7.鎖の魔女
赤い髪の魔女、ラナは快活に笑った。
「凄いこと言うね、この子」
どうやら、ジェフの発言がよほど面白かったらしい。喋りながらも、喉の奥から漏れる笑いを抑えきれていない。
「いまの聞いた? コーデリア」
「あまり本気になるなよ、ラナ」
コーデリアの口調は、どこか彼女を咎めているようだった。
「万が一にでも怪我をさせたら、大きな問題になる」
「大丈夫だって。私、そういうの得意だから」
「しかし」
「――コーデリア、放っておけば? いいでしょ、別に」
さっきから黙り込んでいた巻き毛の少女が、つまらなさそうに口を開いた。
「ラナがやるって言ってるんだから。うまくやるんじゃない」
白樺の木にもたれかかる。どこか投げやりな言い方だった。半分ほどまぶたを閉じると、眠っているような表情になる。
「私やコーデリアがやると、たぶん怪我をさせると思う」
「それは、そうかも知れないが」
「大丈夫、穏便に済ませるよ」
ラナは片手をひらひらと振った。
「それにマジな逸材だったら、推薦してもいいんじゃないかな。私、そういう根性ある人とか好きだし」
「きみらしい考えだとは思うが、もう少し生徒会執行部という立場を――」
三人のやり取りを見ながら、ジェフはラナと呼ばれた少女から目を離さずにいた。腕を伸ばし、肩と肘の屈伸運動を始めている。
問題は、彼女がどのくらいの技量か、ということだ。
「ラナ・バートン。生徒会執行部、書記職」
ジェフの考えを読んだわけではないだろうが、メリーが暗い声で呟いた。
「たしか、異名は《鎖の》ラナ。学園でも屈指の魔女ですよ……卒業後は宮廷入り間違いなしと言われています。おのれ勝ち組、なんとしても滅ぼしたい……!」
「そうか。つまり」
メリーの瞳に漂う負の感情群から、ジェフは相手の技量を推察する。
「彼女は強い、ということか」
「ええ。めちゃくちゃに強いと考えてください。恐るべき相手です……! 油断は禁物ですよ、ジェフさん」
「了解した」
めちゃくちゃに強い、という言葉を、ジェフはそのまま受け止めた。
ラナ・バートンの戦力評価を、「最大脅威」として仮定することにする。ジェフにとっての「最大脅威」とは、伝説上の竜と同レベルということだ。ジェフはこの脅威予測を深刻に考える。
魔法の《しるし》なしで滅ぼすことは不可能。生身では手に負えない相手だ。
だが、体の一部に触ることが勝利条件ならば、まだ希望はある。
「いつでもいいよ」
ラナは滑らかな杖を、だらりとぶら下げるようにして構えている。一見したところは無防備なようにも見えた。
「作戦できたら、かかってきて。そっちが動いたら開始ってことで」
「ううううう」
メリーはまた獣のように唸った。
「こっちを舐めてますね……明らかに……! ジェフさん! ここは天才の私に任せてください!」
己に気合いを入れるように声を張り上げ、杖を頭上に掲げた。
「このくらいの試練、天才なら乗り切れます――から!」
メリーが杖を振り下ろす。
杖の先端に紫の光が灯り、輝く《しるし》を生み出した。
火矢を叩き落とすときに使ったものと同じ、ごく単純な『衝撃』の
「お」
ラナは展開された《しるし》を見て、杖を目の高さに持ち上げた。緑の光が灯る。
「正々堂々といきなり奇襲してきた。いいじゃん」
ぱっ、と軽い音がラナの眼前で響いた。メリーの放った魔法は、そこで弾かれたようだった。
「うそっ」
メリーは驚いたが、ごく当然のことだ。ジェフの目には見えていた。ラナが形成した魔法の《しるし》が、メリーの一撃を受け止めていた。
ごく単純な『保護』の
防御手段としては、よくある方法だ。魔法による防御の
緊急時には、これを優先して使う魔導士が多い。
「それじゃ、こっちも開始ということで」
流れるような仕草で、ラナは杖を地面に向ける。
