2.GAME START

 

 空虚な時間はあっという間に過ぎ、終業のチャイムが鳴る。ホームルームを終え、学業から解放されたクラスメイト達がガタガタと椅子を鳴らし談笑しながら教室を出てゆく。

 少し離れた席にいる光空は、指で前髪をつまみながらチラチラと神谷の方へと視線を送るが、今朝のことを引きずって気まずいのか話しかけてくることはなく、周囲の生徒と何やら話しながら廊下に出ていった。これから陸上部の部活なのだろう。


「…………」


 万が一どこかで鉢合わせたら向こうが困るだろうと考え、少しだけ間をあけて教室を出る。部活もなく、放課後に何か用事があるわけでもないから急ぐ必要はないのだが、掃除当番の邪魔になるのは気が引けた。


「帰ろ」


 ひとりでそう呟き、よいしょ、と学生鞄を肩にかけて歩き出す。



 一階の昇降口から外に出たとたん、間延びしたトランペットの音や運動部のランニングの掛け声――色とりどりの部活の音が耳に飛び込んできた。寮に向けて歩きながら校庭に目をやると、一定の間隔で鳴らされるホイッスルに合わせて走る陸上部員たちが見える。その中には明るい色のポニーテールを揺らして一心不乱に走る光空の姿もあった。


「……いいな」


 彼女たちは学校生活を、青春を、人生を謳歌しているように見える。それに比べて自分はどうだ。何もないじゃないか。

 ずっと立ち止まっているような感覚がある。

 周りの子たちは前を向いて歩いているのに、自分だけが取り残されているような、そんな焦燥感がある。

 早く自分も歩き出さなければと、心のどこかでは思っている。置いて行かれたくないという気持ちは確かにある。

 だけど、どこに向かって足を踏み出せばいいのだろう。

 歩き方すらわからないのに。


 


 ぼすん、と自室のベッドに身体を投げ出す。シワになる前に制服脱がなきゃ、とぼんやり思うが緩い倦怠感が起き上がることを許してくれない。

 焦点の合わない目で虚空を見つめると視界の隅に時計が映った。ぱちぱちと瞬きを繰り返し、徐々にピントを合わせると、現在時刻は四時にもなっていなかった。

 この時間ならおそらくこの寮には他に誰もいないだろう。チャイムを合図に直帰した神谷より早く帰れる者はそういない。寮生はほとんどが部活に所属していたはず――光空がそう言っていたのを思い出す。

 

 夕飯にはまだまだ早く、暇を持て余した神谷はいかにして時間をつぶそうか思案を巡らせる。

 

「……まあ、ゲームかな」


 寝ころんだまま放り出された鞄に手を伸ばし、ごそごそとポケットを探って携帯ゲーム機を掘り当てる。液晶画面がひとつにボタンが四つに十字キー。前時代的な構造だ。その側面についたスイッチを入れると画面にゲームのタイトル画面が映し出された。


 それはカガミが残したゲームソフトだった。タイトルは【TESTAMENT】。主人公が旅に出て、道中で様々な仲間と出会いながら、最終的に世界を滅ぼさんとする魔王を倒すという、今から思えばオーソドックスにもほどがあるファンタジーRPGだった。


 カガミが失踪して抜け殻のようになってしまった神谷を、日常生活ができるレベルまで戻してくれたのがこのゲームソフトだった。ゲームをしている間は辛い現実を忘れられた。世界観に没入し、主人公に感情移入していると、まるで自分がいなくなったような感覚がして心地よかった。

 それから神谷は多種多様なゲームにのめりこみ、まるで追い立てられるように数々のゲームをクリアした。

 

