第18話 終礼ガンマン
痛い、というよりは熱くて、奈緒実を宿した子宮と智宗の精液と自分の愛液が混ざり溢れた脚の付け根あたり、手を当てて見ると生暖かく粘りつくような赤が白い掌を染め上げた。粘りを持つ溜まりは徐々に広がりうつ伏せに崩れた身体をコンクリートの地面に貼り付けた。消え入りそうな思考をなんとか保ち前を見上げると、倒れ伏す名倉は呻きボディーガードが彼に寄り添っている。
「会長!」
「うう、こいつ、撃ちやがって」
「イコマを殺します」
「俺がやる!どうせ虫の息だ、それより救急箱を」
「救急用品は事務室です」
「馬鹿!早く取ってこい!」
慌てふためく大男は自分の自動拳銃を名倉の横に置いた。階段へと向かい、途中眞衣子を見下ろすと動いているのを認めた。彼女は撃たれて取り落とした拳銃に震える腕を伸ばしていたが、茶短靴で踏みにじられ取り上げられた。痛みも薄くしか感じず声も出ない。
「馬鹿な真似を。大人しくしていれば娘共々生きていられたものの」
大男は階段を上りながら取り上げた拳銃を弄り回し、威力の大きいマグナム弾が装填されていて蒼ざめた。急所は外れたらしいとはいえ、名倉の内臓をめちゃくちゃに破壊しているかもしれなかった。
大暴力団組織の頭目として君臨している名倉は、初めて激しい痛みを与えられ怒りに駆られた。
坂江の親父の娘、可憐な美少女と対面した時処女であると聞かされ舌を舐めた。仲間や手下には処女とするのはつまらないと言う者もいたが、怯える眞衣子の人生を手中に収められると思うと興奮した。生贄として差し出された眞衣子の唇を奪おうとし、ファーストキスを守ろうと顔を逸らして僅かな抵抗を示した。頬を無理やり掴んで慈悲を乞う大きな瞳、涙が柔らかな唇にも流れ不思議と甘味があった。身体は全然濡れず、業を煮やして無理やり挿入すると、破瓜の痛みと恐怖から叫んだものだ。「いやだ」それから、諦めと共に脱力した身体が突かれるままに揺れ、蚊の鳴くような声で「ともむねくん」。小ぶりの乳房は名倉の唇と爪の跡が甚だしかった。
その時妊娠した眞衣子を正直疎んじた。だが他にも妊娠させた女がいる名倉は悪巧みたくましく、生まれた自分の娘息子を売ろうと思いついた。高値で売れる商品として、いや、商品としての思い入れすら当然なく、教育は女に任せっきりで金としての認識しかない。
眞衣子の口から「ともむねくん」と聞いたのはそれっきりで、まさか何年も経って彼が現れるとは思いもよらなかった。カフェにいた挑戦的な男、後に特強として軍用拳銃を、その時は他の組のヤクザに押し付けていた男。ヤクザ同士の抗争にも介入してくる厄介な連中の一人だった。特強とはいつかコトを構えなければならないと考える名倉は眞衣子にスパイを命じた。智宗を争いに巻き込みたくない彼女は嫌がったが、奈緒実の生殺与奪をチラつかせると大人しく従った。
結局それがアダとなり、大量の銃口と手錠が自分に向けられようとしている。それもこれも眞衣子のせい。従順にさせたあの小娘が反旗を翻し、あろうことか自分の殺害を企み弾丸を放った。弾丸は腹に当たり肋骨と内臓を砕いた。許す考えは毛頭なく、どう苦しめて殺してやろうかと、激痛走る傷口を押さえ、大男が置いていった銃を取った。だが銃で殺してしまえば苦痛は与えられないと考え放り投げた。眞衣子に近づくと、彼女は深い呼吸を静かに繰り返していた。
「てめえこんなことして、親も娘も全部殺してやる。あの特強もだ。あいつもここに来るんだろ」
「・・・ナオちゃんと智宗くんには・・・手を出させない」
「なーにがナオチャン、トモムネクンだ、くだらねえ。くだらん男とたかだか偶然デキた娘に情移しやがって」
「ナオちゃんと、智宗くんの敵、は、たしかにくだらないわ。あなたが」
「黙れよ!」
