3.満つる月輝く世界、または鳴動するチュートリアル

 


 何も見えない。

 何も聞こえない。

 トンネルのような何かをくぐっているという感覚だけがある。

 身体を動かすこともできず、ただ流れるプールに身を任せるように、『自分』という概念がどこかに運ばれていくような感覚。

 心地よいそれに身を任せていると――意識さえも消えてなくなった。





 目を開けると真夜中だった。


「はえ?」


 間抜けな声をこぼし、あたりを見回す。

 見覚えのある――というか神谷たちが通っている高校の校庭の中心に彼女は立ちすくんでいた。

 とっぷり、という言葉が似合いすぎるほどに夜が更けている。

 さっきまで夕方だったはずなのに。


「ちょっと待って……えーと……」


 さっきまで何をしていたか、目をつむり考える。

 寮の自室に帰ってきて、ゲームしようとしたら変なモードが出現していて、プレイしようとしたら変な光に包まれて、気が付いたら夜だった。

  

「……え、もしかして夢? さっきまでここで寝てたってこと?」


 そんなまさか、と思いつつも神谷の常識に当てはめるとそれが最も現実的だった。

 いや、それにしても――。


「さすがに何か変だよね……?」


 違和感がある。

 まずひとつは目覚めた場所だ。校庭の中心で堂々と寝る人間がいるだろうか?

 ましてや毎日放課後には運動部員たちが使っているのだ。百歩譲ってここで眠ったとして、誰にも声を掛けられないなんてそれこそあり得ないだろう。


 もうひとつ。見上げてみると巨大な満月が輝いている。

 昨夜自室から見えた月は、確かまだ半月だったと記憶している。


 そして最後に。

 見覚えのある学校。知っているはずの場所。なのに決定的に違っていた。


「学校が、ボロボロだ……」


 校庭のあちこちにはヒビが入り、抉れている。取り囲む金網には穴が開き、引きちぎられたかのような箇所も見られる。校舎の方を振り返って見ると、生け垣は草木や花が枯れ、二つある校舎のうち片方は原形をとどめないほど崩れてしまっていたし、それらを繋いでいた渡り廊下は落ちて真っ二つに折れてしまっていた。


 それは風化や老朽によってというよりも、何か大きな力によって滅ぼされてしまったかのようで――神谷は少し身震いする。

 知っている場所のはずなのに、何もわからないことが恐ろしかった。

 

「そうだ、時間……」


 仮に眠っていたとしたら今は何時なのか。この夜の更け方からして真夜中ということもありうる。そう考え、スカートのポケットからスマホを取り出し、画面を点ける。するとそこには――


 四月十日。そう表示されていた。

 この日付は神谷の記憶とも一致する。

 だが。


「……嘘だあ」


 15:42。


 さっき神谷が寮の自室に帰ってきてから十分も経っていない。

 思わず見上げると、やはりそこには夜空が広がっていた。

 スマホの時計は正常に動いている。左手首に巻いた腕時計と照らし合わせてみても、狂っているということは無い。

 この時間に夜が来ているのは、月が出ているのはどう考えても異常事態だった。

 おかしいのは自分の頭か、それとも――この世界の方か。


 混乱する頭とは裏腹に、神谷の足は寮の方を向いていた。

 よろよろとおぼつかない足取りで歩き出す。

 神谷たちが暮らす寮は、金網が取り囲む校庭を挟んで校舎の反対側にある。その金網に作られた扉から出て、そこから広がる林の中の一本道を歩けば寮に着く。


 とにかくどこの誰でもいいから会いたかった。そんなことを思ったのはここ一年で一切無かった。学校には誰もいなくても寮ならきっと誰かがいるはずだ。

 根拠は無いがそれにすがるしかない。一縷の望みをかけ歩き出そうとした神谷の肩を誰かが掴んだ。


「………………ッ!?」


 飛び上がった。

 誇張無しに両足が地面から離れた。

 息が止まって声も出せなかった。

 

