第3章 研修折り返し ~後半~
第17話 他の査定なら完璧なのに
癒しのゴールデンウィークが終わり、再び研修が始まった。
ゴールデンウィーク中は、ひたすら母のお店のお客様に、SNSコミュニケーションアプリのIDを教えて回っていた。みんながみんな車を買う時は連絡をくれるそうで、社交辞令やただの下心とは思いつつも、何かの保険にはなるはすだと瀬里花は睨んでいる。
「さて、月も変わって、君たちの新入社員研修もいよいよ最終月だ。今日からは、新車や
川野が久しぶりに会ったみんなの顔つきを確認している。始めての給料が入った後の大型連休だ。みんなの顔は暴飲暴食で少し丸くなっているようにも見える。ただ一人、この瀬里花を除いては……。そう、許斐瀬里花は、まだあの廃課金によるショックから立ち直っていないのである。瀬里花の場所で、一瞬、目を大きく見開いた川野だったが、軽く微笑むとすぐにホワイトボードに文字を記入していった。
「通常、新車を販売する時には、今まで乗っていた車を、新車の値引きの一部として引き取ることが多い。これを
頷くみんな。お客様にその分のお金を返すようなものだから、確かにマイナス収支だろう。未だ迎えに来ないマンチカンのミヤビを思い出し、瀬里花は悲しくなってしまった。
――これもミヤビが出なきゃマイナスだ。
次に引きにいけるのは、五月末の休日くらいだろう。瀬里花は今度こそはと一人意気込んだ。
「ようしようし、みんないい子だ。しかしな、一旦はマイナスになっても、その下取った車を綺麗に清掃し、また加修といって傷を修理したりし、売り物になるように整備した商品車というものは、新たな販売価格がつけられU-CARとして中古車売り場に並べられる。そしてそれが売れればだ。マイナスで仕入れた損失を大きく上回る売上げや利益を会社にもたらすことになるってわけだな」
なるほど。確かに次の利益を生むという点では、非常に重要だろう。この辺りは仕入れ価格と販売価格の差で利益を確保する小売業と一緒だろう。いや、そもそもがこの業界が小売業か。ちなみに母のような水商売は、大きく分けるとサービス業に当たるとのことだった。
「そのためにも君たちには、お客様の車に正当な価格をつける査定を行えるようになってもらわなければならない。これは研修を重ね試験を受け、査定士資格を取得することが必要条件となる。この資格を持たないものは、基本的にお客様の車を査定することは出来ない。査定が出来ないということはつまり、そもそも一人で新車の話をすることが出来ないことを意味する」
資格試験があるのか。少し不安になる瀬里花。昔から記憶力は良いが、計算が絡むと思考を停止してしまう癖がある。
「もちろん資格を取ろうとも、事故車を見抜けなければ、会社に多大な損失をもたらすし、傷を見落とせば、それだけ会社に打撃を与える。逆に傷による減点を多くしてしまえば、お客様にもご迷惑をかけるし、下取り金額が他の販売店より少ないと、より高いライバル会社の方で車を買うことにもなってしまうだろう。だから、君たちには、ぶれることのないしっかりとした目で、当たり前のものに当たり前の価値をつける査定が出来るように、この研修で技術を磨いていって欲しい」
どよめきが会議室を襲う。査定は専門家がいて、その人がしているものと思っていたからだろう。
「あ、ちなみに査定ミスしたら、ボーナスから引かれるから気をつけるように!」
「ええええーーーっ?!」
脅しのような川野の言葉に、みんな萎縮してしまったようだ。休み明けであれだけ晴れやかだった表情は、もうどこにも見当たらなかった。
「じゃあ、下取り置き場に移動しようか」
査定について川野の説明を大まかにまとめると次のようになる。車の査定とは、基本的には減点方式である。車の年式やグレードで、まず基本価格が決まり、そこからボディーカラーによる加点や減点、傷や走行距離による減点、装備による加点や減点で査定価格が決定する。たとえ事故をしていようと、フレームという車の基本となる骨格に損傷や修理跡がなければ、事故車にはならない。業界用語では、一般的にみんなが思っている事故歴のことを修復歴というらしい。つまりあまり変なボディーカラーでなく、極端に走行距離が伸びておらず、そして修復歴がなければ、基本価格に近い金額となるようだ。もちろん、車も水物なので旬で相場が変化する。基本価格から大きく下回ることもあれば、海外からの買付けの需要などによっては、相場が極端に高くなることもあるそうだ。
そういうわけで、瀬里花たち新入社員は、事故車や売り物にならない車を研修用に借りて、車を骨格から勉強することになった。
――そう、なったのだが……。
瀬里花は事故でぼろぼろになった愛車を思い出し、吐き気を催してしまった。
「おいおい、人の死体じゃないんだから、吐かれても困るぞ、許斐!」
「はぃ……すみません……」
そうこれはあくまで動かなくなった車のフレームで、生きているものではない。でも、どうしてだろう。動かないことの悲しみが、どんどん瀬里花に流れ込んでくる。
――あれ……。
急に頭がぼーっとしてくる瀬里花。身体に力が入らなくなってしまう。何かに捕まろうと手を伸ばすが、非情にも瀬里花の手は空を切ったのだった。
――バタンッ。
音だけは聞こえた気がする。しかし、瀬里花は何が倒れたのかわからず、そのまま意識を失ったのだった。
――ああ、男の査定なら完璧なのに……。
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