舞踏会

1.叡智の書

 ジェフ・キャスリンダーは確信する。

 もう、学園には慣れた。


 正確には、慣れつつある――というべきか。

 断言すれば、スノウには嘲笑される。

「思い上がりも、ここまでくると大したもんですな!」

 と、面と向かって罵倒されたこともある。


 しかし、ジェフにも主張したいことはある。

 少なくとも、学園内で道に迷うことは減った。

 余計な場所をのぞき込んだり、気まぐれに道を変えたりしなければ、食堂までなら容易にたどり着くことができる。その確率は、実に二日に一度となった。


 その日がまさにそうだった。

 少し遅れはしたが、メリー・デイン・クラフセンが朝食を食べ終わる前には、彼女と同じテーブルにつくことができた。

 それでも、メリーには恨むような上目遣いで睨まれた。


「――ジェフさん」

 彼女はすでに豆とベーコンのシチューのような料理を、半分以上も食べ終えていた。あれはたしか、南部領域式の料理だったはずだ。

「遅かったじゃないですか。おかげで私、一人で朝ごはんを食べる寂しい人みたいになっちゃってましたよ……! こういうの、私、めちゃくちゃ根に持ちますからね……!」


「すまない」

 わずかに頭を下げ、ジェフはメリーの正面に腰を下ろす。

 彼の朝食はいつもと同じく、ひき肉と野菜の詰まったダルハナン・パックだった。このところ毎日こればかりなので、スノウにもそろそろ呆れられている。

「食堂まで、少し迷った。が、今朝はきみが食べ終わる前に辿り着けた」

 ダルハナン・パックに噛り付くと、強いバターの香りがした。

「俺も成長していると思う」


「はあ。まだ迷うんですか、ジェフさん」

 ジェフの「成長」という発言には触れずに、メリーはシチューを念入りにかき混ぜている。よく見れば、カブらしき根菜を皿の端によけていた。

「なんか、道は覚えたって言ってませんでしたっけ?」

「覚えたが、この学園はさすがに魔法の学び舎というだけはある。奇妙な分岐路が、毎日違う場所に増えている」


「それって、ドリーヌ夫人の渡り廊下ですか? それとも《黒曜庭園》?」

 メリーは学園に存在する、ちょっとした隠し部屋のことを口にした。

 それらはかつて学園が城として使われていた頃、魔法によってその存在を隠匿された存在だった。特定の条件下でのみ、扉や通路が現れる。いまとなっては秘密でもなんでもなく、学園の授業用施設として使われている。

「ああいうのは確かに日によって入口が出たり消えたりするらしいですけど、立て看板見ればわかるじゃないですか……食堂行きのルートはいつも一定なんですから。余計なところで曲がらなければいいんです」


「なるほど」

 ジェフはダルハナン・パックに嚙みついて、唸った。

「余計なところで曲がらなければいいのか」

 メリーからは学ぶことが多い。この際だから、ジェフは徹底して彼女から教えを乞うことにした。

「他に、何かコツはないか?」


「こういうのはコツじゃなくて、あの……いえ。もういいです」

 メリーも何かを諦めたようだ。首を振って、また上目遣いにジェフを見る。今度は、先ほどのような恨みがましい表情ではなかった。

「……じゃあ! 仕方がないので!」

 メリーのしゃべり方の特徴として、言葉の切り出しは勢いがいいが、徐々に小声になっていくという性質がある。

「……ジェフさん、この前みたいに、ヒヒッ。明日の朝とか……迎えに行ってあげてもいいです、よ?」


「いや。それは申し訳ない」

 ジェフの返答は素早かった。

「俺の成長にもならない。きみには教わることが多いが、そればかりに頼るわけにもいかない」

「ええ、はい。ですよね。わかってました、その回答は」

 メリーは鼻から息を吹き出し、つまらなさそうにまたシチューを口に運ぶ。何らかの言葉とともに飲み込んだ。それが最後の一口になった。


「――じゃあ、そろそろ始めますか? 今日の議題です」

 メリーの手が、テーブルの上に置かれた一冊の本に置かれた。かなり分厚い冊子だった。『叡智の書』、と、その表紙には記されている。

「私とジェフさんがこの学園を生き残るための会議、第二十七回」


 メリーが発起人となったこの「会議」は、しばしば一日に二度も三度も催されることがあった。おかげで開催回数だけが増え続けている。

 会議の内容は、いまだ慣れない学園の習慣や、授業内容の予習・復習であり、単なる雑談のようなものではないか、とジェフは思うことがあった。しかし、メリーの強硬な主張により、ジェフはこの会議に参加必須の幹部として名を連ねている。

 そして今日の議題は、間違いなくこの『叡智の書』にあるのだろう。


「この叡智の書で、私たちの未来を決めましょう!」

 メリーは勢いよく『叡智の書』をめくった。どのページにも細かい文字と、簡単な図表がびっしりと書かれているらしい。

「私が思うに、この選択は重要なものなんですよ。ジェフさん!」


「一理ある」

 ジェフは肯定した。

 この『叡智の書』は、学園に入学して十日ほどが経過した生徒へ一律配布される、授業要綱をまとめたものだ。

 どの教師が、どんな授業を受け持っているか。指導方針はどんなものか。授業の履修条件は何か――それから、卒業や進級までにどんな条件が必要か。 

『叡智の書』には、それが網羅的に記載されている。

 スノウあたりは「大げさですな」と揶揄したものだが、ジェフはそれ相応の重要さをこの本に見出していた。


 ダルハナン・ウィッチスクールは、単位制度を採用している。

 学生は己の意思で授業を選び、個々の才能を伸ばすことができる。いくつかの必修授業――例えば研究室ゼミナールでの基礎指導を除いて、その選択はすべて学生の判断に委ねられている。