「誰!?」


 叫びながら勢いよく振り返ると、そこには尻餅をついた少女が震えていた。


「ごめんなさいごめんなさいぃ……!」


 どこかで見覚えのある顔だ、と思った。神谷と同じ黒いセーラーに身を包み、長いアッシュグレーの髪をそのまま下ろしているその少女は確か、同じ寮の生徒だったはずだ。

 だがそれ以上の情報を神谷は持ち合わせていなかった。周囲の人間と関わる気もなければ知る気もなく、そんなスタンスでいるものだから神谷が名前を覚えている同級生は光空しかいなかった。

 

「なんで、いつからそこに」


 さっきまで周りには誰もいなかったはずだった。だから寮を目指そうとしたのだ。

 

「わ、私が聞きたいです……! 学校から帰ってきて自分の部屋に戻ろうとしたら神谷さんの部屋から叫び声が聞こえて……何かあったのかと思って入ったら部屋中目が開けられないくらい光ってて……気が付いたらここにいて……」


 すぐ目の前にあなたがいたから話しかけようとしたんです。

 親に叱られた子供のような様子でぼそぼそとそう呟いた。

 その状況は神谷の記憶とも一致する。あの時『はい』を選択し、光に包まれた直後にこの少女が部屋に入ってきたのだろう。そう神谷は推測した。

 

 何か――パズルのピースが集まっているような感覚がある。この状況を説明する手掛かりが。だが神谷の脳裏に浮かぶ結論を、常識が邪魔していた。なんとなく推測はできる。だがそうと断言できるほど浮足立った価値観を持っているわけでもなかった。


「名前、なんていうの?」


 見下ろしたまま神谷は問う。それを受けた少女は、まさか同じ寮なのに知らなかったのか、とでも言いたげな顔で、


「……園田、みどりです」


「わかった、園田さん。覚えた。混乱してるだろうけど、今わたしもわかんないことだらけで……とりあえず寮に」


 戻ろう。そう口にしようとした瞬間――今まで経験したことのない規模の地震が一帯を襲った。 


「う、わ…………!」


 突き上げるような振動に立っていることすらできず、思わず座り込む。

 もとから座り込んでいた園田もそれは同じだった。

 次々に襲い来る異常事態に神谷の混乱はピークに達していた。

 なぜ。なにが。どうして。

 そんな誰に対してかわからないような問いがぐるぐると頭を巡り続け――そんな中、神谷は気づいた。


 何かが。

 地面の中にいる。


 激しい地鳴りに内臓が震える感覚を味わいながら、神谷はただ一点を注視していた。

 校庭の中心。

 亀裂がみるみる広がっていくそこを見る神谷の脳裏に、ここで目を覚ました、その直前の記憶がよぎる。


 ――――『Ploughプラウ』――――『モンスター』――――『倒さなければ』――――


 ああ、そうだ。このモードの説明は、一貫して主張していたではないか。

 『あなたが』『戦う』と。

 ゲーム内のキャラクター――プレイヤーが操作する、いわゆるプレイアブルキャラクターについてなんて一文字も触れていなかった。

 この崩壊した学校に来てから本当は薄々感づいていた。だけどそれを認めてしまうのが恐ろしくて目を逸らしていた。

 なぜなら。


 ただの少女が、ゲームに登場するようなモンスターと戦って――勝てるはずがないからだ。

 

「まさか……!」


 地鳴りとともに大地そのものを揺さぶる『それ』は、地盤を突き破り、土煙を引き裂きその姿を現した。

 ズン……と重々しい一歩。それだけで校庭の砂が軽く舞い上がる。

 

 見上げるほどの巨躯。大量の土を纏った岩のような身体。人と似たシルエット。太い手足。ずんぐりと丸い、眼も鼻も耳もない頭部には大きく裂けた口だけがあった。

 ファンタジー系のゲームならありふれ過ぎている敵――それは、まごうことなきゴーレムだった。

 


『これはあなたの願いを叶えるゲーム』――眼の無い顔でこちらを睨みつける岩の巨人を見上げながら、そんな文言を神谷は思い出していた。

 

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