第19話 終礼の、その先に
「警察だ!武器を捨てて腹這いになれ!」
眞衣子が小さく絞り出した、昨晩から幾度となく耳にした告白が反響し続け、特強より先に着いた警官二人の警告で眞衣子から手を離した。穏やかな死顔はまるで寝顔そのもので、末期の水として唇と言葉を与えてあげられたと思い、だが死を受け入れるのでなくただ認識した。智宗は警告に従わず立ち上がり、警官に向き動かしづらい右脚を引きずった。拳銃を教育通りに確かめる警官は手に力を込め過ぎて銃身が震えた。
「動くな!撃つぞ!」
「・・・どけっての」
「腹這いになって動くな!」
「こら警察、特強っす、頭が高いっす!その人も特強っす!」
警官の間に若松が割り込んだ。彼は警官の拳銃を下げさせ前に出ると智宗の肩を掴んだ。若松の着る初めて見た防弾ベストに拳銃のマグポーチが取り付けられていて、何も考えることなく弾倉の数を数えた。放心状態の智宗を揺さぶると脱力しきったまま激しくヘドバンする。ぐちゃぐちゃにかき混ざる脳内で、小さな光のようなもの、一人ぽつんと奈緒実が現れ、前に進もうと身体を傾けた。
「塩山さん!大丈夫っすか?塩山さん!」
「名倉闘也を殺害した。女は被害者で名倉に殺害された。名を坂江眞衣子、25歳。アマートの従業員」
「これでとうとう名釜会も滅ぶっすね・・・まさかあの女、塩山さんの」
「情報送ってくれたのはこの人だ。若松、小学校に連れて行ってくれ」
「小学校?もしかして逃げた敵が小学校に⁉︎」
「多分違う。でも、行かなきゃならない」
「まずは治療が先っす!塩山さん撃たれてるっす!」
「頼む、連れて行ってくれ。俺はそこで第二の人生を始めなきゃならない」
「塩山さん・・・」
事情は判らないが、智宗の気魄に圧される若松は納得し、抱きしめるように身体を支えながら階段へ歩みを進めた。
「おい、特強のどこが偉いのか知らんが、そいつを医療班に送ったら現場検証をするから来い。殺害が正当防衛かどうか確かめなきゃいけない」
「特強なら正当防衛なもんか。所属と官姓名は?後で取り調べる」
「黙れ!ここは特強の縄張りだ!」
若松の「っす」と語尾につかない罵声を初めて聞いた。智宗は挫いた右脚がようやく痛みだし顔を歪めて舌打ちした。
ついさっき駆けて来た道を戻ると、89式小銃が打ち捨てられていて尻ポケットのボルトをそこに投げた。アマートに近づくにつれ時折の銃声と言い争う特強と警官の声が耳に入った。特強は構成員を発見次第発砲していて、警官と揉める種。分隊長腕章を巻く防弾ベストの男を見つけ、彼は口角泡飛ばして中年警部と口喧嘩していた。若松は分隊長の肩を叩いた。
「分隊長、塩山さん無事だったっす」
「塩山を見つけたのか⁉︎ポリ公、いい加減どっか行け!」
「怪我はしてるけど命に別状はないっす」
「塩山お前命令違反だ!責任はきっちり取ってもらうからな!報告は後でいいからすぐ医療班に行け!」
「ちょっとその前に用があるっす。空いてる車はあるっすか?」
「用だと?この野郎、ポリのパトカー徴発していけ!」
「わかったっす。塩山さん、行くっすよ」
「ああ」
パトカーの徴発と聞いた警部とまた言い争いを始める。彼らを尻目に店を出ると特強特殊兵装班の装甲車やパトカーの群がサイレンけたたましく、溢れ返る警官と特強捜査官を押し除け端に停車するパトカーを目指した。警官がゴネた時は脅迫しようと考え、若松は拳銃に手を添えドアをノックした。
「なんですあなたたち」
「僕たち特強っす。緊急の用があって、ええと、どこの小学校っすか」
「若宮第二小」
「そう、若宮第二小学校に行かなきゃならないっす。特強の車は忙しくて無理っす。あなたの上司に許可は取ってあるっすから、同乗願うっす」
