3話 噂の続き

「こんなとこで会うなんてね~何年ぶりかな?」

「7年ぶりだ。高校三年以来だからな」


 再会を果たした二人は子供も共に近くの喫茶店に入り、喫食しながら談笑にふけることにした。久々の想い人との再会で智宗は僅かに緊張したが、眞衣子は微笑みをたたえてティースプーンでコーヒーを混ぜていた。


「マーちゃんは変わったね。ちょっと大人びたみたい」


 そう思うのは、昔は長いポニーテールだったのをボブに切り落としたからだけではなく、背は相変わらず高くなかったがからだつきがどことなく丸みを帯びており、何より胸が以前とは比較にならないほどの膨らみを見せていたのがどうしても目を引いた。高校の頃の眞衣子の胸はそれはもう貧相なものであり、しかし当時はそれはそれでチャームポイントであった。腰回りも美しくくびれている様子で、大人の女性へと成長を遂げている。加えて備わった静かな落ち着きは彼女へのイメージが変わるようだった。しかしそれでも、どことなくあどけなさが残る童顔と明るい笑顔は眞衣子らしいといえた。左目下端にある泣きぼくろも昔と変わらず、懐かしく目に輝いた。


「7年も経っちゃえばね。そういう塩山くんは、昔とちっとも変わんないね」

「変わる機会が無かったのさ。受験も失敗しちゃって、ぼーっと生きてきたからね」

「受験、失敗しちゃったの?」

「失敗っちゃ失敗だな。まあもう過ぎたことだ」


 うっかり「マーちゃん、大学は?」と口を滑らしそうになり慌てて言葉を飲み込んだ。急に家族ごと消息を絶った彼女が、いざ会ってみたら幸福そうだったとはいえ、正常な生活を送れたとは思えなかった。そもそも学校にも行けていない可能性も高い。言わば眞衣子の地雷を踏みぬく可能性が高かった。

 とはいえ、初めて見た子供が同席しているのに話題にしない訳にもいかず、彼女の過去に触れずに話題を操ることは困難だった。


「その子、マーちゃんの子供?」


 そう言って幼女の方を見やると頬を少し染まらせ目をそらし、慌ててバニラアイスを口に運んだ。年の頃6、7歳、切りそろえたおかっぱのショートカットに大きなりくりした目が可愛らしかった。眞衣子のと同じ部位に泣きぼくろがあるのは遺伝と思えた。


「そうだよ。奈緒実なおみっていうの」

 

 奈緒実と名を呼ばれた幼女はその母親の方を見て、眞衣子は奈緒実を撫でた。眞衣子がもともと童顔だということもあるからだろうが、二人の顔立ちは似通っていた。高校時代の眞衣子も小学生のようだとからかわれ愛されていたが、逆に奈緒実に高校の制服を着させたら当時の眞衣子そっくりになりそうだった。


「かわいいね。マーちゃんそっくりだ」

「あは。ナオちゃん、あなたママそっくりだって」

「ん・・・」


 智宗が褒めてやると、奈緒実は照れたように顔を赤らめた。母親と似ていると言われたことがうれしいようだ。

 智宗は、自分が不幸せな分幸福な家族を眺めているのは好きだったが、眞衣子と奈緒実に対してはある種の歪んだ感情を持ち合わせないでもなかった。つまり、流布していたな噂の一つは当たっていたことになるのだった。奈緒実が6、7歳であると勘案し25歳の眞衣子から逆算し18歳。やはり眞衣子は当時、妊娠していたことになる。女子クラスメートの言葉からして、少なくとも智宗とのデートの後期にははらに奈緒実を宿していたと考えられた。この事実は、智宗の中に薄暗い嫉妬心を覚えさせるところとなった。


誰よりも清純だと思っていたマーちゃんは、俺の知らないところで誰かに抱かれていたのか?


