2.波濤の魔女
「遅かれ早かれ、こういう輩がやってくると思っていましたけど」
メリーは呪詛のこもったうめき声をあげた。
「よりによって、彼女ですか……」
ジェフは彼女の陰鬱な顔から、いくつかの感情を読み取った。不満、怨嗟、劣等感、羨望――そうした類のものだった。
それらを総合したジェフの意見としては、こうだ。
「知人か、メリー」
「違います」
メリーの否定は早かった。
「でも、名前は知ってます。《波濤の》モニカ」
言葉を重ねるごとに、メリーの声はいっそう暗くなる。
「学園の外でも名前が知れ渡っているくらい――『天才』の一人。魔導士の名門、シュルツ家の末娘で、宮廷の覚えめでたく……私たちと同じ年代ながら、幼くしてこの学園に入学……去年に更新されるまでは、最年少記録でした……」
「なるほど」
ジェフは軽くうなずいた。
「きみは本当に詳しいな、メリー。その記憶力は驚異的だ」
「ヒ、ヒヒッ。私、めちゃくちゃ調べましたから」
ひきつった笑い。そして怨念すら感じる目つきで、モニカ・シュルツを見つめた。
「……この学園の有名な生徒とか……いずれ私の強大な力で、這いつくばらせてあげたいって思っているので……」
メリーの説明を聞きながら、ジェフもまたモニカ――というより彼女と、彼女が引き連れている女子生徒を観察していた。
モニカ以外に、背後に三人。小柄で日に焼けた少女と、眼鏡をかけた少女。この二人は、珍獣でも眺めるような目でジェフを見ている。好奇心に溢れた視線、といってもいいだろう。
少し違うのは、三人目だ。
金髪を短く切りそろえた少女。怜悧な顔立ちと、それ相応の硬質な視線。その目つきからは、どうも値踏みをしているような気配があった。好奇心とは少し違う。銀貨の枚数を数えるような目――つまり、『有用か、無用か』。
ジェフはこういう目をする人物を知っている。
例えるならば、恐らく――そう。
猟師や戦士というよりも、兵士だ。
「そろそろ、いい?」
ジェフの思考を遮って、モニカ・シュルツは快活な声をあげた。
「私については、いまそっちの子が言った通り。少なくとも外からの評価についてはね。でもそういうのは、いまの時点で結果を出してるか出してないかってことだけ。あまり意味はないわ」
喋りながら、ごく自然な動作でジェフの隣に座る。メリーの顔が少し強張ったが、モニカには遠慮がない。
「私にとって重要なのは、いまどうするか。これからどうしたいか。そう思わない、ジェフくん」
「そうかもしれない」
「でしょ?」
モニカはジェフの返答を、ほとんど待たなかった。言い終わる前に笑いかけてくる。ジェフがそう答えるだろう、と思っていたのだろうか。
「だから私、この学園で最高の結果を出し続けたいと思っているの」
奇遇だ、と、ジェフは思う。
彼がタイウィンから頼まれたことと同じだ。
「この前の《小遠征》で、あなたはヴァネッサ
モニカはジェフを指差した。
「聞いてるわ。帝国の残党と交戦して、切り抜けたんでしょう」
「あの、それはたぶん、私……」
メリーが控えめに手を挙げた。
「私の――その、秘められた力というか……あのときのことは全然思い出せないんですけど、そういう何かが炸裂したのではないか、と……」
「ジェフくん。あなたを見ていると、底の知れない魔力価の質を感じます」
モニカはほとんどメリーの言葉を無視した。そういえば、彼女はほとんどメリーに視線を向けていない。
「私、そういう視力に自信があるの。あなたには何かがある。学園長が特例で入学を許すくらいの、何かが」
「あの。私だって特例でしたけど」
メリーの語調が、やや尖ってくる。モニカはそこでようやく、一瞬だけ目を動かし、彼女を視界の端に入れた。
「たまに学園のスポンサーになってる貴族の子女が、特例入学してくることはあるけれど」
「むっ。なんです、その言い方……! 私は、そういうのではなくてですねえ!」
「ジェフくんは、違うでしょう?」
モニカの視線を、ジェフは黙って受け止める。いまだに、彼女の意図がわからなかったからだ。
「ジェフくん。回りくどいの嫌いだから、単刀直入に言います」
モニカは少し顔を近づけた。ジェフの目をのぞき込むような姿勢だった。
「私たちの
「断る」
「え?」
「断る。その話なら、受け入れられない」
モニカは何も言わなかった。ただ、背後の三人が小声で何か言葉を交わした――兵士のような目をした少女は、それに対して短いコメントを述べたと思う。
だが、ジェフはそれらを聞き取ることもなく、食器を持って立ち上がった。
