10.後継者たち
学園長、タイウィン・シルバの執務室は、ジェフが想像していたよりもずっと広かった。
それと同時に、恐ろしく散らかってもいた。
書類が満載された大きな机に、椅子、そこまではいいだろう。壁に並ぶ棚からは本の類が溢れ出し、床に積まれている。それから水槽、埃をかぶった学園の模型、球体関節を持った人形、いくつもの鳥籠――あとはジェフにも得体の知れないガラクタの数々。
これを老師が見たら、きっと怒り狂って『片付け』という名の破壊を行うだろう。
「ジェフ・キャスリンダー」
と、タイウィン・シルバは彼の名を呼んだ。
「随分と、やってくれたな」
大きな机に肘をつく彼は、ひどく若いように見えた。
短く刈り込んだ金髪や、対峙する者を刺すような目つきのせいかもしれない。体格もよく、濃紺のローブは彼の骨格を隠しきれていなかった。年はせいぜい、三十半ばといったところだろう。
王立ダルハナン・ウィッチスクール学園長、タイウィン・シルバ。
彼はいま、この上なく不機嫌そうな目でジェフ少年を睨んでいた。
「昨晩、お前は城壁を破壊し、中庭を徹底的に荒らしつくした」
タイウィンは早口に、まったく否定しようのない事実を述べる。
「城壁の修繕費用も無視できないが、実のところ、中庭の方がもっと被害甚大だ。魔法学的に貴重な植物も多かった――担当のクレイソン教授は激怒していた。あの損失は、
ジェフは黙って聞いていた。
こういうときに口を挟んでくるスノウは、この部屋に連れてくることを許されなかった。
「グリフォンどもを皆殺しにしたことも、大きな問題となっている。まず、あれは《魔人》ダーニッシュにとっても重要な部隊の一つだった。まさか全滅するとは思っていなかっただろう」
タイウィンの言葉には、溜め息が混じっているように聞こえる。
「次からは本腰を入れてくるだろうな。学園を狙った攻勢は厳しくなる。やつの虎の子の空軍部隊を根こそぎにするような『何か』が、この学園にいることがわかったからだ」
喋るタイウィンが苛立っているのか、呆れているのか、ジェフには判別がつかない。
ただ、ひどく不機嫌そうな男だと思った。
「王城の連中については、さらに喫緊の問題が持ち上がっている。我々の学園が、極秘にあれほどの兵器を開発したのではないかという疑いだ」
ジェフを睨みつけながら、タイウィンはゆっくりと立ち上がる。
「我が校には問題児も多い。例えば昨年、ミシェル・リヴァーズが起こした事件は、いまだに尾を引いている――要するに、ジェフ・キャスリンダー」
タイウィンは何かを堪えるように、一度だけ目を閉じた。そして開く。
「私がお前に言いたいことは、これだ」
タイウィンの指が、ジェフの胸のあたりを指差した。
「待ち侘びたぞ、《鉛の》ジェフ。最後の竜殺し。グラム・キャスリンダーの唯一の弟子」
「――ああ」
ジェフは大きくうなずいた。
「待たせてしまって、申し訳ない。お爺ちゃんからは、俺が必要とされていると聞きました」
「グラム翁は、他に何か言っていたか?」
「いや、何も。あなたに万事よろしく頼め、と」
「そうか」
少し残念そうに、タイウィンは首を振った。
「あとは私に一任するということか――いいだろう。ここに約束は果たされた。反撃を開始できる。態勢を立て直し、散らかったものを一つ一つ片付けるときが来た」
一瞬、ジェフはこのひどい部屋の有様の話かと思ったが、タイウィンの目はジェフではなくさらに遠くを見ているようだった。
「まず、ジェフ・キャスリンダー。お前には覚えてもらうことがいくつもある」
タイウィンの言葉は、徐々に早口になっていく。
「力の制御。コントロールだ。平常時、竜殺しの魔法は禁止する。お前の力については誰にも言うな。こちらも口止めをかけている。いいな?」
言われなくても、そのつもりだった。竜殺しの技は、竜以外に使うべきではない。
「それから、協調性も必要だ」
ジェフが答える間もない、早口の指示。
そのときジェフは、この男は不機嫌なのではなく、実は相当に興奮しているのだということを知った。感情の表し方が下手なだけなのだろう、と思う。
「最底辺の
「ああ。もちろん」
今度は答えが間に合った――ジェフは微塵の疑いもなく、肯定する。
「俺は協調性に自信があります」
「よし。短期間で成果を出し続けてもらう。誰にも文句を言わせないためにはな。お前には、その後にもっとやるべきことがある」
タイウィンは、ジェフの真正面に立った。
「竜殺しの技を教えることだ。お前の
「でしょうね」
当然のこととして、ジェフはそれを受け止めた。
自分が必要とされているとすれば、それは竜を殺すか。
あるいは、その技を教えるか。
どちらかだと思っていた。
「いいか――一人の学生に、学園長である私はこれ以上の肩入れはできない。お前を最底辺の
タイウィンは右手を差し出した。
「伝説の男の後継者に出会えて、いま、私も多少は興奮している。戦いに協力してほしい、友よ」
「ああ」
タイウィン・シルバと、グラム・キャスリンダーの間でどんな約束が交わされたのか。
紹介状に何が書かれていたのか、ジェフは知らない。
だが、一つだけわかることがある。
「俺が必要とされているのなら、いくらでも協力します」
彼はそのために生きている。
ジェフは右手を差し出し、タイウィンと握手を交わした。
――――
「ジェフさん」
「若」
タイウィン・シルバの部屋から出ると、二人分の声が聞こえた。
そこで待っていた、メリーとスノウのものだ。
スノウは翼を羽ばたかせ、ジェフの肩に止まる。
「どうでした、タイウィンの小僧は。生意気だったでしょう? どんなお叱りを受けたんですか?」
「ああ」
ジェフはスノウの右の翼を撫でた。そこだけが、雪のように白い。
「入学できることになった。スノウ。もう少し、付き合ってくれると助かる」
「は!」
スノウはしわがれた声で笑った。
「若みたいな阿呆を放っておいたら、死の国で大旦那に怒られちまいますからね。付き合いますよ。最後の瞬間まではね」
「助かる」
「――と、いうことは、つまり! ジェフさん」
メリーは勢いよく、ジェフに近づいてきた。目がどこか暗いまま、爛々と輝いていた。
「私とおなじ
「何がだ?」
「この天才! メリー・デイン・クラフセンと同じ
「そうか」
ジェフの答えを、メリーはほとんど聞いていないようだった。
「グリフォンどもを無意識のうちに退けた、私の魔法……これはきっと眠れる力が目覚めたに違いないんです。そうじゃなくても、絶対にそうしてみせます。才能と情熱がありますから」
そうしてメリーは、ジェフに顔を近づける。
「そう思いませんか、ジェフさん!」
「かもしれないな」
そうして、ジェフは少し笑った。
「これから、俺ときみはチームメイトになると思う。宜しく頼む、メリー・デイン・クラフセン」
それは、王都に来てから初めて浮かべる、ジェフ・キャスリンダーの笑顔だったかもしれない。
黒檀の杖を掲げれば、そこに銀色の小さな《しるし》が灯った。
入学編 おわり
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