第10話 息子の顔

 栗本の葬儀が執り行われ、智宗と若松、分隊長は通夜にも出た。酔えぬ酒、自分で注ぎ、こんなにも不味かっただろうかと眉を顰める。


「塩山さん、それ食わないんすか」


 若松が智宗の皿に並ぶマグロ寿司を指さした。ガリだけ口に含み寿司は減らず、智宗は既に平らげた若松の皿を呆れて見返した。


「通夜の席だぞ。がっつくな」

「でももったいないっす」

「欲しけりゃやるよ」


 皿を若松の手元に押しやった。栗本の妻と息子が席を立ち、智宗は口の端に飯粒付ける若松の頭を軽くはたいた。


「塩山さん、若松さん、主人が長らくお世話になりました」


 妻と息子は畳にぴたり膝を付け腰を折った。智宗は正座し直すとネクタイの結び目を苦しいほどにまで上げ返礼した。


「いえ、お世話になったのは我々の方です。特強として仕事をしていく術は全てご主人から教わりました」

「僕も、栗本さんに拾っていただかなかったらどんな暗い人生を歩んでいたかわからないっす」


 若松が寿司を茶で飲み込んだ。息子が空になった湯呑茶碗に手元にあった急須で茶を注いだ。彼は何事も発さず、見開いた目ときつく結んだ唇が顔に張り付いていた。若くして父を喪ったこの息子の内心が痛く二人の胸に突き刺さった。


「この前家にいらしてくださいましたね」


 急須を目で追う妻が口を開いた。


「ええ、あの時夕飯にお呼ばれしてお世話になりました」

「奥さんの手料理とても美味しかったっす」

「ありがとうございます。実は主人、近々お二人をまたお招きしようと、私に話しておりました」

「僕たちにも話してくれました。独身のお前たちは、たまには家庭の味を知れって」

「また皆さんと食卓を共にするのを楽しみにしてたっす。なのに・・・」


 若松が涙ぐんだ。妻は悲しそうに微笑むとまた頭を下げた。


「こんなに慕っていただける同僚の方もいて、主人は幸せでした。塩山さん、彼女さんがいらっしゃるとお聞きしましたが、ご入籍はまだ?」

「彼女と言っておられましたか。彼女ではないのですが、最近親しくしている女友達はいます」

「そうですか。こんなこと言うのは失礼ですが、結婚、なさらない方がいいと思いますの。この仕事続けている限りは」


 眞衣子の姿が脳裏に浮かんだ。妻の落ち着きは動揺を隠せなくなって、震える握った拳にぽたり涙が落ちた。息子の表情は相変わらずだった。


「それはもう主人は私たちに愛情を注いでくれました。息子もまだまだですが、丈夫に育ってくれましたし。幸せな家族生活でした。ただ不満があるとすれば、この忌まわしく危険な仕事をしているということだけです」


 場は静まりかえった。かつて警察事務職員をしていた栗本を特強にスカウトした分隊長は気まずくなり背を向けた。眞衣子と殺されてゆく栗本の姿を交錯させた智宗は気味悪い悪寒が背筋を走った。


「言葉が過ぎました。申し訳ありません」

「いえ、最もなことです。警察事務をしていた方がよっぽど良い人生を歩めたかわかりません。こんな形で別れることもなく」

「僕たちは最前線っすからねえ。確かにお世話になったけど、栗本さんは特強になんかならなければよかったかもしれないっす」

「でも、分隊長さんがおっしゃった通り、皆さんを守って殉職したのだから、本望なのかもしれません」


 栗本があまりにも凄惨な死に方をしたため、分隊では取り決めをして塩山と若松を庇って殉職したと家族に説明された。智宗は真実を言わないことに納得して黙って聞いていたが、妻の言葉に若松が動揺を見せた。

 若松の不器用な動揺だけでは済まなかった。何かを感じたのか、感じてないのか、石像のような表情からは判然としないが、息子が初めて口を開いた。


「あの、お父さん、父は、本当に皆さんを守って死んだんですね?」


 若松は俯いていた頭をパッと上げた。開きかけた口を智宗は認め、瞬時に彼の前に身を乗り出した。


「その通りです。夜中の戦闘のため我々は敵が見つからず惑っていたところを、狙撃してくる敵の盾になりました。その敵がいたところが足がかりとなり、任務は成功し我々も生きることができました。若松、酔ったからトイレに行きたい。ついてこい」

「塩山さん!」


 乱暴に若松を引っ掴むと微塵も酔っていない足取りでトイレへ向かい、個室を開けると若松を放り込んだ。洗浄タンクに頭をぶつける若松の胸倉を間髪入れずに掴みビンタを張った。


「貴様今なんて言おうとした、答えろ!」


 またビンタ。若松は泣きじゃくり、口から流れた血が涙と混ざった。智宗の腕を振りほどこうとして髪を掴まれた。


「だって!ほんとのことを知らずにこれから生きていくなんて!」

「なんのために話をでっち上げたんだこの馬鹿!貴様のような奴は死んじまえ!」

「遺族には本当のことを知る権利があるっす!分隊はそれを踏みにじろうとしているっす!」

「知る権利だあ⁉︎知ることより幸福だよ、自分の旦那が、親父が、あんな惨い死に方して、まともな生き方できると思ってんのか!」

「でも、本当の生き方があって本当の死に方があって、真実の人生があるっす!奥さんと息子さんはそれを知らなきゃ!」

「底無しの馬鹿だなお前!こんな真実尊くもなんともない。俺たちの真実は、確かにゴミみたいに切り刻まれて死んだ栗本さんだ。だけど、俺たちが目の前で見てきたこととして栗本さんの立派で美化された死を語れば、その姿が遺族の中で真実となる。それでいい、それだけでいい」

「でも・・・」

「おい若松、言いたきゃ言え、だけど言おうとしてみろ、俺がお前を殺す!」


 智宗はこんな場にまで拳銃携帯していた。非番護身用の短い拳銃を抜くと若松の口に銃身を突っ込んだ。驚くと共に銃口の冷たさが舌を伝い、しばらく黙って小刻みに頷いた。

 会場に戻ると若松の肩を抱き席に座らせた。彼はおしぼりで口元の血を拭い茶を飲み干した。


「すみません、救急箱なんぞはありませんか。こいつの方が酔っ払ってて、転んだんです」


 妻は、若松が酒を一滴も飲まないことを忘れて席を立った。救急箱が持ち込まれる頃には血も乾いていた。

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