6.翡翠庭園

 ぎりぎりのところで、自由落下による激突だけは免れた。

 最後の最後、ジェフが込めた力のせいで箒は砕けたが、とにかく命は助かった。

 これはジェフにとっては最善の成果といえる。メリーにとっては、多少は違うようだったが。


「そんな」

 メリーは砕けた箒を手に、いまにも泣きそうな顔をした。

「一ヶ月、ろくに寝ないで作ったのに……! 粉々になるなんて」

「すまない」

 ジェフは即座に謝ることにした。箒について嘆く前に、メリーにはやってもらうべきことがあったからだ。


「しかしメリー、とりあえず俺の腹の上をどいてくれ。動きづらい」

「ひ」

 裏返った声をあげ、メリーは蛙のように跳んだ。大きく距離を取る。

「ひえええ! 私――ま、また潰しちゃってました? ですよね?」

「気にするな。竜より軽い」

「え。あの、竜って……そんなのと比べられても」

「それより、俺たちはどこに落ちた? それが気になっている」

 ウィッチスクールの城壁より内側へ、ひどく乱暴な急降下をしたのはわかる。だが、学園のどこに落ちたのだろう。


 箒の制御を取り戻すことに集中していたジェフには、まったく見当もつかなかった。

 ジェフは灰色のローブの汚れを払いながら、ゆっくりと起き上がる。

 周りは大きな庭園――というよりも、これは小さな森だと思った。背の高い木々が生い茂っている。地面を覆う草花は、毛足の長い絨毯のようだ。


「こいつは、なかなか見事な庭ですな」

 スノウが頭上から舞い降りてくる。

「南部のディ=ミンサ高原を思い出しますよ。若は見たことないでしょうけど、そりゃ奇麗な森と湖の楽園みたいなところでした。この庭は、まあ、そのミニチュアって感じかな!」

 喋りながらひとしきり旋回すると、スノウは最も背の高い杉の木の隅に止まった。

「これだけ色々な植物が、こんな狭いところに生えてるんだ。なんかの魔法ですかね。こういうのは、私はあんまり詳しくないですが」

「俺もだ」

 ジェフは大きく息を吸ってみる。北部の森とは、匂いの濃さが違う。


「これ、学園の中庭です。翡翠庭園ですね……! すごい!」

 メリーがいつの間にか立ち上がっていた。

「私、一度ここに来てみたかったんです」

 砕けた箒のことをすでに忘れたようで、周囲を落ち着きなく見回している。まるで不審人物のようだった。

「魔力活性値の高い、手塩にかけて育てられた木々……! こんなにたくさんあるなんて、贅沢ここに極まれりですよ! 羨ましい!」

 メリーは白樺らしき木に近づき、その匂いを嗅ぐように鼻をひくつかせた。

「杖にするのに最適な木を選び放題ってわけですよ、ここの人たちは! 許せませんね……既得権益ですよ! 腐敗です! 私もこれで杖を作れば……魔法の威力も百倍……いや、五百倍は確実かも……!」


「そうか」

 ジェフはスノウを一瞥する。彼はただの烏のような鳴き声をあげた。

 これは彼がよくやる、面倒なときに普通の烏のふりをする仕草――さっきので疲れたので、もう手を貸すつもりはないという意味だ。

 ジェフはうなずくしかない。

「では、メリー」

「はいっ、なんでしょう」

「ここが中庭ということは、彼女らはここの学生か、関係者というわけだな」

「え!」


 ジェフの指差した先を振り返り、メリーは危うく転びそうになるほど驚いた。

「ぎええ! 出たあ!」

「――人聞きの悪いことを言う。私は異形か」

 メリーの悲鳴に、苦笑い混じりの答えが返ってきた。

 杖の先に白い光を灯し、木々の影から現れたのは、ジェフにも見覚えのある女学生だった。

 コーデリア・マーレイ――長身に黒髪の少女。濃紺のローブに、いまは赤いリボンのついた帽子を被っている。


「ううううう」

 メリーは犬のような唸り声をあげていた。

「コーデリア・マーレイ……のこのこと私の前に姿を現すとは……! エリートじみた空気で私を窒息死させようというわけですか? 許しませんよ……呪ってやりますからね!」

