第15話 対決
眞衣子はごく短い時間眠って目を覚ますと、暖かな腕と逞しい胸に抱かれていることに気づいた。匂いをかぐと当然安心し智宗の香りを胸いっぱいに吸い込む。穏やかな彼の寝顔は可愛らしく映り、昨晩の幸福を噛みしめながら寝息漏れる唇に小さくキスをした。これが、短すぎる
精液と愛液、汗が全身に固まっていて、軽くシャワーを浴びると力を入れずに身体を拭いた。強く拭けば智宗の香りを全て消してしまいそうで、彼の名残は冥土の土産にしたかった。服を着て寝室へ戻ると自分のハンドバッグから小さな端末機器を出し智宗のスマートフォンに繋いだ。ロックの解析装置で、智宗の携帯を探るため名倉から持たされていた物だった。ロックはすぐに解除され、自分の携帯電話から名釜会の情報を送信し彼の上司らしき人物をアドレス欄に探した。最低限の連絡先しか持たないのか、栗本、若松、そして眞衣子の名前の他、分隊長のアドレスだけあった。送った情報を分隊長の送信欄に添付し送信ボタンを押した。これから最後の始末に取りかかる。
「きっと持ってるよね、智宗くん」
智宗の鞄を手繰り寄せ蓋を開くと、思い通り、白い小型拳銃がホルスターに収まり入っていた。以前父が教えてくれた、全然聞いていなかったけど、これはリボルバータイプの拳銃とだけ判り、引鉄を引けば弾は発射されるはず。手間取りながらシリンダーを解放すると五発の真鍮色が静かにその時を待っていた。シリンダーを戻すとハンドバッグに入れコートの上から掛けた。智宗の寝顔を今一度見て、頬にキス。
「さようなら、智宗くん。私幸せだったよ」
不思議と涙は出ず落ち着き払っていた。これが対面の最後なるのが解っていてもなお、娘を救えるからと確信していた。リビングでも、一人娘が可愛らしい寝息を立て、寝ているソファの前に跪くと微笑んだように見えた。そっと髪を撫で彼女の額にキスをした。
「じゃあね、ナオちゃん。あなたを私の中で作った男は最悪で不幸の元だったけど、ナオちゃんが私の子に生まれてきてくれて幸せだった。ありがとうね。ほんとうは、これからどんどん育っていくナオちゃんを智宗くん・・・お父さんと一緒に見ていたかったけど、今はナオちゃんとお父さんを不幸にしに来る人をやっつけに行かなきゃいけないの。いなくなるなんて悪い母親ね、私って。お母さんのことは忘れていいから、ううん、ほんとうはちょっと覚えていてほしい、これからお父さんと、できたら新しいお母さんに囲まれて生きていってね。そしたら天国で、幸せに精一杯長生きしておばあちゃんになったナオちゃんと、また会おうね。またね、ナオちゃん」
これからすることへの後悔と、また全てを終えてから生還できると、少しだけ希望を持ちかけた。だが順当に考えればそれは困難で、死を顧みない決意とないまぜになってようやく涙が溢れた。
通りへ出ると容易くタクシーを拾えた。中年の運転手は若い女を客にとれて鼻の下を伸ばしたが、目を腫らす眞衣子があまりにも美しく目に映り息を呑んだ。
「お、お客さん、どちらまで?」
「アマートってキャバクラ」
「わかりました。まだ道も空いてるしすぐ着きますよ」
「できるだけ早く、お願い」
運転手は前方の信号が黄色になるのを認め急発進させた。赤になる信号を超えガラ空きの街道でスピードを上げると、眞衣子は後ろを振り返った。路地を曲がった所に家はあるから見えなかったが、奈緒実と智宗の二人が追いかけてくる気がした。慌てて顔を戻し、掌で口を抑え嗚咽を漏らした。
「お客さん、綺麗だけどアマートの人?」
嗚咽を聞き取った運転手は不審そうに言った。並々ならぬ事情を嗅ぎつけ、本来ならこのような客には口も聞かないが、美しく泣く眞衣子の涙の理由だけは知りたがった。
「そうです、アマートの、ママみたいなもの」
「そうなんですかあ!いえね、僕もあの店に行ったことありますよ。二、三度だけど。綺麗なネーちゃんばかりだけど、あなたが一番綺麗ですよ。今度指名しちゃおうかな」
「無理よ」
「やっぱり?相当通わないと無理かなあ」
「ううん、なんなら今でもお相手してあげたい。だけど無理なのよ、永遠に」
アマートのママと聞いた運転手は一瞬舞い上がったが、低い声で永遠に無理と拒絶され、触れてはいけないと押し黙った。
眞衣子は携帯電話を出しメールを打った。送信ボタンを押すまでは早い。大して長くのない文章、命と引き換えのラブレター。智宗のスマートフォンではなく心に届くと信じて。アマートまで後10分の距離だった。
アマートに着くと財布から適当に一万円札を出し助手席に落とした。
「こんなに走ってませんよ。お釣り出すからお待ちを」
「いいの。取っておいて」
「でももらいすぎですよ」
「いいったら。行って」