眞衣子の身体を蹴って転がし、赤黒い下腹部の穴に指を突っ込んだ。擦れた悲鳴が漏れ涙が一筋流れた。体内を抉るように指を曲げると麻痺し切っていない神経が刺激され目と口を千切れる程開いた。悲鳴は声にならなかった。
「ジワジワと殺してやる。後悔が判るようにゆっくり首を絞めてな」
名倉は眞衣子の首を片手で掴んだ。頭上に激しく光る照明が目に痛く涙を乾かしていった。
智宗は後ろ向きに歩いて追手を撃ち続けた。フルオートでばら撒いたため小銃弾はしばらくして無くなり、店長のM16A1と同じく隠れてボルトを外した。89式小銃はM16と弾倉が共用できるため奪われると使われてしまう可能性があった。抜いたボルトを尻ポケットにねじ込み弾薬ベストと小銃を捨てた。栗本の銃も程なくして弾が尽き、残るのは使い慣れた自分の拳銃だけとなる。追手が来なくなり倉庫の方に向くと、人とは思えないような巨大な影が立ち塞がっていた。
「うおおお!」
大男は眞衣子から奪った拳銃で二発撃ち智宗に突進した。弾は智宗の肩を掠め痛みを感じた瞬間重い衝撃で体当たりされた。取り落とした銃が地面にぶつかると暴発し大男の首を弾が削いだ。興奮し切った大男は怪我をものともせず智宗に掴みかかり首を絞める。
「うええええ」
「特強のボーヤ、ここまでだ。これで終わりだよ!」
「な・・・何が終いだ、てめえら全部ぶっ殺してやる」
「ほざけこの野郎、死ね!」
「くそ・・・マーちゃん」
「マーちゃん?ああ、イコマのことか。もう死んでるよ、二発当たって死にかけだ。会長がトドメ刺してる」
「うわあああああ!」
智宗の手に拳銃が触れた。渾身の力で一瞬大男を振り解くと素早く銃を取り身体の隙間に滑り込ませた。大男は、しまった、と最期に思い、顎の下に鉄の冷たさを感じた。智宗は弾倉に残る弾を全て撃った。
「はあ、はあ、ザマみろこの野郎、デカい口叩くない」
大男の死体を押し除け側に転がる回転式拳銃を拾った。智宗が常に護身用に持ち歩く、今朝眞衣子に持ち去られた物だった。シリンダーには撃たれていない弾が二発残っている。
「こいつは今二発撃った。五発装填だから、二発残るとなると、マーちゃん、撃ったのか?」
通路の先に光が漏れている。短い旅の終わりだった。終局に何が残っているのか怖れつつ重い一歩を踏み出し前のめりになりながら駆けた。耳に歪んだ鐘の音、古い大スピーカーから流れていて、朝だというのに目の前の景色が茜色に変わっていった。制服姿で十代の眞衣子が陽炎に揺れ、細い腕をはしゃいで振っていた。幻にしてははっきりしすぎていた。
「待っててマーちゃん、今行くから。死なないで」
光に辿り着くと終礼チャイムも影も消えた。体育館のバルコニーそっくりの通路で、鉄柵にもたれて下を見た。車が一台と中型自動拳銃がぼやけ、小さな血痕を目で追い、白いスーツの男に続く。男は血溜まりに寝る女に覆い被さり、智宗の心臓が潰れるくらい引き縮まった。鉄柵に足を掛け階下に飛び降りると右膝が圧し足首を挫いた。脳天貫く激痛は大量のアドレナリンを噴出させた。
名倉は鈍い音に我に帰り、智宗の怒気漲る瞳を目撃した。脱出への希望もマフィアボスとの取引も全て消し飛び、ただただ怯えが支配し本能が命乞いをした。
「降伏する!なんでも話す!助けてくれ!」
説教の一つでもしてから殺すつもりだった。だが、本人からしたら必死なのであろうが、白々しい命乞いは不快極まりなく、この世の絶対悪が軽薄な声に詰まり、コンマ一秒目の前の極悪人を生かしておくことはできなくなった。ダブルアクションのまま掴む引鉄はあまりに軽く、.357マグナムソフトポイント弾は名倉の心臓に飛び込むと激しく変形し右心房から弾いた。最後残っていた神経が死を脳に伝達し、直後もう一発が脳幹を砕き意識が世界のどこからも消えた。