「メリー・デイン・クラフセン。きみの言うことは、しばしば非常にわかりにくい。だが――」


 殺意のこもったメリーの視線を受け止め、コーデリアはため息をついた。

「まさか、ジェフくん。きみまで強硬手段で侵入してくるとは」

 腕を組み、やや厳しい表情を作る。

「こういったことは、二度と試みないでもらいたい。今回、命があったのは奇跡的なことだ。教師陣が大騒ぎしているのも、きみたちにとって幸運だったな」

「教師陣が?」

 問い返しながら、ジェフは少し納得し始めていた。

 王都最高学府の迎撃態勢が、あの程度だったとは拍子抜けだ。何か事情があるのかも知れない、とは感じていた。

「だが、なぜだ? 何が起きている?」


「まず一つ。昼間の襲撃のように、《魔人》ダーニッシュからの攻勢が激しい。主に空襲のせいでね。市街地の防衛と、遠征部隊が彼の拠点を叩きに出撃している」

 コーデリアは二本の指を立て、順番にそれを折った。

「それから二つ目。先ほど、学園上空で強力な魔力価反応を検出した。恐らく異形だ。《魔人》ダーニッシュの新たな一手かもしれない。教師陣はいま、唐突に消えたその反応を追っている」

「そうか」

 ジェフはスノウを再び一瞥する。スノウはただ、からかうような鳴き声をあげただけだ。徹底的に関わる気はないらしい。


「つまり俺たちの侵入は、気づかれていない」

「ああ。――だから、私たちだけで様子を見に来た。もしかして、と思ってね」

 コーデリアは不器用に笑い、右手の杖を軽く振った。その先端に灯された光が揺れ、背後にさらに二人の人影を照らし出す。赤毛の女子と、巻き毛の黒髪の女子。

 コーデリアが杖を振ると、光の量が少し強まった。

「ダルハナン・ウィッチスクール、生徒会執行部。その三役としては、できるだけ穏便に済ませたいと、私は考えている」


「あ。どーも!」

 先に声を発したのは、赤毛の女子の方だった。

 彼女は濃紺のローブを纏っていない。帽子もない。そのため、コーデリアよりもさらに発育のいい体を見て取ることができた。こちらを覗き込むように見ている。その顔は、なぜか嬉しそうに微笑んでいた。