「そうですか、一応本部に確認取ります」
「そんな暇ないっす、今すぐ行くっす!」
「は、はい!」
物わかりの良い警官はまんまと騙され、パトランプを激しく回し発進させた。若松は群がるマスコミを威嚇し、入れた無線の先で分隊長と自分の上司がぶつけ合う罵声に警官は蒼ざめる。
「マスコミの連中鬱陶しいっすね」
「特強さん、おたくの上司と私の上司が何やら言い争ってるんですが」
「気にしないでいいっす。元々特強と警官は仲悪いっすから」
「はあ」
肩の傷は乾きかけていて、若松が個人衛生キットのガーゼを貼り付けると出血は止まった。右足首が熱を持って腫れていてそちらの方を心配する。
智宗はアマートの方を振り返った。人混みと車ですぐに見えなくなり、赤く回るパトランプが目に痛い。
離れていく、マーちゃんと。永遠に、少なくとも自らに死が訪れるまで。だが天国への確信を智宗は持てなかった。爽やかな髪、黒い大きな瞳、この世で一番美しい身体、いちばん好きな香り。冷たくとも血の通う手、二度と指に絡むことはない。血塗れの掌を広げ顔に押し付けた。鉄の匂いの中、かすかに肌の香りが残っていた。
「分隊長、責任なんて言ったけどきっと大丈夫っすよ。あれでなかなか部下思いのとこあるっす。任務が少し早く終わるだけっす。塩山さん?」
「マーちゃん」
「マーちゃん?」
「マーちゃん、死んじゃった」
「マーちゃんって、倉庫で、あの、塩山さんの彼女の?嫁の?」
「死んだ!マーちゃんが死んだ!俺は何しに来たんだ!」
烈火の如く泣き始め、若松は反射的に抱き包んだ。相棒が泣くのを見るのは栗本が連れ去られて以来、その時より辛く、自分の瞼からも涙が滲んだ。昔の女友達と会えたと、はしゃぐ智宗の姿はまだ記憶に新しかった。
「辛っかったっすね、塩山さん。泣かないでくださいっす。僕は出来の悪い部下っすけど、塩山さんが泣くのは辛いっす」
「出来は悪くない、優秀だよお前は。マーちゃんは、俺の好きな人だ。何年も会えなくて、それでもまた帰ってきてくれたんだ。なのに、また、今度は、もう遠くに行っちまった。なあ、若松、俺、子どもができる」
「どういうことっすか?」
「マーちゃんの娘がいる。俺はその子を育てるよ」
「子持ちシングルマザーって言ってたっすね。だから小学校なんすね。その子のためにも泣き止むっす」
奈緒実ばかりの脳内に、澄み渡るように、奈緒実の声を遮って、栗本の家族の声が染み入って聞こえた。夫の仕事を恨む妻、父の死に疑念を抱く息子、特強という仕事に就いた故迎えた悲劇の末路。娘も、同じ目に遭わせるわけにはいかない。
智宗は鼻をすすり、涙が染みとなる若松の防弾ベストから顔を離した。部下の顔を見ず俯いたまま、低い声ではっきりとした意志を。
「俺、特強辞めるよ」
「辞めるっすか?」
「ナオちゃん、マーちゃんの子どものためにも、こんな仕事してられない」
「辞めるっすか・・・その方がいいっす」
智宗は若松の膝に頭をもたげ、部下は上司の髪を軽く撫でた。特強との手切りの掌が、仕事は嫌いだったけど悲しく懐かしく、かすかな未来への希望を湛えて。目を閉じると終わりの涙が一筋伝い座席シートに弾かれた。
通学路監視のボランティアが駄弁りながらパトカーを見つめていた。若宮第二小学校の門前にドリフト駐車させ、若松は頭を窓ガラスにぶつけた。
授業の終わりがけ、担任後藤先生はおっちょこちょいで新たに配る教材を職員室に忘れていた。クラス全員分の教材は多く、生徒に手伝いを頼むと後藤のことが大好きな奈緒実とコトが手を挙げた。三人連れ立って職員室に赴くと、他の教師たちが廊下に出て外を眺めていた。教材を分け合って持ち後藤は教頭に声をかける。