悪党の最期なぞどうでもよく、生臭い障害物でしかない名倉の死体は走る智宗の脚に飛ばされ不自然な寝相を作った。瞳は怒気の役目を終え、今度は眞衣子の致命傷を認めなければならなかった。彼女の下腹部と腿を抑えると溢れた血が赤く握ったままの拳銃に浸透した。半開きの乾いた唇に耳をつけると僅かな空気が熱っぽい皮膚を撫でた。まだ、生きている。
「マーちゃん、マーちゃん!」
「とも・・・むねくん・・・?来ちゃ、いけなかったのに」
「なんでこんなことしたんだ。マーちゃんが行かなくたって、俺たちが行ったのに!」
「ナオちゃんと、あなたを、守らなくちゃ・・・いけなくて」
「守るのは俺だ、守られていてくれれば、それでよかったのに!」
「間に合わなかった、それじゃあ・・・あのままだと、ナオちゃんが、連れ去られちゃうから」
「だからってマーちゃんが連れ去られてどうするんだ!しかもあの世に!生きろ!ナオちゃんも、俺だっている、置いてくな!」
「聞いて、智宗くん」
残っている力を全て肺と唇、瞼に与えた。名倉の手が首から離れ閉じた目がようやく再び開いた。濁りかける視界に智宗がいて、最後の安堵が快く身体を浮かび上げようとしていた。広い掌に包まれる頬が少しだけ持ち上がった。
「ナオちゃんのお父さんになって。ほんとうのお父さんに。それから、あの子のお母さんになる女の人を、誰か愛して」
「嫌だ、俺はマーちゃんを愛してる。これから一緒に生きるマーちゃんを。マーちゃんとナオちゃんとも家族になって、一緒に暮らす。ずっと、一生を終えても、墓の中で、あの世でも一緒に」
「一緒に暮らすのは、智宗くんがおじいちゃんになって、ナオちゃんがおばあちゃんになって、それからにしよう。ね?智宗くん。私は、これから二人が生きる時間を一緒には生きられない」
「だって、マーちゃん」
「智宗くんは、生きて。ナオちゃんと同じ時間を。それから、これからできるナオちゃんのお母さんと」
「マーちゃん、マーちゃん・・・」
「好きだよ、智宗くん。最初で最後、私が恋した人。これからも、私がどこに行っても、智宗くんが私を忘れても、私は、智宗くんが好き」
「俺だって、マーちゃん以外の恋は考えられない」
「約束して。ナオちゃんと、智宗くんと連れ添ってくれる人を見つけるって」
眞衣子が頑なに新たな恋を主張するのが、智宗はたまらなく嫌だった。浮かぶ数々の「これから」。自分と奈緒実と、そして眞衣子と、誰一人欠けても考えられない。他の存在は介入不可能で、そんなもの考えたくもない。他の女なんて要らない、むしろ忌む。だが眞衣子は、愛する家族が離散する惨い人生を痛く思い、奈緒実が同じ人生を歩むことは絶対に避けたかった。愛娘に同じ轍を踏ませようとしてしまう彼女は、だからこそ、自分に代わる存在を求めていた。智宗もそれは耐えがたい拒否感の隙間に理解していた。
智宗は第二の人生を探すことを迫られ、思考の片隅に佇む奈緒実が孤独だった。重力に任せた首肯が、眞衣子の神経を一本一本解いていく。
「ねえ、お願い。最後だから」
「・・・なに?」
「キスして。それから、好きって言って」
冷たい現実が智宗の腕を伝い始めた。胃の中を全て吐き出してしまいたい衝動を唾を飲み込むことで抑え、乾いた唇に潤いを保たせた。彼は頬に汚れる血を指で擦り頭を抱き寄せた。名残惜しい髪がこそばゆく、艶やかに光を反射させていた。
「好きだ、眞衣子。好きだ、マーちゃん」
眞衣子は最後の幸福を唇に感じた。柔らかいとか硬いとかではなく、智宗の唇、終わりに触れ合えたことが。神様の慈悲なのか、白黒テレビの砂嵐が如く薄れる視界に智宗だけが色づいて、自分では叫んだつもりだった。
「好きだよ、智宗くん!」
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