「ってか、本当に男子だ。うわー、すごいね。マジに飛び込んで来たんだ!」

 そのまま、歩き回りながらジェフを観察する。

「へー。うわー。すごい。なんか凄いね。根性っていうか、そういうのが」

 なんとなく、落ち着かない気分になる。


「……男子と、デイン家のメリー」

 巻き毛の女子は、細めた目で無遠慮にこちらを睨んでくる。

「面倒ね。帰ってもらえば、コーデリア。強制的にでも」

「魔導士は民間人に力を振るわない」

 コーデリアの答えには、圧倒的な意志の力があった。ただ単純に、頑固さともいえるだろう。

「校則だ。生徒会長として、私は規範とならねばならない」

「真面目ね、コーデリア。真面目すぎる……」

 巻き毛の女子は首を振り、一歩下がる。ジェフを睨む彼女の視線は、コーデリアのそれよりもずっと冷たい。むしろ、嫌悪感すら宿っている気がする。


「ぐえええ」

 苦し気な声とともに、メリーが胸を抑えた。

「こいつらは、生徒会三役! この圧倒的なエリートの空気! 死ぬ……死んでしまう……」

 のたうち回らんばかりのメリーを、しかしジェフは気にしていられない。やるべきことがある。


「俺は、帰るわけにはいかない」

 ジェフはマントの内側から、紹介状を取り出してみせる。

「タイウィン・シルバ。彼に宛てた紹介状だ。この学園にいると思う。渡してほしい」

「……タイウィン・シルバ? 学園長は、いまは不在だ」

 コーデリアの答えには、わずかに困惑の色が滲んでいた。

「赤リボンの精鋭とともに、《魔人》ダーニッシュの拠点へ遠征に出ている」


「しかし」

 その程度で、ジェフは引き下がるつもりはない。

「俺はこの学園に必要とされている。帰るわけにはいかない。きみもそうだろう、メリー」

「え? あ、あっ。はい! はい、そうです!」

 メリーはいきなり話を振られて、それでも堂々と宣言した。

「この天才の私を入学拒否したら、学園史に残る損失です。末代まで呪いますよ! それはもう、一族郎党皆殺しの勢いで呪いますからね!」


「私としても、きみの実家の意向など度外視したいのだが――それ以前の問題として」

 コーデリアは言いにくそうに口を引き結び、また開く。

「きみは魔力価は、入学基準値に比べて非常に低い。故にきみが非正規――かつ強引に受けた入学試験も、不合格となったことを覚えているだろう」

「そんなことは些細な問題だ」

 このとき答えたのは、メリーではなくジェフだった。メリーは驚いたように目を丸くした。

「魔力価は鍛えれば伸びる。重要なのは、資質だ。情熱に勝る資質はない。俺のお爺ちゃんはそう言っていた」

「しかし、ジェフくん。学園は戦士を育てるための機関だ。命を落とす危険もある。よって最低基準の選別は必要――」


「いいじゃん、別に。コーデリア」

 赤毛の女子が、コーデリアの肩を叩いた。どことなく浮かれたような足取りで、前に出てくる。

「こっちは寝てるところを叩き起こされたんだし。軽く運動したいな。私、この二人をテストしてあげてもいいよ」

「ラナ」

 コーデリアは、ひどく迷惑そうに彼女を見る。ラナ、というのが、その赤毛の女子の名前なのだろう。

「無意味だ。私たちにその権限はないよ」

「試すぐらい、いいでしょ? 学園に入学できる力量なら、こっちも大歓迎だし。先生たちに紹介してあげてもいいと思うけど」

 ラナは微笑しながら、片目を閉じた。


「どう思う? 入学希望者の二人は?」

「の」

 メリーは右拳を天に突き上げた。

「望むところです。やりましょう! 相手にとって、ふ、ふ、ふふ不足なしです!」

 声がはっきりと震えているのが、ジェフにはわかった。巻き毛の女子がため息をつき、顔を背けるのがわかった。コーデリアは不機嫌そうに唸った。

「ラナ。それは――あまりいい趣味ではない」

「そうかな。この状況で、一番穏便に諦めてもらう方法だと思うけど」

 ラナは意に介した様子もない。腰に吊ったベルトから、やや長めの杖を引っ張り出す。恐らくは、栗の素材の杖だろう。柔軟で、多彩な魔法の《しるし》を滑らかに導くことができる。


「いいでしょ、コーデリア。手加減するからさ」

「――絶対に傷つけないのであれば」

「決まりね」

 ラナは笑った。よく笑う少女だ、と、ジェフは思う。だが、その笑い方は、どこか白々しいようにも見える。


「じゃ、ルールは簡単なやつで。時間は三分以内。この私の――」

 ラナはその杖で、自分の首筋から胸部、腹部までをなぞってみせた。

「体の、どこでもいいから。好きなところに触ることができたら、そっちの勝ち。合格ね。二人がかりでどうぞ」


「ジェフさん」

 メリーが暗く、湿った呟きとともに前進した。

「落ち着いてください。動揺させようとしているんです。あの女……恵まれた体型を見せつけやがって、調子に乗ってますね……! ぶっ殺してやりたいです! ジェフさんは挑発に乗らないように。いいですか!」

「そうか」

 ジェフはその手の心理的な駆け引きに詳しくない。メリーの言うことを信じることにする。

「教えてくれて助かる、メリー。こっちもその手を使おう」

「え?」

「ラナ、と言ったな」

 ジェフは右手の拳を、左手の平で包む。骨を鳴らす。

 相手を動揺させてやろうと思った。


「ただでは殺さない。最初は足の指、次は手の指。少しずつ細切れにする間、きみは俺に絶望の歌を聞かせ、苦痛の舞いを見せることになる」

 コツは、無表情で告げることだと教えられた。だからジェフはそうする。

「恐怖しろ、ラナ」

 効果があったのかどうか、よくわからない。

 ただ、ラナもコーデリアも、メリーすら、呆気にとられた顔をしたのはわかった。

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