「何かあったんですか?」
「パトカーが来とるんですよ。今、皆坂先生が事情を聞きに行ってます」
「あら、どうしたんでしょう」
「特に不審者情報も入ってないし。ああ、でも近くで非常線が張られていてそれに関係することかもしれません。そこは校区外ですけれど」
「授業はどうしましょう?」
「一応そのまま続けてください。緊急の用件なら職員会議を開いて生徒を帰します」
「きょーとーせんせー、早帰りになるの⁉︎」
「コトさん、早帰りを喜んじゃあいけません。普通の日にみなさんが早帰りになるってことは、何か危ないことがある時ですから。では後藤先生、他の先生には私から伝えておきますので」
「わかりました。ナオちゃん、コトちゃん、戻るよー」
「はーい」
教頭にたしなめられたコトは少し頬を膨らませ、奈緒実は抱えた教材を顎で押さえながら、門のある方の窓を見た。まだ背が足りなくて白い曇り空しか見えなかった。
「先生、どうしたのかな」
「パトカーのこと?」
「うん」
「早帰りにならないかな?そうなったらナオちゃんあそぼ!」
「うん!」
「まだわかんないなあ。でも、今この辺物騒だからひょっとすると。みんなも気をつけるのよ」
「はーい」
警官が先に降り来賓用玄関へ走って行った。続いて若松と智宗が降車した。地面に崩れ落ちる智宗を若松が抱き起こし、血で黒ずんだ指で校舎の横を差した。来賓用玄関から入ると如何にも怪しい二人は入校を拒まれるかもしれなかった。若松に付き添われ生徒用昇降口へ向かうと、運動場で体育の授業を行うクラスもあり扉は開いていた。体育教師が不審者の姿に気づき二人に歩み寄ってくる。智宗は若松を急かした。一年生教室までの道を明確に思い出し、教室の扉を開けると大勢の生徒たち、血に塗れた智宗に怯える生徒もいて、しかし奈緒実の顔はなかった。
「誰っすか塩山さん」
「ここにいない」
「じゃあどこに・・・あ、あの子は?」
若松が廊下の先に智宗の顔を向けると同時に、後藤が教材を落とした。追いついた体育教師は若松の腰に拳銃を見つけ蒼ざめて職員室へ逃げた。
「塩山さん!」
後藤は智宗の顔を覚えていて、今引き連れる生徒のうち一人、その子の母親の
「お父さん!」
そう呼ぶことに、もはや躊躇いはない。授業参観の時来てくれた智宗が母と変わらぬ愛しさがたまらなく、父として智宗を求めた。それでも小さな嘘を吐いてしまったことに抵抗があり、だから以降会う時は戻して「智宗さん」と呼んでいた。血塗れの智宗を見てしまったことで、彼を失うのではないかという焦り。はっきり生まれ変わる、塩山智宗の娘として。
血の臭さを知らない子どもは跪く父の胸に飛び込んだ。智宗は穢れた身体、奈緒実の母を救えなかったどうしようもない腕を小さな肩に回すことをできずにいた。
「お父さん、大丈夫?けがしたの?痛くない?」
「ナオちゃん」
「やだよ、お父さんがけがしちゃうの。ナオはやだよ」
「ナオちゃん、俺大丈夫だから。心配しないで。無事で、ちゃんと、ナオちゃんの側にいるから」
「うん、ナオも、お父さんと一緒にいるよ」
動揺した心は、ゆっくり回される父の腕、頬に当たる剃り残しの髭がちょっぴり痛く、次第に落ち着いていった。奈緒実は母がよくしてくれたように、智宗の頭を優しく撫でた。
終業チャイムが鳴る。授業一時間目の終わりのチャイムは、かつて聴いていた高校の終礼チャイムとはまた違っていた。
鐘の音は塩山智宗の新たな人生の始まりを告げている。かくしてガンマンは、特殊強襲捜査官としての銃を捨てた。
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