9話 狂い
栗本と木口が連れ去られてから数日が経った。全力の捜査にも関わらず二人の居場所は要として知れない。
栗本と木口の家族には、急な任務が入り数日泊まり込むことになると伝えられた。それでも夫から直接の連絡がないのは不安なのか、着替え持って訪ねてきた妻が守衛に立ち入りを断られるのを、智宗と若松は喫煙所の窓からそっと見ていた。
「奥さん、可哀想っすね」
「ああ、女と息子だけじゃ何かと不安だろう」
「できれば、僕たちだけでも会ってあげたいっすけど」
「駄目だ。俺たちは栗本さんと一緒に任務に就いてることになってる」
苦虫噛み潰した顔で煙を吐くと、守衛に着替えだけ渡して暗い背を向け帰る姿が目に入った。智宗は血の臭いが染み付いた栗本の拳銃を思い浮かべた。
「分隊長、知ってることを洗いざらい吐いてください。いったいあの連中から何が送られてきたっていうんです⁉︎」
喫煙所の廊下を、第五十三分隊長がただならぬ様子の部下に取り囲まれて歩いている。彼は木口の部下に詰られて黙っていた。智宗は急ぎ煙草を捨て若松と外に出た。
「おい、どうしたんだ」
「この前逃げたやつらが言ってただろう、声明を送るって。だからメッセージが届いたらしいんだが、幹部連中ひた隠しにしようとするんだ!」
「分隊長ほんとですか⁉︎」
「もう隠せないから言うが本当だ。だが、これを君たちに見せるわけにはいかない」
「我々だって情報が必要です、どうして見せないんですか⁉︎」
「早く栗本さんたちを取り戻したいっす!」
「君たちが一番見たくない内容だからだ」
「見せろ!分隊長!」
木口の部下は声を荒らげて脅迫した。その剣幕に降参したのか、分隊長は諦めたように溜息を吐いた。
会室に入ると一向に視線が集まった。分隊長はケースに収められた白いディスクを出し、それを机に置いた。前置きは木口の部下が言った。
「みんな、名釜会のクソ共から声明とやらが届いたらしい。しかし、幹部はそれをひた隠しにしようとしている!俺は分隊長室で幹部が協議するのを偶然見て分隊長を引っ張ってきた」
「分隊長!隠すとはどういうわけですか!」
「見せたくないものでもあるんですか!」
「その通りだ。君たちのこれからの行動に支障が出るかもしれん」
「知ったことか!早く教えてください!」
分隊長は取り囲む部下の一人にディスクを渡した。スクリーンが降ろされDVDデッキにディスクが入れられる。分隊長はそのまま座って手を組み、背後のスクリーンを見ようともしなかった。
「これを見て、これまで通りの仕事ができると誓えるか」
「そんなの見てみにゃわからん!」
「誓え!そうでなければ、君たちを懲戒処分にしても見せるわけにはいかん!」
語気強く言い放ち、あたりは静まり返った。いったい何が映っているのかと皆唾を飲んだ。そして、まず木口の部下が低い声で言った。
「・・・誓います」
「俺も誓います!」
「誓う」
連鎖するように口々に言った。分隊長は頷きもせず、部下からリモコンを受け取った。
「その言葉、確かだな」
再生ボタンが押される。スクリーンに幾日ぶりかの栗本と木口の姿が映し出された。
まず、若松が廊下に飛び出し吐いた。それにつられて五、六人が会室を出て次々とトイレや洗面所へと向かい、間に合わない者は若松のようにその場に吐瀉した。会室に残った者たちは、近くにある物に暴力をふるったり泣き叫んだり、また沈黙し続けたりと三者三様。木口の部下はカバンから出したポケットウィスキーを一気に呷った。智宗は会室が禁煙なのを承知で煙草に火を点けた。瞳は乾いて涙が滲み、口元に煙草を運ぶ手が震え飛んだ灰が熱い。ショックを受けたのは身体の方で、感情は下がりきったまま動かないのが不思議だった。この狂乱の中、目の前を立ち上る紫煙と回り続ける再生終了マークが映るスクリーンだけが存在している気がした。