「約束がある。それ以上に、俺にはいまの
それから、言い方が少し厳しかったかと思い、付け加える。
「それと、モニカ。きみの話は十分に回りくどいと思う。なんとかした方がいい」
ジェフにとって、心からの忠告のつもりだった。モニカの顔が少し引きつるのがわかった。
――――
「ご苦労ですな、若」
ジェフが食堂から出ると、からかうような声が降ってくる。スノウだ。彼の使い魔にして、友人でもある。
彼は黒と白の翼を畳み、緩やかに降下してきた。
「見てましたぜ。ありゃ喧嘩を売ったようなもんじゃないですかい? 面倒なことになるかもしれませんぜ」
「それはない。同じ学園に通う仲間だ」
ジェフは黒檀の杖を差し出し、スノウの止まり木にしてやる。
「互いに研鑽することはあっても、対立することはあり得ない」
「さすが、若。大変にご立派なお考えをお持ちで」
スノウはくぐもった笑い声をあげた。
「いえ――実際、面倒かもしれませんよ」
口をはさんだのはメリーで、言葉通りに深刻そうな顔をしていた。口を開くと、一気呵成に語りだす。
「あの人、すごく根に持つタイプです。プライドが高くて、傷つきやすいんです。私にはわかります。あの別れ際の目つき! 見ました? ヤバいですよね? 同類の匂いがします!」
「そうだろうか」
ジェフは首をかしげる。そんなに恨まれることはしていない。たったいま、和やかに会話を交わしたばかりだ。
「何か誤解があったのかもしれない。次に会ったら解こう。それより、いまは」
メリーが手にする、『叡智の書』を指差す。
「授業計画を組み立てる必要がある。期限は明日までだったな。
「おや。教室へ向かわれるんで?」
スノウの言葉は、どこか笑いを含んでいた。面白がっているようだ。
「タイミングが悪いかも知れませんな。何やら騒いでいましたよ」
「何か警告することがあるなら、正確に言ってくれ、スノウ。最近気づいたが、どうやら俺は察しが悪いらしい」
「あのお嬢さん、エレノアって言いましたっけ。鎧甲冑の――あの子が言うことには」
スノウは笑いをこらえきれない、というように喉を鳴らした。
不吉な笑い方だった。
「
――――
「ここだ」
《秘匿騎士》フレッド・アーレンが案内されたのは、薄暗く狭い倉庫のような一室だった。地下牢のような場所から、隠し扉を使ってさらに降りた。
湿度は高く、冷え冷えとした闇がある。
「ここならば、見つからないだろう」
案内役の小男は、緊張した声で言う。早くこの役目を終わらせたいと思っているのだろう。フレッドにはその気持ちがよくわかる。
「生活に必要な物資は、週に一度。必要なものがあれば、紙に書いて《琥珀庭園》のロドルの樹の下に隠してくれ。できるだけ手配する」
「そいつはどうも」
フレッドはこの新しい住まいに文句を言いたくなったが、いままで暮らしていた場所よりはマシだと思いなおす。洞窟と違って、ベッドもある。
それにこれは、《魔人》ダーニッシュの命令だった。
帝国亡きいま、彼が忠義を尽くすべき唯一の相手。
(因果な商売だ)
騎士というのは、厄介なものだ。
契約を交わした以上、それを守らねばならない。ダーニッシュとは、互いに《しるし》を与え合った。どのような意味においても、いまさら彼を裏切ることはできない。
(だが、この新しい任務は――)
フレッドは自虐的な気分に襲われた。
それまでのものよりも、はるかに危険だ。獰猛な獣の群れの只中に、姿を隠すようなものだろう。
なにしろこの場所は、ダルハナン・ウィッチスクール。魔女を育てる機関であり、ダーニッシュが警戒する数少ないものの一つだ。
(特に、あの少年だな)
思い出すだけで、背筋が凍る。
ワイバーンを虫けらのように殺し、峡谷を砕いた魔導士。灰色の悪魔。どんな手段をもってしても、勝てるイメージが湧かない。
やつを暗殺しろ、という任務なら、それは無理だと進言しただろう。
しかし、幸いにも今回は違う。
「――では、私は引き上げる」
案内役の小男は、物思いに沈むフレッドへ、一枚の紙を差し出した。
「あとは閣下の仰せの通りに。《秘匿騎士》フレッド・アーレン、夏の嵐のごとき武運を祈る」
「武運ね」
フレッドはついに笑ってしまった。
今回の任務に、これほど似合わない言葉はない。
「ま、閣下には宜しく言っておいてくれ。せいぜい頑張ります、ってね」
今回の任務――そう。
『宝探し』だ。
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