第九章 東條内閣、次男誕生 昭和17年(1942)~

 当分東京に滞在できそうなので、一時町田へ寄るからと連絡したら、祖母のラクが、預けておいた馬絹の叔母の家で死んだという。18日に葬式を出さなければならないというので帰宅申請をしたら、許可が降りた。軍服のまま自宅に帰った。

 葬儀や挨拶まわりで1週間ほど要し、やっと東京に戻ると、もぬけの空となっていた。1週間の間に兵隊は南方へ出発していた。置いてきぼりを食った状況の中、除隊となった。正月末に帰宅したら銃後を守れという。この時は天に感謝したい程嬉しかった。

 きわどいところだった。足かけ3年留守をしている間に、預金は使い果たし、野良を手伝ってくれた男たちも兵隊に出てしまい、タキもお袋も揃って目を悪くしたそうで17年秋の収穫は散々だったという。俺が隊からの給金を持ち帰らなければ、葬式費用もなかった程だった。

 ともかく俺が帰れることになったからまた再興できる。元気を出せ、と皆を励まし、改めて正式手続きを終わらせてから昭和18年(1943)1月30日、正式に帰還した。37才になっていた。

 みやげは約束通り、通晴に刀、和子には等身大の人形を買ったが、和子は軍服の俺を怖がってタキにかじりつき、そのくせ恐る恐る手を出して人形だけは受け取ろうとした。父親の俺を恐ろしい大人と思ったに違いない。

 2月に入ると、俺は全国購買連合に籍があることを思い出して、早速新子安工場を訪れた。工場の方も人手を戦地に取られ困っていたとあって、直ちに復帰することができた。通晴がこの春から小学校に入るので早く稼ぎ出す必要があるし、タキの眼も治療しなくてはならない。全購連にこの話をしたら、お国のために働いていたのだからと、17年度のボーナスを規定通りくれたのは有難かった。

 4月のはじめ、町田に一軒も衣料品店がないというので東京の大森へ通晴の入学服を買いに行ったが、ランドセルは粗悪品ばかりだったので、俺のショルダーを改造してやった。

 ところで入学式の三日前に通晴はハシカになってしまった。タキも張り切っていた入学式には参加できなくなった。悔しいから、昔福室さんに受けた特訓を通晴にしたら、ハシカが治りきらないうちに配給された読本を全部マスターしてしまった。こいつもやはり俺の血を引いているのだ。

 4月中旬、友達より10日遅れて入学したが、1学期の終わりには一番の成績だったそうだ。もっともよその子は親が教えるどころではない時代だから当然かもしれないが。いずれにしても我が家はまた明るくなった。タキの眼も良くなり、夏に入ると3人目の子どもを妊娠した。

 戦局は次第に悪くなり、前の年のミッドウェイに続いてガダルカナル、フィリピン等が次々陥落した上、海軍の山本元帥が戦死した。欧州ではイタリアが降伏し、ドイツもソ連に反撃されているという。俺もこうしてはいられないような気がする反面、通晴や和子の寝顔などを見ていると、「やはりこの子たちのためにも俺は家を守らなければいけないのだ」と思い直した。

 昭和19年(1944)に入ると、前線の戦況が詳しく知らされなくなった。大本営発表があるたびに敵を撃退させたと称しながら、カミソリ首相と呼ばれる独裁者東條総理は、どうして報道規制を敷くのか?東條内閣を批判した中野代議士は自殺したそうだし、どうも変だと思うのだが、うっかりこんな話題を出そうものならどこでも憲兵に連れ去られてしまうため、誰も噂さえしない。暗黒の時代だ。

 我が家では、よりによって閏年の2月29日という四年に一回しかやって来ない日に、次男が生まれた。お坊さんの話では500人に1人くらいの珍しい例で、将来大出世するか、大悪人になるかの星を持っているという。とにかく暗黒の昭和を正しく生きてほしいから、「正昭」と名付けた。この子は始めから体格が大きいうえに相当気かん坊で、タキやお袋が手こずっている。通晴と違って相当の腕白になるだろうとお袋が言っている。俺はその方が頼もしいと言ったら、将来あんたのように何度も戦争に取られたら困る、とタキに言われた。

 昭和19年の夏は、サイパン島、マリアナ諸島などがアメリカに奪還され、秋になると本土上空に敵機B29が編隊で来襲するようになった。こうなってはまもなく東京が空襲を受けるに違いないというので、正月休み明けから都会の学童が続々と本町田にも疎開してきている。そのうち東京や横浜の者たちは、一家揃って移ってくるのではないだろうか。

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