「とりあえず、大前提として!」

 メリーは勢いよく最初の方のページをめくった。『卒業までの道のり』と記された項目だ。

「私たちの目的は、これ! 卒業して、大魔導士になることです!」

「そうだな。賛成する」

「はい! いい返事です、ジェフさん。そのために必要なのは――このプロセス。三色のリボンを集めて、この帽子に飾ることです!」

 メリーはさらに先の尖った帽子を取り出し、テーブルの上に乗せて見せる。リボンどころか、なんの飾り気もない、黒い帽子だった。


「魔女の帽子――この学園の生徒の証ですね。一年に一度、昇級試験に合格することで、証となるリボンをもらうことができるんです。試験は三段階。最初は白いリボンから始まって、青リボン、赤リボン。そこで卒業試験を受けて、合格すれば……!」

『叡智の書』のページの上を、メリーの指が滑る。白試験、青試験、赤試験となぞっていき、やがて一番上にある『卒業』の文字にたどり着く。

「晴れて、卒業。大魔導士の地位は約束されたも同然……! と、いうわけなんです!」


「なるほど。理解した」

 ジェフはうなずいた。

「それでは、まとめて三つの試験を受けるのが最も効率的というわけだな」

「……ジェフさん、ほんとにこの本読みました? ぜんぜん理解してないですよね?」

「必要な個所は暗記した。授業一覧と、教師一覧には自信がある」

「つまり、あとはサッパリってことですね。なんとなく、そうなんじゃないかと思っていました。ええ。仕方ないですねえ……私が教えてあげます!」

 ため息をつきながらも、メリーはどこか嬉しそうに暗い笑みを浮かべた。

「リボンの試験を受けられるのは、よほどの特例を除いて年に一回です」


「なるほど。今度こそ理解した」

 ジェフは片手をあげて見せた。自信があったからだ。

「その特例になってみせるということか」

「違います。まあ、大天才である私なら、そのくらい? ちょっと頑張れば? イケるかもしれませんけど……ジェフさんまでそういうの強要しちゃ良くないかなって……」

「そうか」

 よくわからないが、メリーはジェフに配慮したらしい。とりあえず感謝しておくことにする。

「ありがとう、メリー」

「どういたしまして。……だから、最初は白リボン試験を受けるために、必要な授業を履修する計画を立てましょう! すごく大事ですよ、これは!」


 メリーは拳を握り、立ち上がらんばかりに前のめりになった。

「この学園の授業は自由度がとても高いんです。一日に七単位まで選択できるし、他の研究室ゼミナールの基礎指導を受けることもできます。だから、初期計画は綿密に立てておかないと、あとで泣きを見るのは自分ですよ!」


「そうか」

 ジェフは改めて、このメリーという少女を見直した。計画性に溢れ、その上、ジェフという仲間を救済せんとする気概すらある。

「きみは詳しいな、メリー。また助けられた。なかなか出来ることではない」

「ヒ、ヒヒッ。そ、そう言われると、すごく照れますね……でも、いいんです。私、大天才ですから。ジェフさんぐらい、簡単に助けてあげちゃいますよ! そういうわけで、ですね」

 メリーは『叡智の書』をばらばらとめくった。

「私たちが履修するべき単位を選びましょう。……私、レズリー教授の『破壊と即興』の授業は絶対受けたいと思ってるんですけど! ジェフさんはどうですか!」

「考えたんだが、俺は――」

 ジェフが指差し、言いかける。そのときだった。


「あなた。ミスター・ジェフ・キャスリンダー?」

 肩越しに、思ったよりも近い距離から声がかけられた。

 ジェフはやや緩慢に振り返る。その声から、それほどの脅威を感じなかったからだ。友好的な響きがあった。

「本当に――男子生徒なわけね、噂通り」

 ジェフが「暢気すぎる」と思うほど、穏やかな微笑みを浮かべた少女――波打つ長い金髪のほとんどを、青いリボンのついた帽子で隠している。どこか茫洋とした顔。人の表情を読むことには自信のないジェフだが、この少女はそれに輪をかけて読みづらい。

 それ以上に目を引くのは、背後に数人の少女を引き連れていたことだ。

 そのいずれの女子生徒も、ひどく真剣な表情でジェフを睨みつけていた。


「はじめまして」

 と、青いリボンの少女は、異様なほど律儀に一礼した。

「コルベット研究室ゼミナールの、モニカ・シュルツ。ああ――大丈夫。あなたは私のことを知らないでしょ? でも、こっちは知ってる。当然よね。色々と聞いているわ、ジェフ・キャスリンダー」

 モニカと名乗った少女は、優雅な仕草ではあるが、やや無遠慮にジェフの隣に腰を下ろした。そして翡翠のように碧い目で、ジェフの横顔を見つめた。

「学長がお気に入りの、期待の新入生よね? ――つまり、あなたが私にふさわしい男子か、とても気になっています」


 ジェフは何も言葉を返さなかった。

 その前に、メリーが火あぶりにされたカエルのような、ひどいうめき声をあげたからだ。

「モニカ・シュルツ……!」

 そのうめき声は、呪詛の響きに似ていた。

「ついに出ましたね、悪霊変化……!」

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