栗本と木口は映像の中で殺された。これまで行方不明になってる捜査官のリストを名釜会の構成員が読み上げ、要は人質勧告。捜査や検挙を行うなと警告した後、見せしめとして二人を惨殺した。じわじわと嬲るように。捜査官たちのほとんどは、そうした死に至る暴力や死体そのものに慣れているはずだった。だが、初めは覚悟を決めたように神妙にしていた上司と同僚が、虐待が進むにつれ命乞いに変わり、即死の哀願に変貌する姿を目の当たりにするのは訳が違った。
「ああ!」
ポケットウィスキーの小瓶が空を切る。DVDデッキに当たると液晶表示が割れ、歪な音を立ててスクリーンがフリーズした。痙攣した智宗はようやく自身の金縛りが解ける。彼はフィルターだけに燃え残った煙草を握り潰した。
「安心してください、分隊長」
木口の部下は瓶を拾った。極めて冷静な声色で、先程の剣幕は想像もできない。だが眼に禍々しい光、他の皆も同じで、映像の事実をどこか受け入れられない智宗も同様だった。
「やりますよ、ちゃんと仕事を。これまで以上に」
分隊長は後悔した。予想していたこととは別の後悔だった。全員の暴走は明白である。チンピラがどれだけ死のうと構わなかったが、拘束と自衛を超えた過剰な行動がどんな批判に晒され、また責任を負うのかと思うと気が重かった。
栗本と木口の死体、それに人質一人を返すと続いて連絡があり、引き渡し場所を抑えた。検挙はしないと重ねて通告し相手の信頼を得るのには骨が折れ、しかも裏切るための信頼。幹部の沖長雲斗が来たため即座に捕縛、拷問によって人質の居場所を吐かせた。重傷を負った彼を留置所に放り込み、人質救出作戦、解放までは早かったが、その分特強の被害も大きかった。皆血眼になって名釜会構成員を探し、沖長が人質のため敵も人質を取るようなことをしなくなったが、代わりに拳銃を持つ奴が増えた。街は騒然としていた。
「来いよオラ!パーティに招待してやる」
深夜、智宗は語気荒く、廃ビルに設けられた特強の臨時事務室に、名釜会と自白したチンピラを放り込む。手錠をかけられたチンピラは既に傷だらけで、ずっと突っ込んでいた拳銃の跡が腰におかしな皺を寄せていた。
「助けてくれ!俺何もしてない!」
「何が何もしてないだ、急に突っかかってきて、特強と判れば銃抜いたくせして、アホ!」
臨時事務室は、言い換えれば拷問部屋。十人程度の構成員が特強隊員の拷問を受け、息絶え絶えに懇願したり、悪態吐く者、聞き入れられずに即死しない箇所を撃たれる。
「どこ撃ったら死なないっけ」
「この辺、いや、ここはデカい動脈あるからすぐ死ぬな」
「じゃあここだ。寝てんじゃねえぞ!」
打殻が飛び、悲鳴。あまりの痛さから気絶していて天国の心地が、地獄に引き戻される。
「ぎゃあ!」
「悲鳴上げるほど偉かねえだろ、ほら」
木口の元部下はできたばかりの傷口を指で抉った。形容し難い音が肺から直接漏れた。
「こうやってよう、女にやると喜ぶよな」
「わかるわかる」
「でもてめえは喜ばせねえぞ」
「おい、新しい奴だ」
智宗は彼の前にチンピラを放り出した。目の前で壮絶な痛みが加えられる知り合い程度の仲間に怯え、手錠のまま逃げ出そうとする。智宗は彼を蹴飛ばし頭を踏みつけた。
「まだイキがいい。ちょっと」
智宗は木口の元部下を連れ部屋を出た。扉が閉じられると優秀な防音壁、一切の悲鳴を途絶する。
「分隊長から、やりすぎるなと」
「もう遅えよ、同じやり方で殺したるんだ」
「そろそろ問題になるんだと。下手したら上が国会に呼ばれるかもしれない」
「知ったことか、だったら木口さんを殺させるなってんだ」
「まあ、お手柔らかにやれ」
「うるせえなお前だって同じことやってるくせになんだ!」
「そう気色ばむな。それからもう一つ、尋問中に急死した奴は仕方ない、と」
「・・・そうかあ」
暗く薄気味悪い笑みだった。智宗も心から同じ顔を作る。嬉しそうな彼を見送り、智宗は急に心が白け、無表情でビルの外で待つ若松の元へ向かった。
夜が明けるに連れ、悲鳴は一つずつ減っていった。
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