緑の《しるし》が輝くと、その先端が伸びた――ように見えた。そのまま地面に触れた瞬間、杖は蛇のように蠢く。さらに伸びる。
「わああああ!」
ほとんど自暴自棄になったような雄叫びをあげ、メリーが突進していく。魔法が通じないと見て、接近戦に狙いを定めたのか。
勇敢なことだ、と、ジェフは思う。
竜に対してあんな真似は、彼にもできない。
「あああああ――ぎぇっ!」
メリーの雄叫びは途中で悲鳴に変わった。
地面を伸びたラナの杖が、メリーの足元に巻き付いている。転ばせる。メリーは後頭部から地面に倒れ込んで、何か呪いの言葉を吐いた。
ジェフはそれを聞いている暇がない。
メリーを転倒させた杖の先端は、蠢きながらジェフの足元へと向かっていた。
(かわすことは造作もない)
ジェフは思考し、動く。
杖の動きはそこそこ素早いが、野生の蛇と同レベルだ。竜の尾であればもっと素早く、強く、激しい。ジェフはそれを避ける訓練を積んできた。
前方へ跳ぶ。
(――だが)
どうやって近づく? それが問題だ。
「あ、避けた。やるね」
ラナは杖を大きく振るった。先端が鞭のように大きくしなり、再び跳ね上がってジェフを捉えようとする。螺旋を描き、追い込む。
これも回避はできる。
ジェフは地面に手を突き、身軽に宙返りを果たしながら、杖の追跡をかわす。
「うわっ、凄い! ホント凄いね、きみ」
ラナは確かに驚いていた。同時に、喜んでいたかもしれない。
「こういうの久しぶり。私も、ちょっと根性入れようかな?」
それでも隙らしい隙は無い。杖をさらに大きく振るって、自らを守るように動かす。複雑な弧を描いてジェフを捉え、同時に自分を防御する軌道。
ジェフはこれも回避すると、さらに接近――しようとして、止まった。
(駄目だな)
むしろ後方へ跳び、距離を作る。
(ラナ・バートン。左手が空いている。杖も自由だ)
相手を竜として仮定すれば、左の一撃は、その爪相当の攻撃手段を有するだろう。片腕を犠牲にしてそれを受けるとしても、ラナは杖を持っている。
いまはなぜかメリーとジェフを捕まえることにのみ使っているようだが、その気になればやはりジェフを一撃で焼却する力を持っていると考えるべきだ。竜のブレスと同様と仮定する。油断はできない。
(左手か、杖だ。どちらかを一時的にでも止められれば)
懐に入ることができる――少なくとも、その可能性が出てくる。
「いまの、後ろに跳ぶんだ?」
ラナが残念そうに首を傾ける。
「もしかして、早くもやる気なくした? まだ時間あるのに?」
「――そんな」
メリーの声は、思ったよりもラナの近くから聞こえた。
「はず、ないでしょう!」
生い茂った草に隠れ、這いながら近づいていたようだ。ラナから五歩分。怨念のこもった雄叫びをあげながら跳び出し、ラナを捉えようとする。
「これが私の天才的頭脳プレイ! 絞め落としてやりますっ」
「なんて陰険な作戦」
かすかに片眉を吊り上げ、しかしラナは笑った。
彼女の杖は速やかに引き戻され、また蠢き、飛び掛かってきたメリーを容易く阻む。体に巻き付き、宙づりにする。
「っていうか、魔法を使ってよ。運動のテストじゃないんだから」
「ううううう……この勝ち組エリートの愚民め! 呪われろ!」
メリーは唸りながら杖を振り回し、『衝撃』の
そのままメリーは放り出されて、傍らの草むらに頭から放り込まれる。
(よし――)
ジェフは自分がやるべきことを組み立てた。
メリーの突撃は、一つの活路を示唆していた。よって、ジェフは躊躇なく動き出す。まっすぐ正面から、ラナへと最短距離で突撃する。
腰のベルトから、黒檀の杖を外した。
「あ」
ラナは杖を鞭のように振るう。
「もしかして、きみの魔法? そうそう、それを待ってたよ!」
使うはずがない。ジェフはそのように己を戒めた。別の策がある。