 7年前に思い浮かべる、眞衣子の薄紅の唇、透き通る肌、小ぶりな胸、小さく線の柔らかい腰と尻、時折見せた人形のように細い脚。智宗は自意識過剰で身勝手とは解っていながらも、そうした眞衣子の宝石が自分以外の男に触れられ持ち去られたと比喩的に思い浮かべた。悶々とした感情が入り混じって現在の眞衣子を見れば、今の大人としての彼女は夫もしくは恋人とどのようにしてベッドの上で夜を舞うのか、と考えてしまい自身の思考の猥雑わいざつさにため息が出た。

 しばらく奈緒実にかまっていた眞衣子は不意に真面目な顔をし、静かな口調で智宗に言った。彼の予想外な話題だった。


「わたしのこと、何か噂になってた?高校で」

「んぁ?」

「わたし、街から急にいなくなっちゃったでしょ?だから」

「ああ、まあねぇ」


 眞衣子の方からそう切り出してくることに智宗は驚いた。なぜ自分から自身の闇をさらけ出すような真似をするのかと訝しんだが、いつまでも口ごもっているのも怪しまれそうだった。眞衣子の噂はその全てが周囲の心配によるもので、彼女への悪口は含まれていなかった。よって、言ってしまうと決まれば隠す理由もないのだが、智宗の声は小さくなりがちだった。


「皆んな心配してたよ。家にも誰もいなくて、家族ごと消えちゃったから」

「やっぱり」

「あと、お腹に子供がいるんじゃないか、とか」

「ばれちゃってたかー。恵奈けいなちゃんにおなかを触られちゃったときは驚いたよ」

「その頃にはもう奈緒実ちゃんがデキてたの?」

「うん。まだ宿して間もなかったけどね」


 眞衣子は苦笑交じりにそう言って、唇に付いたカフェモカのクリームを紅い舌で小さく舐めとった。智宗は「そうなの」と言って溜息を吐くだけ。彼は奈緒実の父親のことが気になって仕方がなかったが、そこまで聞く勇気はなかった。彼女が言う「宿して」という言葉も生々しく、自分が純情から眞衣子を想っていた裏では当人が他の男と快楽をむさぼっていたと再確認するのも辛かった。

 もう一度カップに口を付けカフェモカを空にした眞衣子は、頬杖をつき物鬱気な遠い目でつぶやいた。


「わたし、塩山くんに謝らなきゃって思ってたの」

「謝る?」

「わたしが最後に学校へ行ったとき、映画とごはんに誘ってくれたでしょ?だけど塩山くんに何も言えなくて、そっけない返事しちゃった。塩山くんはいつもわたしを楽しませてくれたのに」

「いいんだよ、別に。のっぴきならない状況があったんだなって思ってるよ」

「あの日も遊びたかったな」


 そう言って口を閉じ、一区切りおいてから智宗を見つめ緩く口角を上げた。見つめられた智宗は火照る頬を隠すように半分は残っていたホットティーを飲み干した。はにかんだ笑みで眞衣子は彼の名を添えて言った。


「あんな日々に戻れたらいいね、智宗くん」


 ほとんど名前で呼ばれることのなかった智宗は眞衣子の甘い声に胸を高鳴らせた。そもそも女性にファースト・ネームで呼ばれること自体久しかったからとろけるような思いで、蘇り続ける懐かしい感情はここに至ってピークに達しようとしていた。


「戻れるさ、また」

「ううん、もうだめだよ。わたし、すっかり変っちゃったもん」

「変わってたって、戻ることはできる」

「そうじゃないの。だって、わたし・・・」


 智宗は焦る気持ちで次の言葉を待った。彼は眞衣子の口から紡がれる彼女自身のどんな問題をも粉砕してやる気でいた。金銭的な事なら私財を投じてもよかったし、人間関係のこじれなら彼の持ちうるの行使も考えた。眞衣子に安寧あんねいを与えたその後に彼女を手に入れられるのなら、彼はなんだってやるつもりでいた。

