第16話 Frankie Valli

 智宗は自宅へトンボ帰りすると車を持っていないことを後悔した。一番早く特強事務所へ行ける道を計算し、駅に行けばまだ電車に間に合うと、物置から自転車を引っ張り出した。信号無視を重ね五回クラクションを鳴らされると駅に着いた。ホームへ続く階段の前で自転車を乗り捨て、改札に定期を叩きつけると何人もの駅員と客が見た。


『駆け込み乗車は、危険ですので、おやめください』

「うるせえぞクソ、間に合え」


 注意喚起の放送に悪態つくと車内電光掲示板の時計を見た。特急であるから普通列車よりも早く着くのだが、一秒一秒が惜しい。深呼吸が止まるのは数駅過ぎた後で、吹き出した汗を拭いスマートフォンを出した。メールには分隊からの召集命令と協同した警察によって非常線が張られた旨が長ったらしい文章で綴られ、あとは若松から装備の準備ができたという未読メール。どれにも返信せず電源を切ろうとすると、もう一つメールが入った。


「マーちゃん!」


 異常な叫びに近くに立つ乗客は後ずさり目を背けた。意に介さない智宗は押し殺した声で眞衣子のメールを読み上げた。ラブレター紛いの遺書であることはすぐに解り、涙を出すまいと頭皮に爪を立てた。


これまで私たちといてくれてありがとう。智宗くんが好きと言ってくれて嬉しかった。とても嬉しかった。私は智宗くんを愛しています。これまで生きてきた中で、昨日は一番喜びの時間でした。でも、奈緒実が生まれてくれた日もいちばんです。これからアマートで最後の決着をつけます。奈緒実と智宗くんを守るための。だから智宗くんは絶対にアマートへ来ないでください。奈緒実を一人ぼっちにしないためにも、最後のお願いです。奈緒実と一緒にいてください。できれば今の危険な仕事をやめて、それから他の人を愛して、奈緒実のお母さんを作ってあげてください。そのためなら、私のことを忘れてしまっても構いません。愛してます。さようなら


「なにがさよならだ!愛してるんなら生きる道を探せ!」


 眞衣子への通話ボタンを押しかけるとドアが開いた。特強事務所最寄駅で、スマートフォンをポケットに押し込み改札へ駆けた。走れば二、三分の距離に事務所はある。分隊の会室では召集に応じた捜査官が装具点検をしていた。若松は智宗と栗本の銃を差し出した。二挺の拳銃とそれぞれのマグポーチが付くピストルベルトは腰に重かった。


「塩山さんやっと着いたっすね!弾倉に弾込めといたっす。栗本さんのベレッタも一応使えるようにしといたっす。それから、他の分隊とも合同でやるっすから、塩山さんは班長で一九分隊のチーム・ジェンマも指揮するっす」

「おいもう出発できるのか」

「まだもうちょいかかりそうっす。特殊兵装班が名釜の車と小競り合いになって遅れてるっす」

「それじゃ遅いんだよ!」


 智宗の剣幕をじっと眺めている三人がいる。チーム・ジェンマ の班員で、一人が89式小銃を持っていた。智宗は彼から弾薬ベストと小銃を引ったくると弾倉を付け装填した。


「塩山さんまだ早いっす!」

「俺は行く、指揮はお前が執れ。車のキーは?班ごとで乗車だろ」

「だめっす!特装班を待たなきゃ、一人で行っても死んじゃうっす!」

「キーよこせってんだよ!」

「・・・これっす」


 若松は一つのマグポーチから車の鍵を出した。震える指先はしっかりと鍵を握り、智宗は睨みつけると引き剥がした。


「ありがとよ。先行ってくるから後で来い。特装班のボーヤたちと一緒にな。くれぐれも気をつけろ」

「そんな、塩山さんも一緒に行くっす!」

「急ぎの用事だ」


 騒ぎに取り囲む捜査官は呆然とし、智宗に道を開けた。廊下に出ると分隊長とすれ違い、彼は智宗の出で立ちを怪訝に見た。


「どこ行くんだ。戻れ」

「お先に、分隊長」

「誰か!塩山さんを止めるっす!」


 背に聞こえる若松の悲鳴で智宗は走った。信じられない脚力を発揮し誰も追いつけず、駐車場に易々とたどり着く。事情を把握しない警備員に「偵察に行く」とだけ告げると不思議とも思わずにゲートを開けてくれた。


『塩山さん!』


 発進する車にようやく追いついた若松はトランクの縁を掴んだ。だがスピードを上げる車には敵わず呆気なく引き離され、バックミラーに道路に転げる彼の姿が映った。


「すまねえ若松」


 一度だけ振り返ると右脚に力を入れスピードメーターは一気に跳ね上がった。

 特殊仕様のこの車は一見普通の乗用車だが、防弾版と防弾ガラスが装備されとてつもなく頑丈にできている。隠塔式のパトランプも備えられているが名釜会に見つからないようにするため用いなかった。それでも普通車からの改造だから、ラジオはそのまま付いていた。


『さーて金曜朝、お休み前の一日を乗り切るにはちょっと暗い曲かもしれないねえ。でもとってもイカス曲、ディア・ハンターって映画で、バーでロバート・デ・ニーロたちが歌ってたのみんな知ってる?君の瞳に恋してる、フランキー・ヴァリのナンバーだ。Boys Town Gangの方なら知ってるって?まあ聴いてごらんなさいな、仕事や学校終わってからバーで歌っちゃったりなんかしたらモテモテだよ。それでは、生まれは浪花のガンマニアさんのリクエストで、Can't Take My Eyes Off of You』


 DJの下手くそな口上が終わり曲が始まった。

 不意に高校三年の初夏、開襟シャツの夏服姿に智宗は引き戻された。浮かぶ浮かぶ、学校の廊下、初めて入った放送室、古びた機材にCDを挿入し、調子悪いのか二度CDを受け付けずトレーが出てきた。めげずに三度目、ようやく取り込まれたCDに満足し、弁当を開く。肉ばかりでやたら茶色い弁当、一点の緑はマヨネーズがほとんど付いていないブロッコリーで、それから口に放り込んだ。


「誰も判んねえだろうな。まったく、趣味のいい奴いないんだから」


 全ての始まりだった。智宗の人生は放送室から始まった。受け付けられないCDを諦めていたら、他のCDに替えていたら、そもそも浅口という放送部員の友人がライブに行かなかったら。眞衣子に出会えていなかったら。彼女との喜びも悲しみも焦りも、何一つ知ることなく、特強ですらなく、どんな人生を歩んでいたのか。


「無意味だそんなこと。俺にはこの道しか無え」


 「ふらんき・ばり!」マーちゃんの嬉しそうに舌ったらずな声が、新鮮に蘇った。




「あっぶねえ!なんだあの車!」


 横断歩道を渡りかけたサラリーマンが尻餅ついた。奈緒実のいる通学団は立ち止まり道路の方を見た。なるほど凄まじい音を残して一台の車が爆走していく。


「危ないねえ、さあ行くよ!遅刻しちゃう」


 班長の6年生が登校を促した。歩き始めた奈緒実はなんとなく振り返り、爆走するエンジン音ももう消えて横断歩道は人混みで溢れていた。

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