしまったのか、その足取りは頼りない。何メートルも離れている神谷の元へ一歩、また一歩と近づいてくる。

 だがそのペースでは間に合わない。園田が神谷の元へたどり着くよりも早く、ゴーレムは神谷の身体を文字通り叩き潰してしまうだろう。それは園田にもきっとわかっている。神谷がやられれば次は自分の番だということもわかっているはずだ。わけもわからずこんな舞台に立たされて、わけもわからず襲われて、それでも彼女は歩みを止めない。


「なんで……?」


 神谷の、薄く開いた口からそんな言葉が落とされる。

 それは心からの疑問だった。


 だってそんなことをしたってどうにもならないじゃないか。

 たとえ園田がゴーレムに立ち向かったとしても、神谷と二人で仲良くミンチにされるのが落ちだ。足を引きずってでも、とにかくここから逃げるべきなんだ。

 なのに、なんで。

 そんな風に呆然とする神谷をよそに園田を睨みつけていたゴーレムはいきなり飛び上がった。


「な、」


 着地したのは園田の目の前。風圧で倒れそうになる園田の髪が激しくなびく。

 抵抗の意志がない神谷を後回しにして、まだ動ける園田を先に処理しようとしたのか、それとも何か別の理由があるのか……神谷にはわからなかったが、そんなことは今はどうでもよかった。

 目の前で少女が殺されようとしている。


「ひ…………!」


 園田の喉から声にならない悲鳴が漏れる。目の前に岩の巨人が立ちはだかっているのだ、無理もないだろう。

 さっきまで神谷を助けようとしていた勇気は一瞬でへし折られ、恐怖に全てが塗りつぶされる。岩石の腕に軽々と吹き飛ばされた神谷の姿を見ているのだからなおさらだ。

 かくん、と膝が折れて座り込み、後ずさる。だが無駄だ。もうゴーレムはその巨腕を振り上げている。あとはそのまま振り下ろせばあっけなく園田みどりの命は消えてなくなるだろう。


「やめて……こないでください……! 死にたく、ない……っ!」


 園田が喉から絞り出したような、悲鳴にも似たそれが神谷の耳に届く。



 ああ――――それは駄目だ。



 さっき偶然出会ったばかりだとしても。さっき少し話しただけだとしても。

 目の前の誰かが、形はどうあれ自分のそばからいなくなる。

 神谷にとって、それは――それだけは、何よりも。


「もういやだ、そんなの……!」


 自分の身体を無理矢理立ち上がらせると、ぎしぎしと軋むような音がし、すさまじい痛みが全身を駆け巡った。骨が折れていないなどとさっきは思ったが、ここまでの痛みだと判断しかねる。なにしろこんな経験は一度だってない。

 だがそれらをすべて無視して、弾かれたように走り出す。

 ゆっくりと、これ以上なくゆっくりとゴーレムの巨腕が振り下ろされていくのが見えた。時間が無限とも思えるほどに引き伸ばされて――スローモーションの世界で神谷は一年前のあの日を思い出していた。

 あの日、『カガミさん』が突然いなくなって。するりと手のうちから消えてしまって。どうしようもなかった。あんな悲しいことはもう経験したくない。


 そして今。神谷の目の前で少女の命が失われようとしている。


 あの時は届かなかった手が、今なら届くかもしれない。

 園田とカガミは全く関係のない別人だ。


 だけど。

 今の神谷には、二人を重ねずにはいられなかった。


「……………………!!」


 声にならない叫び声を上げる。

 すると突如神谷の両手が、両足が、純白の光を放ち始めた。

 全身に計り知れないエネルギーが満ちる。

 力の限り大地を蹴ると、神谷の身体は一気に加速した。

 その姿はまるで夜空を駆ける真っ白な流星のようで――震えていた園田がいっとき恐怖を忘れ、見惚れてしまうほどの輝きだった。

 小さな身体が、振り下ろされる巨腕と園田の間にギリギリで滑り込む。

 なんとか園田を逃がして……いや。

 間に合わない。


 ……受け止めなければ間に合わない!