「もうクリアしたのは一年前になるんだな……」


 あれ? と首をひねる。そんなゲームがなぜ今更ゲーム機に入っているんだろう? そう考え――すぐに思い出した。


「ああ、昨夜なんとなくもう一回やろうと思ったんだっけ。でも眠くて結局やめちゃったんだ」


 そう呟き画面に目を向けた神谷は以前プレイしたときと違う点に気付いた。

 真っ白なタイトル画面には上から『NEW GAME』『LOAD GAME』『OPTION』という三つの項目だけがある……そのはずだった。


「……なに、これ」


 『OPTION』の下に、もう一つ見たことのない『ANOTHER』という項目が出現している。

 このゲームはおそらくカガミが作ったものだ、と神谷は考えていた。ネットで調べてもこのゲームの情報はどこにもなかったからだ。

 今になってこんなモードが出てきた理由はわからないが、あの人が残したものなら、何かが、彼女に繋がる何かがあるかもしれない。

 期待と興奮に震える手でカーソルを『ANOTHER』に合わせ、意を決して決定ボタンを押した。

 すると、


『あなたの願いを入力してください』


 そう書かれたウインドウが表示された。


 頭にハテナマークが舞い踊った。

 願いなんて言葉はありふれたものではあるが、ゲーム本編のシナリオで特にキーワードやテーマになっているわけでもなく、そのせいで神谷には唐突に感じられた。


「だけどまあ、せっかくの新モード? だし」


 純粋に、ただのゲームとして楽しむことにしよう。そう考え、ウインドウをもう一度注視する。


『あなたの願いを入力してください』

 

 願い。

 願いってなんだろう。わたしの願い。

 特に何かしたいわけでもない。

 願うほど欲しいものもない。

 成し遂げたいことだって――――ああ。


「――――会いたい人がいる」


 画面下部に出現した入力キーで『カガミさんにもう一度会いたい』と打つ。

 こんなもので本当に叶うなんて思ってはいない。神社の賽銭箱に小銭を投げ入れ、手を打って祈る。それくらいの軽い気持ちで神谷は入力していた。

 

『願いを受理しました』

『これより本モードの解説を始めます』


 本編はクリアしてるのに今さら説明? そう思ったが、次に表示されたウインドウを見て合点がいった。


『本モードは本編とは一切関連がありません』


「ふうん……?」


 それは全く別のゲームにならないか。そう思いながらボタンを押し、次のウインドウを呼び出す。


『これはあなたの願いを叶えるゲームです』

『これよりあなたにはPlough(プラウ)というボスモンスターと戦ってもらいます』

『プラウは全部で●体です』

『一度のプレイで戦えるプラウは一体ずつです』

『プラウを倒し、いったんゲームを終了すると、受けたダメージは全快します』

『六体のプラウを倒すことができれば、先ほど入力していただいた願いが叶います』

『プラウに挑戦するには画面の左上に表示されているゲージが満タンになっている必要があります。ゲージは基本的に時間経過で溜まります』

『一度プラウに挑戦するとゲージは空になります』


 矢継ぎ早に表示されるウインドウを目で追い、情報を次々に取り入れていく。


「なるほど、プラウって敵を倒していけばいいと。つまりボスラッシュみたいな感じなのかな。一体倒すと次に挑戦できるまでに時間がかかるっていうのはソシャゲっぽい……あれ?」


 違和感に気付く。ウインドウに表示されたプラウの数。

 最初は『全部で●体』と数字らしき部分が隠されているのに、後には『六体のプラウ』と明記されている。


「……? ミスかな……?」


 そういえばカガミさん、少し抜けてるところがあったな。たまにぼーっとしたりして……。

 そんなふうに思いを馳せながらボタンを押す。


『ここからは注意事項になります』

『プラウとの戦闘が始まると、倒さなければゲームを終了することができません』

『加えて敗北すると重大なペナルティが科せられます』

『それでもあなたはこのモードをプレイしますか?』


 『はい』『いいえ』――表示された二つの選択肢を見下ろす。要するに高難易度だから気をつけてね、というような話だろう。


「まあ……とりあえずやってみよう」


 一年間様々なゲームに挑戦し、クリアしてきた神谷は自分のプレイヤースキルにそれなりに自信があった。イージーやノーマルでは全く満足できないと、そう豪語していた。そんなことを言う相手はいなかったが。


(……そういえば光空はわたしの影響でゲーム始めたとか言ってたな)


 自分に歩み寄るためだろう、というのは神谷にもわかっている。そんな光空のことを思うとまたあの胸のムカつきが生じたので、振り払うように迷うことなく『はい』を選択する。

 すると鈴の鳴るような軽快な効果音と共に、ゲーム機の液晶画面が強い光を放ち始めた。

 光はどんどん膨れ上がり神谷の身体を飲みこもうとする。


「う、わわ! なにこれなにこれなんなのこれ待ってちょっと待っ――――」


 慌ててゲーム機から手を放そうとするも、それより早く光は神谷を包みこみ――跡形もなく消し去った。

 持ち主を失い、宙にふわふわと浮かんでいたゲーム機は徐々に画面から発する光を収めていき、そしてぽとりとベッドの上に落下した。

 窓から差し込む夕日は、さっきまでいたはずの部屋の主を照らすこともなく。

 ただ『GAME START』という文字を映し続けるゲーム機を赤く染め上げていた。

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