ラナの杖が反応し、ジェフの足元に迫る――ここだ。ジェフは己の黒檀の杖を、その蠢く先端に触れさせた。
瞬時に絡みつく。
(メリーが身を挺して証明した)
簡単なことだ。
ラナの杖の動きは、完全に自動的なものだ。すなわち、触れたものに反応し、標的に巻き付く。基本的にはそれだけだ。
だからジェフの差し出した杖のような、単純な囮にも引っかかる。
(それに、脆い)
メリーの、あの軽い『衝撃』でわずかに破損した。生き物のように柔軟に動くが、ベースである素材は杖――木製にすぎない。竜の骨よりもはるかに脆い。
よって、破壊できる。
ジェフは踵で踏み砕くべく、片足を上げた。
これには、ラナも少し慌てたらしい。
「あっ? やばっ。ちょっと、まずいって。大事な私の杖なんだから――」
ジェフの杖に巻き付く杖が、ぎっ、と耳障りな音をたてる。
膨れ上がり、緑の《しるし》の輝きとともに変質する――それは、鉄の鎖だった。ジェフはその瞬間にラナの二つ名の意味を知った。
(『変成』と『変質』の
かつては、錬金術として知られた魔法分野の
ラナの場合は、鉄なのだろう。
(だが)
ジェフは即座に作戦を切り替えた。
(もう遅い)
構わず鎖を踏み、それを掴む――そして、全力で引っ張った。
ジェフの『全力で』というのは、竜の攻撃を回避し、あるいは不測の被弾に耐えるほどの筋力で、という意味だ。むろん、引きちぎるのが目的ではない。
「うわ」
ラナは、あるいは『変成』の
ただし、速度が足りなかった。
相手に巻き付く動作を自動化しているというのは、自身の反応速度の遅さを補うためのものだろう。ましてや、他でもない。ジェフ・キャスリンダーの俊敏さを凌駕することはできない。
彼にはその自信があった。
「うそ、マジで?」
ラナが杖に引っ張られて転ぶ――ジェフはこの戦の勝敗を決するべく動き出す。
跳躍すれば届く間合い。
「あー……まあ、仕方ないか」
ラナも顔をしかめたが、何か別の手を使おうとしたらしい。杖を縮め、引き戻す。ごくわずかな隙だ。これを掴めるかどうか。ジェフは意識を尖らせる。
「――若!」
スノウの声が響いたのは、その瞬間だった。
「善良な私からのご忠告ですよ! 空です、空、見てください!」
切迫した口調。翼を広げて飛び上がっている。ジェフは急停止をかけた。
「こんなときに」
コーデリアが顔をしかめ、空を見上げていた。
その視線の先にいるのは、スノウだけではない。丸く蒼い月の影をかすめ、いくつもの翼ある影が飛んでいた。
ジェフはその異形の影を、昼間にも見たことがあった。
グリフォンだ――軽く百を超える。群れを成して飛んでくる。
あまりにも整然とした飛び方だった。ただの野生ではない。彼らがどこを目指しているのか、ジェフにはすぐにわかった。王城。市街地。それから――
「コーデリア」
ジェフが声をかける前に、巻き毛の少女がその名を呼んでいた。
「狙いは市街地だけじゃない」
いまは彼女も目を見開いて空を見ていた。
「どうやら、こっちに向かってるわ。それも、かなりの数。昼間のはフェイクだったわけね」
「市街地に戦力を割いたのは、結果的に不正解か――しかし――いや。やはり市民の保護は優先するしかなかった。切り替える」
少しの間だけ逡巡して、コーデリアは首を振る。一度、唇を噛んで告げる。
「遠征部隊は不在だ。我々だけでなんとか凌ぐ。ベティ、白リボン以下を避難させてくれ。青リボンはその護衛、残っている赤リボンは会議室に集合」
そして、彼女は樫の杖を振り上げた。
「急げ――もう来たぞ!」
中庭を、いくつもの翼の影が覆った。
強い風と、グリフォンの鳴き声とが、翡翠庭園を吹き抜けた。
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