 圧倒的な衝撃が少女に襲い掛かる。

 巨大なハンマーを、神谷の細腕が真っ正面から受け止めていた。


「うっ……ぐ、ぐぐ……ううう……!」


 凄まじい重圧を、ギリギリで押し留める。

 信じられないことに双方の力は拮抗しているように見えた。

 だが、ただ体重を掛ければいいゴーレムと、必死に下から食い止めている神谷では状況に遥かな差がある。

 その証拠にじりじりと神谷は押され始めていた。逆にゴーレムの力はどんどん強まっていく。

 潰される。このままでは。


「そ、のだ、さん……にげて……!」


「…………」


 返事がない。

 ゴーレムの巨腕を必死で食い止めながら思わず振り返ると、園田は目を閉じぐったりと身体を横たえていた。気を失っている。

 神谷の背筋に冷たいものが走った。


「そのだ、さん……! 起きて……!」

 

 凄まじい重圧に耐えながら園田へと必死に呼びかける。このままではいずれやられてしまう。だからその前に、と。だが彼女が目を覚ます様子は無い。

 そうしている間にもどんどん押されていく。

 神谷の足元の地面にヒビが入り、ついに砕ける。身体が沈み始める。

 このままでは本当に――――。


「あぐっ、あああ…………っ!」


 さらに地面が砕ける。神谷の両腕が……いや、それのみならず全身がビキビキと悲鳴を上げる。

 少女の小さな身体はすでに限界に達しようとしていた。

 それでも。


 ――――死なせたくない。


 もう二度と、目の前の誰かがいなくなるのは嫌だったから。

 そして。

 

 ――――死にたくない。


 ああ――そうだ。本当は死にたくない。死んでもいいなんて嘘だった。生きることからすら逃げたかっただけだった。

 思えばあの日からずっとそうだった。降りかかった不幸が悲しくて、悲しくて、どうしようもなく悲しくて。自分の周りに壁を作った。たとえ誰かと仲良くなれたとしても、また自分の前から消えたらと思うとどうしようもなく悲しかったから。

 悲劇のヒロインぶって、『自分にはこんなに悲しいことがあった』『だから周りの幸せそうなやつらにはどんな態度をとったっていいんだ』――そんな不遜な気持ちだって根底にはあった。

 この学校に入って、ずっとずっと、どんなに剣呑な態度をとっても、どんなに突っぱねても――めげずに手を差し伸べ続けてくれていた光空陽菜あの子がいたのに!

 謝らなければ。そう思った。

 今までのこと。これからのこと。あの子に向き合わなければいけない。

 そのためには――――


「勝つ…………」


 ほとんど潰されかけながら神谷は思い出す。『これはあなたの願いを叶えるゲーム』。そうだ、死ねない理由はもう一つあった。

 『カガミさんにもういちど会いたい』――そもそもこのゲームを始めたのは。ここに来たのは。その願いを叶えるためだったではないか。

 

「そうだよ……簡単な……っ、こと、だったんだ……!」


 ただ勝てばいい。それだけ。

 神谷の四肢に宿る白光がその勢いを増し、迸る。

 少しずつ、少しずつ、ゴーレムを押し返していく。


「う、あああああッ!!」


 圧し掛かるゴーレムの腕を全霊の力で弾き飛ばす。

 巨大な、それ相応の重量を持つ岩石の腕――それを突然跳ね上げられたことで、岩の巨人は大きくバランスを崩す。

 割れた大地を踏みしめ、がら空きになったゴーレムの身体に向かって力強く勇ましい一歩。


 これはありふれたゲームじゃないし、ましてや神谷は勇者でもない。

 だから少女の手には伝説の剣どころか武器のひとつも握られてはいない。


(いや――――武器ならある)


 ただひとつ。この手が。この拳だけが、神谷沙月にはあった。

 右手を硬く握りしめると、そこに纏う白光が膨れ上がり、驚くほどの力が湧き上がる。

 右腕を振りかぶり、全力で突き出す。狙うはノーガードの胸。


「はあああああッ!!」


 渾身の拳がゴーレムの胸部に突き刺さり――その身体を大きく吹き飛ばす。

 巨体は何メートルも空を飛んだあと、地面に落下し、横たわった。



 ――――【TESTAMENT】。それはプレイヤー自身が異能を携え、プラウと戦うゲーム。

 これが本当のプロローグだった。

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