渋々超過な料金を受け取った運転手はタクシー走らせ消えて行き、アマートの扉を引いた。鍵はかかっておらず、中に入ると大人数の名釜会構成員が雑多な銃の手入れをし弾を装填していた。
「あっイコマさん!大変なんです!」
モモコが眞衣子の源氏名を呼び掛けつけてきた。イコマというのは古風な名だったが、マイコのアナグラムだった。
「イコマさんのとこにも連絡来たと思うけど、これから私たちは国外へ逃げるんですって!店の女の子が呼べるだけ呼び集められてます」
「どこに逃げるの?」
「さあ、飛行機らしいんですけど、まだ目的地やどこから飛ぶのかは教えられてなくて」
「やっぱり」
眞衣子がアマートへ姿を現した理由の一つがこれだった。最後まで名倉の逃走経路が暴けず、特強の分隊長にも教えられなかった。だから眞衣子直々に、目的を隠して名倉に近づく必要がある。
「この騒ぎは?」
「なんでも、特強が襲撃してくるかもしれないんですって。特強の無線を傍受した男の子が、強い部隊を呼び集めてるって報告したんだけど。ここにある本拠地の処分も間に合わないし、だから組の男が足止めにここで戦うんだって!まったく、危なっかしいったらありゃしない」
「闘也さんは?」
「倉庫の方にいます。車を呼んですぐ行けるようにって」
「わかったわ」
「あっイコマさん!」
「私の名前、イコマじゃなくて坂江眞衣子っていうの。二度と会うこともないけど、覚えておいて」
自動小銃をカッコつけて持つ構成員と何人かすれ違い、智宗と同じ硝煙の匂いで何度も振り返った。アマートの裏より続く倉庫の通路に足を踏み入れると人気は少なくなった。ハンドバッグから拳銃を出すとコートの内側に仕舞い込み上からバンドを結んだ。
通路は倉庫の二階に通じていて、通路が観客席のように周囲を囲っていた。モモコは名倉が車を呼んでいると言ったが乗用車一台あるだけで、横に怒声を放つ男が一人と大男がいた。怒声の主は名倉だった。
「あんだって車来ねえんだよ!呼んだんだろな⁉︎」
「ええ。しかし街に警察の非常線が張られ容易には近づけないそうです」
「どっから情報が漏れたんだ。もうすぐここに特強が来るぞ」
「会長、車一台なら突破できないこともないと思います。ここで特強を迎え撃てば逃げ道に隙ができるし、会長だけでも脱出を」
「しかしオンナが惜しい。腕は仕込んだしガキ連れてくるのも結構いる。ガキは儲かるんだよ。海外で買い手がいるやつらがわんさかいるんだ」
「ガキなら向こうでも調達できましょう。それに、残留する部下にも女とそのガキは調達して後で持ってくるように命令してあります」
「しかたない、腹決めるか」
「闘也さん」
凛として自分の存在を露わにし、眞衣子は階段を降りた。仏頂面の名倉と用心棒は驚きもせず振り返った。
「なんだイコマか。よく来れたな。お前とモモコ、あとアイネもいたか。それだけでも連れて行く。お前ガキはどうした。連れてくるように連絡したはずだが」
「置いてきました」
「置いてきただと?ふざけんな!」
名倉は車のドアを蹴り飛ばし地団駄を踏んだ。スマートフォンを出すとメール欄を開き、英語だらけのそれは奈緒実を買うマフィアのボスからの注文だった。信じられない額の数字の最後に$マークが付いていた。
「おい、こいつの家、この時間なら学校か。寄れねえか」
「無理でしょう」
「奈緒実は高く売れるんだよ、契約もしちまったしどうすんだ!」
名倉はズカズカと眞衣子ににじり寄りビンタを張った。
「連れてこい。お前だけならなんとかなるだろ」
「いやです」
「嫌ァ?このヤロー情移りやがって!てめえ自分の立場わかってんのか!」
「いやです、いやです!」
胸倉引っ掴まれまたビンタ。腫れる頬に涙が流れ、しかし奈緒実に名倉を近づけまいと目を剥いた。
「あなたなんかに渡さない、奈緒実も智宗くんも!」
「智宗くん?あの特強野郎か。まさかお前、情報を売ったのは」
「ええ私よ。あなたたちを滅ぼすために」
眞衣子の胸を突き名倉は離れた。怯えと怒りで蒼黒い顔色で背を向けた。突き飛ばされ崩れる眞衣子のコートの下に拳銃が落ちるのを気づかなかった。
「おい銃をよこせ、早く!」
「会長」
「あの
「名倉闘也!」
あり得ない事象が二人の目に映った。立ち上がる眞衣子は両手で白い物体を構え、黒々とする孔を向けていた。縦に細いフレームから妊婦の膨らんだ腹のようにシリンダーがはみ出し、四個の銅色の中心が黒かった。ようやく銃を向けられているということを認識した。
「名倉闘也、死んでください」
重い.357マグナム弾の音が一つ、.380ACP弾の音が二つ、.380の方が一瞬遅かった。店の人間は目前で突如始まる動乱に銃声は耳に届かなかった。
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