 だが彼の純真とも下心ともつかない感情は、彼の警戒心をすっかり解いてしまっていた。彼は背後から近づく不吉な影に気づくことができなかった。


「おい、時間を忘れておしゃべりとはいい御身分だな。それにそいつ、客じゃねえだろ」


 聞こえるのはチンピラ風の声。そのいかにもな声にぎょっとして振り向くと、やはりヤクザ風の男が三人を見下ろしていた。両脇に立つ不健康な顔をしたこれまたチンピラ風情ふぜいの部下が周囲を威圧し、中には席を立つ客もいた。男はシガレットケースから紙巻煙草を取り出すとそれを咥えて部下に火を点けさせる。その大げさな動作を智宗は眉をしかめて眺めたが、吸う煙草自体は珍しくもない市販品だった。


「お客様、この一帯は禁煙席とさせていただいているのですが・・・」


 背後から声をかけるのはおずおずとした店長らしき男だった。彼は灰皿を差し出したが突き返され、口から煙草を離した男の煙を浴びた。男は高圧的な態度で言い放った。


「ちょっとで終わるんだ。すっこんでろよ」


 店長は黙って引き下がり、キッチン奥へ入っていったまま再び姿を見せることはなかった。男は三人を眺めまわし、また吹きかけるように煙を吐いた。普段煙草を吸う智宗は平気で眞衣子も鼻先を手で仰ぐだけだったが、もろに煙を浴びた奈緒実は苦しそうにむせた。


「誰だお前」


 不機嫌な表情を隠さず智宗は言った。突然眞衣子との時間を邪魔された挙句あげく横柄な態度で接されたのなら容赦する気はなかった。智宗はひそかに相手の出方をうかがった。


「お前こそ誰だよ」

「俺はマーちゃん・・・坂江眞衣子の友人だ。お前は誰だ」

「俺は眞衣子の雇い主だ。眞衣子、行くぞ」

「待てよ」


 眞衣子は渋々と立ち上がり男の方を向いた。男は眞衣子の背に腕を回すと肩を掴み抱き寄せる。眞衣子はむしろ蒼い顔をして男の手に喜ぶ様子もなく、智宗は嫉妬心から顔を赤黒くし男を引き留めようとした。


「なんだよお前。しつけえな」

「しつけえじゃねんだよ、どこに行く」

「仕事に決まってんだろ、失せろ」

「仕事たあなんだ」

「うるせえ」


 追及する智宗に不快感をあらわにして男はガナり、部下も肩をいからせて智宗を威嚇した。


「こちとら時間が惜しいんだ、友人だか何だか知らねえが用はねえ」

「痛い目見ないうちにとっとと消えな」

「三下は退いてろ、目障りだ」

「なんだと!」


 二人は拳を固くする。智宗はその怒気を感じて内心にやりとほくそ笑んだ。


先に殴られれば正当防衛、心配なくこいつらをフクロにできる。店の者と客には悪いが・・・連中が刃物ドスでも抜きゃ、そうすればやっとのお出ましってとこだ

 

 先程から腰に手を当て触っていた固い物、それは隠し持った回転式拳銃だった。違法に所持しているのではなく、ちゃんと拳銃携帯許可証がある合法的なものだ。彼は職業柄拳銃を常に携帯しているのだが、別に刑事デカというわけでもない。ただ仕事には拳銃が主要な道具となり、もしもの事態が考慮され日常的にも拳銃携帯コンシールド・キャリーが許されている。

 相手がこの体勢に気がつかないところを見ると大したヤクザでもないらしい、と彼は踏んだ。「ヤー公風情が。どうせロクな商売じゃないくせして吠えるんじゃない」と、更なる挑発の言葉を放ったが、二人が智宗に飛びつく直前、眞衣子が叫んだ。


「やめて智宗くん!わたしは大丈夫、大丈夫だから」

「マーちゃん」

「わたしのことは放っといて」


 ヤクザたちはようやく拳を収めるとまた眞衣子を囲み「あんまりナメた口きくんじゃねえよ」と捨て吐き店を後にしようとする。どこか拍子抜けした智宗はもう何も言い返せなくなっていた。去り際に眞衣子が振り向き、智宗と一緒に残されていた奈緒実を見て言った。


「ナオちゃん、ちゃんとおうちに帰るんだよ!」


 置いてけぼりにされた二人は再び戻る喧騒の中で立ち尽くし、互いの顔を見合わせた。


 

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